第54話 齟齬

「アネット嬢が体調不良だとロバート先生に伝えたのが君だと聞いている」


公爵令息であるリシャールからの呼び出しに男爵令息のケインはすっかり怯えている。話が進まないのは困るが、こちらに敵対心を持っていないだけましだろう。


「別に咎めているわけじゃない。その時の状況を教えて欲しいだけだ。君は彼女と親しい間柄ではなかったと思うが、どうして彼女から伝言を頼まれたのだろうか?」


時折向こう見ずなところもあるが、基本的にアネットは慎重な性格だとリシャールは思っている。あまり良く知らない相手に言伝を頼むのは彼女の性格からして、少し違和感があったためこうして足を運んだのだ。


「あの、正確にはエミリア嬢からです。彼女はアネット嬢の体調が悪いから部屋まで付き添いを頼まれたそうで、授業に間に合いそうにないと。一緒にアネット嬢についても早退する旨伝えて欲しいと言われて引き受けたんです」


(エミリア嬢に……)

たとえ体調が悪かったとしても、アネットがエミリアに付き添いを頼むなど考えにくい。大切なクロエを窮地に追い込んだ張本人に借りを作りたくないはずだ。


「君は二人が一緒にいるところを見たのか?」

「はい、アネット嬢は少し離れたところにいて……二人で階段のほうに向かいました」

そう答えたケインの口調にどこか躊躇いのようなものを感じ取って、リシャールは言葉を重ねた。


「どんな些細なことでも構わない。気になったことがあれば教えて欲しい」

まっすぐにケインの目を見ながら頼むと、ケインは緊張した面持ちで口を開いた。


「アネット嬢は体調が悪いようには見えませんでした。どこか焦っているような表情でしたし、それに寮ではなくて正門の方に向かっているようでした。僕は――エミリア嬢が騙されているのではないかと心配で……」


騙されているという予想外の言葉にリシャールは目を瞠った。アネットがそんなことをする性格ではないし、その必要もないからだ。

リシャールの反応にケインは少し不快そうに眉を寄せる。


「アネット嬢はエミリア嬢をいじめたクロエ嬢の妹君ですし、貴方に心を寄せていたというではありませんか。リシャール様にはお分かりにならないかもしれませんが、女性の嫉妬というのは恐ろしいものです。もう少しエミリア嬢を気遣ってあげて――」

「ちょっと待て」


まくし立てるケインにリシャールは思わず途中で遮った。自分が把握している状況との齟齬が大きすぎるし、ケインが断定するような口調でいることも、嫌な予感に拍車が掛かる。


「もしかして君は俺がエミリア嬢に心を傾けていると思っているのか?」

「吹聴しておりませんのでご安心ください。彼女も家格の差を気にしてお相手の名前を出しませんでしたが、リシャール様以外には考えられませんから」


エミリアとはアネットのこと以外で会話を交わす機会などなく、勘違いさせるような言動を取った覚えもない。この状況はクラリスの件と同じではないかと思い至った途端、ぞわりと肌が波立つような感覚があった。だとすればアネットがどんな目に遭うか分からない。


リシャールの顔色を見て、ケインは自分が言い過ぎたと思ったのだろう。慌てて言葉を付け加えた。


「すみません。でもエミリア嬢なら大丈夫だと思います。僕も二人の後を追うべきか迷ったのですが、門の外に彼女の侍従が待機しているのが見えたんです。彼女の護衛も兼ねているそうですから、何かあっても対処できるでしょう」


その言葉が終わらないうちにリシャールは駆け出していた。


「リシャール様、どうなさったのですか?!」

「緊急だ。城への早馬と護衛の手配を。あと移動用の馬を準備してくれ」


息を切らして戻ってきた主に驚いた様子のレイスだったが、リシャールの言葉にそれ以上訊ねることなく行動に移る。リシャールは執務用の机に向かうと、便箋を取り出し必要な内容を端的に記す。乱雑な文字が自分の焦りを表わしているようだが、丁寧に書きつける余裕などなく、戻ってきたレイスに渡す。


「至急の案件だとカディオ伯爵への取次ぎを。護衛は目立たないよう城下に集めろ。俺はトルイユ子爵家に向かう」


トルイユ子爵家にアネットがいるとは限らない。だが闇雲に探し回るよりも確実に情報を手に入れるほうが良いだろう。


(どうか無事でいてくれ……!)

祈るような気持ちでリシャールはトルイユ子爵家へと馬を走らせた。

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