第7話 失態

 雪姫が男たちの暮らす山中の家屋に来てから五日が経っていた。

「ああ、いいよユキちゃん……」

「そう、うまいよ」

「おぉ、たまんねぇ……」

 雪姫に、毎夜恒例の仕事ができた。

 男たちの欲望を、その体で受け止めることだ。

 昼間のうちにタブレットに保存されていた動画ファイルをチェックしながら、男が喜ぶ言動や行為を参考にする。見ていてわかったが、とにかくいちいち反応を見せて声を出すことが重要なようだ。実際にただ喘ぐよりも多少わざとらしくても「うまい」「すごい」などと口にするだけで、男たちは興奮をより強くしていた。たまに舌足らずに声を出すと、より張り切った者もいた。大事なことは、「自分が女を悦ばせている」という自負心を与えることだと、何となく察することができた。

 今夜もまた、同時に三人を相手にしていた。

 雪姫は自分の寝床と食事を確保し、男たちは見返りに雪姫を抱く。

 この関係が崩れる時――それは、この関係自体が世間に露呈した時だ。

 雪姫は、命を狙っている実母に生存を知られることで再び危機に晒される。

 男たちは、未成年者誘拐と強制性交に問われる。

 共存しながらも共倒れの危険のある生活。だからこそ、互いに互いを裏切らない。

 歪な共同生活が、出来上がっていた。



 更に五日が過ぎた頃、雪姫は一人、リビングに置かれた椅子に座って天井を眺めていた。日中帯、特に昼過ぎは暇な時間だ。普段テレビなどほとんど見ない雪姫にとってはテレビの視聴は数少ない娯楽となるはずだったが、午後の時間は退屈なドラマや映画放送のみで、電源を入れてはみたものの、まったく暇を潰せていない。

「あ~あ……」

 何度目かの溜息をいて、雪姫はタブレット端末を操作する。

 ここに来た当初こそ、計画を練り、男たちの懐柔方法を探り、どうやって悦ばせるかを考えてタブレット端末に保存されている動画を視聴して好みを探り――としてきたが、今はその必要性がなくなっていた。

 無論、考えるべきことはまだある。

 あの母親に、自分を殺そうとしたあの女への復讐、その手段や算段だ。

 だが、いくら考えを巡らせても何も思いつかない。

「同じように、殺し屋を雇う?――ううん、駄目ね」

 口に出して、しかしすぐに失笑する。

 自分にはそんな金もコネもない。第一、この世界に本当に殺し屋などというものが存在するのか。殺し屋といえば、金さえ払えば証拠を残さずターゲットを始末する、みたいなイメージを持ってしまうが、少なくとも二週間ほど前に雪姫を襲った男二人はそれとはかけ離れていた。あれは、金に困っている人間――つまり特別なスキルを持っているわけではない凡人であろう。もしその実行犯が捕まったらそのまま依頼主まで露呈してしまいそうだが、あの母はどう対策しているのだろうか。今の雪姫には想像もつかなかった。

 とにかく、そんな「母を殺してくれ」と依頼できる先がない以上、殺し屋を雇うなど非現実的ということは、ここ数日考え続けたことで結論が出ていた。

「なら、わたしの手で……」

 言いかけて、すぐに首を横に振った。

 殺し屋なんかよりよっぽど現実的な策ではあるが、雪姫は破滅願望があるわけでもなく、ましてや復讐さえできればあとは何とでもなれ、などと自棄になっているわけでもない。

 娘を殺そうとするような母親に対してその報いを受けさせたいことは確かだが、自分の手を汚そうとまでは思わない。あの母を、例えば殺そうとするならば、恐らく可能だろう。だが、復讐を果たした末に人生を棒に振るなど馬鹿げている。少年法の適用も考えたが、雪姫はもうすぐ一八歳になる。一七歳までと違い、特定少年として大人と同様の刑事処分が下る。情状酌量の余地ありと判断されるかもしれないが、そうなったところで今の情報社会の中では身バレからの社会的抹殺が容易に連想できた。

「社会的に抹殺、か……」

 その、『社会的に抹殺する』ことは可能だろうかと考えもした。

 今テレビで流れている昔のドラマの再放送でも、社会的信用を失墜させて会社にいられなくさせ、近隣住民からの視線に怯えて部屋に引き籠っている悪役上司が映っている。

「無理ね…」

 これも却下だ。

 ただの高校生に何ができる?罪を暴露する?証拠は?

 今警察に「自分は母親に殺されそうになった」と駆け込んだらどうなる?

 雪姫は手元のタブレット端末を操作し、ネットニュースに目をやった。


『女子高校生誘拐、公開捜査へ』

『母親懇願――「娘を返して」』


 雪姫のことと思われる記事が、何件か見つかった。

 事件が明るみに出たのはつい二日前だ。

 雪姫が誘拐された翌日、学校から母親に登校していない旨の連絡が入ったものの、家庭内ですれ違いがあり、娘とは関係がぎくしゃくしたことで家出と判断されたこと。それから行方不明届(旧捜索願)が出されたものの、その後近隣住民から車に無理矢理乗せられる女子高校生の目撃情報があったことで、誘拐の疑いありで捜査が進められている、とある。

 きっと遠からずこの家も見つかり、警察が訪ねてくるかもしれない。町中にある防犯カメラの映像から、誘拐に使用された車の行き先を特定し、この山中に辿り着くことは十分にあり得るだろう。

 そうなったら、ここに住む男たちは知らぬ存ぜぬで通すだろう。ここに雪姫がいる経緯を説明すれば、罪状を問われるからだ。

 もし雪姫が見つかれば、警察に保護されることになるだろう。当然母親にも連絡が行く。世間ではこれでハッピーエンドだろうが、娘を殺そうとした母がこの後取る行動はどうなる?何事もなかったように、これまで通りぎくしゃくした親子関係が続く?馬鹿を言え。憎悪によって生まれた殺意を向けた結果が失敗したことで、遠からず第二の刺客が雪姫を狙う。

 母に殺されそうになった、と雪姫が主張したらどうなる?

 家政婦はもとより、近隣住民にも「なんとなくうまくいっていない家庭」と認知されているのだ。思春期特有の妄言、構ってほしいがための虚言などと取られることも十分あり得る。そして、その発言は母を警戒させて「早く始末する」結果に繋がりかねない。

 無論、そうはならないかもしれない。

 警察が雪姫の主張を信じ、母と引き離したまま捜査してくれる可能性もある。

 だが、そんな可能性に自分の命を懸けることはできない。世間では「誘拐された娘」と「心配する母親」の構図なのだ。まずは母親の下に、なんて結果が当たり前に思われることだろう。

 今、雪姫が何を主張したところで「行方不明の少女を保護」で解決されて終わりだ。母の下に返される可能性が一番高く、ましてや母を社会的にどうこうすることなど、「親の庇護下にある子供」にはどうしようもない。


 結局、今日も「母への報復手段」は見つからない。

 毎日毎日考え続け、結局同じ「無理」という結論に行きついてしまう。

 日に日に、雪姫の中で諦めの感情が大きくなり、

「また明日考えよう」

 午後三時を回ったところで、日課の「報復計画策定」を放棄し、「暇だ」と天井を見上げた。

 タブレット端末でインターネットの情報を閲覧するくらいしか、やることがない。この端末だって、ここの男たちのものだ。

 何気なく、通販サイトを覗いてみる。着の身着のままで、下着も含めて身につけているのは二週間前に着ていたものと、男たちが麓のコンビニで買ってきた可愛げのない下着や、激安量販店のTシャツなどの衣類で、サイズはぴったりなどとお世辞にも言えない。寝る前の習慣だった化粧水や乳液だって今はない。

 ここの男たちには感謝しているが、生活が安定してきたからこそ小さな不満や欲求が気になり始めている。

 だが、雪姫は一文無しだ。男たちに媚びて小遣いくらい要求できるかもしれないが、直接的な金銭のやり取りは、トラブルの火種だ。使用目的が「いい服」や「美容品」など、中年の男性陣には贅沢品と取られかねない。「かわいそうな少女」から「傲慢な小娘」へと認識が変わるスイッチになりかねない。今の薄氷の上に成り立つ生活を崩すリスクは避けたい。

 しかし、同時に雪姫は十代後半の少女であることも事実だ。

 一日中家に閉じこもって何もしないでいることは、たとえ必要と分かっていても耐え難いものだ。だからこそ、それを物欲で解消したいと思うのは無理からぬことであり、通販サイトを眺めているうちに、その衝動はどんどん膨らんでいった。

 普段使っている化粧水と乳液、リップクリームを探し、カゴに入れる。普段ならなんとも思っていない一万円そこそこの買い物が、今はとても難しい。

「あ、もしかして……」

 雪姫は通販サイトの支払いページへ飛んだ。

 一度ページを閉じて、地図アプリを起動して現在位置の住所を調べてコピー。再び通販サイトに戻って住所をペーストする。普段は使わないキャリアメールアドレスを入力し、支払方法を料金合算払いに指定。ネットワーク暗証番号を入力すると、そのまま決済が完了した。

 スマホが解約されているのでは、とも思ったが、まだ契約は生きているようだ。これならばここに住む男たちの金を使わずに自分の必要なものを買うことができる。

 雪姫は少し顔を緩ませ、自分の機転を自賛し、幸運に感謝した。



 だが、雪姫の行動は傍から見れば危険な行為だ。

 警察が捜査しているにも関わらず、自分のスマホのアカウントで通販をしたことは、この場所に雪姫がいるかもしれないことを示す重要な手掛かりとなる。そうでなくとも誘拐犯が雪姫のアカウントを不正利用して買い物をしていると思うだろう。

 そして何より――



 ブゥゥン――――

 充電器に刺さったままのスマートフォンが、キャリアメールの受信を知らせるために震えた。

 白野家の家主である真尋まひろの私室、そのデスクの上に置かれた白い最新機種は、ちかちかとメールの受信を告げ続けていた。

 



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※雪姫のイメージを作ってみました。

https://kakuyomu.jp/users/Atlas36/news/16817330669193201602

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