第10話 決意を胸に

 目が覚めると、レクは市内の治療院のベットにいた。カーテンの向こう側にはベットが置かれてあって、沢山の人々が病室を出入りしている。

 レクはベットの隣に設置されているテーブルに手を伸ばす。タバコだ。

 口に咥えると自動的に着火する仕組みになっている。

「すぅーーはぁーー」

 煙が宙を舞って飛んでゆく。どんよりとした重い空気とは裏腹に、それはただ前へ前へ進んでゆく。自分もあの煙のように、何も考えずぷかぷか浮かぶ事が出来たら良いのにって思った。

 レクがそんな事を考えていると、仕切り代わりのカーテンが小刻みに揺れ始めた。

「…………入るよ」

 そう言って仕切りのカーテンを開けたのは、後輩のリボンだった。

「体調は大丈夫ですか?」

「あぁ……平気だ。リボンは?」

「えぇ……私もだい、じょうぶです」

「なら良かった」

 暫し二人の間に沈黙が流れた。レクのタバコの息だけが場違いな程に響く。

「吸うんですね、タバコ」

 リボンはレクの口から出る煙をじっと見つめた。

「あぁ先輩に勧められて。最初は嫌いだったんだけど、いつの間にか吸うようになったんだ」

「駄目ですよ。百害あって一利なしです」

「あは。確かにそうだよな。でも……仲間の死を忘れるには打ってつけだよ」

「…………」

 リボンは何も言えなかった。


——仲間の死を乗り越える。


 彼女は生まれて初めて仲間の死を経験した。

 リボンはラべナイル家という貴族のもとで生まれ育った。長年、冒険者や官僚、政治家といったエリートを輩出してきたその家系は、幼き頃から徹底された英才教育を受けてきた。まさに生まれながらの勝ち組。魔術は遺伝が七割と言われており、親の能力が子供に大きな影響を与える。物質を変換させるという驚異的な術式を宿していた祖父の血を濃く継ぎ、リボンは物質に伸縮性を与える魔術を会得していた。圧倒的な才能と整った環境。この二つを与えられたリボンは、瞬く間にエリート街道を駆け抜けていった。

 カタスフザ帝国では飛び級が認められているので、彼女は小学校を四年生でやめ、中学……そして高校へと進学した。魔術学院、総合学院の受験範囲の学習も、年齢が十本の指で足りなくなる頃には、全て予習済みだった。

 何をやっても一番。将来画家を目指すと誓い、勉学や青春時代を投げ出した秀才の画力を、彼女は趣味程度の努力で追い抜き、その極まった容姿から‘何もしなくても‘必ず男から熱烈なアプローチを受けた。あまりの優秀さと力強い性格から、周りの女どもはたとえ自分の彼氏をリボンに奪われた(彼女達の思い込み)としても、指を銜える事しかできなかった。

 誰もが認める天才。彼女と同じ時を過ごした者の多くは己の平凡さを強く思い知る。自分という存在は、所詮彼女ような神に愛された超人の引き立て役に過ぎないのだと。天才を崇め、妬み、自己を蔑みながら生きるしかないのだと。

 しかし彼らは知らない……。


 才能と苦痛は、時に比例することを。


 ラべナイル家は由緒正しき家系。それ故に自由はなく、束縛は卑劣な程に厳しかった。


 友達と遊んではいけません。

 恋愛は禁止です。

 通う学校は全てお母さんが決めます。

 高校を卒業したら結婚します。相手は親が決めます。

 作法、座学、剣術、魔術……全てが一番でないといけません。完璧じゃないならラべナイル家失格です。

 画家? 冗談でしょう? ラべナイル家の子供は皆、優秀な子達です。そんな低俗な身分の職種に就くなどあり得ません。

 親に認められていない本を読むのは禁止です。頭が悪くなります。読んでいい物語は一ヶ月に一回です。娯楽は人を感情的にさせます。

 生きるとは勝つことです。勝たずして生きるなど、生物として失格です。社会は個人の親ではないのです。社会は戦場です。ラべナイル家は絶対に負けてはいけません。


 最初は全て、常識だと思っていた。これが普通なんだと。

 親が自分の進路を決める事も、恋愛が邪道である事も。

 しかしリボンは成長するにつれ、少しづつ自分独自の価値観を形成していく。

 八歳の時、新聞の文書から覗いた魔獣との世界大戦。

 殲滅隊の発足。

 大陸を南北に切り裂く‘世界分断魔境戦線‘の誕生。

 次々に一般化されてゆく魔法道具の存在。

 リボンの生きる時代は、あまりにも変化が激しかった。戦況は目まぐるしく変わり、これまでの常識や慣習やしきたりは通用しなくなる。

 そして……少女は、悟る。


 このままじゃ、駄目なんだと。

 そして……自由になりたかった。ただひたすらに、自分の足で、人生という名の道を歩きたかった。誰かが敷いたレールの上を歩くのではなくて。


 優秀な貴族の息子と結婚し、死ぬまで家系の発展に貢献する。

 道走る脚と引き換えに、黄金の馬車を得て生まれたリボン。しかし彼女は、窓の外に映る景色に目を奪われてしまった。これは……罪なのか、傲慢なのか。

 女王蟻は働き蟻の背中を見て、巣の外にある世界に想いを馳せる。女王様の我儘な感情だと、自覚していたのに。

 だから少女は一世一代の賭けに出た。全ての地位を投げ捨てて、親から『お前は私達の子供ではない』と存在を貶されても、リボンは外に出る事を選んだ。たとえ……茨の道だったとしても。

 リボンは圧倒的な才を示し、異例の十六歳で殲滅隊に入隊した。基本的に志望者は魔術学院を卒業してから専門学校に入り、殲滅隊の入部試験を受けて入隊するのだが、リボンは民間の討伐屋で働き、Bランク魔人の首を百個持ち帰り、その実力を認められた事で殲滅隊に入った。それから二年間の‘街門まちもん‘という怪物の死体処理や報告書の作成、街の見回りといった下積み時代を経て、晴れて、ロストが殲滅隊に発見される一週間前に、リボンは特殊対魔三軍に配属された。

 ここで更に実力を付けて、実績を積んで、自分の足で道を拓く!

 そう思っていた矢先に経験した、ロストの死。

 目にかかった黒髪。自信なさげな猫背。男のくせに情けない言動。初対面の女の裸を覗き、下着を勝手に盗もうとしたど変態男(リボンの思い込み)。

 欠点を挙げると無数に浮かび上がる、ロスト・アルベルトギフテッドという男はそういう奴だった。努力を嫌うくせに無駄に根性だけがある男。その頑固さを間違ったことに使ってしまった男。

 本当に……つまらない人間だった。

 でも……そんな彼との日々は、リボンにとって、想像以上に有意義な時間だったのだ。

 一緒に食卓を囲んだり一緒に外へ出たり。喧嘩したり笑い合ったり。

 朝目覚めると、何気なく交わす……”おはよう”。優しい鳥の囀りを聞き、綺麗な陽光に照らされながら……今日もあいつと仕事か……溜息を吐いて起き上がった朝。本当は少し楽しみだったなんて事は、彼女だけの秘密だけど。

 弱くてビビりで……だけど面白くて、変なところで頼りになる不思議な人だった。

 エリートを輩出する事だけに固執したラべナイル家の人間とは、全く別の人種だったのだ。

 


…………ポタポタ。


「ごめんなさい。今だけは許してください」

 リボンはレクの布団に顔を沈めるように泣いた。

「………」

 レクはそんな彼女の蹲った背中を、軽く撫でた。ふと視線をずらすと、物寂しく揺れるカーテンが目に映る。カーテンに小さな陽光が反射する——そっか、もう夕方か。

 そう、思った時だった。レクの心の中に言い難い虚無感や喪失感といった感情が渦巻くように湧き上がってきて、眼球のネジが外れたみたいに瞳から涙が溢れ返ってきた。この世のどこを探しても、もう声を聞く事が出来ない。クシャッと笑うその笑顔を見る事が出来ない。そのような当たり前の事実が、異様なほどに大きく感じられた。

「俺は……また、助けられなかった」

 レクはポツリとそう吐いた。

 レク・オーギュラリという男は、常に死と隣り合わせの世界を生きてきたと言えるかもしれない。というのも彼の同僚や友人、そして恋人や家族でさえもレクは失ってしまった。魔獣の手によって。

 唯一ロックという男だけは、生き残ったが。

 彼は昔、ロストの親友だった。学生時代からの友人で、互いに勉学や実習を競う良いライバルでもあった。レクの恋敵になった人物でもある。二人はいつも一緒で、いつもバラバラだった。そんな関係だ。

 けれど数年前、事件が起きた。

 それは危険な任務だった。Sランク級の魔獣が潜むと言われている山奥のとある洞窟。その洞窟にレクやロックを始めとする殲滅隊二十人が派遣された。

 結果は……ロックとレクだけが生き残った。彼ら以外はそっくりそのまま魔獣に食べられてしまったのだ。

 この件からレクとロックの仲に亀裂ができた。

 実を言うとレクはロックを身代わりにしたのだ。混乱がひしめく中、レクな動転していた。洞窟で遭難し、頼りになる先輩や同僚が次々と殺されていくその光景は、人間の思考力を著しく低下させる。

 だから……レクは……咄嗟に彼を見捨ててしまった。手を離してしまった。

 自分の見え隠れしていた本性が顕になった気がして、自分でも自分が怖く感じた。

 人は極限状態になると……ここまで利己的になるんだと。

 なぜ自分だけが生き残ってしまったのだろうと。

 だからレクは自己を呪う事にした。呪う事以外に、痛みを和らげる方法を見つけられなかったからだ。

 レクは闇に落ち自分を堕落させた。堕落してる自分を呪う事で、現実から目を逸らしたかったから。彼は薬物中毒者になった。クスリなしでは働けない人間になってしまった。

 自分の友人や愛した人でさえも、彼は目を背けてしまった。心を閉ざしてしまった。

 自己を呪い、傷つけ、薬漬けにする。

 何かに……人以外に……依存していないと、日々を歩けなかった。陽の光を浴びるのが怖かった。窓の外から見える楽しくお喋りをする子ども達の笑顔が、彼の心にポッカリと虚無感を与えた。


 でもそんな彼にも一人……太陽のように明るい笑顔を咲かせてくれた人がいた。


 髪はピンクで……背が高く………声が異常に高い女の子。

 花の香りが心地よくて、頬周りのえくぼがお似合いの……。






…………だれ、だっけ??



「入るぞ」

 ふと安れた男の声が聞こえた。何だ? と思った瞬間、仕切りのカーテンが開いて中年太りした男が部屋に入ってきた。

「……ダクト上官」

 男は部屋を一瞥した後、壁の隣にポツンと置かれたパイプ椅子に座った。彼の大きな巻きタバコが、煙を空気に撒き散らかす。

「急に悪いな、二人とも」

「いえ、俺は大丈夫です」

「は、はい。私も」

 二人は涙を見られるのが恥ずかしかったので、足早に袖で涙を拭う。ダクトはそんな二人を見て『急がなくて良い』と言わんばかりの笑みをこぼした。

「……ロスト君の事は残念だったな」

「「………」」

「彼は実に……勇敢な男だった。あれ程勇敢な男は、久しぶりだ」

 ダクトは納得したように頷きながら言った。レクもリボンもその言葉を聞いて、彼の一挙手一投足を思い浮かべる。うん! 確かに勇敢な男だった。

「勿論、君達も勇敢だ。いくら命令を受けたからって殺戮領域に乗り込む奴なんて、滅多に見んよ」

「いや、そんな事は……」

 苦笑いしながら謙遜するレク。

 リボンも首を横に振る。

 だけど実は、レクが苦笑いしたのは謙遜だけじゃなかった。記憶喪失も原因の一つだった。

 殺戮領域から生還した後、レクの生活に支障はなかった。これといって気になる点は一つも見当たらなかった。けれども、何か忘れてる気がするのだ。どこか、辻褄が合わない。

 大切な何かを……大切なひとを……そこに置いてきた気がするのに……。

「まぁ今は辛い時期だろうが……とにかくよく食べてよく寝ろ。あと、あんまり一人で抱え込むな。二人で助け合え。いいな」

「「はい」」

「うむ」

 ダクトは微笑を浮かべた。二人の逞しい返事を聞いて、少し安心したみたいだ。

「ところで、君達二人に提案があるのだが……」

 ダクトが気まずそうな口ぶりで、頭を指で掻きながら言った。

 レクとリボンの首が傾げる。

 もしかして……三軍の解散だろうか?

 そんな事をレクが危惧していると、ダクトの口から予想外の言葉が飛び込んできた。

「マーキュリー博士の場所が分かった」

「…………え?」

 さらりと、とんでもない事をダクトは言い出した。

「もしかして……コブラの毒ですか?」

「あぁ……まあそれもあるんだが」

 特殊対魔二軍所属の魔人コブラ。

 彼の毒は感染者に致命的な傷を負わせるだけでなく、追跡能力の役割を果たしてくれるのだ。

「実はそれだけじゃなくて……アップが妙な事を言い出すんだ」

「………アップ」

 小さく殺意込めた感じで、リボンが吐いた。今回の件でリボンはアップの事が嫌い……というか憎いと思うようになった。あの淡々とした澄ました態度が鼻につく。平気で仲間を殺せるあの恐ろしい紫の瞳が、リボンには気味悪く感じられたのだ。

「アップによれば、マーキュリー軍団は国外への逃亡を計画してるらしい。ロストが死んだ今、彼らがカタスフザ帝国にいる意味はなくなったからな。恐らくシロ帝側のマルネリアに向かうつもりなんだろう」

 マルネリア。

 カタスフザ帝国の東に位置する隣国の一つ。巨大な山々がそびえ立つパラネー山脈を国境としている国であり、譲渡主義を掲げるシロ帝側の国家体制を組んでいるのが特徴的だ。つまりマーキュリー博士と強い繋がりを持つ国といえよう。そして彼女らが国外逃亡するには打ってつけの国だ。

 もし彼女らが殲滅隊に捕まるよりも先にマルネリアに入ったら、もう我々に勝ち目はない。

 ならば……

「そこで我々は三日後の朝より最東の街、リペアに向かう。マーキュリー博士が拠点としてる街だ」

「という事は……」

「あぁ突撃作戦を三日後に実行する予定なんだ。そこで君達に提案したい。君達二人も参加するか? この戦いに」

 ダクトの鋭い眼光が二人の瞳に入り込む。

 その瞳のせいでレクは時が止まったみたいに身体が硬直してしまった。次いでに瞳に炎が宿る。

 彼の傷は完治していない。何せ、傷を負ってから一日しか経っていないからだ。激しい運動をすれば傷口が開くかもしれない。回復魔法は優秀だけど、万能ではない。

 でもレクの中で、答えは決まっていた。傷の有無に関わらず。

 レクは確認の意味も込めてリボンの方を見た。すると彼女も同じ事を考えていたのか、大きく首を縦に振った。

 刹那、二人はある一つの結論で合意した。

「はい! 俺達も参加させてください」

 ロストが命を落とす原因となった人物、マーキュリー博士。長年世界各地で目撃情報があったものの、結局捕まえられなかった人物だ。世界大戦以前から破格の研究結果を残し、多くの科学史に名を轟かせた最高峰の天才。

 一体彼女がどんな人物で、ロストに何をしたのか。

 彼の教育係兼友達として、レクとリボンはそれを知る権利がある筈だ。

 そして自分達の手で、彼女らを捕まえるべきだと二人は強く思った。

 特にレクに関しては、リュジュに惨敗したという無念の結果があるので、次は絶対に勝ちたいと思っている。

「うむ、よろしい。やっぱり君達にロスト君を任せてよかった」

 ダクトは満足そうに頷いた。


 遂にマーキュリー博士の居場所が分かったレク達。

 各々が強い思いを秘める中、彼らは一同に国境の街リペアに向かう。

 果たして、その先に待っている真実とは……。

 窓の外から降り注いでいた太陽の光が、淡い薄暮となって消えかかっていた。


 



 

 

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