第8話 Put on darkness

 挑発されたせいだろうか?

 自縛魔は歯ぎしりして、怒りを乗せた足で地面を蹴り飛ばした。右の手剣で空気を切り斬撃を飛ばしながら、ロストに近づく。飛ぶ斬撃と奴の一撃を目で追えた者は誰もいなかった。Aランクとされるレクやチャオ、ロックですらギリギリ残像を捉えることに必死なぐらいだ。

 ところがロストは嬉そうに口角を上げながら、その連撃を簡単に避けてしまう。それに更なる怒りを抱いた自縛魔は口から漆黒の炎を吹いた。

 至近距離での急な火炎放射。が全くロストに効いていない。

【……バカな。アリエナイ】

 奴の漆黒の炎は触れた物体を腐らせることができる。もしその炎に耐え切ろうとするならば、魔術者本人よりも更に魔力と精度の高い結界を生み出す必要がある。ところがロストは、その結界すら行使していない。小細工など何もせずに、ただ一身に漆黒を受け止めたのだ。

 しかしそれだけじゃない。実はロスト……

「え? ま、魔具も魔術も何も使ってないの……?」

 二者の戦いを見つめていたチャオが、絶望を乗せた声で言った。そう、なのだ。今、ロストは。ただ避けているだけである。サツキみたいに魔具で【千里】を発動させたりジェブのように結界を作ったりしてないのだ。

 にわかに信じがたい事態だ。

 ロストにそんな力があるとは思えない。

 というか、今ロストが魅せている一連の行動は、この世界の誰にも真似できない事だ。たとえそれがSSランクの魔獣や殲滅隊員だったとしても。

「せっかく闇の魔法を会得してるのに何故こんなにも弱いのだ、魔人よ。お前ごときのような虫けらが使っていい術式じゃないんだぞ?」

 呆れたようにロストが呟いた。馬鹿にされたと思ったのか、自縛魔は咆哮をあげて攻撃を続ける。

「はあ……。つまらん奴だ」

「!!!」

 その姿を見たレクは圧倒的な恐怖と、そして諦めを感じた。今自分達が遭遇しているのは、少しかまってちゃんで面倒だけどとても真面目な後輩、ではなく単に次元の異なる悪魔なのだ。戦う事は勿論、会ってはならない存在なのだ。

 レクがそんな事を思いながら手足を震わせていると、二人の戦いに変化が訪れる。

「お前は型なしだ」

 ロストはそう言って自縛魔の手剣を片手で受け止め、奴の腹部に膝蹴りを入れた。魔力を込めず少し蹴っただけの一撃なのに、自縛魔の身体は目に留まらぬ速さで吹き飛ばされた。その凄まじい風圧はロストの立ち位置と自縛魔の着地地点を結ぶみたいに地面に大きな決壊を生み出していく。自縛魔は殺戮領域の黒い結界に激突し、呆気なく胸を地面につけた。

 勝敗は明らかだ。このまま戦いを続けても自縛魔に勝ち目はない。

 そう踏んだレクは

「全員撤退だ!! とにかく逃げるぞ!!」

 もう彼らには逃げることしか出来なかった。

 混乱を底に押し付ける者。

 同僚の死に涙を流す者。

 大好きな先輩を殺されて怒りに燃える者。

 そして、自分の非力に嘆く者。

 その全ての感情を脱ぎ捨てて走り続ける。今やるべきことは、一人でも多くの仲間を逃がすこと。そして一刻も早く殲滅隊本部にロストの存在を知らせること。今のロストは、自分達の手では施しようがない。いや……もしかすると、誰にも彼を倒せないのかもしれない。

 レク達は不安を抱えながら殺戮領域を脱出しデスフラー山を下山していく。

 しかし一方で、そんな彼らの思いとは真反対の怒気を表す者もいた。

【……オマエ、コロす】

 自縛魔はまだ諦めてなかった。ロストを超えようと自分の限界に打ち勝とうとしているのだ。

 がそんな自縛魔に対して、ロストは面倒くさそうに溜息を吐いた。

「はあ……仕方ない。ならお前に見せてやるよ、の真髄を」

 ロストはそう言ってズボンのポケットに手を包み、ニヤリと笑みを浮かべた。刹那、彼の地面に緑色の星形魔法陣が出現し、薄暗かった殺戮領域が星空のように輝き始める。チャオの時よりも、更に強大な空気の波濤が、殺戮領域を超えてデスフラー山全体に広がり、自縛魔も含めたその場にいる全員が、唖然としてそれぞれの歩みを止めた。山にいる全ての魔獣は殺戮領域から発せられる巨大な嵐や轟音や激しい光に恐れをなして、一斉に山々を降りていく。

 そして直後、ロストは詠唱する。

 この世で最も恐ろしいと称された魔術の名を。自分が復活したことをこの世に知らしめるために。


「我にひれ伏せ、凡夫よ――【闇纏引Put on darkness】」


 瞬間、ロストの下に発動していた魔法陣に漆黒の光が迸った。それは殺戮領域や自縛魔の漆黒ブレスとは比較にならない程のドス黒さであり、やがて殺戮境域の地面に渦を描くように広がっていく。そして円を成して動いていたその光は、揺れ動いてた山々の空気の波濤の全てをへと昇華した。山に根を張っていた大木や大岩や、そして地面さえも宙に浮かび吸い取られていく。

「みんな! 絶対に手を離すな! 何かに捕まるんだ!!」

 轟音が鳴り響く中、チャオが大声を出した。殲滅隊一行はロストの能力に身体を吸収されないように、必死に地面や木に捕まる。ロストが生み出した暗黒の渦に飲み込まれたら最期、生きては帰れないだろう。そんな寒気がみんなの背中に走っているのだ。

 そんな中、響き渡る轟音のほかに異様に大きな人間の悲鳴が聞こえた。嫌な予感を感じたリボンは、咄嗟に捕まっていた立派な大木から目を逸らし見上げた。

「そん……な」

 なんと彼女の目に映ったのは、だった。空に浮かぶ無数の人々は、悲鳴を上げながらロストの引力に吸い込まれてゆく。人だけじゃない。鉄道や建物や魔獣や、地面に敷かれたレンガそのものが全て同じ方向に向かって空を飛んでいるのだ。視界は一面砂ぼこりと化す。デスフラー山が砂に包まれているのが分かる。

「さあ行くぞ。覚悟はいいな」

【オマエ、ヤメろ】

 そのやり取りに終止符を打つように自縛魔はロストに背を向けて走り出した。ところが引力のせいで身体が動かない。自縛魔の推進力などロストからしてみれば、塵のようなものだ。

「愚かな奴だ。一度やり切ると覚悟した決闘から目を背けるなんて情けない。自分の覚悟を踏みにじるつまらん奴に、の術を使いこなせる筈がない」

 ロストはそう言って、様々な物体を飲み込むその黒渦を遥か彼方へと突き上げ、世にも恐ろしい黒柱を生み出した。

 森羅万象、この世のあらゆる物体を吸い込み変革させる魔術。終焉を象徴するが如く、その闇の塔は天にまで届き、瞬間、世界に夜が訪れた。リボン達の瞳に映る世界全てが、闇に染まってゆくのだ。まるで地獄のような世界の転移。

「これで終わりだ。闇に染まれ」

【クソがッッッッッ!!!】

 自縛魔は怒りを顕にして飛び出してきた。

 ロストもそれに応えて嗤う。



 「はは」



 直後、全てを吐き出す闇の光が周囲に四散した。

 穏やかだったデスフラー山に、幾何幾千もの飛び火が舞い散る。

 傾斜を成していた大地はその秩序を崩し、闇に包まれた空も仰々しい嵐に飲まれた。

 周囲が崩壊し、勿論自縛魔は粉々に焼き払われる。

 一分ぐらいだろうか。破壊が治まった。

 しかし、山一つが平らな大地へと変貌を遂げていた。

 塵が空気中に蔓延し、ロストが魔術を解除した頃には死の大地となっていたのだ。

「チィ……。面倒な魔法契約だ」

 瓦礫の上に腰かけていたロストが、左手に書かれた紋章を見つめて言った。その黒龍の紋章は珍しく金の光を放っている。どうやら彼にとってこの紋章は不都合な存在らしい。

 でも今更、ロストに歯向かう者なんていなかった。辺りを見渡せば一面瓦礫や折れた大木で埋め尽くされ、空は夜のように真っ暗だ。ロストはそんな世界を一瞥して、勝ち誇った気持ちで笑った。自分の優越性に大いに浸っているのだ。

「?!」

 だが、その時だった。

 ロストが気晴らしに腰を上げようとした時、闇に包まれていた空に一筋、赤い光が差し込んだ。彼の魔術に対抗して光を放っているのだ。それはまさにロストに匹敵した魔力を持つ人物が存在する事の証明だ。

 そんな超人がいるのか……。




「流石ですね」





 突然、右方向から強烈な風の斬撃が降りかかってきた。


「………………え?」


 その斬撃をで咄嗟にはじき返した。

 凄まじい魔力が籠った風の斬撃。

 思わずロストも身体が一瞬だけ浮いた。

 見るとそこに現れたのは、風の主と思われる人物だった。

 その異様な、心臓を掴まれそうな独特の雰囲気を纏わせる彼女を見て、ロストは瞬時に彼女が黒空に光を灯した張本人だと理解する。

「……お前、何者だ」

 ロストが眉をひそめて呟く。

「私は殲滅隊のアップです。あなたを捕まえに来ました」

 アップはそう言って軽くお辞儀した。とても丁重なご挨拶で敵意がなさそうに見えるが、彼女の右手に握られた十字架の刀には莫大な魔力が込められている。

 掴みどころないアップの態度。

 ロストは一貫して顔色を変えずに、ただ彼女を一瞥した。

「お前はなかなか骨のある奴だな、見て分かる」

「あなた様にそう言って頂き、光栄で御座います」

 途端、ロストが不気味な笑みを浮かべる。

「少し遊ぶか」

 と言った瞬間、ロストは地面を大きく蹴ってアップに飛び込んで来た。

 両拳に結界を纏わせて腕を振る。

 凄まじい魔力と殺気が周囲の空間に広がっていく。

 が、負けじとアップも十字架剣に魔力を吸収させて……

「ーーッ!」

「やるじゃねえーか」

 ロストの右拳とアップの刃が、巨大な轟音を鳴らしてぶつかり合った。

 刹那、彼の左拳に黒いモヤが宿る。

 更に魔力を込めたその拳が、アップに直撃する……と思いきや——彼女は大きく剣を振り上げて、ロストの左拳を弾き返した。

 彼の力強い攻撃を、防ぐのではなく真正面から跳ね返したのだ。

 そしてこの光景を遠くから見ていたリボンは、二人の別次元の戦闘に目を奪われていた。

 絶対的な強さで自分達を跳ね除けた"ロストだった存在"と、殲滅隊最高戦力の一人であるアップの死闘。

 明らかに常軌を逸した戦いだ。リボンはアップの事を噂では聞いていたものの、実際にはお目にかかる事はなかった。とても美人で強くてミステリアスのある女性、とだけ聞いていた。

 だがリボンはアップの剣技を見て、そんな軽々しく言葉で形容出来るものじゃないと思った。人間の言葉では収まらないと思ったのだ。

「これは面白い」

 連撃を弾かれたロストは、満足そうに答えた。

 そして更に魔力を吸収させて、今度は遠隔から空気の波動を放った。瞬間、その波動は地面を大きく抉る。あの波動に直撃したら全身の骨が折れるに違いない。

 距離を作られると厄介だと感じたから、地面を大きく蹴って——

「ーーッ!」

 ロストの真後ろに瞬間移動した。

 これはいける!

 一歩遅れた彼の隙を、アップは見逃さなかった。

 鋭い剣先で頸を切り裂き、鮮血が飛び散る。

 が切り裂いた瞬間、ロストは不気味な笑みを見せて後ろを振り向いた。

 ?

 と疑問符を立てた瞬間……


 


 やられた! と思ったアップは急いで身体を反転させる。

 が、どこにも彼の姿を見えない。


「上です!」


 刹那、リボンが叫ぶ。

 咄嗟にアップも上を向くが……。


「惜しかったな」


 聞こえた瞬間、頭上から来た巨大な波動に直撃した。


「……グゥ」


 ギリギリの状態で受け身を取ったものの、アップは遥か遠方に吹き飛ばされた。アップは付与魔法を使って骨折した部位を瞬時に再生させる。


「貴様、本当に人間か?」


 ロストが怪訝な顔つきでアップに尋ねた。

 自分の攻撃をモロ受けたのに、息をしているなんて考えられなかったのだ。普通の人間には出来ない業だ。

 それだけじゃない。自分の拳を退かせたり死角を取ったり……人間とは思えない身体能力だった。

「なるほど……貴様とは、もう少しだけり合いたかった」

 ロストが左手に描かれた紋章を見つめながら言った。途端、彼の身体から殺意と魔力と、そして生命力がすぅーと抜けていく。

 急にどうしたのだろうか?

 リボンとアップは其々眉を顰めながら彼を凝視する。

「少々面倒な魔法がこいつの身体に掛かっていてな……。貴様をこの手で殺したかったが、また今度にしよう……」

 突然、ロストの体に黒い霧が立ち込めてきた。アップはすぐに彼の身体に切り掛かるけれど、黒の霧が結界となって彼女の刃を弾き返す。

 そして最後、濃くなっていく霧から僅かに垣間見えたロストの口元が少しだけ動く。

「お前のに宜しくと伝えておけ。我が蘇ったとな……」

「ーーッ!」

 果たしてロストはその場に倒れた。倒れると彼の身体を覆っていた霧は空気に溶け込んでいき、やがてロストの力尽きた寝相がアップの視界に映った。それは、暴走化したあの姿と遜色ない。だがアップと剣を交えた、あの恐ろしい殺意や魔力みたいなものは嘘のように消えていた。

 瞬間、アップはそれを理解して剣を鞘に収める。

「………」

 ふと周囲を一瞥すると、あらゆる方角から魔力の痕跡を感じる。弱っているが明らかに生命力が検出できる。

「みんな、よく生きててくれた」

 アップはそう言って、自身の命を助けてくれたリボンの元へと足を進める。

 丁度その頃、暗闇に染まっていた黒空に一筋の陽光が芽生え始めていた。

 

 

 


 

 

 


 


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