#2

 そう言って、近づいて行く千春だったが、内心では近づきたくはなかった。なぜなら、






 赤いハイヒールの場所に俯きながらぶつぶつと呟いている女性が見えたからだ。


 服装は霧がかったようにぼやけて分からなかったが、シルエットからしてワンピースのようなものを着ていた。その女性の横顔から見える目は、何処か虚ろで一点を見つめていた。


 千春がカメラマンをしている以上、篤の方に近づかないわけにはいかない。表情に出さない様にゆっくりと篤に近づいて行く。


(不思議な事に肉眼では見えるけど、カメラ越しじゃ見えないんだよな…)



 そんな事を考えながら篤の傍まで来ると、女性は未だ俯きながらぶつぶつと呟いている。


 近くに居るのに聞き取れない声量。だが、よく耳を澄ませてみると一部分だけ聞き取る事が出来た。





『呪ってやる―――』




 絞り出すような声で呪詛の言葉を呟いている女性を見て、千春は「あ、このタイプはめんどくさい奴だ」と、感じた。


 篤も千春の様子が少しおかしいことに、長年の付き合いで分かってはいるようで、千春が目で合図を出すとトンネルの奥に向かって歩きだす――





 その後は特に何も起こらないまま、トンネルの出口に到着する事になる。車に戻る為には、このトンネルにもう一度入らなければならない。


 つまり、あの女性が佇んでいる傍を通らなければいけないという事だ。なるべく視線が合わない様に下を向いて帰ろうと決意した千春であった――



 ◇



(ん?あの女が居ない…?)


 先程、女性の姿があった場所にはもう女性の姿はなく、赤いハイヒールだけがライトの光に照らされていた。



 ――コツ――コツ――


 一定の間隔で水が滴る音の合間に、千春たちの後ろから足音が聞こえてくる。


「ん?」

 反射的に振り向いてしまう千春。


 千春の僅か1メートルの距離に、先程の女が佇んでいた。


 焦点の合っていない虚ろな目で、じっと千春の方を見つめている。


「しまった」


 そう思った時にはもう遅く、ゆっくりと上がっていく口角。


『みーつけた――』

 やけに耳に残るような湿っぽい声で呟く。


 女性がどういう意味で言ったかは分からない。


 単純に自分の事を視える人間を見つけたという意味なのか。


 それともなにか別の意味があるのか…。


 これまでも心霊スポットに行けば、こういうヤツに遭遇する事はあった。無視を貫いていればそのうちどっかに行く。


 こうなったら視えていない振りを貫き通すしかない。そう思い、千春は女性を無視する事に決め、撮影に集中する事にした――。




「結局、特に何か起こったとか無かったよな。声みたいなのは聞こえた様な気がするけど、水が落ちた音が反響してそう聞こえただけかもしれないしな」

『ねぇ――見えてるんでしょ?』


「…帰って撮影した動画を見てみなきゃ分からないな。何か映ったりしてればいいけど、なんも無かったら流石にボツかな」

『ねぇ――本当は聞こえてるでしょ?ねぇ――』


 撮影を終えた千春たちはトンネルから出て、車まで戻る為に薄暗い山道を歩いている最中だ。


 篤は気付いていないようだが、千春がトンネルで女性と視線が合った時から今まで、ピッタリと千春の後ろにくっつきながら、女性が千春の耳元で話しかけ続けている。


 いつもならば心霊スポットから離れれば、諦めて何処かに消えていくのだが、今回の女性はしつこく千春に付き纏っている。


 内心、どうしようか…と、考えている千春であったが、千春には幽霊を視る事は出来るが、祓う事は出来ない。結局、千春に出来る事は未だ話しかけ続けてくる女性を、無視し続ける事だけであった。




 ◇


「そういやさ、アマネさんに連絡したか?」

「え?ああ…すっかり忘れてたわ」


「いや、早くしろよ。その様子だと大丈夫だろうけどさ、忘れないうちに今連絡しろよ」

 千春が言うと篤はスマホでアマネに連絡をし始めた。


 いきなりアマネに連絡をしろと言ったのには二つ理由がある。


 一つは、以前のアマネの様子が気になっていた事。


 もう一つは、


 最初は『見えてるでしょ』『聞こえてるでしょ』と、言った事を言っていた女性だが、あまりにも千春が無視した事が原因なのかは分からないが、今も千春の顔ギリギリで、


『殺す殺す殺す――』


 呪詛の言葉を壊れたラジオの様に、繰り返していた。


 流石に家まで着いてこられてしまうのは勘弁願いたい千春である。そこで、アマネになんとかしてもらおうと思ったわけだ。


『…もしもし?どうしたの篤くん』

「あ、どうも。連絡するの遅くなってすいません」


 千春は近くのコンビニに車を止め、篤に電話を代われとジェスチャーをする。


「あ、電話代わりました。千春です」

 車から出て、コンビニの喫煙所で煙草に火を点けながら話す。


「うん。篤くんは大丈夫そう?近いうちに会いたいんだけど、いつなら会える?あ、千春くんも一緒に来てほしいんだけど」

「え?俺もですか?まあ、大丈夫ですけど。じゃあ――」


 アマネと次に会う日を決めた後、千春は言葉を濁しながらアマネに女性の事を言おうとした。


「それと、また変な場所行って来たでしょう?さっきから、怖い事を言ってる女の人の声がこっちまで聞こえてくるんだけど」

「あ、すいません。家まで着いて来そうで、どうしようかと思ってたんですよ。なんとかなりませんか?」


「んー…本当はなんとかしたいんだけど、ちょっとすぐには行けそうにないかな」

「そう…ですか」


 という事は、アマネと会うまでずっとこのままか。そう落胆した時、


「でも、いい方法があるわよ。今日は篤くんの家に泊まりなさい。寝て起きたら、きっと千春くんに憑いて来てる女性は居なくなるから」


 そう言われ、電話を終えた千春であったが、アマネが言っている意味が分からなかった。


 アマネにどういう意味か聞いてもはぐらかされてしまい、通話を切られてしまう。


 しかし、あのアマネが言っているのだ。彼女は間違った事をこれまで言った事はない。どうせ、このまま一人で家に帰っても女性に永遠と、呪詛の言葉を浴びせ続けられるだけだ。アマネの助言に従い、今日は篤の家に厄介になる事にした。



 ◇


「千春が俺の家に泊まりたいなんて珍しいな。明日は雪でも降るんじゃねぇか?」

「まあ、篤の新居も気になってたしな」



 以前、篤が住んでいたアパートに程近い公園で怖い体験をしたせいで、篤は軽い公園恐怖症になっていた。


 会社に出勤をするには、あの公園を通るルートが一番近いという事もあり、普段から使っている道が使えなくなったのだ。他のルートで会社に向かってもいいのだが、時間がかかり過ぎてしまう。


 普段から出社ギリギリの篤にとって、それは大問題である。少し早く起きるなどすれば良いのだが、それをするくらいなら引越し多方がマシという謎の考えで、篤はつい最近引越しをしたのだった。


「割と綺麗だし、立地もまずまずだし良い物件じゃん。結構、家賃するんじゃねぇの?」

「そう思うだろ?」

 篤は指を一本立てて笑っている。


「は?それって一万ってことか!?ありえないだろ…まさか瑕疵物件か?」

 驚愕の表情を浮かべる千春。


 千春もこの付近のアパートの家賃相場の事は詳しくは知らない。だが、この付近じゃなくても一万で住めるアパートなど、聞いたことがない。


「今の時期に空いてるアパートなんて、郊外にあるボロアパートかこういう瑕疵物件しかないんだからしょうがないだろう?」

 苦肉の策だった、という表情を浮かべる篤。


 篤の話によると、このアパートは築13年の比較的新しい物件。しかし、なぜか篤が住んでいる201号室だけは、入居した人が一週間持たずに退去してしまうらしい。


 不動産屋が退去する理由を住人に聞くと、口を揃えてこう言ったという。




『誰かに視られている』




 不動産が言うには瑕疵物件ではないし、このアパートでは誰も亡くなったりはしていないという。


 最初は篤もそんな場所に住むのは嫌だったので断っていた。しかし、紹介される物件が全て瑕疵物件だったのだ。流石の篤でもおかしい事に気付く。


 不動産屋に理由を聞くと、千春たちのチャンネルの視聴者だという。



「その不動産屋に丸め込まれてここに住んだってわけか…だから、定点カメラの準備をしてんのか」

「丸め込まれたわけじゃなくて、依頼されたの。『この部屋で何が起こるか検証して下さい』ってな。引っ越しの費用も不動産屋持ちだし、次に良い物件が空くまでって契約なんだけどな」

 そう言いながらも、部屋全体を映せる場所にカメラを設置していく篤。




「ちなみに、この物件に引っ越してからなんかあったのか?」

「何かあったら千春に言ってるよ。それらしい事も起こってないし、一応暇なときに定点の映像を確認してるけど、俺の可愛い寝顔しか映ってないんだよね」


 篤が引っ越してから既に一週間は過ぎている。その間、何も怪奇現象と思われる事は起きていないようであった。


 過去の住人が退去していったのはただの勘違い――。


 篤はあっけらかんとした口調で言っていたが、果たして本当にそうなのであろうか…。


 未だ、千春の背後でぶつぶつと呪詛の言葉を吐く女性を無視し、缶ビールを飲みながら、そんな事を疑問に思うのであった。



 

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