第5巡 茅ヶ谷巡の諦観断り

 真っ直ぐ家に帰れた世界線の自分は、今頃どうしていたのかなと想像してみる。きっと手洗いうがいを済ませて、締め付けが軽減されるゆったりとした部屋着に着替えて、コーヒーでも嗜んでいたのかもしれない。


「……どうして、こうなってるんだっけ?」


 とまあ……こんなことを考えてしまっているということは、現実の自分はそうしなかったわけだ。結局赤阪さんとやらの口車に乗ったというか、断る口実が無さ過ぎたというか……馬鹿馬鹿しく感じると思考回路って鈍るんだなと、まざまざと思い知らされる。


 そんなこんなで赤阪さんの背後ろから10メートル以上離れ、文化サークル棟までついていくハメになる。これでもかなり妥協して歩み寄ったつもりだ。仮に心の距離が現実に反映されるとしたら、もっともっと遠ざかっているはずだから。

 文化サークル棟は大学の本部棟のほぼ真後ろに位置している。つまり正門からだと逆側になる。普段は全く用事のない建築物で、たまに廊下沿いの窓から視界に入る程度の場所でしかないけど、それなりに小綺麗な外装だったような気がする。


「よーし着いた……ん? 茅ヶ谷、俺歩くの早過ぎたか?」

「いえ、自分が意図的に牛歩してただけです」

「すまん、何言っているのか聴こえないぞ」

「……愚痴ですから、聴こえないように言ってるんですよ」

「なんだってー?」


 そんな呼び掛けにまともに応対せず、自分は文化サークル棟を仰ぎつつ、赤阪さんの斜め後ろに控える。ちなみにパーソナルスペースは未だにきっちり取らせて貰っている。

 思っていた通り外装は新築アパートのようにカラーリングが皓々としていて、ワンフロアずつ等間隔で扉がある。3階建て、ワンフロアにつき5室、合計15の部屋が完備された施設みたいだ。少し異なる部分もあるかもだけど、ざっと見た感じはそんなところかな。


「こうして見ると、意外と大きい建物だったんですね」

「そうだな。キャンパス本体に比べると劣るが、これだけの広さだ。まさに文化的活動に打ち込むには、うってつけの場所ってことだろうな」


 九ノ瀬大学は幾つかのキャンパスに分かれてはいなくて、この1ヶ所の敷地に全ての施設が集約されている。正門から考えて、左側に直進していけば体育サークル棟と広大なターフコートとグラウンドがそれぞれ待ち受け、右側には図書館や実験室を完備した別館棟と室内競技場、それに作物の栽培が可能な農業エリアがある。他にも至るところに用途に則した建造物や区域があって、確か1施設に於ける大学の総敷地面積なら関東圏でも随一だったはずだ。


「そんで、この建物の一階左最奥の部屋だ。もう一人も待っているだろうから……」

「ああ、はい」


 そういえば。赤阪さんが自分を捜しに来たから今の状況に至るわけだけど、もし自分が素直にここへと訪れた場合は入れ違えになってしまわなかったのかなと疑問だった。けれどもう一人……学年は知らないけど彼が言うには女学生が居るのなら、その行動にも確実性が増すなと不意に感じる。赤阪さんが彷徨って、女学生さんが一室で待っていれば、自分を引き込みやすくなるなと……納得するところが違う気もするけど、まあもう後の祭りだし、甘んじて受け入れるしかない。


「今更だが、無理を言って悪かったな。着いて来てくれてこと、感謝してる」

「……感謝なんて、要らないです」


 正確には要らないというよりは、受け取り方が不明なだけ。ここに来たのだって半ば嫌々だし、自分が望んだことじゃない。

 だから感謝なんてされても困る。

 まだ何もやってないし、何をするかも知らないしね。


 そうして赤阪さんの先導の下、文化サークル棟一階の左最奥部屋の前にまで歩みを進める。ちなみにサークル棟ではあるけど、空室はサークル以外の同好会や課外活動の集合場所にも使われている。そのせいか他にも学生がちらほら目視出来て、何やら慌しくしているみたいに映る。


「っと、ここだここだ」

「ほんとに奥部屋……」

「んじゃあ……ようこそ茅ヶ谷、とりあえず寛いでいってくれ」


 赤阪はドアノブに手を掛けて押し出す。

 内開きドアなんだなと、感慨無く眺める。

 だからどうとかは別にない。

 すぐに開け放たれた室内の装飾が、自分のメガネレンズ越しに飛び込んで来る。

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