第9話 全てを水に流そう

 朦朧とする意識の中、ロストはまたレクの家にいた。外は雨がザーザーと降り注いでおり、家の至るところに質素な匂いがする。どこか気怠くて、気分が乗らないそんな室内空間。

 そういえば……ロストがあの子と出会った日もこんな感じだった。仕事終わりの深夜。大雨を搔い潜り家に帰ると、妹が喘息で倒れていた。雨の日は特に喘息がひどくなる。困ったロストは家にある残りの薬やタオルなどを使いながら必死に看病した。でもそんな二人を天は嫌っているのか、雨と喘息は次第に強くなる一方で……ロストは、ひたすら祈り続けるしかなかった。彼には信じる神や仏などいない。けれど祈るほかなかった。リリンを抱きかかえながら一人、リビングで窓の外に向かって懇願した。

『どうか……妹を助けてください。どんな代償も払いますから』と……。


 それは、神のお告げだったのだろうか。

 見てみると、窓の外には一人の少女がいた。銀髪の少女だった。まだ九つにも満たしてない、あどけなさの残る可愛らしい女の子だった。彼女は雨に全身を濡らしながら、ロストの家に入った。彼は最初、彼女が単なる家出少女だと思った。だからすぐさま彼女を冒険者の下へ連れて行こうと思ったのだが、彼女はそれを断固拒否した。迷ったロスト。そんな彼に彼女はこう提案した。


「イモウトが外をハシレルようにするかラ……ココに住まワしテ」 


 勿論最初は冗談を言ってるのかと思った。リリンの喘息は治療するのがかなり難しく、たとえ回復魔術を使っても改善させることは困難を極める。ましてや外で走るなんて……夢のまた夢である。

 しかしその直後、目を疑うような出来事が起きた。

「……え? リリン?」

 なんとあれだけ酷かったリリンの咳が、噓のように止まったのである。

 こうなってしまえば、ロストも驚かずにはいられない。彼は銀髪少女の事をもっと知りたくなった。

 けれど彼女はそんな彼を無視して夜空に手をかざす。雨が注ぐ夜闇に。

『何をしているんだろうか』とロストが首を傾けたとき、今度は大雨が一瞬にして止んた。

 ロストは彼女にとても強い興味を感じた。

 と同時に、リリンを助けてくれたから恩も感じた。

「私ノ名前は、サーガ」

 ふと窓の外を見ると、夜にもかかわらずリリンが外で走り回っていた。あれほど明るい笑顔を咲かせているのは、もう何年も見ていなかった。ロストはサーガの正体を知らない。彼女が果たして何を考えて、自分達の下に現れたのかも皆目見当もつかない。勿論悪い予感もした。だけど今は……妹の幸せそうな笑顔を守りたかったのだ。


 そして時は進み、現代。

 今でもロストはこの時の選択に頭を抱えてしまう。

 あの時彼女を冒険者に連れていくべきだったのではと。そしたらラディオンに入る事もなく、もっと妹の傍にいられたのかもしれない。

 そもそも、サーガは自分達をどんな風に思っていたのだろうか。一緒に生活していく中で、自分達の存在はどう映っていたのだろうか。


 そして何より……


 どれだけ頑張っても好きな子に思いが届かない事があるように、サーガの真意なんてロストは知る由もない。


 きっと……家族同然だと思っていたのは、一方的な片思いだったんだ。


 ロストは窓に張り付いた雨粒たちを見つめながら、呆然と立ち尽くす。無音なリビングにザーザーと、ひたすらに雨音が沈黙を切り裂いていた。



*   *   *


「マーキュリー博士……」


 そう小さく呟きながら、ロストはゆっくりと瞼を上げた。懐かしい夢を見た感じがして、少しで心細い気持ちになる。

 彼の視線の先は、知らない天井だった。

 灰色の石壁が全て方向に広がっている正方形の部屋だった。

 どうやらロストはこの一室のベットで寝ていたようだ。

 ここは一体何処なんだろうか?

 ロストは朧げな記憶を縫うように考えるが、何も思い出せない。何か、受け入れ難い現実を目の当たりにした気がするのに、頭からそっくり抜け落ちている。

 殺戮領域に入った後、どうしたっけ?

 ここは、どこなんだ?

 ベットに密着した右手側の壁を見つめながら、そんな事を考えていると、やがて扉が静かに開いた。

 入ってきたのは、意外な人物だった。

「おはよう、ロスト君」

「アップ?」

 アップは濡れたタオルと水の入ったガラスコップを持ってきてくれた。

 それを見た時、ふとロストは自分の身体に目を向けた。よく見ると、身体が暖かいお湯で濡れている事と、見知らぬ部屋着に着替えられていた事に気づく。

 どうやらアップが看病してくれたらしい。

 もしかして、相当身体が弱っていたのだろうか。

 徐々に鮮明になる記憶が身体を刺激して、視界を覆っていた眠気が去ってゆく。

 そして次の瞬間、ロストは仲間の事を思い出す。一緒に殺戮領域に入った三軍のメンバーと、新しく知り合った二軍の人達について。

「みんなは、大丈夫?! 無事なの?!」

 気持ちが身体を先行したために、ロストは無意識のうちに身体を起こそうとした。がその瞬間、激しい頭痛と腹部の激痛がロストを襲った。あまりの痛さにロストは再び身体をベットに沈める。どうやらかなり身体を酷使したようだ。

 歯を食いしばるロストを見ていたアップは、少し困ったような顔つきで彼の元に歩み寄った。

「ふふ、落ち着いてよロスト君。まだ病み上がりなんだから、無理しないで」

 アップは柔らかく微笑みながらそう答えた。仕方なくロストはベットで静かにする。

「まず良いニュースと悪いニュースがあるわ。どっちを先に聞きたい?」

「いい方で」

 ロストは最初悪い方から聞こうと思ったけど、先に良くないニュースを聞いたら良いニュースを素直に喜べない感じがしたので、咄嗟に変更した。

「分かった。単刀直入に言うと、

 瞬間、ロストの目が光る。

「ほんと?」

「ええ。レク君もリボンちゃんも無事よ。少し怪我してるけど、二軍のメンバー含めて全員無事に生還したよ」

 その言葉を聞いてロストは心から安堵した。

 殺戮領域に入った全員が、誰も死なずに済んだのだ。

 かなり苦しい戦いで何度も絶望に打ちのめされそうな危機にあったけど、みんなのお陰で乗り越えたんだ。

 やっぱり先輩たちは本当に凄い人達なんだ。

 しかしここで嫌な記憶がよみがえる。そういえば、まだ悪いニュースを聞いていなかった。

「次は……悪いニュースを言うね。これを見てほしいの」

 そう言って、アップが取り出したのは毎日新聞だった。


『殲滅隊、死力を尽くすも……街半壊』


 

 ……街が、半壊?

 ロストが所属する三軍と二軍による自縛魔の共同討伐が実行されたものの、その戦いは殺戮領域が存在していたデスフラー山を越えて街にまで影響を及ぼし、結果的に死亡者二百五十三名、行方不明者一千五百三十二人、デスフラ―山完全消滅という大災害にまで発展。三十年前より自動設置されていた山の結界も悉く破壊され、街の復旧に目途が立っていない状況となっている。

「こ、こんな事に……」

 その記事を見てロストは唖然とした。たった一人の魔獣の手によって、ここまで多くの人の命が奪われるなんて……想像すらした事がなかったのだ。

 ロストは再び自分の非力を嘆いた。自分がもっと強ければ……強力な魔術を持っていれば……と。

「ロスト君は気にしなくていいわ。本来私が行くべき任務だったんだから」

 アップはロストの手を優しく握る。けれどそんなものでは無念を晴らせなかった。本来罪滅ぼしのために始めたこの生活。

 なぜ自分のような役立たずが生き残ったんだ?

 罪のない一般市民が大量に死に、自分のような堕落者がここで快適な治療を受けている。

 今まではこの世の不平等に絶望していた立場だったのに、これでは絶望を与える立場になってしまう。

 ロストは心の中で己を呪う。

「僕……必ず、マーキュリー博士達を捕まえます。自分の使命を果たします!」

 ロストは鋭い眼光をアップに向けて言った。これ以上、みんなの足を引っ張りたくない。元々この世界に入ったきっかけはマーキュリー博士を捕まえるためだ。もし彼女達を逮捕できなかったら、ロストの価値は皆無。何者にもなれないままだ。

「どう、したの? 急に……」

 アップは少し弛んだ目でロストを直視した。彼女はいつも優しい。自分が一番優秀で完璧な存在なのに絶対におごらない。他人を馬鹿にしない。

 だからきっと、ロストは……その優しさに甘えてしまうんだ。本来その温もりは他の人間が享受すべきなのに。


「必ず……やり遂げる!」


 ロストは小さくそう呟いた。

 そして、全てが終わったら……



 と心に固く誓ったのだった。




*   *   *


「なんでこんな高く飛ぶのぉ?!」

 ロストは思わず声を上げた。視界の端に、雲の隙間から小さな城群が見えたのだ。リボンはライチョウの背中に乗りながら呆れたように溜息を吐く。

「鉄道だと時間がかかるんだから仕方ないでしょ?」

 だからって……ロストは顔を赤くしながら、彼女の腰にギュッと抱き着いている。

「さっさと慣れてよねえ」

 女性の身体に触るなんて滅多にないロストだけど、今はそれどころじゃなかった。ロスト達はレクのライチョウに乗りながら、次の討伐依頼へと向かっているところだ。雲の谷間から見える沢山の建物や馬車や人が、小さな虫のように見える。普段当たり前のように通る場所ですら、上から見下ろすと全く別の世界に感じた。


 殺戮領域の件から二か月が経ち、ロスト達は治療期間を終え、再び討伐任務を始めた。とは言ってもロスト一人で魔獣の討伐依頼をこなす訳でない。

 彼の仕事内容は家事全般と討伐のアシスタントだ。朝五時くらいに市場に行って新鮮な野菜や魚を購入する。因みに魔水はタイムセールというものがあって、丁度それが朝の七時にあるから、序に立ち寄る事にしている。そんな感じでロストが食材を持って帰る頃にはレクも目覚めてるので、朝食はレクに任せる。彼は昔から料理をするのが好きで、とても上手なのだ。

 それから大事なのが掃除洗濯、そして魔水の取り換えだ。レク曰く、ロストが同居するようになってから、魔水切れが頻発してるらしい。魔水は生活に欠かせない魔法道具の要なのでとても重要なのだ。

 これが終わったら、ようやく殲滅隊めいたことを始める。レクもしくはリボンの討伐依頼のアシスタントとしてロストも同伴し、戦う。任務が完了したら本部へ任務完了を報告。ロストは雑用係として報告書の作成を任されたのだが、これがかなり面倒だった。何せ依頼に関すること、全てを報告しないといけないのだ。魔獣のランク、能力や数。どうやって討伐したか。どんな戦法が有利だったのか。場所、時間、依頼者のプロフィールや特徴……挙げればキリがない。

「ロスト、お前は義務教育を受けたのか?」

 と報告書を審査するレクに怒られ、

「ねえ、魔剣のメンテナンスは生活費とは別でしょ?!」

と経理担当のリボンに指摘され

「お前さん、新人かい? 礼儀がないねえ」

 と依頼者のおばさんに避難され

「!!! 私の下着盗んだでしょ?!!」

「盗んでないよ!」

とリボンに下着泥棒の冤罪をかけられ、怒鳴られる。結局リボンの誤解だったけど。

 急激に時間が加速してくような毎日で、ロストはもはや自分の弱さや無能に驚く暇はなかった。とにかく目の前の事に精一杯で気が抜けなかった。来るべきマーキュリー博士達との戦いにも備えて訓練も怠ってはいけない。多忙すぎる日々だ。でも不思議と、ロストはこの日々が嫌いではなかった。むしろ好きだったのかもしれない。誰かに怒られたり五分刻みで行動したり、毎日コツコツ筋トレをする。そんな青臭い雰囲気がロストの性格には合っていたのだ。

 しかし一つだけ気に食わない事があった。


「ねぇ? 私の下着は別のかごの中に入れるって約束だったじゃない?!」


「えっ? あ、すみません」


「あとさ、私がお風呂入った直後に入るのやめてくれない? ちょっと気持ち悪い」


「え、え……それは仕方ないでしょうが?! 時間の都合上どうしても時間が重なる日ってもんがあるでしょう?! そっちこそ寝言うるさいし、 


「なっ! あ、あれはふ、不可抗力だったの?!! 偶々気付かなくて寝ちゃったのよ! ていうか何で気づいた時に、すぐ教えてくれなかったの?!! ホントは変なこと考えてたんじゃないの?!!」


「?!! んなこと考えてないよ!! 僕は毎晩悪夢にうなされてて……気づかなかったんだよ!!」


 ため口になったロスト。


「いや! 普通は美少女が寝に来たら気づくでしょ?!! ちょっと鈍感すぎじゃないの?!! 男ならピンチの時ぐらい女の子をお姫様みたいに抱っこしなさいよ! そんなんだから


「お、おまえ……それは……」


 殲滅隊に入隊してから約半年。ロストとアップは運命と呼べる再開を果たしたものの、互いの距離が縮む事は一切なかった。最初の頃はアップも、ロストに対して手解きすると言ってくれたものの、いつになった個人レッスンを開いてくれるのかしら。

 もしかして自分から名乗り出るべきなのか。

 でも自主性のない奴と思われたらどうしようか。

 いや、そもそもこんな邪な考えを持っていること自体が危ういのでは。

 ……みたいな感じで、ロストは迷宮の中をさまよい続け、彼女に話しかける事すら出来ていなかった。


「そういうリボンこそ、全然スペック活かせてないじゃん! 幾ら恋愛小説読んで現実逃避したところで、行動しなきゃ彼氏できないよ!! イケメンの絵なんか描いてないで彼氏を作ってみろよッッッ!!!」


「なっ! それとこれとは別よっ! 今は……忙しいから。そっちこそ彼女いないくせに」


「リボンだっていないじゃん!!」


 



 こんな日々はあっという間に過ぎ去り、ロストが新生活を始めてからおよそ半年が経過した。殲滅隊の一員として日々、仕事と家事に追われていた。

「帰ったら報告書、早めに出せよ」

「はあ~そろそろ僕が報告書書くルールやめませんか? 僕だって毎回書くのたい……」

 と言いかけた途端、レクの軽い拳骨がロストの頭部に響いた。

「痛いじゃないですか?!」

「お前が一人前になったら報告書卒業な。今は全然駄目だ」

 観念したのか、ロストは頭を撫でながら黙り込んだ。こんな感じでいつも雑用とアシスタントを務めている。

 今日は三人での討伐任務だった。何せ魔獣の推定ランクがAで、かなりの強敵だったからだ。しかし同類ランク保持者レクの積極的な攻撃により、ほぼロストの出番は来なかった。大抵の敵はレクで片付いてしまうのである。

「いらっしゃいませ!」

 店の戸口を開けたとき、厨房にいた店長の声が響いた。今日は午前に任務が入っていたので、三人とも昼飯を食べていなかった。

 ロスト達が来たお店は、こじんまりとした場所だった。天井に小さなシャンデリアが吊り下がっていて、建物やテーブル、椅子も全てが茶色の木を主な材料としている。

 ロスト達は店員に促されて、店の一番端のテーブルに座った。リボンとロストが隣に座り、ロストとテーブルを挟んで丁度向かい合うようにレクが腰かけた。

「ブナトまでかなり時間かかるから、色々食べとけ」

 ロストは隣に座るリボンと一緒にメニュー表を眺めた。午前の任務終わりの昼飯は格別だ。何せ今日の仕事はもう報告書を書くだけなんだから。

「そういえば、先輩っていつも同じコートですよね?」

「あぁ……服買うの面倒いからな」

 レクは自分のコートを一瞥した。彼のコートは黒の革製のもので耐久性に優れている。もう一年以上前から同じコートを着ている。

 レクはいつも、内ポケットは使わないという謎の拘りがある。理由は、色々な場所に小道具を入れると混乱するからだそうだ。

 だから彼は、

「僕も、これにしよ」

 悩んだ果て、ロストはリボンと同じカルボナーラを頼んだ。

「はあ~こんないっぱい頼んだら太るかな~」

 リボンが不服そうに呟いた。

 別に太らないと思うけどな。

 そう思ったロストは、店員さんがくれたお冷を飲むリボンに向かって、それを言おうと思った。

 がその時、聞き慣れない男の声がロストの口を塞いだ。

「なあお嬢ちゃん。太る女は何食っても太るし、太らねえ女は何やっても太らねんだ」

 男はロスト達の右後ろに座っていた。漆黒の羽織に紺色の帯を巻いた綺麗な浴衣姿を着ていて、腰には鞘が装着されていた。真っ黒な髪は長く一本に結ばれていて、シャンプーとは無縁のサラサラなかんじ。袖の谷間から覗ける官能的な鎖骨はとても色白。だが彼は丁度ロスト達に背を向けるような感じで座っていたので、ロスト達は顔も鎖骨も見れない。

「なにそれ……あんた誰よ?」

『喧嘩売ってるの』という意味を込めてリボンは言う。レクは『やめろよ』とアイコンタクトを送ったが、彼女はそれを無視する。

「ワイか? あぁワイはまぁ~ただの剣士だ」

 男は食べ終わった皿の隣にあったお冷を飲んでから気怠そうに答えた。

「はぁ~どいつもこいつも必死でよ。どうせ努力なんぞ無意味に終わるのになぁ」

 男は独り言を続ける。

「だからダイエットなんてやめな。ブスはどこまで行ってもブスだ」

「なによ、あんた」

 リボンの怒りが言葉にこもる。

「やめろ、リボン。店、変えるぞ」

 面倒な人に目を付けられると厄介なので、レクは店を出ることを提案した。勿論ロストもそれに賛成だった。世の中に変な人は沢山いる。関わらないのが吉だ。

 ロストは壁に立てかけていた魔剣を持ってテーブルから出ようとした。

 がその時だった。

 男はレクの言葉を遮るように立ち上がり、そして振り向いたのだ。

 瞬間、レクの顔が真っ青になる。

「お、おまえ……」

「……?」




「……え?」



 まず『シャキ』っという音。次に、『キュ』という音が、ロストの耳に入った。

 そして身体がふぅーと浮き上がって、自身の身体が背後の壁を貫通していた。

 凄まじい速度で身体を吹き飛ばされたロスト。

「うぅ……」

 一体……何が起きたんだ。

 見てみると、先程のごはん屋さんが……


 


 瓦礫の中から店員さんや客人と思われる人の悲鳴が聞こえる。『助けなきゃ』そう思ったとき。


「ようやく、お前を見つけた」


 瓦礫の山の頂点に腰を掛けていた例の男が、そう言った。

「……お前、さっきの」

 その時、ロストは反射的に気づいた。

 この男は刹那の間に、刀を鞘から取り出し建物を斬り壊したのだと。

 レクやリボンの反応速度よりも、なお速い領域で攻撃を繰り出していたのだと。

 ロストはすぐさま魔剣を構える。間違いなく相手は敵意がある。たとえ彼が人間だったとしても危険だ。

「あのさ~お前、大人しく着いて来てくんない?」

 男は渋そうに言った。

 言葉の真意が分からなくて、ロストは眉を尖らせて後ずさりする。

 それに今一番大事なのはリボンとレクの安否確認だ。瓦礫の下敷きになっているなら助けに行かないと。

 ロストは緊張感を高めながら相手の隙を狙う。

「あ、もしかしてワイのこと知らない感じ? だったらこの人に喋ってもらうか」

 ?

 ロストは首を傾げた。さっきからこの男の発言の意図が全く理解できなかった。急に攻撃したかと思えば、着いてこい? 行動に一貫性がないように思えてしまう。

 がそんなことを考えていたロストの視界に、一人の男が現れた。その男は特徴的な丸眼鏡をかけていて、ロストの夢によく出てくる人だった。そして刹那、全てを理解した。

「レ、レント……」

 思わず言葉をこぼすロスト。

 遂に…遂に……マーキュリー博士が、ロストの前に姿を現したのだ。

 レントといえばマーキュリー博士の助手であり、ロスト人体実験の関係者の一人でもある。

 ゴクリと唾をのむ。

 まずこの状況、何をすべきなのか。

 戦う? 逃げる? 話し合う? それとも……。

 激しい脳内会議が行われる中、レントが冷淡な声を出した。

「リュジュ、こいつを連れてけ。強制で良い」

「はいはい」

 レントはそう言ってロストに背を向け去ってしまった。ロストは『あ』と声をかけようと思ったけど、今の話を聞いてどうやら相手は明確な敵意を持ってるといっても過言ではないようだ。

 となれば、選択肢は一つ……戦闘しかない。

「お前ら、アレを捕まえろ。ワイの馬車に積んどけ」

 例の高速剣技を繰り出した男リュジュが低い声でそう命令した。

 誰に言ったんだ――と思うよりも早く、ロストは周囲に異様な気配を感じた。周りを見渡すと、どこもかしこも物騒な武器を持った人間がロストに向かってニヤニヤしていた。気づかぬうちにロストは囲まれていたのだ。

 これはまずい。非常にまずい――ロストは自分の置かれた状況を身に染みて感じた。特に今回の相手は魔獣ではなく人間。人間相手にロストは刀を振れるだろうか。

 ところがリュジュの手下はお構いなしに、一斉にロストに飛び込んできた。


「あぁ……!」


 手が止まってしまうロスト。

 彼は身体が硬直して動けなくなってしまう。

 やはりロストは人を傷つけられない。

 そして勿論、こうして生じた隙を………


「おらあああああ」


 周囲の敵たちは、見逃さなかった。

 鋭利な刃物を持った男が二、三人近づいてくる。

 咄嗟の行動で相手の攻撃を防ぐが、心許ない。

 まさに絶対絶命—―まずい! と思った瞬間、


 長細い槍が、目の前に飛んできた。


「ロスト!!」


 力強い掛け声とともに、槍はその揺れる茶髪に連動して敵の突進を軽々と止めてみせた。花の香りがふんわりとロストの鼻腔をくすぐる。頼もしい後ろ姿が、ロストの視線を奪う。

「リボン?!」

 ロストの声とともに、茶髪をなびかせながら、彼女は振り向く。顔に少しかすり傷が付いてるけど命に別状はなさそうだ。

「しっかりしなさいよ! あんた、捕まる訳にはいかないんだから」

 リボンの力強い声が響き渡る。彼女の声や態度は少し攻撃的だから、ロストは苦手意識を感じていたけど、今それがこの世の何よりも頼もしく思える。

 自分も負けてられない――ロストは今度こそ、剣をギュッと握る。自分の使命を忘れてはならない。

「チィ。面倒なガキが……」

 腰かけていたリュジュが溜息を吐きながら立ち上がった。瞬間、禍々しい殺気が周囲に立ち込める。考えすぎだろうか? 周りの手下たちが怯えてるように見える。あいつに恐れを感じてるのかもしれない。

 ロスト達も心許なしか、手がブルブルを震える。なぜだろうか。これ程相手と距離があるのに、間合いの内側に入られてる気がする。戦ったら間違いなく死しかないことを、本能的に二人は理解してるのだ。

 しかしそんな中、彼だけはリュジュに恐れを感じなかった。

「お前ら、なに怯えてんだ? 殲滅隊だろ」

 瓦礫の山から突如として現れた一人の男。右手に黒刀、左手にショットガンを持った我らのリーダー、レク・オーギュラリだった。

「まさか、お前のような大物がここまで落ちぶれるなんてな」

「あぁ? ワイの事言ってんの?」

 伝説の将軍、リュジュ将軍。

 かつてはこんな風に呼ばれていた。十年前に起きた魔獣大戦争にて大活躍した人類が誇る最強クラスの戦士。十六人の将軍と八人の大将軍が人間軍を率いており、彼はその十六将軍の一人に数えられていた。百の魔獣を素手で倒し、ひとたび剣を抜けば首無し死体の海ができたと言われている。

 指導者としても彼は有名であり、戦前は"道場(剣技を教える施設)で数多くの子供達の面倒を見てきた。

 そのぐらい優秀な男だったが、戦争後は道を外れ人斬りの世界へ。今では雇われの殺し屋となってしまった。

 つまり今、ロスト達が相手にしているのは、全人類ベスト二十四位の剣士なのだ。果たしてロスト達の戦いが通用するかどうか……。

「ロスト、リボン。あっちを頼み。俺はリュジュを倒す」

「「はい」」

 困難な戦いが幕を開けた。




《同時刻 とある南の海にて》


「アップ隊長、特殊対魔三軍及び二軍が正体不明の武装集団の襲撃に遭っているようです!」

 殲滅隊の最強兵器として知られている"飛行艇0号機"。船体の上から見える雲海をアップが眺めていた時、軍服を着た一人の青年がそう言った。

「遂に、来たね」

 アップは思慮深そうに呟いた。その瞳をグゥーと沈めて、これからどうするべきか考えている。いまアップが率いる殲滅隊ゼロ軍は、とある島で大暴れしている魔獣の討伐を任されていた。アップは殲滅隊の中でも三人しか認められていないSSランクの隊員。だから彼女が受ける討伐任務は大抵危険なものが多くて、時には本土を出て別の大陸や島に行く事も多々ある。

「進路及び任務変更を命じる。直ちに船の進路を特殊対魔三軍の元へ移動させよ。予備チームは専用小船で二軍の救出を」

 アップはロスト達を襲う武装集団の正体が、マーキュリー博士達であるという事に薄々気付いていた。マーキュリー博士の逮捕とロストの保護は最も優先度の高い事項。

 たとえ島の住民を犠牲にしてでも助けに行かなくてはならないのだ。

「しかし、それでは島の人達は……」

「それなら大丈夫。他の子に行かせるから。とにかく最大速度でカタスフザ帝国に向かって。三軍の討伐任務現場に行けば恐らく三軍と合流出来る」

 アップはそう言い放って雲海から視線を外す。船体の床を、沢山の殲滅隊員が右に左にと足を動かしていて、とても忙しそうにしている。突然の変更に、隊員達の仕事が格段に増えたのだ。

「あと貨物室から鼠を二十匹ほど持ってきて。それと……マーキュリー博士が雇った思われるマフィアの写真と名前をリスト化してここに持ってきて」

 アップは更にその男に命じた。男はすぐさま敬礼して、自分の部下達を連れて貨物室へと向かう。

 一刻を争う事態。アップの顔は少し険しくなっており、彼女の右手に紋章が光り始めていた。もしロストがマーキュリー博士達に捕まったら、大変な事になるのを知っているのだ。あらゆる代償を払ってでもマーキュリー博士達からロストを守り、そして彼女らを捕まえるか……もしくは殺さなければならない。

 そんな中、忙しない雰囲気が船体を覆う頃、一人の冴えない前髪を目元まで掛けた男がアップに質問した。

「……なぜ鼠が必要なんですか?」

「殺すんだよ……鼠を。全部ね」

 殺気に満ちた、凄まじい雰囲気でそう言った。男は彼女の丁度後ろ側にいたので、アップの顔を見ていない。けれどその声を聞いて、明らかに冷淡でそして恐ろしい表情をしている事に気づいた。男は心臓を掴まれたような気がして、急いで逃げるように持ち場へと向かった。




*   *   *


 激しい轟音と火花が迸る中、ロスト達は激しい攻防を繰り広げていた。襲撃者達は剣やハンマーやそして銃も持っており、四方向全てに気をつけなければならない。


「フレイム弾!」


 一人の男がそう詠唱した。

 すると彼が両手に握っていたマシンガンの銃口に、赤色の魔法陣が出現した。

 あれは間違いなく魔法道具の一つだ。長年愛用されている軍事用魔法銃であり、一般には出回っていない特別なものだ。

 なぜそれを奴が持っているのだろうか……。


 と考えるより先に、火の玉はロストとリボンを狙って放たれた。


 ロストは咄嗟の判断で、付与魔法を発動させる。あの炎よりも、なお精度の高い炎を生み出して、フレイム弾を焼き切るしかない。

 水なんて使ってる暇はない。


「オラァァぁぁぁぁぁぁ!」


 瞬間、金属が豆腐のように切り裂かれる音がした。


「なぁ! こいつ……弾を切ったのか」

「バ、化け物だ! こいつら」


 襲撃者達がそう呟いた。

 ロストとリボン、二人の圧倒的な戦闘力に息を呑んでいる。

 ロスト達と戦闘を始めてから、約十分が経過していた。五十人以上いた襲撃者の数はどんどんと減っていき、今では半分以下となっている。

 襲撃者達にとって二人は圧倒的な存在だった。そもそも高速の弾丸を刀で焼き切るなんて、普通の人間がやる業じゃない。切ることはおろか、弾丸を目視すること自体が当たり前ではないのだ。しかしロストもリボンも自分の武器を振り回して、綺麗に弾丸を弾き返し、瞬く間に敵の間合いに入り込んでいる。

 一人の男は……悟った。

 これは……俺達の手に負えないと。


 形勢はロスト達に傾いていた。ロストも多忙重なる日々の中、昔より格段に強くなっていた。まだまだ半人前だけど、確実に成長している。


「……遅い」


 ロストが小さく呟く。

 あれだけ速く思えた炎の弾丸が、スローモーションのように感じる。


「はっ?! な、なんなんだ! こいつ」


 焦った男達は炎の弾丸を一心不乱に撒き散らかす。

 がロストは、無駄な動作を一つもせずに刃で弾丸を退ける。


「ロ、ロスト?」


 あのリボンですら目を見開いている。


「何だろ? 全てが遅く見える」


 ロストは敵達に向かって走り出した。

 炎の龍が弾丸全てを噛み砕き、彼の突進は止まる事を知らない。


「ーーッ!」


 そしていつの間にか、彼らの間合いに入り込んでいた。奴らはすぐに銃口をロストに向けるが……それよりも速いスピードで


「はぁぁぁぁぁぁ!」


 ロストは襲撃者達を一網打尽にしていた。炎の龍が彼らの腹部をすぅーと通り過ぎる。何だ? と思う頃には腹部に強烈な痛みと鮮血が迸り、彼らは一人残らずその場に倒れていた。

 ロスト自身も自分の身体能力の変化に驚きを隠せなかった。自分の手のひらをじっと見つめ、身体を流れる魔力を感じる。

「……すごいや」

 ロストはこの戦いで、いやこの数ヶ月で自分がかなり強くなっている事に気づいた。まさか……こんな自分でも努力すれば上達するんだと、我ながらロストは感心してしまった。

「これなら、行ける!」

 ロストは更に強く魔剣を握り返した。


 さぁ、残りの奴も全部倒そう。


 と思った時、


「やめろぉ。これ以上対抗すんな」


 瓦礫の方から気怠い声が聞こえた。

 何だろ? と思ったロストは声の方向に首を向ける。

 瞬間、ロストの身体に恐怖が駆け巡る。


「み、んな……逃げろ」

 リュジュの刃に腹部を貫かれていたレクが、弱々しい声でロスト達に言った。腕や頭から流血しており、とても戦える状況じゃなかった。早く治療しないと……死んでしまう。

「レク先輩!」

 リボンが血相を変えて叫んだ。

 がリュジュはそれを貶すように言葉を吐く。

「なぁ……少年。お前達じゃワイに勝てん。大人しく諦めろ」

 見てみると、リュジュの羽織には傷一つ付いていない。魔力も体力も全然消費していないのだ。一目瞭然だ。これは……レクの惨敗である。

「さぁどうする?!」

 急かすようにリュジュは、剣を素早くレクの腹部から抜いた。瞬間、彼の口と傷口から大量の血飛沫が空を舞う。そして力尽きたみたいにその場に倒れた。

 まずい……流血が酷い。

 早く病院に連れて行かないと命に関わる。かと言って、リュジュがそれを許してくれるとは思えない。

 降参すれば恐らく条件を呑んでくれる筈。でも反抗すれば、多分皆殺しだ。

 ならば……

「分かった。お前につくよ。その代わり、リボンと先輩は見逃してくれ」

「はっ?! 何言ってんのよ!」

 打つ手がなかった。

「はは、それでいい。諦めろ」

 ロストは無気力な雰囲気を醸し出しながら、リュジュに近づいた。そしてレクを背中に抱えると、ゆっくりと後退りしながら彼をリボンの身体に乗せる。

 リボンは終始、物言いだがな目を彼に向けるが、ロストは力強い血相で彼女の口を塞いだ。

「お前は、良い決断をした」

 リュジュが満足そうに口角を上げた。ロストは表情を固定して彼に近づく。周りの襲撃者達も二人の背を追って渋々着いていく。

 流れる沈黙の雨。彼らの足音だけが辺りに響いた。

 リボンはどうも納得が出来なかった。こんな……呆気なくロストを彼らの手に渡しても良いのだろうかと。

 これで本当に良いだろうか?

 このままロストを彼らの元に預けて良いのだろうか?


 いや……駄目に決まってるだろ!


 レクを抱えたリボンの手に力が宿る。


 勝てなくて良い……殺せなくて良い。


 とにかく全員で、生き残るんだぁぁぁぁぁぁ!!


 リボンはレクはゆっくりと石床に寝かせて、再び槍を手に取った。

「やっぱり、私はこうでないと!!」

 そして一か八か、ロストの所へ足を踏み出そうとした矢先——。



 炎の龍が空気中を迸った。


「この僕が! 大人しく、お前達に従う訳ないだろう!! こっちはお前らを捕まえる為に!! 命かけてるんだよ!!」


 火災旋風が舞い散る中、ロストが鬼のような血相でこう叫んだ。

 まさに、魂の叫び。

 マーキュリー博士を捕まえる為に、全てはこの一瞬の為にロストは生きる事を許されたのだ。そう簡単に屈服する訳がない。ロストは、マーキュリー博士を捕まえたら自害すると心に決めている。命を賭けているのだ、この任務に。

 あっさり絶望して諦めるなんて許されない!

 ロストの荒々しい声と共に、炎の龍が周囲を包み、リュジュ含め襲撃者達は遠方に吹き飛ばされた。ロストの身体に莫大な魔力が発生し、周囲の空気を揺らす。

「貴様……」

 身体を傷つけられたリュジュは、怒り狂った表情でロストを見つめた。血で染まった禍々しい刀を鞘から引き抜き、そして両手でそれを握り自身の右肩に構える。

 刹那、彼の剣先がロストの首間近まで接近していた。突然の攻撃にロストは焦る。が、すぐさま魔剣で敵の剣先を受け流し、後ろへ後退する。

 間一髪の所だった。

 ロストは再び付与魔法を発動させて、リュジュと自分との間に炎を激らせる。

「まぁまぁ動けるんだな」

「それはこっちのセリフだ」

 ロストは付与魔法に更なる魔力を込める。全身を流れる魔力を感じるようになった今のロストなら、もっと強力な炎を生み出せる可能性がある。

 この一撃で決める!


「はっ!」


 ロストは凄まじい火災旋風を巻き起こして、横一文字の如く刀を振り切った。

 リュジュは顔色一つ変えずに、その炎を見つめる。

 決まったッ!

 そう思った直後、



——パキンッ!


 嫌な轟音が炎の隙間を抜けて鳴り響いた。

 それはまるでガラスコップが地面に落ちて割れるような音。固いものと固いものがぶつかり合って、他方が打ち砕かれたような轟音だった。

 ロストは最初、敵の刀を切り砕いたのかと思った。

 もしくは奴の身体が切り裂かれたのかと思った。

 だがそれは大いに間違っていた。

 ロストの魔剣は剣に当たる事なく、リュジュの右脇腹に直撃していた。

 そう、直撃はしていた。でも直撃しただけだった。

「……え?」

 リュジュの身体は異様に硬かった。丈夫過ぎて刃が通らなかったのだ。

 相手は……人間だぞ?! 魔人や自縛魔ではなくて、人間なんだ。

 それなのに、何故あんなにも硬い皮膚をしているのだ。

「だから言ったろ? お前らじゃ勝てない」

「……ッ!」

 刹那、ロストは上半身に鋭い痛みを感じた。気づけばロストの視界に鮮血が迸っている。見るとリュジュはその鋭利な刀を振り上げていた。

 と次の瞬間、上半身を斜め上に抉る大きな切り口に突風が吹いて、ロストの身体は遥か後方まで吹き飛ばされた。

「うぅ……」

 速すぎて見えなかった。自分が斬られていたことも。そして奴が事も。

「おい、死ぬなよ。お前を殺しちまったらワイは金貰えねーんだ」

 リュジュは溜息を吐いた。まるで余裕の表情だった。

 手加減してこの速さなのか。

 これが人類最強クラスと謳われた男の実力なのか。

 剣術、魔力、身体の強さ……その全てが規格外だ。この思わず逃げたくなる圧倒的な殺気は、自縛魔の時によく似てる。


 いや、それ以上なのかもしれない。


 炎が周囲を赤々と照らし、熱気が鼻腔や喉をチクチクと痛み付ける。空を舞う灰が目に入り込んで、針のような痛みが視界を覆う。飛び散る火花が袖に付着し、一瞬にして服が溶け穴が出来る。

 重々しい空気と炎の谷間から、リュジュは剣を右肩に乗せて現れた。

「もう諦めろ。ワイ相手によく頑張った」

「ーーッ」

 悪魔の誘いがロストの耳に入る。

 確かにこの男は強い。強すぎる。もしこのまま戦えば、ロストだけでなくリボンやレクにも迷惑をかけるかもしれない。

 結局……努力しても無駄なのか。

 いや……。


「違うだろ!!」


「??」


 どれだけ絶望的な状況だったとしても、絶対に諦めない。

 自分がやるべきだと思う事に全力を尽くすべきだ

 じゃないと、後悔する。

 あの時……こうしてれば……あぁしてれば……と。

 もうロストは、そんな事を思いたくなかった。いつ如何なる時も、自分の存在を誇れる人間でありたかった。

 きっとそれが……それこそが!!!


 ロストの言う……"何者"の正体だったんだ!!!


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ロストは鉛のように重い身体を、決死の思いで持ち上げた。そして魔剣をもう一度構える。


「はっ? まだ立つの? チィ、面倒な奴だな」


 リュジュは血相を変えて再び刃をロストに向ける。

 物凄い殺気だ。もしかしたらロストを殺す気なのかもしれない。

 そう思うと足が霞む。手が震える。でも戦うんだ。怖くても進め! 

 勇者の要件は恐怖の排除ではない。

 それは、ただの変人だ。

 真に勇気ある人間とは……恐れてもなお、立ち向かい続ける者のことを言うんだ。

 ロストは覚悟を決めた。

 と次の瞬間。


「よく頑張ったね、ロスト君」


「……え?」


 馴染みある声が背後から聞こえてきた。


「アップ?」


 頼もしい姿が、そこにはあった。

 白銀に包まれた巨大な十字架の剣を持ち、赤みがかったピンク色の髪が揺れている。紺色のコートが風で揺れ、その双眸は力強かった。その場にいたロストやリボン、そしてレクの心の中に圧倒的な安心感が宿る。

「アップ?」

「えぇその通りですよ。お久しぶりです……リュジュさん」

 リュジュは刀を鞘に収め、後退りする。自分の実力と彼女の実力を比べた時、この状況では勝てないと踏んだのだ。

「お前ら撤退するぞ」

 リュジュは後ろで固まっていた部下達に逃亡を促した。すぐさま彼らは奴の言葉通り、ロスト達に背を向けて走り出す。

 ロストは追いかけようと思った。

 ところがアップはロストの肩に手を当てる。

「どうしたの?」

「追いかけなくて大丈夫。私に任せて」

 突然、アップの右手に紋章が浮かび上がる。

 何だ? と疑問に思った瞬間——



 バチャンッ!


 襲撃者の首筋に鮮血が舞い散った。


「……え?」


 思わず弱々しい声をロストは上げる。アップは何もしていないのに、彼らは瞬く間に首を掻き切られ倒れていく。

 これが……アップの能力なのか。

 アップはただ彼らを見つめているだけなのだ。別に刀を振ったり詠唱したりといった戦う素振りを全く見せない。

 ロストは唖然とした趣で、彼らの行く末を見届ける。

「チィ……随分強くなったな」

 しかし部下が次々と死んでゆく中、リュジュはただ一人、冷静な顔つきでアップを見つめていた。まるで彼女の能力が自身に降りかからない事を知っているみたいに。

 それでもなお、炎の向こう側から悲鳴が聞こえて来る。見えない何かが彼らに作用している。

 丁度その時だった。

 アップはロストを見つめてこう言ったのだ。


——ごめんね。


「……?」

 













 刹那、アップはロストの首を切り落とした。


「…………!!!」

 

 その時、沈黙が世界に流れた。

 アップはロストが苦しまないように、首と身体を一撃で切り離した。その巨大な十字架剣を振り翳して。ロストの顔がボールみたいにバタン! っと地面に転がり落ちた。彼の血が川の流れのように波紋を成して広がってゆく。切断面から血が噴き上げ、ロストは完全にその生命活動を停止した。

 この光景の一部始終を見ていたリボンは、目を見開いてその場に固まった。思考が完全に止まる。レクも医療チームに運ばれながら、薄らとそれを眺めている。

 一方リュジュは、沈んだ双眸を覗かせてその場を去ってゆく。

「な、なにしてるんですかぁぁぁぁぁぁ?!!」

 リボンは鬼のような形相でアップに向かって叫んだ。同僚でありライバルであり、同居人であるロスト。そんな彼をアップは顔色ひとつ変えずに殺したのだ。幾ら殲滅隊のお偉いさんであれ、リボンの怒りが収まる訳がない。

 しかし憤怒に燃えるリボンに対して、アップは淡々とした声で話した。

「これはしょうがない事です。マーキュリー博士の手に渡るぐらいなら、殺すしかないのです」

 その声は……あまりにも薄情だった。

「で、でも!」

「事実、あなた達では彼を護れませんでした。私が来なかったら今頃、ロスト君はマーキュリー博士に渡っていたでしょう」

「………」

「それにロスト君は十分仕事をしました。もうただの死刑囚と同じ。殺しても問題ないです」

 リボンは言い返せなかった。確かにアップの発言に語弊はない。ロストは元々死刑囚の身。殺しても罪に問われる事はないし、元々マーキュリー博士を誘き寄せる罠みたいな存在だったのだ。そして今日、遂に殲滅隊はマーキュリー博士達の足取りを掴んだ。

 同時刻、マーキュリー博士の手下は対魔二軍も襲撃したのだ。激しい戦いの末二軍は勝利をもぎ取り、コブラの毒を逃亡者に含ませた。コブラの毒は追跡装置の役割を果たすから、それを参考にすれば何れマーキュリー博士のもとへ辿り着く。

 確かに、ロストの役目は終わっていた。

「でも……あなたの同級生ですよね? 情がないんですか?」

 リボンは前髪を揺らし、アップを睨み付けるように訴えた。アップとロストは高校時代の同級生。それなりに仲も良かった。そんな彼を一方的に殺害するなんて、リボンの倫理観では許容出来なかった。

「同級生の前に……ですよ、彼は。それ以上でもそれ以下でもないの」

 彼女の双眸は氷のように冷たかった。まるで機械人形のような表情だった。その瞬間、リボンは諦めたように口を閉ざし涙を流しながらアップに背を向けた。右手で口を抑え、左手で瞳を拭く。

 アップはそんな彼女を一瞥した。

 アップの足元には、飛行艇の貨物室から取り出した沢山の鼠が、チョロチョロと歩いていた。

 

 

 

 

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