第22話 賢者の旅立ち

 こうして乗馬大会は幕を閉じ、アドリアンは王都に帰ることとなった。


 大きな荷物を抱え、馬車に乗り込もうとしたアドリアンが振り返り、私に囁く。


「残念だが、今回は僕の負けだ。シモンにも、みっちり怒られたしな」


「シモン様に?」


 あの優しそうなシモン様が怒るだなんて、想像できない。


「ああ。弟に手を出したら例え僕でも許さないとさ」


 くくく、と笑うアドリアン。


「全く、ブラコンにもほどがあるぜ」


 シモン様……そうだったんだ。全然知らなかった。


「そんなわけで、僕は今回は引くが、クロエのことを完全に諦めたわけじゃない。お前はこんな田舎には惜しい人材だ。それはお前も分かっているだろう?」


 アドリアンの言葉に、私は首を横に振った。


「いいえ、私は当分あちらには帰らないと思う」


 思えば私は、王都では国の役に立つような――軍事魔法の研究や、戦争やモンスターを殺すための魔法を研究するように強いられていた。


 だけどここでは、居なくなった子供を探すために魔法を使ったり、魔法でシーツを綺麗にしたり、薬草を育てたり、そんなふうに魔法が人々の暮らしに直に役立つことを実感できた。


 それって――本当に私のやりたいことなんじゃないかなって思ったの。


「この自然豊かな美しい土地で、子供たちに魔法を教えながら、人々の暮らしのために魔法を使いたいから」


 私が答えると、アドリアンは呆れたように笑った。


「全く、お前も甘ちゃんになったもんだ」


 そして軽く手を上げると「あばよ」と言って、アドリアンは馬車とともに去っていった。


「なんだか騒がしい人だったね」


 ルイくんが苦笑する。


「そうね。騒がしい人もいなくなったし、久しぶりにゆっくりお茶でもしたいわ」


 私が伸びをしながら何ともなしにつぶやくと、ルイくんが笑う。


「いいね。近くに親戚のバラ園があるんだ。今度そこでお茶でも飲みながら一緒にお花でも見ない?」


 私はピタリと伸びをする手を止めた。


「それは、ランベール家の次男としてメイドに命令しているの?」


 私が尋ねると、ルイくんは急に真剣な顔になって、首を横に振った。


「いや。メイドだからじゃなくて、単に意中の女性をお茶に招いているだけだけど。ダメかい?」


「え?」


 私はルイくんの言葉に頭が真っ白になり、その場に立ちつくした。


 『意中の女性』って――それは。


「……どうしたの? そんなに嫌だった?」


 ルイくんが、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「あ、いえ、そうじゃないわ、そうじゃなくて――」


 私は慌てふためいた。


 どうしよう。


 嫌じゃない。


 嫌じゃないけど――。


 賢者として数多くの魔法と知識を得てきた私だけど、困ったことに、こういう時、どうやって振舞ったら良いのか分からない。


「ただ私、こういった経験がなくて、どうしたらいいのか分からないの」


 私がうつむくと、ルイくんはクスリと笑ってこう言った。


「別に大したことないさ。ただ笑って、俺の手を握って『はい』と言ってくれればいい」


 その言葉に、私は大きく深呼吸をし、恐る恐るルイくんの手を取った。


「……はい」


 暖かな手の温もり。


「じゃあ、決まりだね」


 優しいルイくんの微笑みに、胸がキュッと締め付けられて、泣きそうになる。


 習ったことのない感情に押しつぶされそうになる。


 世の中には、賢者になっても知らないことって、たくさんあるのね。


 どうやら私、ここで学ぶことはまだまだ多いみたい。




[完]



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万能賢者、田舎でメイドになる 深水えいな @einatu

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