第12話 How do you translate the moon is beautiful?

≪古城 第二階 像の墓場≫

 

 キングワームをリボンに託したレクとロックは、古城の中を探索していた。一階には何もなく、二人は古城の二階へと足を進める。二階の大広間には、至る所に像が置いてあり、女神や坊主、ドラゴンなど多種多様な銅像が散見されていた。耳を澄ますと、外から爆発音が聞こえてくる。どうやら戦いは激化してるようだ。二人は響いてくる喧噪に気を引き締める。

 早く倒さないと。

 なかなか敵が見つからないレク達は少しだけ焦りを感じていた。

 もしかすると逃げられたのではないかと。

 仮にそうでなかったにせよ、早く戦いを終わらせないと被害が拡大する。

 焦る二人。

 だが次の瞬間。そのような焦りは一瞬にしてかき消される。なぜなら、相手の方がこちらに出向いてくれたからだ。

「ホホホ、人間風情がよくここまで来れましたね」

 二人の周囲を取り囲む銅像。部屋の奥にある数十メートルにも及ぶ巨大な相撲男の銅像の丁度間に飾ってあった玉座に、トロントは座っていた。

「他の者はどこだ?」

「ホホ? あなた達馬鹿ですか? 教える訳ないでしょう」

「なら、こうするしかないな」

 そう言ってレクとロックはそれぞれ武器を背中から取り出した。

 殺意を向けた瞬間、トロントは無言の威圧を二人に放った。ここまで距離が放れているのに感じる強い威圧感。真夏の時みたいに手汗をかくが、心臓は凍えるように冷たい。心音がうるさく感じる。ちゃんと地面があるのに、足場がないように思えて仕方がない。

「虚勢を張るのは愚かなことですよ。さっさと諦めて死んでくださいな」

 張り詰めた空気に重みをかける、トロントの言葉。

 レクは勿論、ロックも並々ならぬ殺気を感じていた。

 これは自分達が相手にすべき魔人でないと、感覚的に理解していた。

 でもここで倒さなければ、未来はない。

 とにかく観察をして、弱点を見つけないと。

 ロックが思考を整理させていると、トロントがゆっくり立ち上がった。

 丸太のような両足を動かしながら、二人に近づいてくる。

 果たして、どう仕掛けに来るのだろうか。

 と考えているうちに、奴は一瞬にして姿をくらました。

 どこだ――と思うよりも早く、トロントは二人のすぐ右隣に立っていた。

「ーーッ」

 トロントは大樹のような右拳を振り下げた。二人は地面を蹴り攻撃を避けるが、刹那、ロックの右頬に掠り傷が入る。だがそんなのお構いなしにロックは、その巨大なハンマーを奴の頭部を狙って振り切った。

「なっ!」

 しかしトロントもそう簡単には傷を負わない。すぐさま両手をクロスさせて防御の体制を取った。ロックのありったけの質量を込めたハンマーを難なく捌いてみせたのだ。

「速っ」

「ホホ、あなた方の攻撃など私めには通用しませんよ」

 トロントはロックの連撃を軽く受け流していく。地面を蹴り身体を空中で反転させて飛び膝蹴りを繰り出す。がトロントは束の間に上半身を屈めて避ける。と思ったらロックはすかさず、自身とハンマーの重量を急激に減らして、タイミングをずらしハンマーを振った。流石に避けきれなかったトロント。思わずニヤける。

「素晴らしい冴えた動作です。ですが……」

「クう……」

 ロックのハンマーを右手で掴んだトロント。

「あなたの攻撃では致命傷になりません。魔力が足りませんから」

「それはどうかな?」

 トロントの挑発にロックは不気味な笑みを浮かべる。

 一体何が狙いだ――と首を傾げるトロントの背後から……

「油断したな、怪物」

 レクが己の刃を横一文字のごとく振り切ろうとしていた。



『俺達じゃまず勝てないだろう、魔力が少なすぎる』

 城に入ってから間もない頃。

 二人は歩きながらトロントの討伐を実現するために計画を練っていた。

『確かにな。相手よりもで中和しないと結界は壊せないしな』

 レクの発言に賛同するようにロックが言った。

 強い魔獣や人間は常に結界を身体に纏わせている。これは殲滅隊員にとって周知の事実だ。

 故にSランクレベルの魔獣と戦う時は、如何にして敵の結界を破壊できるかが重要になってくる。

 結界は基本的に使用者の魔力の濃度によって強度が変化する。より多い魔力を含めば頑丈な結界が作れるし、微量な量だと貧弱な結界になってしまう。しかしだからと言って無闇に魔力を増やせばいい訳ではない。消費する魔力が多いほど魔力枯渇が起きやすくなる。となると、使用者は大抵、身体の重要な部位に頑丈な結界を纏わせる事が多くなり、脚や腕といった致命傷になりにくい所はどうしても供給する魔力量が御座なりになる。

『じゃあよ~魔力が弱い所を攻撃しまくれば良いのか?』

『いや、それだけじゃ駄目だ。トロントはSランクの魔獣。きっと微量な魔力で身体を再生させる筈だ』

『じゃあどうすんだよ?!』

『俺のテイムを利用する』

 レクはライチョウとテイムを組んでいる。テイムは互いの絆、すなわち魂の結びつきが強いほど、より多くの業を実現する事が出来る。魔力の供給だって不可能じゃない。

 このようにして、敵が予想もしなかった莫大な魔力を、瞬間的に発動できるのだ。

 勿論彼らの最高火力を耐えきる魔力を、トロントは持っている。だから自分達がその一撃を繰り出すことを悟られてはいけない。相手が油断してる隙を狙って、一瞬の間にトドメを刺さなくてはいけないのだ。

『てことは俺が敵を引き付けてる間に……』

『俺とライチョウの魔力を掛け合わせた瞬間的な必殺技で、敵に致命傷を与える。それしか方法はない』



 レクの黒刀に紅蓮の龍が迸る。目を瞑りたくなる程の激しい光。それは、レクとライチョウの魔力が存分に含まれた、最高火力の一撃だ。

「うおおおおおお!!」

 太陽のように熱い究極の付与魔法。

 レクはその重々しい光の刀をトロントのうなじを狙って振り切った。

 瞬間、激しい轟音と爆風が周囲に巻き起こり、トロントの首は豆腐みたいに切断された。

「ホホ、これは素晴らしい魔力ですね。驚きました」

「なっ!」

 しかしどういう訳か、奴は称賛の笑みを浮かべる。

 首を斬られたのにこの余裕の表情。

 一体どうして――と思う頃には、首無しトロントの背中から無数のツルが触手のように飛び出してきて、堪らず二人は彼から距離を取る。

「馬鹿な……ありえない」

 首はあらゆる生物の弱点であり、致命傷となりやすい部位だ。基本的にどれだけ強力な魔人だったとしても、首を斬られたら瀕死状態になる。

 しかしこの怪物は、首を斬られても平然としている。

 まさか……こいつ、不死身なのか。

「お前、避けろ!!!」

 ロックがその荒々しい声でレクに叫ぶ。

 見ると巨大な緑のツルが近づいていた。

 避けなければ――と足を動かそうとした時

「ーーッ!」

 突然、身体が冷凍されたみたいに動かなくなった。腕、脚、指先といった身体の部位に関する感覚が、一目散に消えていく。

 この感覚……

「魔力枯渇……」

 とつぶやく頃には、敵の攻撃が寸前にまで迫っていた。

 まずい、避けきれない――とその時、レクの身体は風船みたいにふわっと宙に浮いて、紙一重のタイミングでトロントの攻撃を回避した。

「おらあああああ」

 ロックの決死の思いで、ハンマーを右から左へと振り切る。その瞬間、激しい振動と轟音が鳴り響いて、空間を伝わる飛ぶ圧力が周囲に四散した。トロントの攻撃を蹴散らしたロックはすぐさま、浮かせたレクの身体を抱きかかえ、トロントから距離を取った。見てみると、不気味な笑みで二人を見つめるトロントが、少しづつこちらに近づいてくる。先程切断した筈の頭部が、いつの間にか再生されている。

「まじかよ、もう回復してんのか」

「ホホ、無駄と忠告した筈ですよ。あなた方の貧弱な思考力では私めは殺せません」

 勝ち誇った目をするトロント。

 レクとロックの頭上に絶望という名の重りが乗りかかってくる。

 渾身の一撃で、首は斬り落とされた。確かに手ごたえはあった。倒したと思った。けれど……この絶望感は何だ……。

 どうにかレクは魔力を急速に回復させているが、レクが復活したところで策が見つかる訳ではない。本当にあいつは殺せるのか。あいつに死という概念はあるのか。

 ロックは膝をついて、トロントを崇めるように見つめた。ハンマーを床に置いて、魔力の勢いを弱める。

「勝て……ない」


――バン!


 突然、銃声が鳴り響いた。

 ロックはすかさず、レクの方に顔を向ける。

「お前……」

 レクがショットガンを撃ったのだ。

「ホホ? 無駄ですよ。そんな玩具では私めの結界は壊せません」

 嘲笑うトロント。

 しかしレクは、再び発砲した。

「ロック。まだ諦めちゃ駄目だ。森羅万象、生きとし生ける者には必ず死がある。不死身は絶対にあり得ない」

 そう言い放ちレクは、震える脚で起き上がった。口から血を吐き、頭から流血している。その姿はまさに満身創痍。まだお腹の傷も完治していなかった。それでもレクは、刀を杖にして立ち上がった。前髪から覗かせる漆黒の双眸が、ロックの唾を飲ませる。

「お前……そんなこと分かってるよ。誰も諦めてねーよ!! 俺は

「ホホホ。愚かですねー人間は。私めには分かりますよ、それがただの虚勢だという事にね」

 トロントは他人の心を読むことが出来る。視界に映る全ての生物の思考や胸の内を知ることができ、彼は常に相手の思惑を先取りしたことで勝利を収めてきた。だからレク達が渾身の一撃で自分の首を狙ってくることも、また彼らの精神力と体力が底を尽きている事も、トロントは知っている。

 故にトロントはレクの攻撃を受ける寸前に、脳みそを他の部位に転送させたのだ。まさに、神業ともいえる魔法。奴はこのように多種多様な魔法を使いこなして来たから、数々の敵を打ち破ってこれた。

「人の心は、枯れ葉のように弱いものです。幾ら虚勢を張ったところで結末は同じ。あなた達に勝ち目はないですよ」

 そう言ってトロントは再びツルの弾丸を降らせた。

「「ーーッ!」」

 レクとロックは地面を蹴って別々の方向に拡散した。二人は攻撃の回避を徹底する。敵の弱点が見えてこない以上、とにかく観察して突破口を見つけるしかないのだ。

 魔力が回復したレクは、再び剣に炎を纏わせる。炎刃はトロントの攻撃を捌くことが出来る。が攻撃を受け流すことに必死で、なかなかトロントの所へ近づけない。近づけば近づくほど、奴の攻撃が激しくなる。

「うっ……」

 剣を振り回すたびに、腕が千切れそうになる。剣を使うのでなく、剣に身体が使われてしまう。統制が崩れる。意識も遠のいていく。目の前の攻撃を弾くのに必死で、他の事を考えることが出来ない。停止していく思考力。動かなくなってゆく身体。

 そして……


「あなたの負けですね」


 瞬間、レクの身体が止まった。まるで死んだみたいに動きが止んだ。彼は血だらけになった顔を下に下げた。


「……えっ」


 見てみると、目を疑う光景がレクの視界に飛び込んできた。

 レクの身体を包む漆黒のコートに……。



 



 丁度心臓部分だった。致命傷だった。

 その瞬間、レクは魔剣を地面に落とした。鉄が石床に落ちた時のパリン! という音が、沈黙を貫くこの空間に響く。

「……?」

 ロックもすかさずレクの方を見る。

「ホホ、これで一人死にました。私めが勝った。こんな弱い私めに負けた……。ああ、なんと弱いお方なんでしょうか」

 トロントは意地悪い笑みをレクに向けた。レクの胸を突いたツルが、スルっと抜けていく。レク自らが死を確信したことを読み取ったトロントは、彼が死んだと思い込んで攻撃をやめた。レクは後退して、後ろの壁に寄りかかる。

「おい……なに、死んでんだよ!!!!」

 ロックは泣き叫びながらレクの方を見て訴えた。

 だが……

「よそ見はいけませんよ」

 無数ともいえるツルの雨がロックの身体を貫こうと襲い掛かってくる。

 ロックはハンマーでツルの攻撃を流しているが、今この瞬間にも魔力枯渇が起きそうだった。禍々しい漆黒の靄を纏っている彼のハンマーにヒビが生えてゆき、思いのほか、ロックの身体も鈍くなってゆく。

 どうする? どうすればいいのだ? こんなの勝てないよ。

 レクは死に、己は魔力枯渇寸前まで追い込まれ、碌な突破口は見えず、魔術を使ったところでどうしよもない。

「ホホホ、惨めですなー。人は一人だと何もできない。いつもお友達と群れている。そんなんだから、いつまで経っても強くなれないんですよ。自立がないんですよ。人間の心は弱いです。枯れ葉みたいです。ああ……惨めな生き物だ」

 逃げ行くロックの足首に、何かが引っ掛かった。ツル。地中から生えたツルだった。

 地面の至る所から生え出てくる。禍々しい生き物みたいにうねる無数のツル達が。

「さあ、みんな。あいつを捕まえて」

 ロック目掛けて掴みかかるツル達。ロックは死にゆくレクを一瞥しながら、決死の思いで逃げ惑う。

「ああ……」

「ホホ、無様ですな。リュジュ様の心配は無用でしたな……」

 トロントは勝ち誇った様子で、混乱するロックを見た。

 リュジュ様の心配――トロントは彼に忠告されていた。


『人間は精神状態によって大きく能力が変化する。調子が良いと、こちらの思わぬ力を発揮する可能性がある。気をつけろ』


 しかしこの状況……どう見たってトロントの勝利は確実だった。


「ホホ、人は弱い生き物ですなー」


 そう言ってトロントは高らかに笑った。



*   *   *


  刺されたと思った瞬間、レクの身体は亡骸みたいに力を失った。重い身体を持ち上げて、なんとか後方の壁に寄りかかる。ふとロックの方を見ると

「ああ、すま……ない」

 逃げ惑うロックの姿が目に映った。

 今すぐにでも立ち上がって戦いたいが、身体が動かない。

 今まで沢山の人を失って、なぜ自分だけが生き残ったか不思議だった。自分の死はいつ訪れるのか、心のどっかで待ち望んでいた。

 しかし……いざ、死を実感してみると


「……死にたくないな」


 暗くなってゆく視界。寒くなってゆく身体。

 それらが孤独な死へと落ちていく寂しさを際立たせる。

 そんな時だった。消えてゆく視界の中に、一人の女性の後ろ姿が薄っすらと映りこんだ。


――あれ? お前、誰だ?


 走馬灯よりは少し手前。

 自らの意思で手繰り寄せる記憶の中に、誰かの後ろ姿が目に映ったのだ。見慣れない、桜色の髪をした長身の女だ。


――凄く、大切だった。死んでほしくなかった。ずっと傍にいてほしかった。


 視界がやがて暗闇に包まれてゆく。死を感じる。そんな中、浮かび上がる誰かの後ろ姿。どれだけ追いかけても、どれだけ手を伸ばしても届かない。


――あれ? お前?


「?!」


 ビクッと身体が震えた。

 左胸辺りに奇妙な冷たさを感じたからだ。丁度レクが刺された場所だ。

 レクは刺された筈の左胸辺りに手を入れてみる。すると、普段見てすらもいない内ポケットに、何か金属のような固い物と、血液とは思えない生臭い匂いのする液体が入っていた。







…………………………………



……………………



…………








 誰かの優しい声が、頭に届いてくる。


『わ、私だったら……愛のメッセージを書いたビール缶をプレゼントするね』


 あの人の声が聞こえる。

 レクはゆっくりと右手を内ポケットの中に入れて、確かな金属の感触を感じた。取り出した右手には、銀色の小さな四角い水筒が握られている。その水筒の真ん中には大きな穴が開いていて、そこから中身の液体が流れ出ている。そしてレクは少しずつ、すこしずつ、水筒をひっくり返す。

 そこには、なにか、文字が書いてあった。



――――クスリより私と一緒にお酒飲もうよ♡♡



 全てが止まったような気がした。息が、一瞬だけ止まった。何もかもが溶け合うような、そんな感覚を、彼は覚える。ふと見ると、自分の左胸に傷はなかった。どこも刺されていなかった。この容器が盾になってくれたのだ。それを自覚した瞬間、レクの二本の脚は、再び床の上に立っていた。そして右手に持った水筒の飲み口に口を入れる。まずい酒だ。量も少ない。けれど――たまらなく美味しい。もう一度、水筒を見る。相変わらず汚い字だ。


「……飲めてねーじゃん」


 ふと呟いた。涙が溢れて、またもや視界が暗くなる。けれどその涙はこれまでの苦痛や寂しさを乗り越えるのではなく、はたまた忘れるのではなく、優しく包み込むような温泉のような温かさがあって、レクの寒々とした心の中がふんわりと溶けていくような感覚を与えてくれる。

 その時、レクは誓った。

 もう二度と、自分を呪わないと。

 もう二度と、生きることを諦めないと。

 自分には好きな人がいた。忘れたくない人がいた。

 だから、絶対に負けない。

 必ず勝って、助けたい人を助ける。

 共に生きたい人と生き続ける。

 想い続けたい人を想い続ける。


 絶対に勝つ。たとえ相手がどれだけ強かろうが、速かろうが、俺は進み続ける。





「おい! 俺はまだ死んでねーぞ!」


 レクはもう一度黒刀を握り、トロントと対峙した。力強い脚で身体を支え、背筋はビシッと伸びている。

「ホホ? 死んでいなかったんですか?」

 殺したと思っていたレクが生きていたから、トロントは少しイラついた声で言った。

 ロックに向けていた意識をレクに変える。

「ああ……命拾いした」

 レクは自分の胸に手を当ててみる。

 うん! やっぱりツルは刺さっていない。

 しかし気を抜かしている場合ではない。偶然運が良かったお陰でレクは助かったが、今度はどうなるか分からない。

「でも何度やったって結末は同じです。いいでしょう。生き延びた事、後悔させてやりますよ」

 トロントは床を破壊する勢いで地面を蹴り、飛び掛かってきた。その大きな右腕がレクを叩き潰そうと振り下ろされる。

 相手の心を覗いて、相手の動きを読む力がトロントにはある。

 無数のツル攻撃と、Sランクに相応しい圧巻の身体能力を宿した上でのテレパシー能力。

 果たしてレクが、その攻撃を捌けるのか。

「レク!!!」

 大声で叫ぶロック。

 今すぐにでも助けに行きたい。だけど魔力が足りなくて、魔術を使えない。


「!!!」


 しかし次の瞬間、予想もしなかった光景がロックの目に飛び込んできた。

 トロントが繰り出した拳が、レクに直撃した瞬間―――レクは握っていた剣で、奴の拳を綺麗に切り裂いたのだ。刃から放たれる驚異的な魔力が周囲の空気を揺らし、レクの剣から舞い降りた炎の龍がレクの剣捌き共に、トロントのツル攻撃を全て弾き返す。

 先程よりも魔力と身体能力が、数段レベルで跳ね上がっている。

「……つよっ」

 ロックは唖然とした様子で、二人の戦いを見ていた。花火散る周囲の空間。充分強かったレクが、見違えるほど進化している。

「き、貴様ぁ!!」

 トロントもロックと同様、レクの変化に驚きを隠せなかった。先程まで通用していたツルの応酬が、いとも簡単に退かれていく。渾身の初撃も退かれてしまい、なかなかレクに致命傷を与えられない。

「なにぃっ?!」

 トロントはテレパシー能力でレクの心を読む。

 レクの炎を纏った刀が横一文字に流れてくる。トロントは寸前のところでそれを避けるが、自身の頬に切傷が入る。トロントは自分の顔周りを斬られないように強力な結界を皮膚に忍ばせていた。だがレクの炎はその結界を破壊して、トロントの顔に掠り傷を与えてみせたのだ。間違いない――魔力が強くなっている。身体の動きが速くなっている。そしてトロントにとって一番厄介なのが……。

「貴様。一体何を考えやがるんだ?!!」

 レクはさっきから戦いの事を楽しんでいた。考えているのではない。楽しんでいるのだ。ただ純粋に……楽しみながら戦っている。考えて戦っていない。無意識に身体が動いている。考えるよりも速く、心が身体に追いつくよりも先に、レクは剣を振っているのだ。故に、トロントは心は読めても動きは読めなかった。攻撃や回避方法が全て予測不可能で、もはやテレパシー能力は役立たず。

「あり……えない。なぜ人間如きが……私めの魔力に張り合えてるんだっ?!!」

 レクの身体から放たれる大量の魔力。結界が意味を成さなくなってきた。

「糞ッ!! この私めを……怒らせるなッッ!!」右手を、地面につける。

「【木霊地獄リフレイン・パラライズ】」

 地獄から生え上がった数々の大樹が、一斉に現れた。木々を揺らす風の斬撃がレクの身体を襲う。

 がレクだって黙ってない。決死の思いで、を詠唱した。

「【終焉業火しゅうえんごうか】」龍の炎が紫色に姿を変えて、巨大な火災旋風を巻き起こした。その炎は風を焼き切り、地獄の大樹すらも焼き払ってゆく。

「小賢しいッ!! お前ら! あいつを捕らえろッ!!!」 号令と共に、地面から再び死のツルが生え出てきた。そのツル達が全方位から襲い掛かってくる。

 ツルが巨人の手を形成し、レクの身体を覆い被せようとしたところで……

「ライチョウ!! 頼む!! 【召喚魔法 出でよ黒雷鳥】」

 激しい轟音と漆黒の雷が飛び散り、魔の手は一瞬にして焼き切られた。そして渦巻き状となった巨大な雷の中心部から力強い鳴き声と共に

「空で戦おうじゃないか」

 ライチョウの背に乗ったレク。空中を舞う二人を捕らえようと、ツルがその顔を伸ばすが……「糞ぉッ!!」……紫の炎に身を包むライチョウに触れられない。

 自然に関する魔法――【木霊地獄リフレイン・パラライズ】で己の要素にバフをかけたトロントは、自らが空中を飛びレク達に襲い掛かる。

「ライチョウッ!! 連撃行くぞ」

 漆黒の巨大カラスから放たれる雷と、レクの炎が混ざり合って、フロア全体に激しい轟音と光が舞い散る。トロントの強力な不死の大木拳を撃退する勢いで、その刃が振り下ろされる。

「貴様ッ……なぜだ?!! 一回戦いを諦めたではないか?!! どうしてだッ? 自分よりも強大かつ優秀な敵を前にして、なぜ貴様は戦い続けるんだッ?! なぜ諦めないッ?! なぜ歯向かうんだ?!! 人間風情がッ!!!」

 トロントは背に木の翼を生やして、空を舞う。無数の木材手裏剣とツルの弾丸を飛ばす。

「俺は……生きててほしい人をたくさん失った。何度も何度も……死は考えた。自分の弱さに打ちひしがれてきた。そのせいで俺は、人から距離を取った。閉じこもった。自分に閉じこもった。でも……そんな俺をは励ましてくれた。一緒にいてくれた。孤独だった俺を救ってくれた。だから……俺は絶対に幸せにならないといけないんだ。絶対に勝たなきゃいけないんだ。じゃないと、あいつに顔向けできねーだろ」

「貴様ッッ……さっきから意味の分からん事を言いやがって。そんな事で、いきなり強くなる訳ないだろッッ!!!」

「ああ、お前に分かる筈がない。分からなくて良い。心から苦しんだ人の気持ちが、お前には分からないからな」

 紫炎がツルの弾丸を綺麗に焼き切る。ライチョウは身体を反転させながら、光のような速さで飛び回り、トロントの誘導ミサイルのような木材手裏剣を華麗に避けていく。

「糞ッ!!! 貴様……」

 彼らの光景を見ていたトロントは、あの言葉を思い出す。



『人間は精神状態によって大きく能力が変化する。調子が良いと、こちらの思わぬ力を発揮する可能性がある。気をつけろ』


 リュジュがトロントに言い放った警告。

 トロントは戯言だと思って聞き流していた。だが……判断を見誤っていた。

 心が読めるトロントには分かる。

 レクは今フロー状態に入っていると。一時的に爆発的な魔力と身体能力を得ているのだ。

 何百年と生きて見てこなかったこの絶景。

 人の心が肉体の制限を凌駕し、己の魂を打ち砕かんと躍動しているのだ。

 枯れ葉のようだった人間の胸が、紅蓮の如く燃え輝いている。


「もういいっ、なら見せてみろ!人の思いがこの世の摂理を超える瞬間をッ!! 打ち破ってみろ!!!数百年生きて作り上げた私めの最高傑作を!!!【最終魔術 己を背いた者よ 第七の谷で待つ地獄にて 永遠にその肉体を我に留めよ】」

 彼の背後に、地獄の森林を象徴する巨大な円形型魔法陣が現れた。不吉な樹木が立ち並ぶ森。葉や幹は漆黒に染まり、捻り曲がった枝が生えていて、果実や花は実ることは永遠に訪れない。トロントが手にかけた全ての魂が樹木へと姿を変え、至る所から亡者の泣き声が聞こえてくる。風で枝が折れると、かつては人の子だったそれは『やめてください。やめてください』と泣き叫び、湯気の立つジューとした赤黒い液体が、切り口から流れ出ていく。

 死人がかつて宿していた魔力と魔術をトロントが拝借し操る魔術。トロントが生まれながらにして身に刻む魔術の最終形態であり、彼の最大火力の技である。グルグルと回るその結界はやがて亡者の声と共に、黒く染まり巨大な破壊弾を生み出す。

 勢いに乗っていたレクも、目に映る禍々しい光景に手が止まる。

 これがSランク魔人の本気。何百年と生きた生物の真骨頂。全ての魔力を集約し作り上げた渾身の一撃。

 どうすれば……良いのだ??


「【重鍵ロック】ッッ!!!」


 その時、あれだけ溜まっていたトロントの魔力に、大きな揺らぎが訪れた。

「ロック?!」

「ロスト!! やるんだ!!!」

 レクが戦っている間、ロックはずっと魔力を回復させていた。ロックの能力はあらゆる物質、物体の重さをコントロールすることが出来る。勿論それは、も例外ではない。血中に内在する魔素を極端に重くした事によって、魔力の循環を遅らせたのだ。この技は、全ての魔力を注ぎ込むような、慎重なコントロールが求められる場面において、大いに活躍する。

 レクの姿を見て、ロックの闘争心が再び覚醒したのだ。



『お前が戦えるなら、俺だって戦えるんだよ!!!』


 まさに有言実行。

 レクが戦えるなら、レクが活躍できるなら、ロックだってできるのである! 


 ロックの援助をもらったレク。

 彼は背中の鞘を左腰に付け変え、黒刀をその鞘に収めた。

 重心を前に乗せ、柄を握ったまま静止する。

 不気味な威圧感を持つレクに、トロントは妙な違和感を覚える。


「ありがとう……みんな」


 瞬間、レクはライチョウの背から姿を消した。

 身の危険を案じたトロントは、すぐさま自分の神経回路を複雑化させ、脳みそを身体全身に分散させようとした。だが大技に全ての魔力を消化し、ロックに魔力の循環速度を減少されたせいで、思うように魔法が使えない。

 そうやって対処が遅れたトロントを――


「!!!」


 レクは上下真っ二つに切り裂いた。



*   *   *


 トロントは力を失い、空から落ちた。

 術者が死んだ事で、彼の魔法陣は空気の中に消えていき、ツルや大樹も生気を失ったみたいに枯れていった。

 残ったのは、レクとライチョウとロックだけ。

「……ロック」

 地面に降りたレクは、床に膝をつくロックの元へ足を運んだ。

 見てみると、至る所に切傷や出血が見られるが、命に別状はなさそうだ。レクはホッとした様子で、ロックと目を合わせる。

「ありがとう」

 そう言って、レクはロックに手を伸ばす。

「「…………」」

 少し流れる沈黙。ロックは固まったみたいにレクを凝視する。

 でも事の状況を理解したのか、それからため息を一口吐いて

「ああ」

 少し微笑む。

 ロックはその手を、ありがたく受け取った。

 


 

  


 




 



 


 

 



 

 


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