第15話 公文書偽造は犯罪です!

「一体どういうことですか、お父様」

怒りを露わにしたアネットに対してカミーユは僅かに眉をひそめて言った。


「どうもこうもない。お前はクロエの妹なのだから同じ時期に入学できると思う方がおかしい」


本来であればそうなのだろうが、同じ時期に子供を作るような真似をしたのは父なのだ。アネットが咎められる理由はない。そう告げようとしたアネットを制するかのようにカミーユは続けた。


「お前の出生情報に間違いがあったから、修正しておいた」

カミーユの言葉にシリルが一枚の紙を差し出した。公的な証明書に記されたアネットの誕生日は間違いないが、1年遅れて記載されている。


「公文書偽造なのでは?」

「滅多なことを口にするな。お前は幼かったゆえに自分の年齢を勘違いしていた。それだけだ」


話は終わったとばかりに机の上の書類に視線を走らせるカミーユに、アネットは悔しさを押し殺して部屋から出て行った。


(あのクソ親父―!!よくもやってくれたわね!!!)


部屋に戻って何もない空間をめがけて、拳を何度も繰り出す。前世で習っていたボクササイズの延長なので実戦には何も役に立たないが、ストレス解消としては役に立つ。


(だいいち誕生日知ってて無視するとか、子供なら傷つくわ!!)


クロエの誕生日はお茶会を開催し毎年盛大に祝っていたが、アネットの誕生日には何もなかった。誕生日が発覚してからはクロエやジョゼ、そしてミリーがささやかなお茶会を開いてくれたので、不満に思うことはなかったが。


空想上の父親を殴りつけていたところ、ノックの音が聞こえてアネットは額に浮かんだ汗を拭って、淑女らしい穏やかな声で答えた。


「お姉様!!」

今年15歳になったクロエは日に日に美しくなっていくようだ。ミルクチョコレートのような腰高まである艶やかな髪、幼さを残しつつも大人びた表情と凛々しい目元、たおやかな仕草はいつ見てもうっとりしてしまう。


「学園のこと、聞いたの。アネットが落ち込んでいないかしらと思って」

心配してきてくれたのだと分かってアネットの機嫌はたちまち急上昇する。


「お姉様、お気遣いありがとうございます!お姉様と一緒に学園に通うことを楽しみにしていたのですが、公的な記録がそうなっている以上仕方ありませんね」


本当は心底悔しいし悲しくもあるのだが、そのまま表現してしまえばクロエが悲しむ。極めて冷静に残念な思いをにじませながらアネットは返答した。


「…アネットは偉い子ね。私もアネットがいれば心強いと安心していたけれど、もっとしっかりしなくちゃ駄目ね」

儚い微笑みを浮かべたクロエを見たアネットのスイッチが入った。


「……お姉様は私と一緒に学園に通うことは嫌ではないですか?」

「もちろん嫌じゃないわ。貴女は私の可愛い大切な妹だもの」


にこり、と微笑むクロエの表情は心からのもので、アネットは入学条件に抜け道がないか調べることにした。


「見つけたわ!」

「ですがかなりの難関でしょう。そもそも旦那様の許可が下りないのではないですか?」


達成感から目を輝かせるアネットに対してジョゼは冷静な口調で指摘した。

10年近く傍に仕えてくれているジョゼはアネットの奇抜な行動―主にクロエ関連で発揮する行動力―に驚かなくなっていた。


「優秀であることは侯爵家の評判に繋がるもの。単純に却下されないと思うわ」


アネットが見つけた抜け道は特待生枠だ。優秀な人材に教育を施し、国のためにその能力を発揮してもらうことを目的とした特別枠は貴族平民関係なく受験資格がある。そして年齢制限の上限は20歳までだが、下限はない。


「お姉様は卒業と同時に王宮で暮らすようになるのよ。一緒に過ごせる期間が限られているのに、諦めてなるものですか!」

高らかに宣言するアネットをジョゼはもう咎めることなく、諦めたような眼差しを送るのだった。



「何だ、これは?!私は許可していないぞ」

アネットが差し出した入学許可書を握りつぶさんばかりに不快な表情を浮かべてカミーユが言った。


「年齢を満たしていないから入学ができないと言ったのはお父様ですわ。ですが、これは私が学園から特待生として認められた結果なのです。正当な理由なくお断りをするのは失礼かと」


扇子で口元を覆って笑みを隠すが、雰囲気が伝わっているのだろう。カミーユの眉間の皺が深くなった。それでも手元の書類を見ながら視線を彷徨わせている様を見て、入学を許可する利点と不利益を天秤にかけているのが分かる。


「……今回は特別に許可するが、今後は勝手な真似をするな」

仕方がないとでもいうような言葉だが、許可は取れた。


「ありがとうございます、お父様」

にこやかに淑女の笑みを浮かべてアネットは執務室をあとにした。


「うふふふふふふ」

「アネット様、その緩みっぱなしの表情はどうにかした方がよろしいかと思います」

ジョゼが呆れかえった声で告げるが、アネットは一向に気にならない。


「だって、本当に嬉しいんだもの」

アネットは飽きもせず昨日届いたばかりの合格通知書を見ていたが、時計を確認すると素早く立ち上がる。


「お姉様のところに行ってきます」

「クロエ様はまだお勉強の時間ではありませんか?」

「今日は先生の都合で早く終わるの。だから大丈夫よ」


アネットは専属メイドのミリーと同じぐらいクロエの予定について詳しい。姉を慕う姿は可愛らしいのだが、正直ちょっと大丈夫かなと思うぐらいの心酔ぶりだ。

がっかりさせてしまうといけないからとクロエの前では通常通りだったが、自室にこもって黙々と勉強する姿は鬼気迫るものがあった。

昔からクロエが絡んだ時のアネットのやる気は並外れたものがある。


「アネット様…結婚できるのかしら?」

思わず零れたジョゼの呟きはアネットには届かなかった。



「失礼いたします、お姉様」

アネットの姿を見て僅かに口元を緩めたクロエを見て、だらしない笑みが広がりそうになりきゅっと唇を引き締める。


(淑女らしかぬ行動が過ぎれば、お姉様に呆れられてしまうわ)


「どうしたの?何か良いことでもあったのかしら?」


それでも漏れ出す雰囲気は伝わったらしく、精一杯きりっとした表情を取り繕ってアネットがクロエに報告すると、マリンブルーの瞳が大きく見開いた。


「まあ…それは大変名誉なことよ。アネットは本当にすごいわね」

感心したようにため息を漏らすクロエの賞賛に、アネットは飛び跳ねたいのをぐっと堪える。


「ありがとうございます、お姉様」

自分にしっぽがあれば千切れそうなほど激しく振っているに違いない。傍にいたミリーもお祝いの言葉を掛けてくれた。


「本当に嬉しいわ。同年代の子と過ごすことなんてあまりなかったから、少し不安だったの」

恥ずかしそうにクロエが言ったが、それは仕方がないことだとアネットは思っている。


幼い頃に第二王子であるセルジュの婚約者となったクロエを妬む者は多かった。下手に関りを持ってクロエの評判を落とすよりもと極力関わらせないように配慮した結果なのだ。


(お義母様はお義母様なりにお姉様のことを大切に想っているのよね。幼い頃の躾と称した虐待は一生許すつもりはないけれど……)


多分アネットという存在がいなければ、義母の心はまだ安らかであったに違いない。そのことに多少の罪悪感はあったが、そもそもの元凶は父である。


だからこそアネットはこのまま大人しく父の言うとおりに結婚するつもりもなかった。衣食住と教育を受けさせてもらった恩はあるが、残りの自分の人生を侯爵家のために使うなどまっぴらごめんである。


クロエと過ごすことは最優先事項だが、学園での3年間を使ってアネットは自立する術を見つけるつもりだった。


「お姉様、次のお休みの日に一緒に街にお出かけしませんか?学園で必要なものを揃えましょう」


アネットの提案に笑顔で頷くクロエを見て、アネットはこれからの学園生活に思いを馳せた。

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