第16話 そのメイド『別離』

 虹色の光に包まれた小さな幻影の街が、すっかり消え失せて元の森が眼下に広がっている。夢から現実の世界へ引き戻されたような感覚がした。

 うすら侘しい広大な森の中にある崖の上にて。ミカコの右隣にそっと佇んだヴィアトリカが、沈黙を破り、静かに口を開く。

「……私が創り出した、あの異世界が消滅するのと同時に、君達が身につけていた制服も消えてなくなってしまう。女性としての、最悪の事態を回避するためにも私は仕事を止めさせ、私服に着替えるように指示を出したんだ。元の世界のものを身につけていれば、それは消えることはないからな」

 もしもあの時、ヴィアトリカの指示を聞かずに屋敷から支給された制服を着て仕事を続けていたら、きっと今頃、女性としても恥ずかしい姿になっていただろう。それを想像するだけでも怖ろしい。ミカコは手の甲で涙を拭うと、ヴィアトリカの方に視線を向けて、満面の笑顔で謝意を示す。

「お気遣いありがとうございます!お嬢様のおかげで私達、とっても恥ずかしい思いをせずに済みました」

「その呼び名はもう……止めてくれ。屋敷がなくなった今、私と君はもう、主従関係ではなくなったのだから」

 頬を赤らめつつもそう、ヴィアトリカは無愛想に返事をした。

「では、なんとお呼びしたら……」

「呼び捨てでいい。それと、敬語も不要だ。私は……ミカコと友達になりたいんだ」

 冥界に行く前の、この場限りの……な。

 はにかみながらも率直に自身の気持ちを打ち明けたヴィアトリカ。彼女の意外な一面に触れたミカコは、

 なっ……なに、このこ……めちゃくちゃかわいいんですけど!

 赤面しながらも内心そう叫び、喜びを爆発させた。

「離れていても、私達はずっと友達だよ!ありがとう、ヴィアトリカ!大好き!!」

 あくまで友達としての愛情表現だが、ガバッとハグをしたミカコからの、思いも寄らない返事を聞いたヴィアトリカが赤面し、面食らった。

「本当に……いいのか?私が、友達で……」

「いいんじゃない?」

 ミカコの反応に戸惑うヴィアトリカに、歩み寄ったエマが穏やかに返答する。

「今のあなたは、日記帳から飛び出した永遠の幽霊エターナルゴーストだもの。私は立場上、あなたを一度、冥界にある冥府役所めいふやくしょまで連れて行かなければならないけれど……その後は、霊界に移り住むことになると思うわ。あなたが自力で成仏出来るようになる、その日まではミカコと友達関係でいられるわよ」

「そう……なのか」

 エマの説明を理解したヴィアトリカは改めてミカコと向き合うと、

「私の方こそありがとう、ミカコ。友達同士、仲良くしよう。これからも、ずっと」

 素直に微笑み、返事をすると優しく抱き返したのだった。


「危機は去りました。あなたのは安全に保たれ、よほどのことがなければ危険に脅かされることはないでしょう。よってこれより、あなたとの契約を解消いたします。ヴィアトリカ・ビンセント、手を」

 徐に、ヴィアトリカと向かい合ったロザンナが静かにそう告げると促した。真顔で差し出したヴィアトリカの手を取り、その手の甲に右手を翳したロザンナは、そこに浮かび上がった、光り輝く銀白色の十字架の印を消した。

「これにて、私との契約は解消されました。本来ならばここに死神しにがみが現れ、あなたの魂を回収するところでしょうが……今となっては、それをするのは困難でしょう。

 私は、あなたの魂を回収する死神に、あなた自身を引き渡す役目にありましたが、それをする必要がなくなりました。ヴィアトリカ・ビンセント、あなたはもう、自由です。これからは永遠の幽霊エターナルゴーストとして生き、未練を晴らしなさい。結社には、私の方から話をしておきます。あとはエマに託しましょう」

 ロザンナは粛々とそう告げると、徐に体の向きを変えてヴィアトリカの前から去った。入れ違いに、冥府役人のエマがヴィアトリカの傍につく。

「ロザンナっ!」

 冷静沈着な雰囲気を漂わせて去って行くロザンナの背中に向かって、ヴィアトリカが声を張り上げる。

「今まで、すまなかった!二年半もの間、私を助け、守ってくれてありがとう!!」

 これが、いまのヴィアトリカに出来る、ロザンナに対する精一杯の感謝の気持ちだった。背を向けたまま、含み笑いを浮かべたロザンナが振り向き、真顔で再びヴィアトリカと向かい合う。

「私は、あなたに感謝をされることはなにひとつしていません。が、あなたのお気持ちは受け取っておきましょう。ヴィアトリカ、あなたと出会えて、私は幸せでした。私の知る限り、霊界はゴーストにとって住み心地が良く、とても快適なところです。あなたもすぐ、気に入ると思いますよ。いずれまた、違う形であなたと再会出来る日を楽しみにしています。では」

 そう言って、ヴィアトリカに微笑みかけたロザンナは別れの挨拶をすると背を向けて去って行ったのだった。

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