第14話 デレる推しと王子様

「やっぱりお姉様はすごいです!」

一緒に過ごすことで改めてアネットはクロエの実力を思い知らされていた。


出来ていると思っていた貴族の振る舞いもクロエを見ていると、自分の拙さがよく分かる。滲み出る気品は一朝一夕で身に付くものではないのだ。

賞賛の眼差しで見つめていると、クロエが僅かに眉をひそめて言った。


「そんなに見ないでちょうだい。……恥ずかしいわ」

怒っているわけではなく、ただ照れている時の表情だと気づいた時には「尊い!!」と心の中で絶叫したものだ。


「お姉様の所作が美しくて見惚れてしまいました。丁寧で上品な佇まいで本当に素晴らしいです!」

「……ありがとう」

ぽそりと小さな声でお礼を言うクロエの耳が真っ赤に染まっている。


(お、お姉様がデレたーーーーーーー!!可愛いすぎです!!!)


アネットが感動で打ち震えていると、クロエがポケットから何かを取り出した。


「まだ練習中だけど、良かったらあげるわ」

それは小さな一輪の花が縫い付けられたハンカチだった。


刺繍も貴族令嬢の嗜みだが、アネットはまだ習っていない。大体8歳頃から習うものだと聞いていたのに、もうそこまで習っているのかと感心するとともに、詰め込み教育ではないかと不安になる。

だがそれよりも――。


「ほ、本当に頂いていいんですか?!お姉様の手作りの品を頂けるなんて、一生大事にします!!」

「…ハンカチなんだから使ってちょうだい。――あの、アネットが作った栞はまだあるかしら?」


ぎゅっと両手を握り締めた仕草から緊張が伝わってくる。気にしてくれていたのだとアネットは心が温かくなるのを感じた。


「はい、あります。明日持ってまいりますね」

嬉しくて満面の笑みを浮かべたアネットにクロエは僅かに口元を綻ばせた。


「明日はセルジュ殿下がいらっしゃるの」

目を伏せてクロエはそう教えてくれた。数日前から邸内がそわそわした雰囲気なのは察していたが、誰からも聞かされていない以上、義母は恐らく自分を第二王子殿下に合わせるつもりはないのだろう。


謹慎が解けたあともミリーの協力を得て、一緒にお茶をしたり図書館で勉強することも多くなった。デルフィーヌが快く思わないためこっそりとだが、クロエとの仲は良好といえるだろう。


「お姉様の婚約者の方ですよね。どんな方なのですか?」

「そうね。紳士的でとてもお優しい方だわ。初めは緊張したけれど、お茶会の時に何かと気遣ってくれたの」

頬に赤みが差していつもは凛とした瞳が今はどこか溶けたように甘い。


(お姉様は殿下のことをお慕いしているのね。これが意に沿わない結婚だったら何としてでも阻止するところだったけど、安心したわ)


王族との婚約をどうにかしようなど無謀にも程があるが、クロエが関わっているのなら何とかしようと思ってしまう。



「やあ、君がクロエの妹だね」

陽光が反射して眩い金色の髪に翡翠色の瞳がアネットを見た。


「アネットと申します。お目にかかれて光栄です」

「楽にしていいよ。子供だけのお茶会なのだからね」

柔らかい笑みは確かにクロエが言っていたように優しい人柄を感じられる。


(だけど王族に対するマナーはまだ習ってないんですよねー)

突如巻き込まれたお茶会にアネットは笑顔を貼りつけたまま、内心焦っていた。


「今日は第二王子殿下がいらっしゃるの。部屋から一歩も出ることは許しません」


目覚めて早々デルフィーヌがアネットの部屋に押しかけ、言いたいことだけ言ってすぐに出て行った。

特に王子に会いたいとも思わないし、むしろ面倒だと思っていたのでアネットはあっさりとそれを受け入れる。だがジョゼは納得のいかないようだ。


「アネット様もルヴィエ侯爵令嬢ですのに…」

「お姉様の婚約者なのだから、私は会えなくても平気よ」


まだ幼いこともあって、月に1度面会の機会を設けている。12歳ごろに正式な婚約を交わせば王城でしっかりと教育を受けることになるそうだ。

アネットとしてはクロエと過ごす時間が短くなるので、今ぐらいのペースでちょうど良いのだと内心思っている。


部屋から出ないとはいえ、ダラダラ過ごすわけにもいかず大人しく本を読んでいるとノックの音が聞こえた。


「アネット様、第二王子殿下がお呼びですので中庭にお越し下さい」

急いできたのか、額に汗をにじませてミリーが言った。


「でもお義母様は部屋にいなさいと…」

「王子殿下のご要望のほうが優先されますので。――失礼いたします」

瞬く間にいつもより質の良いドレスとアクセサリーを準備されて、身嗜みを整えられると急き立てられるように部屋を出た。


「クロエとはあまり似ていないんだね」


(そりゃあ母親が違いますからね)

浮かんだ言葉は口にせず、別の言葉に変換して答えた。


「ええ、お姉様は妖精のように可憐で美しい方ですから」

アネットの言葉にセルジュは目を丸くして、クロエは恥ずかしげに顔を伏せた。


「……ああ、確かにクロエは美しいな」

「そうなんです!ですがお姉様は美しいだけでなく、気品の中に可憐さもあって、凛とした雰囲気の中に優しさも含まれていて、それからとても努力家で素晴らしい方ですわ!!」


我が意を得たとばかりに言葉を募らせるアネットを見かねたクロエが声を掛ける。


「アネット……やめて。セルジュ殿下がお困りだわ」

「ははは、アネット嬢はクロエのことが大好きなのだな。クロエもいつもよりリラックスした雰囲気だし新鮮だな」


耳が真っ赤に染まっているのに気づいたセルジュが、そう告げるとクロエはますます身の置き所をなくして朱に染まった頬を隠すように俯いた。緊張していた王子との体面だったが、クロエに関することならすらすらと言葉が出てくる。

結果としてセルジュとも話が弾み、アネットは思いのほか楽しい時間を過ごしたのだった。




「あれ、来てたの?」

セルジュが侯爵邸から戻ってくると従弟である公爵令息のリシャールがやって来た。

「ああ、遊びに来たのにお前がいないから待っていたんだ」


王族の遊び相手はどうしても限られている。幸いセルジュには政略や家柄に気を遣わなくて良い同い年のリシャールがいた。顔を合わせているうちに自然と仲良くなり、頻繁にお互いの家を行き来している間柄のため、公的な時を除いて口調も堅苦しいものではない。


「何か楽しそうだな。婚約者に会いに行ったんだろう?」


訝しむリシャールにセルジュは苦笑いを浮かべた。これまでのお茶会は儀礼的な会話ばかりでどちらかといえば退屈だったのだ。

集められた候補者の中からクロエを婚約者に選んだのはセルジュだったが、隙のない様子にどう仲を深めていったらよいかと悩んでいたことをリシャールは知っている。


「うん、面白いことがあったんだ。クロエの妹に会ってね」

それを聞いたリシャールの眼差しが批判的なものに変わる。婚約者ではなく別の少女に惹かれたのかと問い詰められているようで、慌ててセルジュは言葉を継いだ。


「そういう意味じゃないよ。クロエのことが大好きすぎる子でちょっと嫉妬してしまうぐらいだったよ。でもそのおかげで普段と違うクロエが見れた」

「何だ、惚気か」


厳しい視線が弱まって、呆れたような声でリシャールが言った。


「そうなるのかな?でも僕ももっと素直に気持ちを伝えればよかったんだと反省したよ」

「それは仕方ないだろう。俺たちはどうしてもそういう教育を受けるのだから」


王族や高位貴族の家に生まれたのだから、弱点になってはならない。弱みを見せないために本音を口にすることよりも、心を隠すことを優先とするのは貴族としての嗜みでもある。


「同い年なんだろう?俺たちと同じかもな……」


平民に産ませた子供を引き取るのは珍しい話ではない。だがその子供の生まれた時期によっては余計な勘繰りをせざるを得ない。二人目の出産は難しいと言われながらも懐妊した王妃が悲しまないよう保険として、時期を合わせて生まれてきたのがリシャールだ。

何気ない呟きだったが、困ったような笑みを浮かべるセルジュを見てリシャールはすぐに謝罪した。


「悪い、失言だった」

「気にしてないよ。それよりあの子はリシャールと気が合いそうだった」

セルジュの言葉にリシャールは顔を顰める。


「俺は婚約者など要らない。そもそもルヴィエ侯爵は婿を取るために引き取ったんだろう。条件に合わない」

「一度会ってみたら?今度クロエと一緒に王宮に呼ぶからさ」


珍しく食い下がる様子のセルジュを不思議に思ったものの、リシャールにそんな気はなかった


「会わない。お前の婚約者とのお茶会に俺が行けば、邪推を抱く連中がいるだろう」


まだ6歳だから気が変わるかもしれないとセルジュの婚約者の座を狙う者たちは決して少なくない。我儘を言わず分け隔てない優しさを見せるセルジュだが、心から望んだものや事柄に対しては絶対に諦めない一途さと頑固さを併せ持つ。

初の顔合わせで婚約者を決めてしまったのは、セルジュがクロエを気に入った証拠に他ならない。


それから別の話で盛り上がる中で、すぐにクロエの妹について忘れてしまった。リシャールがそのことを激しく後悔するのは9年後のことである。

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