第14巡 茅ヶ谷巡の感情直り

 自分が想定していたよりも早く脚本が形になる。一週間しかない期限のせいで急ピッチで仕上げないとっていう焦りもあったけど、やっぱり好き好んだ分野で、自分の思考や嗜好を際限なく詰め込む工程が童心を弾ませたんだと思われる。

 歴代ミステリーやバイオレンスの名作からインスパイアされたことで、必然的に西洋古風の世界観となり、まだ見ぬ理想の街並みの脳内に張り巡らせながら登場キャラクターたちを動かして行く……こんなの、楽しくないわけがないよね。だって自分だけのとっておきのミステリーが出来上がっていくんだから。


「あの馬場園さん。ダメな箇所があれば、自分に遠慮することなく言ってください」

「ああ……そのつもりだよ」


 そんな脚本を印刷し、クリップで留めて現在。いつもの一室に居た馬場園さんに手渡して、反応を待っている最中だ。

 こんなに緊張したのはいつ以来だろう。いや緊張すること自体はいっぱいあるんだけど……いきなりスーパーの店員さんに声を掛けられたりとかね。なんというかそれとは種類が異なる感覚で、急激に発症するんじゃなくて、安堵と不安を何度も波打つようなタチの悪い周期的な腹部の締め付け……生理現象に似ていて本当に勘弁して欲しい。


「「…………」」


 室内は沈黙に包まれる。

 それだけ真剣という裏返しなんだろうか。

 無言で待つ時間はそんなに嫌いじゃない。

 どこかミステリアスで美しい気がするから。

 でもこの瞬間は酷く呼吸がしにくい。

 座り続けるのも辛く、落ち着かない。

 きっとあれだ。自分の好きなことを全否定されるときの虚無を自分は恐れているんだ。

 そんなことを考えるとまた、胃腸の辺りがキリキリリと痛み始める。ここに居ない赤阪さんでも誰でもいいから、唐突にドアを開いて現れてくれないかなと願ったり願わなかったりしてみる。多分、痛みが少し紛れるはずだから。


「うん。一応目は通した……確認だけど、これで全部で合ってるよね、茅ヶ谷」

「あ、はい。それで全てです」


 そう言って馬場園さんが事務机に印刷書類を叩いて整えるつつ、お互いの視線が不安定に交錯する。

 表情は和やかじゃなくて、悲哀もなくて、ましてや激怒している様子もなく真顔だ……それが一番怖い。もっと分かりやすくあってくれないと、緊張に諦めが付かなくて手に負えない。ひたすら恐怖しか残らない。


「率直な感想で、いいんだよな?」

「……もちろん」


 言葉の抑揚の振り幅も全然ない。

 虚勢の肯定で手一杯だ。

 どうなる? 怒鳴る? どうにかなる?


「んーこのままじゃ、みんなに見せる台本に出来ねぇな……」

「え……——」


 地獄から脱出可能な糸が切れたような声が自然と発してしまう。

 ちゃんとメガネを掛けているのに視界が乱れ始め、遠近感がズレでくる。


 予想はしていた。

 最悪の想定だって何回も繰り返した。

 自分の人生が想定内の最悪で済むから。

 でもいざ現実になると、自分の妄想が否定された気がして、期日の焦燥が緊迫に付随して自分を瞬く間に飲み込もうと——


「——でも少し修正した後で、すぐに量産してみんなと打ち合わせしよう、な!」

「は……へっ?」


 何を言ってるんだろう馬場園さんは……。

 それって、どう言う意味で受け取れば良いのか分からないんだけど?


「いやー設定の段階でも薄々分かっていたが、やっぱこれ役者の力量で左右する物語だよなー! もしこれを茅ヶ谷じゃなくて赤阪が書いてたら絶対にボク、文句言ってた自信あるわ——」

「——あのあの馬場園さん。さっきこの脚本じゃ、ダメって」

「あ? ああ、それは何箇所が誤字っぽいのがあったから、そこの手直しだけな。内容に関しては問題ない。んー……まあ、よくもやってくれたなって感じだ。さっきも言ったが、役者泣かせのシナリオだって意味でもさ」

「あっ……そういうことですか」


 すごく紛らわしい言い回しだ。

 危うくこっちが泣きそうになるところだったよ……でも、良かった。


「うん……これで行けそうだ」

「……はい。このストーリーをよろしくお願いします」

「ははっ、おう! 任されたっ」


 馬場園さんは面白い、面白くないじゃなくて、問題ないなんて素っ気のない返答だった。けれど後々の任されたに続く一言と共に覗かせた不敵な頬杖と笑みが、自分の脚本に真っ向から挑もうとする役者のプライドを醸し出している気がした。その毅然とした面構えが、自分の緊張を安堵に似た何かに変換して行く。

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