第4巡 茅ヶ谷巡の遁走通り

 無事にAセット定食を堪能し完食した自分は、そそくさと食堂を後にする。本当なら備え付けのウォーターサーバーから無料の飲料水をゆったり飲みつつ、久々に電子小説にでも洒落込みたかったが、赤阪と名乗る厄介人が引き返して来るかもしれないと考え、やや早足でキャンパスの外を目指す。

 スニーカーで通学したことをこんなにも感謝した日はなくて、反対にロングスカートの丈をこんなに煩わしく思った日もない。


 キャンパスから自分が暮らしている家までは徒歩で約20分。電車なら隣駅。あまり使わないけどバスを用いても問題ない。

 運動不足を感じたり、スーパーに寄りたいなってときは歩いて帰ることが多い。逆に夜遅くなったり、疲労困憊であまり動きたくないときは電車やバスで帰られる。通学を前提にした立地を選んだから当然と言えばそうだけど、とても融通が効く場所にある。


「はぁ……この時間は混雑にならないはずだから、電車で帰ろうかな」


 本部棟から正門までの曲がりくねる道のりの最中で、自分は胸を撫で下ろしたがるようにして小声で言う。別にそこまで焦って帰宅する必要性はないけど、面倒事を忌避するというのは過剰な反応になるものだ。


「なんであんな話し掛け方するんだろう。それで避けたらどうしてか、自分が後で責め立てられるんだよね。いつもいつもそう……明日、家に引き篭ろうかな……」


 昔から対人はなるべく敬遠して来た。

 別に一匹狼を気取りたいんじゃなくて、初対面の相手とどう接して良いか分からず、解らないものは自然と恐れるタイプ。要するに、どうにも自分は臆病みたいらしい。

 そんな最初から警戒してくる自分に対し誰かが好感触を抱くわけもなく、なし崩し的に孤立し、それはそれで落ち着くからとそのままにする。


 誰かと仲良くするのはリスキーだと思う。

 世の中は連日、何かしらの事件があって、度が過ぎてしまったら容疑者として警察に連行される。ただこうなる主因は決まって……他人の監視下に置かれていることだ。

 例えばそのアクションは異常だと誰一人騒ぎ立てなければ、もし殺人を犯したとしても犯罪者にはならない。つまり事件が起きたと訴える人物が居ないと、どんな事案であっても世界から罪は消え果てる。


 人と他人が接触しようとするから、罪は表面化してしまう。人間関係に置換すればそれはリスクの集合体でしかない。

 だけどその罪が消えた世界は別の形容も出来て悩ましい。その名称は……無法地帯だ。一般大学生の倫理的にも、ミステリーファンとしても、犯罪撲滅を謳う組織があったとしても、こんなの好ましくはない。


「おいどこに行くんだ、茅ヶ谷」

「ひぃあぁっ!」


 背後からいきなり、さっき心の中の警戒網リストに入れたばかりの声音が自分を呼び止めて来る。更に時間差で右肩を叩かれ、大声を出し慣れないヘンテコな悲鳴で跳び退く。


「……そんなに驚くことないじゃないか」

「あ、え、なんで、ここに?」


 おどおどと自分が振り返るとそこには、文化サークル棟で待ち惚けさせるつもりだった赤阪さんが居て、片手を腰に当て、少し不機嫌そうに立ち尽くしている。ほんとなんでここにいるの? 文化サークル棟からは見えないはずなのに……。


「え? ああ。よくよく考えたら、食堂で嫌そうな顔をしていたし、多分お前はばっくれるだろうなと思ってな。それで校門前に向かったら案の定だ。俺ってこういう推理だけは得意なんだよなー……2割5分くらいは当たる」


 嫌そうだと分かっていたなら無視してくれて良いのに。あと2割5分の推理的中率ってどうなんだろうか? そもそも4分の1でよかったんじゃない? どちらにせよ、自分にとってはありがた迷惑でしかないけど。


「あなた……まさか自分のストーカーか何かですか?」

「そんなわけがない……とも言い切れんな。実は言うとこの辺りをずっと張っていたわけで、頼みがあるって、無理まで言ってるからな」

「張って……ふーん」


 人柄からめんどくさそうな印象は変わらないし拭えないけど、その発言はちょっとだけ信じられる。誤解でもなんでもストーカー疑惑を否定しなかったこと、しなかったということは彼自身を客観視するための視野を持っていると予想出来るから……その着眼点はきっと、自分の好みに限りなく近しい。だから多少は信用出来る。


「っと、そんなことはどうでもいい。俺の壮大な計画には茅ヶ谷! お前が必要不可欠なんだ。だから文化サークル棟に行くぞ!」

「……っ」


 前言撤回。この無言の間に、ありとあらゆる暴言を呑み込んだのは言うまでもない。というか言わないでも、恐らくは怪訝な表情を隠し切れていないはずだから、そろそろ分かって欲しい。


「そう嫌だと言いたげな顔をするな。せっかくの美貌にシワが目立っているぞ」

「……美貌と煽てられるのはさておき。自分が嫌なのを分かっているんですよね? なら自分ではなく、別の人を当たってくださいよ」

「それは出来ない深層心理だ。なぜなら俺は、この大学の学生なら茅ヶ谷が適任だと思ってしまったからだ」

「……じゃあ、せめてその用件をここで済ませてくださいませんか? ほら……知らない人に、馴染みない部屋に誘われるのは、ちょっと……——」


 こんな自分にだって尊厳くらいある。

 変な人に絡まれて、両親や地元で親しくしてくれた人を不安にさせたくはない。


「——ああ……でもその辺は大丈夫だ。最奥とはいえ文化サークル棟の一階……それなりに人が行き交う。しかも他にも女学生を呼んであるから、茅ヶ谷が心配することはない」


 それ、何も大丈夫じゃないんだけど。

 他に同性の学生が居ると解決すると思ったら大間違いなんだけど。

 寧ろ心配事が増えたというか、なんでもいいから用件だけ終わらせてくれないかな。


「その、用件の方は?」

「んー口で説明するより実際に見て貰った方が早い。さあ、行くぞついて来い!」

「ええ……」


 自分を尻目に赤阪さんは踵を返し、文化サークル棟がある方角へと歩みを進めていく。

 無理やり腕を引っ張られていないだけマシだけど、なんでこう、断りにくい空気ばかり構築していくんだろう。人間なんて代わりがいくらでもいるなんて志向はないんだろうか? いやない方が良いんだけど、ここまで心変わりしないのも考え物だと思う。


 吐きたくもない溜息を吐き捨てる。

 もう、呆れて物も言えない。

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