第55話 居場所

「……私は家令を務めておりますトーマスと申します。あいにく旦那様は不在にしておりまして、奥様は体調を崩して臥せっております。大変失礼かと存じますが、本日はどのようなご用向きでございましょうか?」


トルイユ子爵夫妻への面談を願いでたリシャールの家名を聞くなり、トーマスは狼狽した様子で緊張しながらリシャールの様子を窺う。


「ご令嬢の件で話がある。急を要するため不躾で申し訳ないが、夫人の部屋に案内してもらおう」

「ナビエ公爵令息様!それは流石に……どうかご容赦くださいませ。奥様の身支度を整えますので、準備の時間を頂きたく存じます。こちらへ、応接室にご案内いたします」


淑女の部屋に押しかけるなど礼節を弁えない非常識な人間だと思われただろう。だが強引な手を使ってでも、何か手掛かりを見つけなくてはならない。


一人残された応接室で焦燥に逸る心を宥めながら大きく息を吐いた。

冷静さを欠けば必要な情報を取りこぼしてしまう可能性があり、リシャールの動きがエミリアに伝われば最悪アネットの身に危険が及びかねない。


そこまで考えてリシャールは自分が事態を深刻に捉えていることに今更ながらに気づいた。実際に分かっていることしては、アネットとエミリアが学園からいなくなり、エミリアの侍従が彼女たちの傍にいるという情報だけなのだ。リシャールがエミリアに好意を寄せていると本人が吹聴していたのだとしても、明確な関係を求められたわけでもなくある意味恋に浮かされた者の戯言だと取ることも出来る。

更には学外に出たのはアネット自身であるという点でもエミリアに非を求めるのは見当違いだと言われかねない。


(こんなに不安なのはクラリス嬢と今回のエミリア嬢が似ているからだ)


エミリアはクラリスのように暴力に訴えたわけでもないし、アネットを嫌悪するような言動も取ってはいない。むしろアネットのほうがクロエの一件からエミリアを敵視してもおかしくないのだ。

事態を重く見てエミリアを危険だと思っているのはリシャールの主観であり、客観的に見ればケインのようにアネットを怪しむ声のほうが多いだろう。


それでもまるで誂えたような状況にリシャールは自分の考えを疑うよりも、信じることを決めた。たとえ自分が間違っていようとも、アネットが無事であることが最優先だと思ったのだ。


「ナビエ公爵令息様、トルイユ子爵の妻、アリアにございます。このような恰好で申し訳ございません」

「いやこちらこそ急に押し掛けて申し訳ない。楽な姿勢にしてくれて構わないから、少し話を聞かせてくれ」


アリアは顔色こそ優れないものの、凛とした姿勢で丁寧にリシャールと挨拶を交わす。

侍女がお茶の支度をしている途中であったが、リシャールはそのまま単刀直入に切り出した。


「エミリア嬢と一緒にいた令嬢の行方が分からなくなって探している。心当たりはないだろうか?」

その言葉に夫人と室内にいた侍女と家令が驚きの表情を浮かべる。


「エミリアが……!あの、一緒にいたご令嬢というのはどなたでしょうか?」

「トルイユ子爵夫人、貴女は何があったかではなく誰といたかが気になるのか」

非難するつもりはなかったが、そこに引っかかりを覚えたリシャールが反応するとトーマスが僅かに顔を顰めた。


「失礼しました。奥様はすっかり動揺しておられるご様子。旦那様が戻られるまで私が代わりにお話を伺いましょう。アナ、奥様をお部屋にお連れしなさい」

「勝手に話を進めないでもらおう。俺は子爵夫人と話をしているし、家令が女主人である夫人の発言を遮るなど越権行為も甚だしい。夫人、エミリア嬢と一緒にいなくなったのはアネット・ルヴィエ侯爵令嬢だ」


リシャールの冷ややかな口調にトーマスは押し黙り、アナと呼ばれた侍女は不安そうに視線を動かしている。そんな中でアリアは何かに耐えるように強く両手を握り締めて床を見つめていたが、顔を上げた時にはどこか吹っ切れたような表情に変わっていた。


「わたくしにはエミリアが何処にいるのか、見当もつきません。あの子は随分と変わってしまいました。あの子は恐ろしい怪物です」

「奥様、またそのような妄言を――!お嬢様がどんなに心を痛めておられることか」

嫌悪感を示しているのはトーマスだけでなく、アナも非難するような眼差しをアリアに向けている。


「邪魔をするなと言っているのが分からないのか」

苛立ちを隠さずに告げればトーマスは悔しそうな表情で押し黙る。リシャールの目にはアリアは病人らしく弱っているようだが、その瞳には理知的な色を宿しており、しっかりとした気概の持ち主に見えた。

リシャールが無言で頷くと、アリアはどこか安心した様子で切々と語り始めた。




(俄かには信じがたい内容ではあるが、そう考えれば辻褄が合う)


話を聞き終えたリシャールはこれまでの出来事を繋ぎ合わせて、唇を噛んだ。アリアの言葉が正しければ、アネットが危機的状況にあることは間違いない。問題はアネットの居場所がつかめないことだ。

廊下の方が騒がしくなり、ノックもなしに扉が大きな音を立てて開いた。


「アリア、何をしているんだ!ナビエ公爵令息に妄言を吹き込んで、お前はエミリアが、我が子が可愛くないのか!」

「トルイユ子爵、緊急を要するため押し掛けてしまい申し訳ない」


感情のままに怒鳴り散らすトルイユ子爵に、リシャールが頭を下げると流石に気まずかったようで夫人への叱責を止めて向きなおった。


「これはナビエ公爵令息様、当家に足を運んでいただき光栄ですが、少々不作法ではありませんかな」

「無論承知しているが、人命が掛かっている。子爵にも協力願いたい」

繕った笑みが一瞬不快そうに歪んだが、子爵は慇懃な口調で続けた。


「何でもエミリアの姿が見えないと心配してくださったそうですが、ご安心ください。最近娘の周辺が騒がしいようでしたので、護衛をつけていたところです」

含みのある言葉だが、騒動の原因がルヴィエ侯爵家を差していることは間違いない。不快な当てこすり目を細めたリシャールに子爵は鷹揚な笑みを浮かべる。


「ナビエ公爵令息様も第二王子殿下の側近候補として、何かと気苦労が多いことでしょう。授業を抜け出すなど褒められたことではありませんが、あの子も少し息抜きがしたかったのだと思います。エミリアにはしっかり言い聞かせますので、どうかご容赦ください」

言外に出ていくように伝えられるが、リシャールはこのまま引き下がる気にはなれない。


「トルイユ子爵令嬢の身の安全が確保されているのは分かったが、依然としてアネット嬢の安否が確認されていない。ご息女の行先に心当たりがないのなら、貴殿が所有している不動産の情報を開示してもらおう」


「っ、何の根拠があって当家をお疑いですかな。エミリアはいつも私に心配を掛けまいと嫌がらせのことなど何一つ口にしておりませんが、このような話は伝わるものです。娘を侮辱するような方とこれ以上話すことなど何もありません。どうぞお引き取りを」


家格の差はあれどリシャールは公爵ではなく、その息子に過ぎず子爵に命令できる立場にない。忸怩たる思いを噛みしめたリシャールだが、待ち人の登場で情勢は一気に変わった。


「トルイユ子爵、貴殿に罪人隠匿の疑いがかかっています。どうかご協力を」

書状を手に穏やかに告げたのは、カディオ伯爵だった。


「私は何もしていません!そもそも罪状となるべく罪人について何の記載がないのはどういうことですか?!」

「機密事項に関わるため、内容はお伝えできません。さて潜伏先の疑いがある王都内の物件の所有、管理物件の目録を出して頂きましょう」

落ち着いた態度のカディオ伯爵と対照的に、トルイユ子爵は怒りに顔を染めながら声を荒げた。


「っ、こんな横暴な真似が許されるとでも?!ナビエ公爵令息、カディオ伯爵、この件については然るべき対応を取らせて頂きますぞ」

「ええ、ご自由に。ただし目録の提出が先です。罪状の発行については正式なものですからね。それに――」

カディオ伯爵は一旦言葉を切って、どこか痛ましい表情でトルイユ夫妻を見つめた。


「何事もなければそれで良いのです。私の娘は間に合ったと言い難いですが、それでも最悪な事態を免れました。これはあなた方のご息女にも関することです。どうかご協力を」

その言葉に思うところがあったのか、トルイユ子爵はトーマスに目録を命じた。


トルイユ子爵の保有する不動産は多くなかったが、念には念を入れてカディオ伯爵が残り引き続き調べることになった。護衛に指示を出しリシャール自身も可能性が高い古家に向かいかけた時、アナと呼ばれた侍女がリシャールを呼び止めた。


「エミリアお嬢様は優しい方です!私たちのような使用人にも気遣って言葉を掛けてくれたり、お手製のお菓子やポプリをくださいます。奥様の言葉を鵜呑みにしてお嬢様を疑わないでください」


エミリアがアリアの語ったような一面を持っていたとしても、アナにとってエミリアは大切な主人なのだろう。

必死にエミリアを庇おうとするアナに、その気持ちを蔑ろにしないためにリシャールは無言で頷いた。だがここで意外な反応を見せたのはカディオ伯爵だった。


「……そこの君、ちょっと話を聞かせてもらうよ。リシャール殿は早く行ったほうがいい」

真剣な表情を見せるカディオ伯爵が気になったが、その言葉に後押しされるようにリシャールはトルイユ子爵家を後にした。

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