#2
後日、二人は廃精神病院に向かっていた。
平日の仕事終わりの為、時刻はもう二十三時。
「明日が休日なのが唯一の救いだな」
「俺は仕事が片付かなくて明日も出勤ですよ…」
仕事の愚痴を言い合いながらも暗い山道を車で走る。
夜の帳が降りた暗い山道に車は、一匹の孤独な光の粒となって走り続けていた。窓から差し込むヘッドライトの明かりが、森の闇をかき分けて先を照らす。
曲がりくねった道は急勾配とともに上り下りし、車のエンジン音だけが静寂を切り裂いていた。その音は山々に反響し、まるで周囲の自然と共鳴しているように感じられる。
自然の迷路の様な曲がりくねった山道を車で走る事数十分――ついには廃精神病院が見えてきた。
「動画で見るのと実際に見るのではやっぱり雰囲気が違うな」
廃墟と化した三階建ての小さな病院は、魂を奪われたように沈黙していた。
一度は治療の場として賑わったであろうその建物は、朽ち果てた壁に亀裂が走り、窓ガラスは割れ散って無数の鋭利な破片が床に散らばっている。
一歩中に足を踏み入れると、ひんやりとした湿気と腐敗の匂いが鼻をくすぐった。長い廊下は暗闇に包まれ、壁からは剥がれた壁紙が垂れ下がっている。足元には朽ち果てた木材の破片や踏み入れた者の足跡が残されている。
廊下を進むと、壊れたドアがギシギシと音を立てながら風に揺れている。
中を覗けば、荒れ果てた診察室が広がっている。
「どうする?一旦、全部見てから問題の地下に行くか?」
「いや、最初に地下室を見に行こう」
千春の返答を待たずに篤は地下室を探し出す。
そんな篤に千春は小さな違和感を感じていた。
まるで、直ぐにでも地下室に向かいたい――そう感じているかのようだった。
いつもの事か――小さくため息を吐きながら篤の後を追うのであった。
一階部分を探索していると地下への階段が見つかった。
しかし、地下へと続く階段は侵入者を拒むかのように机や椅子が乱雑に積みあがっている。
「じゃあ行こうか」
「いや…別のルートを探してみよう――おいっ!!」
篤が乱雑に積みあがった机によじ登ろうとしているのを、千春は肩を掴んで制止した。
「篤…ちょっとおかしいぞ?とりあえず一回、車まで戻るぞ」
「大丈夫だって。お前の言う通りに別のルートを探すか」
千春に視線を向けずに先に進む篤。
「なんなんだよ…」
千春の愚痴は闇に包まれた廃墟に消えていく――。
二人は会話もせずに廃墟を歩いて行く。
普段ならばお調子者の篤がうるさいくらいに話しかけてくるのに、今日はやけに静かだ。
廃墟内に散らばっているガラスの破片を踏みしめる「ぱきっ」という音だけが響き渡る。
そんな時、千春の少し前を歩く篤の後ろ姿に違和感を覚える。
(あれ…?篤の服装って長袖だったか?)
季節はもう夏――それなのに長袖?
確か篤は今日、半袖だったはず…。
篤――そう声を掛けようとすると、ぴたりと前方で篤が止まる。
「着いたよ」
その声は無感情なまま、空虚な響きを持っていた。
まるで人間の感情が剥奪されたかのように――感情の起伏や色彩を失ったような調子で響いていた。
暑さからだろうか、千春の額から一筋の汗が零れ落ちる。
「…そういえばさ、篤のお兄さんって元気?」
「…元気だよ」
千春は一歩後ずさる。
篤に兄など居ない――居るのは姉だけだ。
「そんなことよりさ、早くこっちに来なよ」
「…」
ゆっくりと一歩後ずさる――とんっ。
(‥‥‥っ!!)
千春の背中に何か柔らかいものが当たった。
背中に触れるはずのない柔らかな感触が、まるで空気のように身体に触れていた。その奇妙な物体は形を持たず、触れるたびに微かな揺れが感じられる。
柔らかな触感はまるで羽のようなものであり、まるで誰かが背中を優しくなでるような感覚だった。
当然だが千春の後ろには誰も居ないはず――暗い廃墟の廊下があるだけだ。
ナニカが居る―――。
ぞわりと鳥肌が立つ。
逃げないと――そう思うも身体が動かない。
前方には篤じゃないナニカ。
すぐ後ろには得たいのしれないナニカ。
「早く来なよ――」
そう言って、篤じゃないナニカがゆっくりと振り返る。
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