第13話 初任務

≪同時刻 古城前広場にて≫


 古城の前に広がる緑豊かな庭園は、カップルや家族連れが遊びに来る。赤や青、黄色といったカラフルな花々が沢山咲いていて、桜の花が舞い散る花嵐はとても美しい。鳥の囀りが聞こえ、気候に恵まれた木々達はゆっくりと、その背を伸ばしていた。

 ところが今、この庭園では、金属同士がぶつかり合うような野蛮な轟音が鳴り響いている。火花が花々を焼き、空気を切る斬撃が周囲の木々を傷つけてゆく。

 レク達が城の中でトロントと死闘を繰り広げていた頃、リボンもまた、強大な敵に刃を向けていたのである。

「はあああ!!」

 リボンは槍を握りしめて、構える金髪少女に斬りかかる。間合いに入った途端、少女は結界を宿した拳で彼女の刃を受け止めた。火花が散り、互いの顔が見えるようになる。激しい鍔迫り合いの中、リボンは険しい表情で少女を睨み付けた。

「なんて……硬さなの……」

 畳みかける鋭い連撃。だが、手ごたえが全くなかった。決死の思いで切り落とした右腕も、瞬く間に再生されてしまう。この再生能力では……斬撃はほぼ無効なんだろうか。

 少女の手剣がリボンの右頬に掠る。掠っただけなのに風圧と魔力の濃さから、一瞬だけ目まいがした。ゆがむ視界の中、少女の拳が襲いかかってくる。圧倒的な再生力に加えて、腕力やスピードも規格外。

 見かけでは不死者に思えてしまう。蹴りや拳といった打撃は勿論、リボンの最大火力である縄のように伸縮性を宿した斬撃でさえ、有効打にならない。

「ーーッ」

 と思考を広げていたリボンの隙を狙って、少女の手剣が振り下ろされた。すぐさま攻撃を流そうと槍を振り上げようと思うが……感覚的に分かる……間に合わないと。リボンは一か八か、槍の先端部分にありったけの魔力を込める。そして隙だらけとなった少女の右脇腹に、渾身の一撃を叩き込んだ。

「はああああ!!!」

 グサッ! と生々しい音と共に、赤黒い鮮血が二人の間をすり抜けた。直後、少女の拳がリボンの目の前で止まる。腹部を斬られた少女はすぐさま地面を蹴って、リボンと距離を置く。そして見開きながら、血痕が付いた左手を凝視した。まるで自分が斬られて驚いているみたいだ。思いのほか、傷口の治りが遅く見える。

「……なに、この感覚」

 妙な手ごたえをリボンは感じた。重かった少女の皮膚がいとも簡単に切り裂けたのだ。それも単に斬ったのではなく、何か別の……。

「お前、ウザイ」

「!!! 喋った……」

 男と女の肉声が入り混じった、合成音声のような声が聞こえた。

 不気味な笑みを浮かべる少女。

 嫌な予感がする。



 しかし次の瞬間、それは世にも恐ろしい怪物へと変貌を遂げる。


「……え」


 思わず腑抜けた声が漏れてしまった。

 少女の姿をしていたそれは、徐々に形を変えてゆく。黒の血管が浮かび上がり……筋肉は灰色に変色して……身体が大樹のように巨大化していくのだ。脚と手は胴体に縮こまり、目と鼻は無様にも潰れ、やがて顔は大きな円形型の口で覆われたバキュームようになった。見てわかる……これがキングワームの所以だと。巨大ミミズとなった彼女の胴体から、羽のような三角形の巨大な触手が二枚、対となって生え出てきた。それだけではない。無数の手形触手や四本の脚まで身体の至る所から現れやがった。

 視線の先に広がる禍々しいこの異形に、リボンは絶望感を抱く。

 その場に立っているだけで、威圧で押し潰されそうになるのだ。

 でも……


 でも……


「落ち着け」


 リボンは自分に言い聞かせた。

 彼女は若干の十六歳で殲滅隊に入った正真正銘の神童だ。たったの二年で特殊対魔三軍に加入し、Aランク隊員であるレクと共に数多くの怪物を葬ってきた。

 今回だって同じ、ただの怪物。

 冷静に分析し対処すれば必ず……



【ギャャャャャャャャャ】


 刹那、キングワームの身体から風の斬撃が放たれた。その風は周囲の花々や木々を一掃する。

「クゥ……」

 風が吹いたのも束の間、リボンの右脚から鮮血が迸った。


「はぁ……」


 声にならない声を出すリボン。

 槍を杖にして立ち上がり、朧げな意識を保とうとするが——キングワームはその隙を見逃さなかった。触手の雨を降らせ、リボンの身体を突き刺そうとしてくる。打ち所が悪ければ死に至る――リボンは揺れる視界の中を必死に駆けるが――傷ついた右脚がそれを妨げる。どうしても反応が遅れてしまう……。触手の連撃が腹部と頬を掠める。

「ふう……ふう……」

 息は乱れ、体力と魔力はジリジリと消えていき、戦況は悪くなる一方。相手の特徴や弱点を観察したいところなのに、キングワームはリボンに休む暇すら与えてくれない。

 瞬間、キングワームの口から黒紫の湯気の立つ、気味の悪いジェル状の物質が吐き出された。間一髪のところで、右方向に飛び移り避けたリボンだが、掠った左腰と左腕の服が液体によって溶けてゆく。

 しかし直撃は免れた。よかった――少し安堵するリボンだったが……

【ギャャャャャャャャャャャャャャ】

「――ッ!!」

 刹那、風の斬撃が彼女の身体を包む込み……リボンの背中とお腹から、鮮血が舞い散った。

 よろけるリボン。

 そんな彼女の顔面に鋭い触手が殴り掛かってくる。槍を持とうとするが力が入らない。まずい……ぶつかった衝撃でリボンは飛ばされ、彼女が描く雑な放物線には、まるで彼女の足跡そくせきを彩るように血が飛んで行った。


「もう……ムリ……」


 地面に強く頭をぶつけ、リボンの視界はどんどん暗くなってゆく。内臓が出血を起こした事で、口から血が溢れかえる。



 ドン、ドン、ドン、ドン。



 地面が揺れる。キングワームが近づいてくる、リボンの元へ、ゆっくりと。

 戦場に休みなどない。どちらかが息絶えるまで両者は戦い続けるのだ。

 リボンは再び、重い槍を持たなくてはならない。戦わなければ、残るのは‘死‘のみだ。

 しかし……しかし、もう彼女の身体は既に限界を超えていた。魔力は枯渇し、槍の切れ味も落ち、身体能力も格段に下がっている。両腕、両脚、頭部、腹部といったあらゆる部位から出血し、走ることはおろか、もはや立つ事すら限界に近い。

「あッ……クソ……」

 自分の身体が動かない事を悟って、キングワームが容赦なくこちらに向かってくるのが分かって、リボンはようやくここが自分の死に場所なんだと自覚した。

 人は死を目前にした時、何を考えるのだろうか。

 愛する人の顔だろうか。死に対する恐怖だろうか。あるいは、これまでの人生を振り返って、嘆き悲しみ後悔するのだろうか。


*   *   *


 ある日、リボンが討伐を終えて帰宅すると、二人の『ただいま』が聞こえた。通路を通ってリビングに入ると、台所から食欲を誘う甘い匂いが鼻に付く。レクが夕飯の準備をしていたのだ。ロストは相変わらず、リビングの机に引っ付きながら報告書を書いていた。

「もうすぐご飯だから、先に風呂入れ」

「あ、はい」

「ロスト、早く報告書を完成させろよ~飯が食えないだろ」

「ああ……すみませんって」

 報告書に夢中になっていたロストが、鈍い返事をした。


 温かいお湯に浸かりながら、リボンは考えている。

 ラべナイル家を追放されて、約二年。リボンは今、十八歳。この二年間は彼女にとって激動すぎる二年間だった。実家を離れ、何本も鉄道を乗り継ぎし辿り着いた首都ブナト。あまりの人ごみと高い建物に飲み込まれながら、リボンは生まれて初めて外の世界を知った。

 世界大戦が起きてから十年。人々の関心は魔獣の討伐、シロ帝及び外国との関係で持ち切りだった。そんな中リボンは、一種の憧れと、世界を股に掛けたいという単純な欲望から殲滅隊を志願した。全ての物事が新鮮で、自分の未来にレールなんて物は一切なく、勿論進路の正解すらない。自分で正解を定義するしかなかった。見えない未来に臆する時もあったけど、それ以上に彼女は楽しんでいた。

 人生に夢なんぞ無くたって生きていける。やりがいとか、意義とか、向上心とか持たなくても人は生きていけるし、むしろ無い方が失敗しにくいし安全。わざわざ挑戦する必要なんてないのだ。

 でもリボンは……思った。

 この日々は、生涯残り続ける。

 夢に向かって歩んだ日々は、たとえ夢が叶わなかったとしても黄金の思い出になる。

 今自分は、ちゃんと生きてるんだって自覚できる。

 誰かの為に生きているんじゃない。

 親の為にこの命はあるんじゃない。

 自分の為の人生なんだって。

 今私は、自分の為に生きてる――地に足が着いている。



『ああ~終わった~』


 リビングの方からロストの声が聞こえてくる。どうやら彼は報告書の作成を終えたようだ。リボンは少し微笑んで、水面に映る自分の顔と目を合わせる。

 ふと、息を呑んだ。

 幸せそうな少女が、自分を見ていたのだ。

 その時、リボンは――心が弾かれるような気持ちになった。それはまるで氷がお湯で溶けてゆくような、緩やかで温かい、気持ちの良い心持だった。

 お風呂を終えたら、三人で食卓を囲む。

 食べ終えたら、重たい瞼を瞑って、ふかふかのベットの中で眠る。

 そして起きたら、二人と一緒に仕事をする。

 変化のないルーティン。新鮮味のない日常生活。

 これも全て、リボンがこれまでの人生で勝ち取った奇跡なのだ。

 神に、親に、運命に与えられた物ではなく、自らの意志と行動で手に入れた紛れもない軌跡。

 リボンはそんな事を噛み締めながら目を瞑る。

 柔らかい笑顔を浮かべるリボンが、その水面には映っている。

 

*    *    *


 ふとリボンは、三人で食卓を囲んでいたあの日々の事を思い出した。首を触手で縛られ、身体は硬直し、遠のいていく意識の中で。


——死ぬなよ、絶対に。


 先輩の声がリボンの鼓膜に響く。

 ただひたすらに、申し訳なさで頭の中が飽和する。

 冷たい風が吹いてやんわりと前髪が上がる。全身が寒い。息が出来ない。喉が詰まる。腹部と両腕の軍服は奴の攻撃によって破れ、至る所から流血している。

 あぁ……死ぬんだ。


 願わくば、もう一度、あの日々に戻りたかった。


 リボンは諦める……
























 しかし刹那——



「リボンッッ!!!」



 絶望ひしめく戦場にこだまする声は……懐かしい、青年の声。



「……え?」


















 瞬間、リボンを縛り付けていた触手は呆気なく切り裂かれ、彼女の身体は"黒い影"に抱かれた。一体何が――とリボンが思うよりも速く、キングワームは突然の訪問者に、無数の触手攻撃を仕掛ける。が、それはリボンを抱き抱えながら華麗な身のこなしで避けていく。そして空中で身体を半回転させると、"結界を纏った右足"でキングワームの胴体に蹴りかかった。

【ーーッ!!!】

 驚くキングワーム。

 あれだけ頑丈だったのに、ボールみたいに蹴り飛ばされたのだ。その冴えた動作は、とても人間とは思えなくて、リボンは目を見開いて一連の動きを見る。

 彼女の目に映る懐かしい顔。前よりも少し逞しくなった気がする。

 その青年の正体は……

「……ロスト?」

 リボンがそう呼びかけると、ロストはニコッと笑みを浮かべた。


「遅くなってごめんね。アップがなかなか許してくれなくてさ~」


 思わぬ回答に、リボンの顔が一瞬固まる。

 これは夢か、幻覚か。それともあの世なのか。

 刹那の間にリボンは、考えうる全ての選択肢を脳内に思い浮かべる。

 でも彼が生きている事には変わりない。どう見たってそこにいる。この事実はどうやっても取り消せない。

「あ……え……」

 まるで彼女は、それを噛み締めるようにロストの両腕に触れる。彼女の指に、ギュッと力が入る。

「……ロスト。ロストが。生きてる……」

 掠れた声でそう言って、リボンは大粒の涙をぽろぽろと流す。まるで怖い悪夢を目覚めた幼女のように、彼女はロストの胸に顔をうずめる。

 でも何でロストは生きているのだろうか。確かにあの時、ロストは‘死刑囚‘としてアップに殺された筈なのに。首を切り落とされた筈なのに。

 ふと浮かび上がる疑問を前にするリボンに向かって、ロストは言う。

「詳しい事は言えないんだけど、アップの魔術のお陰で生き返ったんだ」

 目をパチパチさせて、リボンはロストを見る。

「……アップ先輩が?」

「うん。アップに特訓してもらったんだけど、超厳しかったんだよ。は死んでると思う」

 苦笑するロスト。絶句するリボン。

 それも当たり前である。百回死んだと笑顔で言われたら、誰だって固まるものである。でもこれは単なる比喩表現ではなく、本当にこの三日間でロストは百回ぐらい死んだのだ、アップのによって。

「あッ……僕の上着着る?」

 コロッと表情を変えて、気まずそうにリボンの臍を見た。キングワームの攻撃によって破れた軍服。二十八歳童貞のロストには刺激が強かったかな。

「え……あ……」

 両手を胸の前でクロスさせるリボン。

「ど、どこ見てんのよ?!!」

「えっ?」

「もうッ! へんたい! キモイ! シね!」

「ええ? い、いや違うよ」

 顔を真っ赤にして、リボンは怒った。怒るタイミングが分からなくて、ロストは戸惑う。

「……勝手に人のお風呂覗くしさ」

「はッ?! おま、あれは事故だっただろ?」

 ロストはこの世の命運がかかったみたいに、必死に訴える。が彼の必死さがリボンに伝わるほど、残念ながら状況は悪化するのである。

 何か……打開策を。

「とにかく、これ着てろ」

 ロストは自分の軍服コートを着せてあげた。

 キャラに合わない事はするべきじゃないと分かっていたが、これは苦肉の策。あくまでもロストは、リボンの身を案じて発言したまで。心配してるよアピールは、徹底的にやらないとな。

 ということを、ロストは一瞬考える。優しい男と思われれば、取り敢えず女の人に嫌われる事はない。こので、ロストは好きな人に女性の扱い方まで教わったのだ。

「うん! 似合ってるよ」

「……なっ? 何言って……」

 リボンの顔が真っ赤になる。思いのほか、目つきが厳しくなっている気がするのだが……。

「それ、誰の入れ知恵よ?! どうせ、嘘でしょ?」

「ええ……ご、ごめんって」

「はあ、別に良いわよ」

 リボンは瞼を下げた。冷淡な溜息が少し寂しく感じられる。

 と思ったら

「まあまあ、様になってるじゃない」

 ボソッと吐いた。ロストは知らないみたいだけど、意外とロストの『優しい男』作戦は利いていたらしい。デキル人はこーいう所を見逃さないと思うんだけど、やっぱりロストには難しかった。

 二人はこんな風に、再会した喜びを分かち合うように触れ合った。泣いたり怒ったり……時々笑ったり。扱いの難しいリボンだけど、その姿はとても滑稽で、思わず笑いが込み上げてくる。ロストは捨て台詞を吐くように、小さく笑い出す。最初こそ怪訝な顔でロストを見ていたリボンだったけど、笑いに釣られたのか、彼女も笑顔になる。銃声音や金属音が鳴り響く物騒な戦場の隅っこで、二人は場違いな程に互いの顔を見ながら笑い合った。


 しかし、そんな時間は、あっという間に過ぎ去る。

 太陽が雲に隠れる。気温が下がる。風が吹く。

 瓦礫が崩れる音が、二人の耳に届く。

「リボン、下がっててね」

「え? 私も……」

「大丈夫だよ。そこで休んでて」

 リボンの淀んだ声を遮って、ロストは言う。

 ふと見ると、アップが持っていた筈の銀色の十字架剣が、彼の隣に倒れていた。

【ギャャャャャャャッッ!!】

 その咆哮は、今まで以上に熱を帯びていた。

 奴の声を聞いて、リボンは並々ならぬ殺気を感じる。

「ねぇ? やっぱロストには……私が」

 と言い終わる前に、刹那、目の前からロストが消えた。と同時に凄まじい突風がリボンの髪を吹き上げる。それは……まるで電撃のような速さで……リボンは故障した魔法人形のように固まってしまう。

 気づいた頃には、ロストはキングワームのすぐ目の前まで来ていた。

「……え?」

 リボンが目視する頃には、ロストは十字架剣を振り上げて触手攻撃を一掃していた。狼狽えるキングワーム。しかし奴が再び風の斬撃を繰り出そうとした時には、ロストは風の如くキングワームの背中を通過し――瞬間、奴の身体は鮮血に染まった。

「な、なにが……」

 あれだけ刃が通らなかったキングワームの分厚い皮膚。それをロストは、豆腐を斬るみたいに刃を流したのだ。相手はSランクに指定されている正真正銘の怪物。レクやリボンを窮地に追い込んだ。しかしロストはそんな強敵に臆することなく、むしろ戦いをリードしている。リボンの中で、何かが覆る。

【ギャャャャャャャッッ!!】

 再び叫ぶと、触手を回復させてロストに放った。先程よりも速くて、丈夫で、本数の増えた冴えた攻撃。凄まじい殺気と魔力がロストに飛来する。

 ところがロストは眉一つすら動かさず、両手で掴んだ十字架剣を綺麗に振り切った。

 すると……


 視界を覆う全ての触手が、サイコロステーキのように細切れにされた。


「はッッ?!」


 流石のリボンも我慢ならなかった。あれだけの速さと破壊力を持った攻撃を受け流すのではなく、返り討ちにしてみせたのだ。

 しかもロストの身体から強力な魔力は感じない。むしろキングワームの方が魔力をビンビンに感じる。それなのになぜ、飛ぶように透明感のある剣技で切り刻んでしまうのだろうか。

 リボンの頭では理解できなかった。レベルが違いすぎる。

【ギャャャャャャャッッ!!】

 しかしキングワームは諦めない。胴体に生えた漆黒の翼を上下に振ると、飛行し始めた。

 逃げるのかと思いきや、その翼で荒々しい風の斬撃をロストの元へ放つ。

 大樹をも粉々にする凶暴な風の魔法。奴の風が周囲に吹いて、そこら中に木々や花々の破片が撒き散らされていく。

「ーーッ!」

 咄嗟の判断でロストは、左足を退けて刀を鞘に差し込むように、左手を剣先に添えて構えた。重心を前に乗せ、目を瞑り静止する。

 人は視覚に頼る生き物。身の回りに起きるあらゆる状況を、光によって判断する傾向があるのだ。ならばその視覚を強制的に放棄したらどうなるのだろうか。勿論反応が鈍くなる。とても不便だ。

 しかし特殊な訓練を受け、魔力を磨いた者には、全く別の世界が見えるようになる。

 聴覚や嗅覚といった、他の感覚が鋭くなるのだ。ほんの僅かな音の変化にも敏感になり、匂いから攻撃の方向を読み取れるようになる。魔力を強く感じるようにもなる。

「よし、

【ギャ?】

 風の斬撃が、地面に傷跡を抉っていく。地面が塵に染まり、ロストを視認出来ない。

 多分死んだんだ――と思った矢先……。


「【終焉業火しゅうえんごうか】」


 その声と共に、奴の背後から紫色の炎が揺ら揺らと燃え上がった。

 異常な魔力。距離を取っていたリボンでさえも感じる熱さ。死を彷彿させるその炎を見たキングワームは、直ちに触手を繰り出そうとするが……。


 一振り。

 流れるように滑らかな炎の剣先が、水の如く振り下ろされる。結界を混ぜ合わせていた奴の皮膚は呆気なく焼き切られ、刹那の間にキングワームは上下の半身に切断された。


【グッ……ガッ】


 掠れたような声を出しながら落下する。

 再生速度を遥かに上回るスピードで、地獄の炎は全身を巡っていく。

 Sランクに指定され、リボンを死の淵まで追い込んだキングワーム。そんな怪物が虫けらのように大敗した。

 やがて地面を埋めていた塵が視界から消え去ると、リボンの目に一人の影が映る。それはまるで巨人のようだと、リボンは思った。

「ロスト……」

 キングワームの肉体は、消えゆく紫炎と共に塵となっていった。



《今からおよそ四日前の夜。ブナトにある、とある宿にて……》



「ん……ここは?」

 目を覚ますと、ロストは宿屋のベットにいた。窓の外を見ると真っ暗になっていて、お洒落な傘型のランプや、こじんまりとした天井の照明が部屋を照らしている。

 あれ?

 ロストは思う。

 指先がブルブルと震えている。心臓がバクバク鳴って息苦しくなる。

 急に恐怖が襲いかかってきて、ロストの額に汗が流れる。

 怖い。怖くて仕方がない。脳裏に浮かんでくるあの瞳が。刹那の間に感じた首を切り裂く死の音が。

 はっきりとロストは感じる。

 あれは夢じゃない。あれは幻じゃない。

 今でもロストは、覚えているからだ。首が斬れて、視界が横転するあの感触を。供給できない痛みを、和らげるように迫りくる抗えぬ死の睡魔を。



「大丈夫?」


「……はっ?!」


 見てみると、部屋のドアの前にはアップが立っていた。瞬間、ロストの背筋がゾクゾクと凍り付く。

「あ……あの」

 声を出したいのに、喉に鍵がかかったみたいだ。

 血の気が引いてゆくロストとは対照的に、アップは澄ました顔で彼に近づいてくる。殺される――本能的にそう感じたロストは、ベットから立ち上がろうとする。が全身に力が入らない。恐怖にひるんでいるのだ。

「ロスト君」

 迫りくるアップ。

 もう駄目だ――そう思って、目を瞑ったとき……


「……え?」


 アップに力強く抱きしめられた。突然の出来事に、ロストの身体は別の意味で固まる。彼女の甘いラズベリーの匂いが鼻腔を擽る。

 抱きしめられるのは嬉しい。けれどそれ以上に、驚きの方が勝っていた。

「ごめんね、ロスト君。ロスト君を助けるにはこうするしかなかったの」

 アップはそう言って、隣に座った。彼女の顔は、色々な感情がごちゃ混ぜになった複雑な表情をしていて、ロストは口を閉じる事しかできなかった。

 そんなロストに、アップは優しい声で話し始める。

「あのねロスト君。ロスト君は今、マーキュリー博士達に狙われているでしょ?」

「う、うん」

「それでね、もしロスト君が捕まるような事があれば、殺しても良いって上の人達に命令されたんだ」

「……そう、なんだ」

 思わず、顔を下げるロスト。

 あれだけ価値がないと己を蔑んだロストだったが、いざ周囲の人間からそのような事を言われると、流石に傷つく。

「それにマーキュリー博士の拠点は分かったから、もうロスト君は必要ないんだ」

「…………」

「でもね、ロスト君。やっぱり私はそんなの納得できない。私はロスト君がどんな罪を犯したのかなんて知らない。でもやっぱりロスト君はロスト君だし、今でもロスト君は私のだから!」

 つい頬が赤くなるロスト。

 自分の事を認められたような気がして、アップの顔が光輝いているように見えてしまう。自分よりも遥かに背が小さいのに、女神のように大きな存在に思えてしまう。

 ロストは思わず、唾を飲む。

「だからね……ロスト君を生き返らせたの」

「ふぇ?」

 さらりと、とんでもない事を言い出した。ロストは激しく混乱する。

 そんな彼に向かって、アップは右手の甲に描かれた紋章を見せた。

「私の魔術は、私自身が他者に与えた行為を、別の生物に置き換える力があるの」

 ?

 理解できなかったロストは、首を曲げる。

 アップの能力は世界を見ても類を見ない、特別な魔術だった。彼女の親もこのような摩訶不思議な力は持ち合わせていない。偶然が生み出した奇跡の魔術だった。アップの魔術に、名前はない。どの歴史書や魔術書にも、彼女の魔術に関する記述はない。

 彼女の力を端的に説明するなら、鼠の例を挙げるのが良いだろう。

 マーキュリー博士達が特殊対魔三軍を襲ったとの報告を受けたあと、彼女は飛行艇の貨物室に管理されていた鼠を二、三十匹程殺した。アップは鼠達に死という’行為’を与えたのだ。

 アップの魔術は、’行為’の受け取り生物を自由自在に変更する事ができる。

 その力を利用して、鼠に与えた’死’を襲撃者に授けたのだ。だからあの時、アップは何もしなくても彼らの首を斬る事ができたし、’死’を襲撃者に奪われた鼠は、再びこの世に舞い戻ったという訳である。

 これがアップの魔術の全容。SSランクの隊員にして、王の身辺警護人も務めた人間の、理不尽な程に優れた才能の正体である。

 ロストに与えた’死’という行為を別の生物に置換させたことで、彼は蘇る事に成功した。

「そんな事が……できるのか」

 改めて自分とアップとの間にある才能の差に愕然とする。学生時代からの憧れであるアップ。勉学、運動、精神性、振る舞い、リーダーシップ、コミュニケーションスキル……全てにおいて完璧だったアップだが、この期に及んでもなお、ロストは更に彼女の凄さを知る。憧れと尊敬の裏に、この世の理不尽さと自分の不甲斐なさが彼の心を蝕んでくる。若き売れっ子小説家の活躍を、安い酒で誤魔化そうとする中年男性のようだ。

「あのね、ロスト君。一つ提案があるんだけど……」

「うん? なに?」

 ロストがそう言うと、アップは真剣な顔で

「……このまま死んだ事にしない?」

「えっ?」

 思わず、大きな声が出てしまった。

「ロスト君はマーキュリー博士達に狙われているでしょ? もしロスト君が生きてる事さえバレなれば、もう追われる事はない。自由の身なんだよ? それにロスト君は死刑囚だから、よく思わない人達だっている訳だし……。もしこのまま死んだ事にするなら、ロスト君が良ければなんだけど……私と一緒に暮らさない?」

「で、でも……」

 言葉が詰まる。迷いが生じる。

 確かにロストは実力がない。実績もない。みんなの足を引っ張る……お荷物と言えるかもしれない。

「でも……僕がそんな幸せになっても良いのかな? 僕は十二年前に間違いを犯した。僕のせいで沢山の人が死んだ。もし僕がすぐに通報していれば……誰も死なずに済んだのかもしれないのに。それに……」

「………」

「マーキュリー博士達は国境を越えようとしてる。このままだと逃がす羽目になる」

「……え? 国境を越えようと? どうしてそんな事が分かるの?」

「ごめんアップ。それは言えない」

「…………」

「アップ、これはね。僕が始めた物語なんだ。あの日、僕が手術を受けると決めた日から……この戦いは始まってたんだ。僕はさ、不細工だし、馬鹿だし、魔術は使えないし、本当に糞みたいな人間なんだ。きっと僕は、一生彼女なんて作れないし、誰かのヒーローになんてなれないんだと思う。でもね、だけどね……どうしてだろうな……本当に我儘だって分かってんだけど……この期に及んで僕、未だに誰かに必要とされたいんだと思う。誰かに必要とされないと、生きてていいって思えないんだ」

「…………ロスト君」

「だから、ほ・ん・とにゴメン!! このまま死んだふりなんて出来ない。僕はこの手で……この足で……彼らを止めないといけないんだ。この耳で直接、実験の真実を知りたいんだ!」

「………」

 沈黙するアップに向かって、ロストは頭を下げた。

 彼女の驚いたような声が聞こえてくる。

 ロストは、凄く自分の事がダサいと思った。毎回、人に対して大口を叩く癖に、行動は半人前。きっと戦いに加勢しても、活躍は出来ない。

 才能がないから。魔術がないから。経験が少ないから。

 結局ご立派な事しか言えない自分に、腹が立つ。

 だけど、このまま指を咥えるなんて、考えられなかった。

「僕も戦いに参加させてください! お願いします!」

「………分かったよ、ロスト君。ロスト君がそこまで言うなら否定しないよ」

 その声は、少し寂しそうに思えた。

「でも一つだけ、条件がある!」

「……?」

「ロスト君って凄く?」

「ーーッ!」

 ロストは激しく同意したのと同時に、狼狽えた。自分の非力は自分が一番自覚しているけれど、ここまでストレートに指摘されると流石に傷つく。

「だからね、私がロスト君を徹底的に指導します!!!」

「し、しどう??」

「うんッ! この数日でロスト君は、私の右腕ぐらい強くなってもらうからねッ!」

 好きな人からのワンツーマン指導。

 これ程嬉しいものはないけれど、本当に強くなれるだろうか。

 期待外れと思われたら、どうしよう……。

 ロストはそんな事を思った。

 しかし……この時のロストはまだ知らない。これが地獄の始まりという事に。




*   *   *


 早起きの散歩は非常は心地良い。鳥の囀りが聞こえ、薄暗い青空は明るく、太陽は一日の始まりを告げる。

 そんな中、ロストはアップと共に馬車に乗った。

 ブナトを離れ、山道を登り、山脈を抜け、辿り着いたのは森の中だった。そこら中から怪物の鳴き声が聞こえ、植物は緑一色である。

「ここは?」

「ここはね、人の手が殆ど加えられてないの。完全なる自然地帯。沢山の魔物がここには住んでる」

「……えッ? それって危ないんじゃ」

 と危惧するロストの背後から……。

「うわあああああ」

 現れたのは巨大なサイだった。それは物凄いスピードでロスト達に近づいてくる。

「ちょ、ちょっとアップ……!!」

 腰を抜かすロストに対して、アップは澄ました顔でそのサイを見る。

 焦るロスト。迫りくる強大なサイ。

 殺される――そう思ったとき、


「え?」


 突如、サイが激しい轟音を鳴らして足を止める。何かがぶつかったのだ。よく見ると、サイの前には空気に溶け込んたカーテンのようなものが一面に張り巡らされていた。それは分厚いバリアみたいにサイの突進を防ぐ。

 やがて疲れてしまったのか、そのサイは悲しそうに声を上げて帰ってしまった。

 一体何が起きたのだろうか……。

 そう思った時、ロストはポツリと言葉を吐いた。

「……もしかして結界?」

「そうだよ。ロスト君にはこの三日間で、結界術とその破壊方法を取得してもらうからね」

 結界術。

 それは星の数ほど存在する魔法の一つであり、最も有名な魔法である。

「でも……僕は魔術がないから」

「ううん。魔術の有無と結界術は関係ないよ」

 本来、魔術と魔法は切り離された概念であると言える。

 魔術とは個人が生まれながらにして持つ魔法。言い換えるなら、個性や性格と一緒。

 一方結界術やテイムや付与魔法は、後天的に獲得する魔法である。詠唱したり、魔法道具を使ったりする事で発動できる。ロストやレクが行う、剣先に炎を着火させる【終焉業火しゅうえんごうか】も立派な付与魔法の一つである。それ以外に【付与魔法型"身体強化"】やサツキが使っていた【千里】も付与魔法の分類に入る。これらは、‘賢者‘と呼ばれる魔法の研究家が開発したものであり、魔法道具の生成方法や付与魔法の原理理解は高度な数学的知識や魔法原理、そして特殊な魔術を必要とする。

「勿論、ジョブ君のような結界を専門とする魔術も確かにある。けれど結界は本来、魔力さえあれば誰でも使える魔法なんだ」

「てことは……僕にも?」

「うん、勿論! 魔術が使えないと魔法使い失格だなんて暴論だよ。そんなわけない。悪いのは魔術が使えない事じゃない。そんな暴論がまかり通っていた教育だよ」

 十年前、人間は戦争に勝つために優秀な人材を必要とした。重要なのは‘何でも屋‘ではなく、才能を磨きに磨いた‘尖った天才‘である。教育の力を信じ努力絶対主義を抱えた昔の時代は過ぎ去り、個人の才能即ち魔術の向上に特化した遺伝重視・個別性重視が主流となった。

 それにより人材の振り分けが最適化された。

 死んでも良い優秀な戦士。死んではいけない優秀な戦士。インフラ整備に尽力する事業主。食物の支える農業主など……。

 人には其々、生まれながらにして役割があるという考えが一般的だった。

 だからこそ魔術を持たない人間は社会的な価値が皆無だったし、‘誰でも取得できる結界術‘など、結界に特化した魔術を宿す人間以外にとって、無駄に等しかった。

「ロスト君、リュジュ将軍と戦った時に何か変じゃなかった?」

「……違和感?」

「うん」

 ロストはリュジュと戦った時の事を思い出す。

 目にも止まらぬ高速剣技。

 毛が逆立つのような、あの威圧感。

 そして異様に固かった奴の身体。

「もしかして……あの皮膚?」

 リュジュと激戦と繰り広げたとき、ロストは、強力な付与魔法を彼の脇腹に放った。紅蓮の刃が赤々と燃え、奴の身体は綺麗に焼き切れる筈だった。

 しかし……結果はロストの惨敗。ロストの刃は通用しなかった。

「そう、彼は体全身に結界を張り巡らせている。それも皮膚の中に。だからロスト君には結界の破壊方法を知ってもらわないといけないの」

「え? 結界って魔法で破壊できないの?」

「それはね、相手の熟練度に依存するの。Sランク以上の実力者になってくると、もっとをしなくちゃいけないんだ。それに……結界術も取得してもらうつもりよ」

「リュジュと同じく、体の中に結界を作るってこと?」

「うん。じゃないとリュジュ将軍とは戦えないよ。、強すぎるんだ」

 リュジュは、SSランクのアップが認める程の人物である。

 三日間、死に物狂いで努力したぐらいで互角にやり合えるようになるのだろうか。

 答えは勿論――NOである。

 死に物狂いでは駄目だ。何度も死ぬぐらいのハードな修行を乗り越えるしかないのである。

「じゃあ早速戦ってもらおうか。剣を出して」

 そう言われたロストは、鞘から剣を抜く。

 すると再び巨大なサイ――ビッグ・ライノが木々の間から現れた。

 ロストに課せられた任務は一つ、ビッグ・ライノを倒すこと。

 さあ行こう!

 そう思って、ロストが一歩を踏み出そうとしたとき、



――急に胸が苦しくなった。

 


 呼吸ができなくなったのである。

 しかしビッグ・ライノは猛烈なスピードでロストに迫ってくる。仕方なく、ロストは握っていた魔剣を捨てて逃げ出した。


「……あれ?」


 するとどうだろうか。

 急に息苦しさがなくなった。


「ここはね、魔素が薄いの。つまり魔剣に魔力を吸い取られると息が出来なくなるんだ」


 アップの説明を聞いて納得した。

 ではどうやって、倒せばいい?

 ロストの思考がまとまらない。

 

「クッ!」


「ロスト君。魔剣を使う時を思い出して。どんな感覚になる?」


 冷静な声色で話すアップ。しかしロストは逃げるのに精一杯で、彼女の話に耳を傾けられない。あの突進に当たれば、間違いなく即死。魔剣で身体能力を高めたいのに、その魔剣が使えないのである。


 一体どうすれば……。

 ロストは困惑した表情でビッグ・ライノを見つめる。

 奴の身体を見て感じる……循環する魔力や気迫を。



「……ん?」


 

 その時、ビッグ・ライノを見て思った。

 無意識のうちに感じていたもの。

 当たり前のように認識していたあれ。


「魔力?」


 魔力は目には見えない。しかしなぜ、

 見えないのにどうして、相手の魔力量が分かるのだ。

 そう思ったとき、ロストの頭脳は再び回転を始めた。

 

「アップ、魔力の循環ってコントロールできるの?」


「勿論よ」


 彼女の返事を聞いて、ロストはようやく納得した。

 この修行の意味。魔素が少ない場所で戦わせる理由。

「はあああああ」

 ロストは決死の思いで魔剣の所へ向かう。しかしビッグ・ライノも、ロストを殺す勢いで突撃してきた。

「があッ!!」

 紙一重のタイミングで剣を握るも、ロストは呆気なく吹き飛ばされた。無意識の間に魔剣が発動し、即死は免れる。木々にぶつかり、全身に痛みが走る。

「あッ……あッ」

 息が出来ない。手足が痺れる。魔力枯渇が起きているのだ。

 ふと下を見ると、右足が折れていた。これじゃ修行にならない。

「ロスト君、やり直し」

 再び結界を張ったアップが言う。

 やり直し? どういう意味だろう――と疑問に思った時……

「ま、まさか。や、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 アップの刃が、ロストの首を切り落とした。

 

「あ……うッ」

 目を覚ますと、ロストの足は治っていた。

「アップ……酷いよ。いきなり殺すなんて」

「ふふ。ごめんね。でもお陰で足は治ったでしょ?」

 満面の笑みで語るアップ。

 アップを否定する訳ではないけれど、ロストは心の中で恐怖に似た感情を抱く。

「さあッ! 頑張って」

 ロストは逃げるように、再びビッグ・ライノの元へ足を運ぶ。

 この修行の大枠が何となく分かった。

 結論から言うと、ロストの課題は魔力の使い方である。ロストは無意識のうちに魔力を消費し、何も考えずに付与魔法を使っていたのだ。そのせいで頻繁に魔力枯渇を起こしてしまう。

 結界術は複雑な魔力のコントロールを必要とする。

 どのくらいの魔力を魔剣に注ぎ、どのくらいのスピードで魔力を回復させるのか。自分の魔力を自分の意志でコントロールする――これは基本中の基本である。

 勉学も運動も人間関係も、全ての物事において、基礎基本は最も重要な要素だ。土台がしっかりしていないと、どうしても安定しない。いつか成長が頭打ちになる。

 ロストは人よりも魔力が異常に多い。魔力を担保する器が大きいと言えるだろう。カメレオン魔人であるガイルが、ロストの魔力に驚いていた原因は、これである。

 だからこそロストは、魔力をコントロールしてこなかった。魔力をコントロールしなくても勝てるからである。

 高い声を出すには低い声を練習する必要がある。それと同じように、強さと弱さ。大と小。生と死。あらゆる相反する要素を鍛え融合させたとき、人は初めて次の次元へ昇華できる。

「それじゃダメ! 身体が力んでる」

「ま、待ってくれ。まだ僕はたたか――」

 グサッ!!――又もやアップに殺されるロスト。

 早朝から始まったロストの修行。

 死んで生き返っての繰り返しで、もはやロストは死を恐れなくなってしまった。研ぎ澄まされた集中力で、ひたすら魔力コントロールに時間をかける。少ない魔力でいかに強力な魔法を生み出すのか。どれだけ速く魔力を回復させるのか。

「ロスト君、魔法の威力が弱すぎだよ」

 日没に近づく頃、ロストはようやく魔力を自分の意志で放出できるようになってきた。しかし少ない魔力で強力な魔法を発動させる事は、どうしてもできなかった。

 【終焉業火しゅうえんごうか】の炎が弱いのである。この程度の威力ではビッグ・ライノの合金のような皮膚は貫けない。

「ロスト、剣貸して」

 ロストの魔剣を握るアップ。

 何をするのだろうか――とロストが疑問符を立てていると、アップは力強く剣を縦に振り切った。

「……えッ」

 思わず声が出てしまった。いつものようなオレンジ色の炎ではなく、そらを舞ったのである。熱も威力も……魔力の美しさも全てにおいて一流であった。

「どう? これが真の【終焉業火しゅうえんごうか】よ」

 まだ現実味がなく、すんなり受け入れられない。

 ロストは言われるがまま、再び魔剣を握る。

 しかしどうやって……と悩むロストに

「そうだ! 詠唱してみたら? コツが掴めるかもよ」

「詠唱?」

 詠唱の有無は、人其々だ。

 詠唱は無意味な訳ではない。言霊という概念もあるし、口に出す事で身体がいち早く反応するようになる。

 ロストは一回唾を飲む。

 息と呼吸を整える。

「【終焉業火しゅうえんごうか】!」

 声に出して一振り……すると見事に紫の炎が剣先に宿った。

「や、やったあああ!!!」

「よかったね、ロスト君」

 その炎はアップ程の精度ではないが、確かに強力で安定している。この修行を受ける前と後では雲泥の差であった。

 少し自信が付いたロスト。彼は再びビッグ・ライノの方へ進んでいく。

 ロストを視認した奴は、角を振り回しながら突っ込んできた。

 以前のロストなら魔力枯渇で殺されていたが、今の彼は魔力をコントロールしながら、滑らかな動きで躱す事が出来る。

 しかし一回躱した程度では駄目だ。ロストは注意深く奴の攻撃を見る。

 鋭利な角がロストの腹を狙ってきた。ロストは体を反転させて、冷静にその攻撃を避ける。おっ! 横腹が隙だらけだ。

 それを見逃さず、ロストは程よい力で柄を握ると、剣を大きく振り上げて、全身を使って捻りながら剣を振り下ろした。

終焉業火しゅうえんごうか

 詠唱と共に発動した紫炎は、いとも簡単にビッグ・ライノの腹を切り裂いた。炎はビッグ・ライノの全身を覆い、その場で数歩よろめくと、やがて炎と一緒に空気中に消えていった。

「はぁ……」

 何だかいつも以上に、命を奪う実感が心に宿る。

 生命の重みを強く感じるようになったのだ。きっと戦いに余裕が出来たからだと、ロストは思った。殺さなきゃ殺されるという本能的な意思が湧かない程、奴とロストの力量に差がうまれた。殺す必要のない命を奪ってしまった気がする。

「お疲れ様、ロスト君。今日はこの辺にしようか」

 穏やかな表情でアップは言う。

 時は既に夜目前。頭上には、オレンジと群青と暗闇を同じキャンパスに塗り交ぜたような空が広がっていた。



*    *    *


 一日目の修行を終えたロストは、アップと共に夕食を取った。火を焚き肉を焼く。ロストにとって、それは一日の疲労を吹き飛ばしてくれるようだった。ぽっかりと空いたお腹に流れ込んでくる水とお肉。グゥーと鳴っていたお腹が、少しずつ大人しくなってくる。

「美味しいッ」満足そうに頬張るアップが、やけに可愛く見えた。


 食べた後、二人は薄暗くなってゆく山道を登り、枯れ葉の絨毯を抜けると、視線の先には緑色の広大な草原が広がっていた。嘘みたいに綺麗な夜空が、この草原をスポットライトのように明るく照らしている。森から伝わる風が草花を揺らし、それはとても幻想的だった。

「きれい……」

 アップは【アイテムボックス】と呼ばれる真っ黒な異空間収納箱を発動させると、その中からレジャーシートを一枚出した。大人三人分は余裕に埋まるそれを、草原の真ん中に敷く。二人は程よいパーソナルスペースを保ちながら、そのレジャーシートに寝っ転がった。

「お風呂入れなくてごめんね」

 アップが申し訳なさそうに言った。

「いや全然大丈夫だよ。むしろ、こちらこそごめんなさい」

 謝るのは自分の方だと、ロストは思う。これ程濃密な指導を受けられるとは、微塵も思っていなかった。

 なぜこんなに自分に構ってくれるのだろうか。

 ふと、ロストは疑問に思う。

 学生時代の時から、アップは積極的に距離を詰めてきた。何の取り柄もないのに、特別な接点なんて一つもないのに、彼女はロストの友達になってくれたのだ。最初はただのお節介野郎だと、ロストは思っていた。だけど、ここまで優しく接ってくれるとは……。

「ねえアップ。なんでそんなに僕に協力してくれるの?」

 気持ち悪い質問だと、ロストは自覚している。心の奥底で邪な考えが渦巻いている事は、本人が一番分かっている。けれど……期待してしまう……自分が彼女にとって‘特別‘な存在なんじゃないかと。

 ロストがそんな事を思っていると、アップは夜空に向かって右手を翳した。

「私ね、命は本来、平等であるべきだと思うんだ」

「…………?」

「私の能力は全ての生物が等しい存在である事を、私に教えてくれるんだ。人間も魔獣も他の動物も皆一緒。男とか女とか。シロロリア人とかカタスフザ人とか。魔術師とか非魔術師とか。そんなの私の能力には関係ない。きっと全ての生き物は平等に価値があって、そして、平等に価値がないんだと思う。でもね……皆、優劣を付けたがるんだ」

「……………」

「私はそれが嫌いなの。だけど、皆理解してくれない。どうにかして順位を付けようとする。でもロスト君は違うでしょ?」

「……え?」

 急に話を振られたから、ロストは戸惑いを隠せなかった。

 確かに何でもかんでも順位を付けるのは好きじゃないけど、ロストだって差別はする。特に人間と魔獣……どちらを優先するかと言えば、答えは明白だ。

「でも僕は、魔獣のこと好きじゃないよ? きっと無意識のうちに見下してるし、蔑んでるよ」

「ふふ。それは当たり前だよ、だって命かかってるもん。でもロスト君は、故意に他人を陥れたり馬鹿にしたりしないでしょ? 私はそんな優しい君が好きなんだ」

「……い、いや」

 嬉しい反面、ロストの気持ちは複雑だった。

 確かにロストは人の事を責めたり見下したりはしない。だって自分がそれをやられて、苦しい思いをしたからだ。

 でもきっと、この感情は優しさじゃない。

 自分に自信がなくて、他人を貶せるほどの正当性を自己に持ち合わせていないからだ。

 ロストはそんな風に思った。

「僕もいつか、誰かから必要とされる人になれるかな?」

 ボソッと、アップに聞こえないように吐いたロスト。

「うん、なれるよ。いや、もう……とっくになってるよ」

「え?」

 どうやら彼女に聞こえていたようだ。

「ロスト君、英雄アクレシアと天魔の伝説は聞いた事ある?」

「う、うん。授業でやったよね」

 英雄アクレシアと天魔の一騎打ち。あらゆる神話や伝説の原題とされる程、有名なお話だ。ロストが初任務の時に向かった、あの教会にも二人の彫刻が飾られてある。

 人類と魔獣は太古から戦いを繰り広げている。正直、十年前に起きた世界大戦などまだまだヒヨコと言えるかもしれない。そんな無限とも思える長い歴史の中で、最も人類の破滅に近かった時がある。

 それが、だった。

 未だに謎多き人物、天魔。『二つの心臓を持つ悪魔』『大陸を消し去った男』『万物の法則を生み出す者』など数々の異名を持つ。

 もし万物の中で、神と等しくり合える存在がいるとするなら、それは間違いなく天魔だろう。

反償縛与はんしょばくよって知ってるでしょ?」

「あ、それも授業でやったよ。えーと、あらゆる力には必ず代償が生じるんだっけ?」

「そう、正解だよ。どんな魔術や魔法にも必ず代償は存在するの。その力が大きければ大きいほど、代償も大きくなる。実は、私の魔術にも代償があるんだよ?」

「そうなの?!」

「うん。でも大丈夫! 心配しないで」

 反償縛与――これも一種の魔法と言える。天魔が全盛の時代、彼はこの世界に呪いとも形容できる魔法をかけた。それが反償縛与である。

 因みにこの世界には大陸が七つあるが、元は一つに繋がっていた。貨幣の統一、共通語の存在などは、これが源となっている。ではなぜ七つに分離したのか。地殻変動? 人間の仕業? それとも火山の噴火? いやどれも違う。原因は、紛れもなく天魔だ。

 彼は大陸をも破壊し、そして世界全体に反償縛与という呪いもかけた。このような災害を人類にもたらした天魔は、やがてと呼ばれるようになる。

「でも……英雄が倒したんだよね?」

「うん、倒したんだよ。たかが人間の分際で」

 突如現れた英雄アクレシア。彼も又、謎の多い人物だった。忽然と姿を現し、人類を散々苦しめていた化け物達を蹴散らしたのだ。勿論全てSSランクの魔獣である。

 アクレシアはやがて優秀な仲間を連れ、天魔と戦う事になる。

 天才と天災……永遠に残る二人の戦争は、人間側の勝利で幕を閉じた。

 しかし全貌は二人にしか分からない。噂では天魔は、まだ生きていると言われている。

「私はね、感動したんだ、この話に。人間があの方に勝つなんて不可能だ。あの方は神殺しよ。でもアクレシアは勝った。天魔を倒した。その時思ったんだ……誰にでも可能性はあるんだって」

「…………」

「だからね、ロスト君。諦めちゃ駄目だよ。まだまだロスト君は強くなれる!」

「あ、ありがとう」

 その言葉は、ロストにとって何よりも嬉しい言葉だった。

 ロストはふと彼女の方に首を向ける。

 アップは満足そうな顔で、夜空を見つめている。

 彼女に釣られて、ロストも夜空を見る。

「……綺麗だ」

 それを眺めた時、再びロストの中で闘志が燃え上がる。

 もっと強くなろうと、心に誓ったのである。


 今宵、初めて、ロストはアップの裏舞台を見たような気がした。


 まだまだ修行は始まったばかり。

 いよいよ明日から結界術の習得が始まる。

 ロストは決意新たに、深い眠りにつくのだった。

 


 



 


 

 





 

 

 




 

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