第11話 最終決戦part1
最東に位置する街リペア。高層な建物が立ち並ぶ、自然と人工を両立したとても平和で賑やかな街である。
しかし今日は鳥の囀りや人の柔らかなしゃべり声などは一切聞こえず、代わりに金属と金属がぶつかり合う音や激しい銃声が鳴り響いており、街は喧噪に包まれていた。
そんな戦場に、一人の凛とした女性の声が響き渡る。
「前衛部隊は二軍へ交代! 直ちに治療せよ。特殊対魔二軍はそのまま待機!」
特殊対魔二軍のリーダーを務めるAランク隊員のチャオだ。彼女は討伐作戦の指揮官をダクトに任されたのだ。一度マフィアと対決しており、有益な情報を得た判断されたから。その下で彼女は、リペアに潜むマーキュリー軍を殲滅するため指示を出していた。
まずマーキュリー軍は主に二つの部隊からなっている。
一つは人間軍だ。発射型の魔法道具を使い、敵を遠距離中距離から殺すことを得意としている。彼らに対抗するには、同じく銃や弓といった武器に使い慣れてる者を配置させ、銃撃戦を行う必要がある。
殲滅隊はこの三日間で、マーキュリー博士の隠れ家とされる古城を発見し包囲した。殲滅隊としては、銃撃戦で彼らの脱出を防ぎ、その間に隙間を掻い潜って魔剣やハンマーといった接近戦に強い部隊が一斉に古城に畳みかけたいと思っている。そのため銃撃部隊の真の目的は敵の拘束なのである。とはいっても、このまま銃撃戦を繰り広げているだけでは埒が明かない。いずれ相手の部隊を突破する必要が出てくる。
しかも厄介なのがマーキュリー軍の味方をする魔人とリュジュ将軍の存在だ。彼らのような接近戦かつ一対一に強い者は、古城で待機してる可能性があり、仮に敵の前衛部隊を突破しても城の制圧は難を極める。彼ら魔獣軍の制圧が、この戦いの勝敗を分けると言えるだろう。
「前衛部隊、前進。煉瓦式の住宅街へ移動せよ! 負傷した者、魔力枯渇をした者は直ちに撤退し、ヒーラーの治療を受けよ!!」
彼女の指示に従い、部隊は素早く移動する。
敵の炎の弾丸や雷の矢が、雨のように飛び込んでくる。少しでも油断すれば死は確実だ。
チャオは顔を曇らせながら煉瓦住宅街の奥を見つめる。
「なんとかアレを……突破で出来れば古城に入れるのに」
なかなか突破口が見えない。こういう時、アップや特殊対魔一軍のような強力なメンバーがいれば助かるのに、みんな海を飛び出して他の任務に向かっている。今の戦力でこの銃撃戦を制さなくていけないのだ。
チャオが人知れず不安を募らせていると、煉瓦住宅街の方から叫び声が聞こえてきた。
「敵の攻撃だああああ!!!」
それを聞いたチャオはすぐさま大剣を構える。
瞬間、煉瓦住宅街の向こう側から大きな放物線を描いた隕石が放たれた。
それはとても強力で頑丈で……なおかつ速い。混戦を極める中、突如現れた厄介な魔法攻撃だ。
「みんな離れて!!」
チャオは地面を大きく蹴って空を舞った。そして空中で大剣を振りかざすと――その隕石を真っ二つに切り裂いた。威力を失った隕石は最小の攻撃力で地面に落下。危機的状況を指揮官自らが退けたのだ。
「さ、流石Aランクだ」
「うお……」
なんとか隕石を防いだものの、今のでこちらの体制が大きく乱れた。もしこの状況下で魔人がいたら、大変な事になっていたかもしれない。早く突破しないと、いつ魔人が動き出すか分からない。反対側の前線はどうなっているだろうか。どこか一つでも包囲に穴ができたら、そこからどんどん敵が流れ出てしまう。
焦りを感じる。チャオは更なる前進命令を出そうと口を開こうとした。
が……その時。
「オマエ達、コロす」
「?!!」
突然、住宅街とは別の道。噴水を中心にして煉瓦作りの大通りが広がる商店街の方から、一人の魔人が現れた。それはロストが殲滅隊として一番最初に戦ったカメレオン魔人と同じ姿をした魔人だった。全身にバチバチと電流が流れていて、筋肉質な虹色の身体。鋭い尻尾が腰に生えていて、目の色は真っ白だった。
なぜ今までこいつの存在に気付かなかったのだろうか。
チャオはすぐさま背中に装着していた大剣に再び手をかける。
だが……その時……
「ーーッ!!」
カメレオン魔人の方から、無数のアンデット集団がやってきた。それぞれ鋭利な長細い爪を指に宿していて、どれも強力な魔物であることが分かる。恐らくカメレオンの魔法で姿をくらましていたのだ。ずっと機会を狙って隠れていた。
「クッ……」
殲滅隊だけでなく、チャオまで動揺している。
この数のゾンビを相手にするのは気が引ける。何とか陣形を組み直して対処しなければ……
「前衛部隊の四軍および五軍は下がってアンデット集団の対処を。それ以外の前衛部隊は引き続き前進せよ!!」
チャオはすぐさま体制を変化させてアンデット軍団の処理を促した。彼女の指揮のお陰で、殲滅隊はゾンビの奇襲を何とか食い止める。だがアンデットも負けていられない。自慢の再生力と鋭利な鉤爪でどんどん追い込んでゆく。隊員も疲労が蓄積されていて、接近戦に待ちこまれるのはかなり厳しい。もしこのまま突破されて後衛部隊にまで浸食されたら、いよいよ手が回らなくなる。
まずい……どうすれば……
「オレ様を頼れよチャオ氏」
「俺だって戦えるんだけど」
後衛部隊に配属されていた二人の影が、チャオの前に現れた。
刹那、緑の巨大なひし形結界がアンデット軍団に直撃した。この結界は耐久性は低いが、壊れると巨大な爆発を起こす。アンデットの身体に衝突し、結界は周囲に爆音と爆風を引き起こす。
「二人とも……」
思わずチャオの目に熱が入る。
結界使いの黒髪少年ジョブと、蛇魔人のコブラ。二人とも戦闘要員としては心弱かったので、いつもアシストや偵察に努めていた。だから彼らの安全を考慮して、チャオは二人を後衛部隊および治療隊に配属させていたのだが、何を血迷ったのか、前衛にまで足を運んできてしまった。
「で、でもジョブとコブラじゃ太刀打ち出来ないわ! 早く逃げて!」
焦る様子を見せるチャオだったが……
二人は彼女の言葉を遮って走り出した。
【最終形態
コブラがそう詠唱したとき、コブラは『うわおおおおおお』と大きな咆哮を上げて、雷の轟音と共に巨大化した。
驚くチャオ。まさかこんな技があるなんて、同僚なのに知らなかった。
巨大化したコブラは、瞬く間にゾンビ達をかみ殺していく。彼らの爪攻撃なんて諸ともせず、戦場を蹴散らしていくのだ。
「す、すごい」
チャオは思わず釘付けになる。
が結界師のジョブも黙ってはいない。防御結界を拳及び頭部に纏わせて、ゾンビの身体を次々に打ち砕いていく。
それぞれが自分の持ち味を利用して戦っている。
もしかすると、この戦い……まだ捨てたもんじゃない。
後衛部隊の治療班が進撃を起こすという予想外の出来事のお陰で、形勢は一気に好転した。
取り敢えずアンデット軍団はジョブとコブラに任せるとして、問題は銃撃戦をどう切り抜けるかだ。このままでは優位な状態に持ち込むことができない。
頭を悩ませるチャオ。すると馴染みある声が彼女の耳に届いた。
「俺に任せろ」
その男は、レクだった。
チャオはその紅の髪を靡かせながら振り向く。
「駄目よ。あなたは魔人やリュジュ将軍の時のために温存しないと」
「いや、もう時間がない。今すぐにでも突破しないと逃げられるぞ」
「………」
チャオの口が止まる。
レクは重要な戦力の一人であり、なるべく温存しておきたかった。けれどこの状況を考えると、出し惜しみしてる暇はない。本当は今すぐにでも、あの前線を突破したいのだ。
「できるの?」
「ああ、少々後輩にも協力してもらうけどな」
「?」
レクがそう言った矢先、彼の背後に一人の茶髪少女が現れた。
「あなた……」
「三軍所属のリボンです。レク先輩と一緒にあの銃撃戦を突破します」
頼もしい声で彼女はそう宣言した。
* * *
煉瓦造りの住居が一様に並ぶ大通り。殲滅隊とマーキュリー軍は、その大通りの端にそれぞれ前衛の拠点を構えていた。チャオを率いる指令組織の丁度右側には、その大通りを横切って見えるとても大きな教会が建てられている。
銃撃戦を任されたレクは、大通りの手前まで来た。その大通りには沢山のファイヤショットや雷弾が至る所に飛び散っていて、確率的に考えて、大通りに飛び込めば撃たれるのは確かだ。
だが幸運な事に、今この銃撃戦はただの撃ち合いとなっており明確な狙いがない。つまり彼らは数撃てば当たると考えている。
そんな状況はレクにとって正に最高の場所と言えるかもしれない。あらゆる物事が運や確率に左右される局面において、彼の魔術は最高火力を発揮する。
【魔運選幸術】
高らかに詠唱したとき、レクの右手の紋章が光り始めた。前衛部隊の人たちは皆、彼の紋章の光に注目し始める。
一体何をする気なんだ? そんな事を考える彼らに背を向け、レクは大通りに足を進めた。
瞬間、あらゆる色彩を纏った弾丸の雨が一斉にレクのところへ注がれる。
「な、なにしてるんだ!」
「お、おい早く逃げろ!!」
彼らの罵倒を背に、レクは大通りを堂々と歩き出した。
別に弾を避ける訳でも、弾く訳でもなく、ただ真っ直ぐ歩いているのだ。
普通なら無数の弾丸が身体を貫通する筈。けれど、何故か当たらない。
どう足掻いても彼の身体に弾が通ることはないのだ。
「お、おい……早くあの男を殺せよ!!」
「お前こそあいつやれよ」
「い、いや全然当たんねーんだよ」
焦る殺し屋達。しかしどれだけ弾を注ごうとも、武器の種類を変えようとも、狙撃手を交代させようとも、レクの進撃を止める事が出来ない。
「あ、あいつ何なんだよ!!」
「死ねよ!! クソがアアああ」
レクの右手から発せられる強大な魔力。これだけ離れていても届いてくる威圧感。
特別な魔術を使ってるに違いないと、殺し屋達は気づく。しかし種が分かっても、対処法が分からない。どれだけ弾を撃ち込んでも全く当たる気配がないのだ。
それにこの規格外の魔力。流石はAランクの殲滅隊だ。その辺の奴らでは太刀打ち出来ない。
ならば銃や発射魔法を用いるのではなく、別の魔法道具を使わないと。でもどうすればあいつの身体に攻撃できる? やはり接近戦に持ち込むしか………。
と敵達が考えていた間に……。
あの少女が、住居の屋根を駆け巡っていた。
「なッーー?!」
その時、奴らは気づいた。
あの男はただの囮で、本命はこっちだったのだと。
けれど、気づくのに遅すぎた。
「せやああああああ!!!」
屋根の上から茶髪少女が長槍を振りかざして飛び込んできた。彼らはすぐさま標的を彼女に定めるが、時すでに遅し。引き金を引く前に少女は銃を槍で破壊する。少女の存在に気付いた彼らは、一斉に剣を引き抜き殺そうとするが、瞬間、彼女の姿が消える。どこだ――と思うよりも速く、彼女は縦横無尽に駆け回り彼らの身体を切り裂いてゆく。背後をとった女が剣を振りかざす。殺った――と思った矢先、茶髪少女は槍で攻撃を上部へ受け流し、咄嗟に身体を反転させる。死角からの攻撃を正確に把握し受け止める。これは素人の動きじゃない。見くびっていた――と後悔するころには、少女はその剣先で喉を切り裂いていた。しかしこれで終わりじゃない。まだまだ敵はいる。一網打尽にするため、少女は右腕の紋章を光らせた。途端、両手で握っていた槍に伸縮性が宿り、長細かった槍は凶暴な縄へと変化する。そして生き物のように動くその槍は瞬く間に周囲を駆け抜け、彼らが再び銃を手にする頃には首を切り落としていた。
「よくやった」
刹那、銃声が聞こえる。咄嗟に振り替えると、そこにはショットガンを発砲したレクがいた。
「でも油断するな。まだこの男は生きてたぞ」
死んだふりをしていた一人の男。隙をつこうと企んでいたのだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うリボン。ふと周りを一瞥すると、そこはもう死体の山だった。どうやらこの銃撃戦、勝ったのは殲滅隊のようだ。
「す、すごすぎる」
「これが、’特対’か」
二人の見事なコンビネーションを見ていた殲滅隊員が目をキラキラと輝かせている。
特殊対魔……略して特対。二人は思わず頬がにやけた。
「チャオさんから連絡でーす!」
そんな中、瓦礫塗れとなった大通りから一人、報告隊と思われる男がやってきた。
「どうした?」
「チャオさんからの伝言です。大通りを制圧したら、そのまま古城へ乗りこんでくれとのことです」
「そうか、ありがとう」
大通りを制圧したからと言って、形勢が良くなった訳じゃない。今頃本部はアンデット軍団と戦火を散らしてるはず。ならば今レク達がやるべきことは、一刻も早く親玉を潰すことだ。
二人は鋭い眼光で、古城を見つめた。この城の中に……魔獣軍がいるのか。そして、リュジュ将軍も。
勝てるだろうか、このメンバーで。
「いけるか、リボン」
「見くびらないでくださいね、先輩」
持つべきものは、頼もしい後輩だ。
レクはリボンを横目で見ながらそう思った。
さあ、本部に乗りこむぞ!
決意新たに出発した二人。
少年少女達は、半開きになった門の中に足を進めた。
* * *
レク達が前衛部隊と格闘してた頃、チャオ率いる中間部隊はアンデットと激戦を繰り広げていた。
「ハハハその程度か、人間共!!」
殲滅隊とゾンビ軍団が入り混じる戦場地帯。レクが前線を突破しように、ゾンビ軍団も少しづつ前進していた。
そんな中、巨大化したコブラがその身体を振り回しながら、ゾンビ達を蹴散らしていた。彼らの鉤爪を退け、噛みついていくその勢い。コブラは楽しそうに暴れている。
そしてその様子を見ていたジョブも、満足そうな笑みを浮かべながら拳を振るっていた。
「ふん! 俺も負けてられねーな」
「ハハ、ジョブ氏も強いではないか」
コブラとジョブは互いに討伐数を競うように戦っていた。
それはまるで余裕の表情で……二人は楽しみながら戦場を駆け巡っていた。
「てかコブラ、そんな隠し玉持ってんなら使えよ、もっと」
「オレ様の戦闘は最終兵器なのだ! そう簡単には使わないのさ」
「全く! カッコつけやがって」
二人は戦闘中にも関わらず、会話を楽しんでいる。
流石は特対二軍だ。ゾンビ如きでは負ける気がないらしい。
そんな気の抜けたやり取りをする二人に……
【
突然、青の電撃が二人を襲った。
「「!!!」」」
土砂が舞う中で、コブラとジョブはその攻撃に直撃した。その瞬間、戦況が一気に変化する。前線を張っていた二人が負けたことで、殲滅隊が不利な状況に立たされたのだ。すぐさま医療班は二人を保護する。
一体誰が……こんなことを。
チャオがそんなこと思っていると、土煙が徐々に晴れていき、その姿が顕になった。
「……アイツは」
彼女の目に映ったのは、先程ゾンビ軍団の先陣を切っていた例のカメレオン魔人だった。青の電気をビリビリと全身に流し、不気味な雰囲気を漂わせるその魔人。指揮官を取っていたチャオも、奴の危険な香りを察知して自ら剣に手をかけた。
「お前たちを殺す。皆殺しだ」
「……喋った」
その口ぶりは明らかに昔より明瞭になっていた。もしかして知能が上がってるのだろうか。よく分からない魔人だ。けれど一つだけ確かなことがある……。
「危ない」
チャオがぽつりと吐いた。
と次の瞬間、奴は右手から青色の電撃を放った。チャオは突然の攻撃に戸惑ったものの、身体を反転させて、ギリギリのところでビームを避ける。
「ーーッ!」
が避けるころには、奴はチャオの目の前にいて左拳を突き出す。大剣で攻撃を凌ぐが、刃が拳と衝突した瞬間、激しい波動と轟音が辺りに響き渡って、チャオは押し負けてしまう。身体を吹き飛ばされ、遠方の家に激突した。
受け身を取り損ねたから、その場に倒れてしまう。
だがそんな彼女に対して、魔人は淡々とチャオに近づいてくる。
まずい……やられる。
そう思った矢先――。
【
避けられないと察したロックが、すかさず魔術を発動した。
それによってチャオの身体は風船みたいに浮かび上がり、後方の建物の屋根まで移動させられる。
ロックの能力【
「おい、大丈夫か?!」
「ええ、助けてくれてありがとう」
屋根にいたロックが偶々チャオを見つけたのだ。もし彼が屋根上での戦闘に夢中で彼女の危機を見落としていたら、今頃チャオは死んでいただろう。周囲を一瞥すると、屋根上にはゾンビの死体が広がっていた。
「あの魔人かなり強いな……二人でやらないか?」
「ええ、とても心強いわ」
二人は共闘の意を交わした。あの魔人は他の魔人と少し違う。危ない香りを感じる。恐らく推定ランクはAからSと思われる。かなり強い魔人だ。チャオは新しく購入したハンマーを、そしてチャオは大剣をギュッと握る。二人は両者共々Aランク。本来なら古城で切りたかったカードだがやむ負えない。
「不気味な魔人だ」
ロックが思わず唾を飲んだ。彼は悲惨な経験を経た事で、相手の気配を読み取るのが異常に得意だった。ロックは常に相手の強さ、威圧感、悪意などあらゆる抽象的な概念を汲み取り、理解することができる。それにより力量の差なども感じ取れる。そんな彼が……眉を尖らせているのだ。この魔人は危険だと。
「心して行くぞ」
「ああ」
二人は厳しい表情で魔人に攻撃を仕掛けた。魔人はすぐさま青の雷の発動させる。
ロックは寸前のところで二人の体重を急激に増やし、着地地点を変えたことでその攻撃を避けきった。だがロックの魔術を読んでいたのか、魔人は瞬間的な速さでロックに近づき、拳を突き立てた。ロックは持ち前の気配察知でそれを視認すると、黒のハンマーで拳を受け流した。瞬間、全身に強烈な波動が駆け巡る。だがここで吹き飛ばされる訳にはいかない。
【
「ーーッ」
魔人は血相を変えて目を見開く。途端、魔人の身体に莫大な重力がかかる。
「どうだ! 重すぎて身体が動かないだろう?」
言葉通り、ロックの魔術で体重を劇的に増やされた魔人は身動きが取れなくなっていた。勿論チャオがそれを見逃す筈がなく……。
「はああああ!!!」
魔人の身体を横一文字のように、深く切り裂いた。その傷はとても深く、大量の血しぶきを周囲に降らせた。
「ま、まけたのか」
魔人は信じられないといった表情で自分の傷口を見つめた。そしてその場に膝をつき、二人に執念の眼光を飛ばしながら力尽きる。
どうやら勝負は決したようだ。
ロックとチャオの勝ちだ。
「お疲れさん、チャオ」
「ええ、本当にありがとう」
二人は一仕事終えたみたいに言葉を吐いた。なかなか強い魔人だったが、Aランク保持者の殲滅隊員が力を合わせれば、たとえSランクの魔人を相手にしても普通に勝てるらしい。二人は自分たちの能力に我ながら感心してしまった。
しかしまだ戦いは終わってない。むしろこれからだ。
二人は周りを一瞥し、更に気を引き締めた。そんな中、まるでそんな二人を後押しするみたいに吉報が届いた。
「殲滅隊、銃撃戦を制圧しました」
丁度同時刻、レクとリボンによる共同作戦により殲滅隊が銃撃戦を制覇。ようやく風向きが殲滅隊の方に向き始めた。
チャオはすぐさまレク達に古城へ乗りこむよう伝言を送るため、報告隊を派遣させた。とにかく急がなければ……一刻も早くマーキュリー博士達を捕まえなければ、もしかしたら戦火に紛れて逃亡するかもしれない。
「ロック、あなたも城に向かって」
「なっ? でも」
「私はここでみんなを先導する。あなたは前線で大いにその才能を発揮しなさい」
「………」
彼女の鋭い片目の視線が彼の心を突き動かす。
「分かった。ここは任せた」
「ああ」
ロックは納得したようにチャオに背を向け、走り出した。頼もしい彼の背中が戦場に紛れていく。彼女はそんな彼を見届け、再びその凛々しい顔を咲かせながら、戦場を舞うのであった。
* * *
寂れた外観とは裏腹に綺麗に装飾された室内空間。何本もの漆黒の柱が重々しい天井を支え、床に広がるのは白黒で統一されたタイル。そんな独特の大部屋には、幾つかソファや大きな椅子がある。
一人の男がその椅子に座りながら、忙しなく貧乏ゆすりしていた。
「くそ! なぜここが分かったんだ?!」
汗を滲ませながらレントは、殲滅隊が古城を包囲したことに気が動転していた。
実は彼らはこの古城に建設された地下通路から逃げようと考えていた。だが殲滅隊はいち早く、地下通路にも隊員を派遣しており、その企みは拒まれていた。
「誰かが情報を漏らしたのかもしれん」
床に胡坐をかいていたリュジュがそう言った。彼の言葉を聞いてレントは顔を曇らせる。
「でも、いったい誰が……」
腕を組み、怪しい人物を列挙するが思い当たらない。情報を漏らしそうな人物は一応いるが、今は地下牢にぶち込まれていて、情報を外部に流すことは不可能。となると、殲滅隊の中に、何か特別な魔術を有した人間がいるのだろうか。
レントは色々と考えながら、古城のとある一室で思い悩んでいた。そんな中、声を出したのは、今にも枯れそうな葉っぱを頭部に付けた木の怪物、トロントだった。
「ホホホ、大丈夫でございましょうか、ご主人様」
「トロント……」
レントは怒りに似た感情を爆発させた。その弱々しい拳で強く椅子の取っ手を叩き、怒鳴りつける。
「あなた、どこに行ってたんだ!! さっさと戦場に向かえ!! こっちは切羽詰まってんだよ!!」
「オオ~申し訳ございません。私めはあなた様のお役に立とうと思っております」
「だったら、さっさと潜入者共も殺してこい!! 銃撃班が突破されたんだ!!」
レントは丸眼鏡の瞳を力強く吊り上げた。そんな彼に対して、トロントは怯えたように葉を枯らし、顔を下げている。
「いいか? 僕はあなたたちが有能な人材だと聞いたから高いお金を払って雇ったんです。ちゃんと仕事してください!!」
「おいおい待て。ワイは仕事してるよ」
心外だと言いたげに声を出すリュジュ。
「何を言ってるんだ? 実験体を取り逃がしたじゃないか。お陰で僕の計画は台無しだ!!」
「………」
レントの実験にロストの身体は不可欠だった。どんな計画を練っていたのかはリュジュやトロントにも知らされてないが、あのシロロリア帝国が桁違いの金をレント達に寄付し支援したのだ。きっと世界を揺るがす‘何か‘を狙っている。
リュジュやトロントはそれに気づいていたので、マーキュリー軍団に加入した。
「あの……ご主人様、私めは感謝しています、あなた様に。あなた様のお陰でシロ帝の加護を受けれたのです。だから私めは出来る限りの助力をしたいと思っております」
真意が読めず、レントは目を細めた。けれどトロントはそんな彼に、渾身の一手を繰り出す。
「私めはこの一か月、ある魔物を探していました。それは先の世界大戦で大変活躍した優秀なお方です」
「……魔物?」
トロントは床に生やしていた根を引っこ抜き、根に眠っていた小さなミミズを取り出した。色は白で大きさは成人男性の人差し指ほどの、普通のミミズだった。
「お前、見つけたのか……あいつを」
リュジュは見開くようにトロントを見た。どうやら彼は、トロントの言う魔物の存在を知っているらしい。ところがレントはそんな二人の反応に反して、眉を細めたままだった。
「ワームの王、キングワームで御座います。私めと同じ、Sランクの魔獣で御座います」
Sランクと聞いて、レントの顔が一変する。
「それは、今どこにいる?」
レントは食い入るように質問した。するとトロントは、その反応を待っていたとばかりに頬を緩ませて
「もう、向かわせてます」
瞬間、丸眼鏡は久しく口角を上げた。
* * *
古城と鉄門の間を繋ぐ大きな庭園。石造りの床が城まで続き、至る所に木々や赤々とした花々が生い茂っている。
「はああああ」
その綺麗な景色を汚すように、レクは魔剣の業火を繰り出す。弾薬のような焦げた匂いが周囲に広がる。
レクは時々術も発動させながら、殺し屋達を躊躇い一つなく斬りつけていた。
だが前ばっかり見ていると、後ろが御座なりになる。レクは剣を握った殺し屋に背後を取られたのだ。
ところが……
「はあ!」
紐のように槍をしならせるリボン。彼女の驚異的な身体能力と、物体に伸縮性を与える稀有な魔術のコンビネーションで相手を翻弄していく。予測不可能なリボンの連激を捌くのは、至難の業なのだ。
「先輩、伏せて!!」
レクが身を屈めたところで、リボンは刃をゴムのように伸ばし、振り回した。二人を包囲していた殺し屋達を、次々に切り裂いていく。
「に、にげろ!!」
彼らは一目散に逃亡を図るが、どこまでも伸びる彼女の刃がそれを許さない。瞬く間に鮮血が庭園に迸った。
「助かったリボン」
「はい!」
こんな感じで二人は、難なく殺し屋集団を撃破した。魔人や魔物といった強敵がいなかったので、随分余裕のある戦いだった。
「よし行くぞ」
「……はい! 絶対にマーキュリー博士を捕まえましょう」
リボンは鋭い眼光を城に向けながら言う。ロストの死に大きく関わったマーキュリー博士。魔人や殺し屋を手駒として扱い、多くの殲滅隊員が犠牲になった。
周囲を一瞥すると、死体が広がっている。いくら殺し屋だからといって、殲滅隊の自分が人を殺めていることに多少の罪悪感を感じた。敵味方関係なく、多くの人間が犠牲になった。人間同士、手を取り合うのでなく、銃口を向け合っている。少しでも早く、このくだらない戦いを終わらせたい。
絶対に自分達は負けちゃ駄目だ。リボンは熱い闘志を心の内に秘める。
「当たり前だリボン。逃がすもんか」
二人は再び足を動かした。それぞれ剣や槍を握りながら古城に近づく。殺し屋の気配は感じられない。とても静かだ。
さあ城に入ろう、そう思った時だった。
「待て!」
突然、レクが血相を変えてリボンの肩を握った。驚いたリボンは慌てて後ろを振り向く。
急にどうしたんだろう――と首を傾げたとき……
「ホホよく気付きましたね若者よ」
古城の扉から現れたのは、禍々しい木々で人型の姿をしたトロントだった。背はレクと同じくらいで、足や腕に生えた無数のツルが触手のように畝っている。鉄のように固い皮膚は炎や衝撃といったあらゆる魔法に耐性があって、その驚異的な戦闘力と生命力からSランクに認定されている有名な魔人だった。
「お前、トロントか。まさかこんな所で出くわすとは」
レクは歯ぎしりをしながら、トロントを見つめる。相手はレクやロック、チャオよりも更に強いとされるSランクの魔人。長年殲滅隊が追いかけてきたが、今日まで行方不明だった。まさかマーキュリー軍団の一員だったとは……。
厳しい表情で武器を握る二人に対して、トロントは不気味な笑みを浮かべる。
「ここからは私めの娘が相手いたします。うちの娘はまだ幼いので、どうかお手柔らかに」
トロントがそう言うと、彼の後ろから小さな影が出てきた。瞬間、二人は呆気に取られる。
「……先輩」
「……」
爆発音や金属音が鳴り響く中、白地のワンピースを着た金髪の少女が二人の前に現れた。
「おん、なのこ?」
戦場のそよ風に、彼女の長い髪がサラサラと揺れる。水色のサンダルを履き、足首は麦の紐でキュッと可愛らしく引き締まっていた。彼女の色白で堀の深い、大きな目と整った鼻筋。そして薄ピンクの唇が、彼女の隣にいる怪物とあまりにも対照的だった。
レク達は暫く見惚れていたのかもしれない。いや、驚きの方が近いだろうか。とにかく彼女に釘付けになっていた。
「それでは皆さん、娘の食事を楽しんでください」
そう言うとトロントは二人に背を向け、再び城の中に入ろうとする。
せっかく現れた大物の魔人。
逃がす訳にはいかない。
そう強く思ったリボンは地面を蹴って、トロントに飛び掛かった。
「……やめろ!!」
咄嗟にレクが声を荒げる。がもう遅い。
リボンの刃が彼の首を斬る――その前に、刹那、彼女は腹部に強烈な痛みを感じた。
「なッ!」
気が付けば、トロントの背後にいたリボンは、庭園を囲む石壁まで吹き飛ばされていた。揺れる視界の見てみると、先程の金髪少女が拳を突き上げていた。
まさか……あの少女にやられたのか。
細くて小さな拳から繰り出された、凄まじい威力のパンチ。そこまで大きなダメージではないけれど、立ち上がることすら困難だった。
勿論痛みのせいだけど、それ以上に混乱が彼女の身体に鎖をかけている。
しかしそんな彼女に反して、トロントは姿を消してしまった。こんな所で足止めを食らう訳にはいかないのに。
「リボン、下がってろ」
レクが真剣な表情で少女を凝視する。
「お前、キングワームだな」
「…………」
ワーム。
十年前、アマゾニア大陸で起こった世界大戦において、人間軍を絶滅にまで追い込んだ魔物の一種。あらゆる人間の姿に擬態し暴れまくるミミズ型の魔物だ。魔人と呼べる程ではないが知性もある。
そして四千万体に一匹という小さな確率で現れるワームの上位種キングワーム。こいつが厄介だ。
基本的に魔人と魔物では魔人の方が強い。Aランク以降は魔人ばかりが登録されている。
だがキングワームは圧倒的な再生力と攻撃手段の多彩さから、魔物なのにSランク認定されている正真正銘の怪物だ。
果たしてレクとリボンだけで倒せるのだろうか。
レクは体内に宿る全ての魔力を魔剣に注ぎ込んで身体能力を高めた。そして地面を強く蹴ると、炎を纏った魔剣を金髪少女に繰り出した。振り下ろされる渾身の一撃。
だがそう簡単には切り裂けない。結界を纏った両拳で彼の刃を強く受け流す。少女とレクの連撃がぶつかり合い、激しい火花と旋風が周囲に巻き起こる。二人は庭園を光のような速度で駆け回り、レクは決死の思いで刃を振るう。両手で握った柄を右上から左下へと振り下ろす。その炎の龍牙が金髪少女の首に噛みつくが、紙一重のタイミングで彼女の左拳が彼の刃を受け止める。目前で四散した紅蓮の刃が彼女の頬に火傷のような掠り傷を与えるが、刹那の間にその傷は消えてしまう。
圧倒的な再生力。
咄嗟の場面で攻撃を止めるその反応速度。そしてレクの全力に対応できる身体能力。明らかに今までの敵とは次元が違う。
このままだとレクの魔力が枯渇する。あんな戦い方じゃ限界が訪れてしまう。
二人の戦いを見ていたリボンは焦った。早く戦いに参加しないと……。
そして次の瞬間、そんな彼女の危惧は現実となってしまう。
「ーーッ!」
レクの頭上から振り降ろされる一撃を、少女は両手を使ってガシっと受け止めたのだ。身動きが取れなくなるレク。咄嗟の判断でレクは右足を蹴り上げようとするが――少女の針へと変形した髪の毛が彼の首を切り落とそうとする。
まずい……避けきれない……と思った瞬間
【
漆黒のハンマーが二人の戦場に飛び込んだ。
「おらあああああ」
ロック・ラグナロクが、美少女の顔面をお構いなしに叩きつけた。ハンマーを食らった金髪少女は受け身を取ることなく、流されるがまま後方の壁に飛ばされた。レクが殺される寸前のところで、意外ではあるがロックが助けてくれたのだ。
「お前……」
レクは呆気に取られた様子で、ロックを見つめた。
「俺はお前を助けた訳じゃねーからな。勘違いすんな」
ロックはレクに背を向けて、金髪少女が飛ばされた方向に顔を向ける。ほんの一瞬だけ顔が緩んだレクであるが、すぐに口を引き締めた。
「ちくしょう。あれは手ごわいな。感触でわかる」
気配に敏感なロックが険しい表情で、起き上がってくる金髪少女を凝視する。ロックとレクはお互いAランク。そして相手はAランクよりも上なSランク。単純に考えれば相手の方が上手。
もしかすると、この少女に三人とも殺されるかもしれない。
二人の背中を見ていたリボンが、そんな事を危惧した。
しかも問題はこれだけじゃない。
強敵はまだ、数多くいる。
リュジュ将軍は勿論の事、特に厄介なのがトロントだ。一瞬だけ二人の前に現れた木の怪物。
百体以上の魔獣を殺してきたレク達よりも更に強いSランクの殲滅隊員を、十二人も葬ってきた紛うことなき化け物。Aランクの隊員など、本来敵でもないのだ。
初めて目撃されたのは百年前。つまりここ百年間、殲滅隊は彼に負けてきた。
そんなトロントを今のメンバーで倒さなくちゃいけない。
少なからず、この金髪少女相手にAランクの隊員を一人でも失ったら、勝ち目はないだろう。トロントを相手にするには最低でもAランクの隊員が二人いないと話にならない。そしてチャオはゾンビ軍団を捌くため、手が空いていない。勿論チャオ、レク、ロック以外にAランク以上の隊員は一人もいない。となると、ロックとレク、どちらが欠けても勝利はない。
この戦い……本当に勝てるのか。
そんな中、一人の少女が立ち上がった。その群青色の瞳をきつく吊り上げる。
「先輩、先行ってください! 私一人で相手します」
「………」
「?! お嬢ちゃん、気持ちは分かるけどこいつを一人で相手すんのは自殺行為だぜ」
ロックが鼻で笑うようにリボンを一瞥した。
リボンのランクはC。そんな彼女の実力では勝てる訳がない。
悔しいけれど、ロックの自殺行為という言葉は過言ではない。むしろリボン単独でキングワームを討伐出来るということの方が過言だ。
「確かにロック先輩の言う通りです。でも、安全な戦場などありません。そもそも私はどんな戦いにせよ、常に今日が人生最後の日かもしれないという気持ちで臨んでいます。今更、死など恐れていません」
「………」
「先輩方も分かってる筈です。このまま彼女の相手をしていたら手駒がなくなります。先輩方はトロントやリュジュ将軍を倒すためにここにいるんですから」
「応援を待てばいいだろ」
反論するレク。
「それでは駄目です。今から応援を呼んだら半日かかります。半日も待てません。マーキュリー達を逃がします」
「……いや、そうは言っても……」
「ん~まあ確かに、そうだな」
無言を貫くレクに反して、ロックはリボンの話に納得しかけていた。この状況、リボンが金髪を倒すしかない。たとえロックやレクが全力で金髪少女と戦って勝ったとしても、深傷を負ったらリュジュ将軍とトロントの相手をする隊員がいなくなる。それは即ち、殲滅隊の負けを意味する。
ところがレクは、リボンの作戦にどうしても賛同できなかった。
「駄目だ駄目だ駄目だ。絶対に駄目だ。そんな危険にお前を晒せない」
「おい、クス……」
レクは髪を左手でくしゃくしゃさせながら、彼女の提案を断固拒否した。ロックは一瞬、レクの事を『クスリ野郎』と貶そうかと思ったけれど、彼の切羽詰まった姿を見て声が止まった。
「先輩……でも」
「もう! 誰も死なせたくない!!」
リボンの言葉を遮ってレクが苦しそうに吠えた。
「三人で戦えばいいだろ!? なんでわざわざ」
「時間がないだろ? 三人で相手した方が生き残る確率は高まるが~一人相手に毎回三人で戦っていたら時間切れになっちまう。いつ俺たちの銃撃部隊が突破されるか分かんねーんだ」
ロックは苦い表情を含ませながらレクを説得した。だがレクは頭がパンクしたみたいに首を振り回し、前髪を揺らして二人から目を逸らす。どれだけ二人が声を出しても、レクは赤子のように話を聞かない。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ」
「先輩!!!」
両手で彼の顎をギュッと固定して、リボンは力強く怒鳴った。
目を覚ましたようにレクはリボンを見つめる。
「落ち着いてください先輩」
「………」
「私を!! 信じてください!!」
「………信じる?」
「はい!!」
その迫力ある凄まじい声は、レクの不安渦巻く心を打ち砕く渾身の一撃だった。
レクは今まで数えきれない程の魔獣を殺してきた。が、それと同じくらい仲間の亡骸を目にしてきた。魔獣の最期は覚えてないのに、彼らの死体と最期を忘れたのは一人しかいない。精神不安と薬物依存症のせいで、本来なら殲滅隊を辞退してても不思議ではなかった。
けれども彼は剣を握り続けた。どんなに面白い小説を読んでも……どんなに美味しい食べ物を食べても……どんなに美しい夢の中で、家族の声を思い出したとしても、絶対に心は癒されないからだ。
小説で登場するほんの些細な日常風景。
料理中に思い出される、台所から見れる愛おしいあの日の面影。
そして目覚めたときに、何故か頬を伝わる綺麗な涙。
彼は剣を振るうことでしか、自分の価値を認識できなかった。音楽家が音楽でのみ自分を表現するように、幼少期からずっとスポーツに励んだアスリートのように、一つの道しか極めてこなかったレクは、戦うこと以外に生きる意味を見つけられなかったのだ。ある意味、レクは剣に使われている。
人生とは、どこまで残酷で、自分勝手なんだろうか。
でもいいだろう……。
どんな結末だったとしても、最後まで自分を信じる。
「リボン……」
レクはようやく、視線をリボンに合わせた。そして腹の奥から湧き出る渾身の願いを込めて、彼女に次の言葉を託す。
「死ぬなよ、絶対に」
レクは力強く、彼女の両肩をつかんだ。彼の気迫が、リボンに突き刺さる。
「はい! 勿論です!!」
頼もしい声が、レクの耳に伝わる。
ここで二手に分かれる事になったレク達。
いよいよ戦いは、折り返し地点へと、その駒を進めていた。
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