#3

「なんか起こったか?」


「足音と声みたいなのが聞こえたくらいだな」


「うひょー!久々の当たりじゃないか?最近は本当に何も撮れてなかったから楽しみだ」


「‥‥‥カメラ回してる時にそういう事言うなよ?編集でカットするのが面倒なんだからな」


「はいはい」と、ヒラヒラと手を振りながら篤は、家の中に向かって行く。


 1人になった車内には相変わらずあの匂いが微かに香ってくる。それとなく篤に後でこの匂いについて聞いてみようと思いながら、この後の撮影をどうしようか考えるのであった。


 ◇


「なーんも起こらなかったわ。千春だけずるいわ」


「ずるいって言われても困るんだが。この後、家に泊まるんだからまだ何か起こるかもしれないだろ?グダグダ言ってないで、寝袋とか持ってくの手伝えよ」


 未だぶつくさ文句を言っている篤を無視して、家の中に泊まる準備をする。流石に家の中でご飯を食べるわけにはいかないので、車内で少し遅い夕食を取る事にする。



「そういえば、最近彼女でもできたか?」


「いきなりなんだよ。千春も知ってるだろ?あの廃ラブホテルに行ってから彼女はおろか、夜も御無沙汰よ。俺も女とイチャコラしたいのは山々なんだけどな‥‥‥何処かに良い女でも居ないかなー」


「女をその辺に転がってる石みたいに言うなよ。まだあのお守り持ってるのか?」


「あぁ。今日もポケットに入れて持って来たぞ」


 そう言いながら篤はポケットに手を突っ込みながら、お守りを千春に突き出してくる。


「篤のお守りってこんなにペラペラだったか?」


「え?本当だ。中身は見た事なかったけど、固かったはず‥‥‥」


 不思議そうな顔をしながら、お守りの紐を解いて中を確認してみると、紙の様なものが濡れてぐちゃぐちゃになっていた。


「「‥‥‥」」


 自然とお互いに見つめ合う千春と篤。


「ポケットに入れたまま洗濯でもしたんじゃねぇの?」


「それは絶対ない」


 篤は風呂に入る時に必ず、洗濯をしている。その際に必ずお守りは浴室のドアに引っ掛けているそうだ。


 だとすれば、いつからお守りがこのような状態になっていたのだろうか。


「お守りって、中に入ってるのが大事なんじゃねぇの?いつからそうなってたんだよ」


「分からん‥‥‥一回、アマネさんに連絡してみるわ」


 表情を取り繕ってはいるが、顔に怯えのような影が走っている様子がうかがえた。


 それもそのはずである。以前に篤がお世話になった霊能力者のアマネからは『肌身離さずもっていなさい。お守りに何か異変があればすぐ知らせる事』と言われていたからだ。


 いつ、この様な状態にお守りがなってしまったのかは分からない。だが、お守りの異変に気付かずに今まで過ごしていたとなると、あの女がまたやってくるかもしれない。


 数回のコール音が鳴った後に、アマネは電話に出た。篤が事情を説明したのち、俺にスマホを渡しながら「千春に代われだって」と言ってきた。


 困惑しながらも電話を代わると、開口一番に『篤くんに聞こえない所に行って』と絞り出すような声でアマネは言う。


「タバコ吸ってくる」そう一言、篤に伝えてから車内から外に出た。


「それでどうしたんですか?」


『ふぅ。最近、何か篤くんにおかしいことはなかった?』


「お守りの事以外ですよね?そうですね――」


 千春には思い当たる事がある。今日になって篤から漂う女の香り。その事をアマネに伝えると、


『一度篤くんを視てみないと詳しい事は分からないけど、わよ?それもとびっきりのが』


「は?それって篤は大丈夫なんですか!?」


『悪意は感じないから多分、大丈夫だと思うわ。ごめんなさいね?電話越しだとあまり分かる事が多くないのよ』


「そうですか。いえ、こちらこそありがとうございます。また後日、篤の方から連絡させますんで」


『そうね。篤くんにはまだこの事は伝えないでくれる?適当に誤魔化しておいてちょうだい』




 通話をしている最中、千春を不安にさせないように声の震えを抑えるのに精一杯だった。体中が水に濡れたかのように汗をかき、その表情からは疲労の色が濃く出ている。


 自分の手には負えないだろう。それほどまでの禍々しい気配が電話越しでも伝わって来た。


 通話が終わってからも胸が激しく波打ち膝が訳もなく震えている。どうするべきか悩んだ末に、アマネは自身の師匠に相談する事にした――




「アマネさん、なんて言ってた…?」


 不安そうな表情で篤は聞いてくる。


「動画の撮影とは言え、変な場所に行きすぎって怒られたわ。それと、お守りの件だけど大丈夫だってさ。近いうちに連絡してくれだって」


 篤を不安にさせない様に、おどけた感じで言うと幾分か安心したようで、篤の表情も和らいでいくのが分かる。


「良かった…またあの悪夢が始まるのかと冷や冷やしてたわ。という事は、もう俺には憑いてないって事か!?これで俺にもようやく春が訪れるッ!!」


 天に拳を振り上げ、意気揚々とガッツポーズをする篤を見て、千春は何も言う事が出来なかった。



 先程の不安そうな表情は演技だったのか?と、思うくらいに一気に上機嫌になった篤。「飯も食ったしそろそろ家の中に入ろうぜ!」という言葉に苦笑いをしながらも、千春は不安な気持ちが片付かないまま、家の中に向かうのであった。


 ◇


「どうする?別々の部屋で定点置きながら寝るか?」


「そうだな。俺が二階で篤が一階でどうだ?」


「えー?俺が二階が良いんだけど!千春だけ怪奇現象に遭遇してズルい!」


 子供のように駄々を捏ねる篤を見て、大きくため息をつきながら篤の提案を了承する。


 寝る前に一度、家の中を二人で周ってみるが、やはり何も起こらなかった。このまま起きていてもする事がないので、二人は一階と二階に別れて就寝する事にする。



 ――午前1時40分。


 室内は真っ暗に静まり返っている。ときおり二階から篤の寝返りをした擦れた音が小さく聞こえるくらいだ。


 寝袋に身を包み、目を閉じながら先程、アマネから言われたことを思い返していた。


 アマネは無理に明るく話していたような、そんな印象があった。未だ室内はあの甘い香りで包まれている。その匂いが一層、千春に不安感を与えてくる。


 そんな事を思いながら、運転の疲れからか思考がだんだん脱落していって、頭が闇の底の方へ楽々と沈んで行った――






 闇よりも純度の高い黒色をした髪に、白色の着物を着た女性の後ろ姿が見える。その綺麗な佇まいに目を奪われていると、他の人物が居る事に気付く。


 それは、女性の前で座り込んだまま怯える二人の人物。男性は30代くらいで、女性は60代前半だろうか。二人は女性を見上げながら何かを懇願しているように口をぱくぱく動かしているが、声は聞こえない。


 まるで、音の出ない壊れたブラウン管のテレビ画面を見ているような、そんなぼやけた映像。


 途端に女性がすぅーっと二人の方にゆっくりと近づき、右手を軽く振り払うような所作をすると、二人は畏怖の表情を浮かべながら消えていった。


 いつの間にか、小学生低学年くらいの男の子が女性の着物を軽く掴みながら、女性を不安そうな顔で見上げている。


 女性は男の子の目線に合うようにしゃがみ込み、世の中の男性がうっとりする様な微笑みを浮かべ、頭を優しく撫でていた。


 俺はその綺麗な女性の顔に目を奪われ、食い入るように見てしまう。それがいけなかったのだろうか…女性は俺の視線に気付き、視線をこちらに向けると少し驚いた表情をした後に、人差し指を口元に持っていき、切れ長の二重の目を細めて笑った――






「うわぁッ!!はぁ…はぁ。夢…なのか?」


 千春は、バネにはねられたように勢いよく起き上がる。全身、汗でびしょ濡れだった。


 咄嗟にスマホを確認すると、午前5時13分。辺りは薄っすらと明るくなり始めていた。


 妙にリアルな夢…一体、あの女性は何者なのだろう。最後に視線が合うまでは、綺麗で優しいお姉さんといった印象であったが、夢から覚める前に見た女性の笑顔。あんなに恐ろしい笑顔を千春は見た事がなかった。


 寝起きのせいで上手く思考が纏まらない為、外に出て昨日買っておいた缶コーヒーでも飲みながら、煙草でも吸おうと思い外にでた。


 汗を吸ったTシャツに、まだひんやりとした春の風があたり少し肌寒い。煙草を吸いながら先程の夢を思い返していると、突然声を掛けられる。


「あんたら、この家の住人じゃねぇな?なにやってんだ?」


 声を掛けられるまで気が付かなかったが、犬の散歩をしているおばあさんが俺に話しかけてきた。


「あ…おはようございます。そうなんですけど、実は――」


 怪しんでるおばあさんに変な誤解を与えるのはマズいと思い、千春はこれまでの経緯を説明する。



 千春の話を聞いて納得したかどうかは分からないが、おばあさんは縁石の上に腰かけて、ぽつりぽつりと話を始めた。


 「この土地には十年以上前、立派なお屋敷が建っておってな、その屋敷には旦那さんに先立たれた、ばあさんが1人で住んどった。庭の広い畑と田んぼを一人で耕しておってな…儂もよく手伝ったもんじゃ」


 どうやらこのおばあさんは近くに住んでいる方のようだ。遠くを見つめながら話す表情は何処か悲し気に見えた。


「何年経ってからじゃったかのぅ。奥さんと離婚して、子供を連れた息子が帰って来たんじゃ。この息子が、とんでもない馬鹿者じゃった。仕事もせずに昼間から酒を飲んでは暴れてな。田舎じゃから、噂が広まるのは早かった。警察に相談するように皆が言ったんじゃが、ばあさんはいつも断っていた。じゃが、もう耐えきれなかったのじゃろうな…寝ている息子の首を絞めて殺し、家に火を点けたんじゃ。その火事で、孫も死んでしもうてな。自分も庭の木に首を括って自殺したんじゃよ」


 話し終えると、「あんたらも遊び半分でこんな所に来るんじゃない」と言い、去っていった――



 千春が見た夢に出てきた人物は4人。男性とおばあさんと小さな男の子。そして、綺麗な女性。


 もしかすると、この土地で昔あった痛ましい事件の幽霊が、千春の夢に出たのだろうか。ならば、あの綺麗な女性は息子の元奥さん…?と、するならば奥さんはもう――息子が奥さんとどういう別れ方をしたのかは分からない。だが、先程聞いた話から想像するに、ろくな別れ方をしていないだろう。


 女性の恨み程、怖い物はないとこの時、千春は感じた。




「おふぁよー」


 たった今、起きたばかりのような気の抜けた声で篤が挨拶をしてくる。


「…ぐっすり寝れたようで何よりだな」


「いや、寝れたけどさ、下はフローリングだから身体がバッキバキよ。千春も身体痛いだろ?」


「俺は和室で寝たからそれほどでもないな」


「一人だけ畳とかズルッ!!」


「自分で二階を選んだんだろうが。朝から馬鹿な事言ってないで、帰る準備でもしろよ」


 機材を片付け、依頼主の夫婦の元に家の鍵を返しに行ったのは午前9時頃。鍵を返し、俺達は帰路についた。






 帰りの車内でいびきをかきながら、幸せそうな顔で寝ている篤。そんな篤とは対照的に千春の表情は曇っている。


 篤には夢の事は話していない。あの女性が最後に見せた仕草の意味を考えると、夢の話をしない方が良いと思ったからだ。


 たかが夢かもしれない。だが、千春は夢の内容を誰にも話してはいけないと、確信めいた予感があった――



【怪奇の家】~完~






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