第10話 泥濘のイストリア【ニコ視点】

 次の日の朝のことだ。


「は……?」


 身支度を終えて朝食の為にリビングルームへ降りると。

 チルダが朝刊を持ってきた。


……?」

「はい。各地の光泥リームス貯蔵施設タンクが襲撃、破壊されました。昨日の夕方以降、3件です。同時に。……犯人はどちらも、貧民街の獣人族アニマレイス。既に実行犯は捕まっていますが、主犯格はまだ」

「ちょ……どういうこと?」


 頭が回らない。獣人族アニマレイスが? 光泥リームスタンクを襲った?

 ウチヴェルスタン製のタンクが?


「同時に。ニコお嬢様にとってはこちらも一大事です」

「!」


 次の見出しに。

 『インジェン作品の全面禁止』が決定したと記載されていた。


「はぁっ!?」


 飛びつく。チルダから新聞をふんだくって、顔を擦り付けるように食い入って読む。


「……インジェン著『泥濘でいねいのイストリア』に影響されたと、テロの実行犯は語りました。警察が内容を精査した結果。『獣人族アニマレイス』を煽るような内容が書かれていたとのことです。これを受けて、本書を含む全てのインジェン作品が販売中止、過去の販売記録から全ての作品を回収するとのことで」

「一昨日の新刊よっ! 私のは……っ!」

「お嬢様は学校があります。これから私が公園を見てきます。まだ、落ちている筈です。誰も見向きもしない路地裏ですから」

「………………!!」


 なんだ。

 何が起こっている。


「待て。ベルニコ」

「!」


 野太い声。父だ。振り向く。


 私より濃い群青の髪。日々鍛えている鋼の肉体。

 それが、ルミナをロープで拘束してやってきていた。


「ルミナっ!」

「……お嬢様……」


 見たところ怪我はしていない。耳はしょぼくれて垂れているが。父に抵抗はしなかったのだと見える。


「この獣人族アニマレイスは何だ。ウチのタンクを狙う工作員ではないのか」

「違うっ! ルミナはただの元奴隷よ! 私が助けたの! ルミナから近付いてきた訳じゃないっ! お父様!」


 必死に否定する。あってはならない。絶対に。


「……『ルミナ』?」


 ほら。気にした。隙だ。


「そうよ! この子自身が名乗ったの! ルミナス・イストリア! 母と同じ名前なのよ! その謎を、解こうと……!」

「…………お前は『イストリア家』が分かって言っているのか?」

「はぁ!?」


 …………違う。私の隙だ。

 何故、不思議に思わなかったのか。それどころではなかったのだ。本当に、彼女を心配したから。


 何故、インジェンの新刊タイトルと同じ名前なのだ。


「…………すみません。わたしは……何も知りません。知っていません。分かりません。……ただ、奴隷娼婦として泥のように死んでいくのが、嫌で。…………すみません」

「………………っ!」


 ルミナが呟く。その言葉の内に罪悪感があった。獣人族アニマレイスが、事件を起こしたからだ。自分とは関係ないのに。文明を否定して、革命を起こそうとした人達が、居るから。


「都市から、自宅待機命令が出ている。当然、次に狙われるのが『ここ』だからだ。それと、犯人は光泥リームス文明とそれを引率した人間に恨みを抱いている。……狙われるのだ。今日は学校は休みだ。自室に居なさい」

「ルミナは!?」

「…………」


 父は、ルミナを見た。その目は疑いの目。けれど、次に私を見た。それは信頼の目。

 そして庇護の目。慈愛の目。


「日に日に、似てきている」

「!?」

「忘れるな。お前は俺の『全て』だ。だ。お前を死なせない為なら。良いか? ベルニコ」

「…………」


 彼は私に、愛してるとは言わない。恐らく恥ずかしいのだ。母の顔をした私にそれを言うのが。

 けれど、それで良い。私は貴族の娘として『正しく』育てられている。親子間に不和は……無い。


「ええ。信じてお父様。ルミナだってきっと、『イストリア』よ。私、昨日までそれを調べようと思ってたの」


 答えた瞬間。ルミナが解放された。


「分かった。……だがは、我々の文明への挑戦だ。ヴェルスタン家として見過ごせん。俺は都市や国と連携して『真っ当』に捜査をする。タンクが破壊された街の光泥リームス供給バランスも、赤字覚悟でなんとかしよう。お前は……」

「分かってる。インジェンのことと、イストリア家は私とルミナでやるわ」

「……ああ。お前ももう16だ。ぞ。だが、今は危ない。少し成り行きを見ろ。自分達の安全を第一に考えろ」


 ふらりとこちらへ倒れ込んできたルミナを抱き止める。ロープを解く。父は優しく拘束してくれていた。無理矢理縛って、赤く跡が残っていたりはしていなかった。


「ええ!」


 強く。抱き締めた。

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