生き恥を晒しても
無事にサルサ川への撤退を成功させたヨーゼフは、ブルーノを連れて森の境界付近までまた戻ってきていた。木々の隙間からゴブリンの里に築かれた壁を眺める。地下通路へと続く野路は死体の山となっていた。
「そんな…なんて………ことだ…」
「投入した戦力すべてを消失したか…」
流血の無い死体が100人以上も地面に横たわっている。二人は予想以上の地獄絵図に絶句し、すぐに言葉を失ってしまった。まだ微かに残る異臭のなかで、二人はただ黙ってその光景を見つめることしか出来なかった。
それから数分、突如、死体の山が動き始めた。
「生存者か⁉」
ヨーゼフはそのうごめく物体の正体を確認する為に木々の陰から身を乗り出す。死体の山の方を見つめていると、ついに生存者が這い出てきた。
生存者の男は目に移った光景をただ呆然と立ち尽くしたままだった。煙を大量に吸った影響か、頭を片手で押さえながら、ふらふらと辺りを徘徊し始めた。すると他の死体の山からも、モゾモゾとなにかが動くのが見えた。
気が付くと4.5名の生存者が死体の山から現れ始めた。彼ら彼女らも先程の生存者と同じように、この散々たる惨状を目の当たりにし、体をふらつかせながら呆然と立ち尽くすだけ。
だが次第に目が合った他の生存者たちの方へ、お互いが歩み始めた。意識もしっかりと戻り始めたのか、仲間の安否を確認する声も聞こえ始めた。何人かは近くの倒れている仲間たちを介抱し始めている。
「これからどうする?」
ブルーノがヨーゼフに問いかけた。ヨーゼフはブルーノの方を一瞥もせず、生存者たちの方を見つめる。少しの間が空いて、ヨーゼフは喋り出した。
「一旦……川まで退避させた仲間たちのもとに戻ろう」
「…分かった」
ブルーノは呆然と壁の方を眺めるヨーゼフを見つめながら、短く返事をした。そして不意に立ち上がったヨーゼフの方を小さく溜息を吐きながら歩いていく。川岸の方までたどり着いた二人は、仲間たちが待機しているところで足を止めた。
ブルーノはヨーゼフの横で、彼の方を見つめる冒険者たちを眺める。殆どは力が抜けたように地面に座っていた。立っている者も、もう訝し気な表情を隠そうともしない。すでに彼ら彼女らの多くは戦意を喪失してしいるに違いない。そしてこれから見てきた光景を離せば、この場にいる全て人間がそうなるはずだ。
ヨーゼフは全員の顔を一通り眺めたのち、微かに鼻で空気を吸いながら口を開いた。
「あの煙は予想通り毒ガスと見ていいだろう。被害に関してだが、私が見た限り、あの壁中央にいたほぼ全ての仲間が殺害された」
ヨーゼフの口から出た言葉に、冒険者たちは目を見開いたまま固く口を閉ざした。全員が”ありえない”という表情浮かべたまま、何一つ言葉も発せずに、黙ってヨーゼフの方を見つめることしか出来ない。
「それでも数名ほど生存者はいたが…私の命によって突撃を開始した120名の部隊の9割以上は先の毒ガスで死んでしまった……今、我々の残存戦力は142名。金等級と元金等級が1名ずつ、銀等級は18名、銅が41名で、鉄が81名だ…作戦開始時の半分以上を失ってしまっている。敵勢力撃破の最大の障壁となるオーガとゴブリンはまだ死んでないだろう…もし残りの戦力で敵を殲滅し、令嬢を助けられたとしても…多数の被害が出ることは防ぎきれない…これ以上の被害が出れば、選帝侯による介入がなくともスチューデンの冒険者ギルドは壊滅する……」
ヨーゼフの話しが綴られていくに連れて、愕然と眼を見開いていた冒険者たちの表情が次第に重々しく地面に垂れ下がっていった。もう、作戦は失敗したのだ。もうこの期に及んで、まだあの壁に向かって戦いに向かおうとする者たちはいないだろう。
「だからもう我々が戦う意義はなくなった。そしてこのままスチューデンに帰還すれば、我々の冒険者ギルドは、選帝侯の軍によって容赦なく解体されるだろう……だから…私はこの場で宣言する!!今をもってスチューデンの冒険者ギルドを解散する!!!お前たちは生きて、必ず街まで帰還しろ!!その後は…すまないが…頑張って就職先を見つけてくれ……それじゃあ全員!!解散!!」
そう叫んだヨーゼフを、全員が呆気に取られていたように見つめていた。だがヨーゼフはそれ以上、なにも言うことはなく、ただ地面に座る冒険者たちを見つめるだけであった。次第に冒険者たちも彼の言葉を受け入れたのか、少しずつ、また少しずつヨーゼフの元から離れて川を渡っていく。
そして最後に残ったのはブルーノだけだった。
「何をしてる、早くお前も行け」
ヨーゼフは微笑みを浮かべながら両手で、”この場から立ち去れ”とブルーノにジェスチャーを送る。彼女は黙ったままその鉄兜の隙間からヨーゼフの顏を見つめた。
「………死ぬ気か」
「まさか、俺がそんな男に見えるか?」
彼女の問いにヨーゼフはあっけらかんと答えた。
「ああ、今のお前はな」
だから彼女もそのように答えた。
兜の隙間から彼が小さく笑うのが見えた。
いつぶりだろう…、、
またこうしてお互いの口調を真似して笑いあったのは。
「俺を逃げのヨーゼフと呼んだのはお前だろ……リーゼ」
ヨーゼフは地面を見つめながらそう呟いた。私が怒って以来、この男は自分の本名を呼ぶ時は、必ず後ろめたそうに眼を逸らす。
「ああ、今も私たちから逃げようとしてる」
彼女の返事に、ヨーゼフは川岸に生えた小さな花を見つめながら小さく笑った。
「なぁ…勘弁してくれよ」
「お前の方こそ…勘弁してくれ」
「…は?」
ヨーゼフは返ってきた返答に戸惑い、見つめていた地面から彼女の方を向いた。そこには、顔全体を覆う鉄兜を脱いだ、リーゼの顔があった。最後まで溜めていた涙は、兜を脱いださいの揺れで、一筋だけ頬を流れた。そしてまた一筋、一筋と彼女の頬を涙が伝っていく。
「最後ぐらい、私の顏も見てくれないのか…?」
泣いたリーゼの顔を見て、ヨーゼフは苦笑いを浮かべた。
「なんだよ急に…お前らしくない……いつも…そんなこと言わないじゃないか」
「あぁ…いつもはお前がそばにいてくれたからな」
「なんだよ……それ…なんで…そんなこと言うんだよ…」
「だってお前っ…!死ぬんだろっ…⁉」
涙を一杯に貯めた彼女は、ヨーゼフの胸を叩いた。
彼の胸に顔を沈ませ泣いていく。
ヨーゼフが彼女の頭の後ろに手をやると、遂に二人の目が合った。
そして眼を閉じた彼女の背中を、彼は優しく抱き寄せた。
静まり返った森の中で、風に煽られた木々が擦れる音が聞こえる。二人の脚元にはただ一輪の花が咲くだけ。木々の隙間から二人を見つめていたリスは、小さく鳴くと、つまらなそうにすぐにどこかへと消えて行ってしまった。
この時間になんの意味があったか、それは二人にしか分からない。二人にしか意味のないこと。それが無くともこの世界は周り続ける。だが二人はまた最後にお互いを見つめ合った。
「…らしくないのはお前の方だ…いまお前が戦ったところでなんの意味もない。いったい何の為に戦う?」
「好きな女の為…って言いたいところだが……このまま仲間たちが街に帰還したらなんて言われると思う?」
ヨーゼフの問いに彼女は苦々しい表情を浮かべた。
「ゴブリンに負けて逃げて出した…臆病者か……」
「ああ、このまま行けば選帝侯に、冒険者ギルド解体の正当性を与えるだけだ。なんの役にも立たない、ゴブリンにすら勝てない冒険者よりも、選帝侯の軍に守ってもらった方が良いと」
「だが今更、それを阻止することは出来ないだろ?」
鉄兜を被った彼女の言葉に、ヨーゼフは笑みを浮かべながらうなずいた。
「でも俺が死んだらどうなる?」
「まさかお前……」
「ああ、現役を引退したとはいえ、金等級に次ぐ実力者が殺されたとなったら、街の連中も、選帝侯も少しは警戒してくれるんじゃ…ないかってな……」
ヨーゼフはそう言いながら、苦笑いへと変わっていく自分の顏を隠そうと、再び地面の方へ視線を逸らした。リーゼはそんな彼にまた詰め寄ると、声を上げながら彼の両肩を掴んだ。
「馬鹿げてる…そんなことの為に死ぬ気か⁉お前が生きて帰って、皆に説明すればいいだろ⁉お前が言えば、街のみんなも選帝侯だって耳を傾けてくれるっ…!」
だがヨーゼフは静かに首を左右に振るう。
「だめだ…選帝侯が俺の言葉に耳を傾けてくれるなら、最初からギルドを解体しようとしなかっただろう…それに街の評議会も…彼らはあのゴブリンを目にしてない。このままだと負けが決まった俺が、必死にゴブリンの脅威を説いたところで、解体から逃れるために…嘘をついて、弁明しているようにしか見えないさ…」
「だって…そんなのまだ……」
「もしそうなったらどうする?…誰もあのゴブリンの脅威を知らないまま、呑気にこの森を開拓していくだけだ…それまでに何十年かかるか分からないが…あのゴブリンが産まれたのは少なくとも、俺が二体のオーガを殺害して、ゴブリンの勢力を川の向こうまで後退させた、15年よりは後だ……人類の勢力が奴と接敵した頃には…奴は今以上に強くなっているだろう。何百発の銃弾が直撃して生きているバケモノに、余計な時間を与える訳にはいかない…もうこれはっ、俺たち冒険者ギルドの存続とか、そんなレベルの話しじゃないんだ!……今のうちに芽を瞑っておかなければ……この大陸に………七番目の超越者が生まれてしまう…可能性だってある…」
ヨーゼフの話がどれほど信憑性があるものか、今の彼女に理解することは出来なかった。彼女は彼の肩を握りしめる両手を震わせながら、また彼の胸に顔を沈ませた。彼女の眼を見ることが出来ない鉄兜の中から、彼女の言葉にならない声が微かに漏れていく。
「……お前は壁の近くにいる生存者たちを連れて、撤退した仲間の元まで合流するんだ。まだこの森には凶悪なモンスターが沢山いる。奴らから仲間を守って、スチューデンまで送り届けてやってくれ…」
「なあ、本当に…行くのか……」
壁の方まで移動したリーゼは、ヨーゼフの左腕を握りしめた。始めて遠くの方で見た壁は大きく見えたのに、近くで見ると小さく見える。自分の身体能力なら簡単に飛び越えられる。
「………私も行くよ」
「馬鹿なこと言うなっ!オーガとあのゴブリンに勝てると思うか…」
「二人ならいけるさ」
「お前っ……いいか、ゴブリンに襲われた女は………」
「………分かってる…」
「分かってない!頼むよ…最後ぐらい……俺の言うこと聞いてくれ…」
自分の固い胸に沈んだ彼の頭を、彼女は固い手の平で優しくなでた。
「じゃあ私の言うことも聞いてくれ……もう…全てを捨てて…私の故郷に帰ろう。そこで、村一番の冒険者になるんだ。私たちならきっと…村の英雄になれる。村を襲う凶悪なモンスターを倒して、暇な時間は畑で野菜を作って暮らすんだ…二人きりで……ぁっ……それか帝都に行こう!!そこでまた一から始めるんだ!お前の老体が許す限りでな、銅等級だって、頑張れば家族の一人や二人は養える…一度でいいから…帝都の白い街並みを見てみたかったんだ……」
「…確かにそっちの方が楽しそうだな。ゴブリンの相手をするよりは」
「そうだろ?だから…」
でも――。
涙をぬぐった男は、自分の手を握ろうとした彼女の右手を振り払った。
「…なんで」
「俺がお前に逃げのヨーゼフって呼ばれるまでに…俺は三人の仲間を犠牲にした…初めてオークと戦った時のことだ…俺たちは伏兵に気がつかなかった…俺以外の三人とも負傷しているのに…伏兵の存在に真っ先に気づいた俺は……全員を見捨てて逃げた。今でも後悔はしてない…でも…また……俺は仲間を死なせた…俺の一回の命令で…百人以上が死んだ……もう…これ以上、俺より若い奴を無駄に死なせるわけにはいかないんだ……だから…頼むよ…ここから逃げてくれ…」
彼の言葉に、彼女は掴もうとした右腕を地面に下げた。
「そうか…分かったよ……もう…どうしてもダメなんだな」
そう小さく呟いた彼女の顏は、兜を被っているせいでなにも見えなかった。自分の胸元まで近づいた来た彼女を、ヨーゼフは最後に抱擁をする。彼女もヨーゼフの背中に手を回す――そしてそのままヨーゼフの両足の間に片足を入れて絡めると、そのまま体重を乗せてヨーゼフと一緒に地面に倒れた。
「ぁ⁉ぬぉ⁉お前っ!」
咄嗟のことで全く反応できていなかったヨーゼフを彼女は鼻で笑うと、馬乗りになった彼女はヨーゼフの首を絞める。
「がっ!…おま…なっ……」
「殺しはしない、少し眠ってて貰うだけだ」
彼女の兜から小さく笑い声が漏れた。
「格好つけてたところ悪いけど…今のアンタは私より弱いんだよ」
「っ…くそがっ…や……っ……」
彼女はそう言うと、抵抗するヨーゼフの首を握りしめる腕の力を強くしていく。すると、抵抗するヨーゼフの手の力は次第に抜けていった。次第に歪んでいく視界の中で、真っ暗闇の兜の中、なぜか彼女の瞳が光るのが分かった。
「ふふふ…アンタはこれから死ぬまで一生、逃げ恥の糞雑魚種馬ヨーゼフさ!」
兜にある、外を見るための小さな穴から透明の滴が、ヨーゼフの顏に垂れ落ちる。
彼女は泣いていた。
「……女冒険者は一度パトロンを選んだら、冒険者を止めるまでその男に寄り添わなきゃいけない…それがギルドの掟だ…でも私はまだ冒険者を止める気はないんでね、もう少し付き合ってもらうよ」
「なん…で……泣…てる」
彼は力を失っていく右手を彼女の頬に伸ばした。オリハルコンの兜はとても固く、そしてとても冷たかった。
「アンタが言ったんじゃん!!超越者が生まれるかも知れないって!!でも私はさぁ!…正直いって…世界の平和とかどうでもいいんだっ…冒険者になったのも…自分より強い男の下で…甘い汁吸いたいだけだったし……でも…なのに…アンタに出会った…」
「ズルい事しか考えてなかった私に…アンタは性懲りもなく色んなことを教えてくれた…敵との戦い方を…生き残る術を…人としての誇りを…仲間をっ…失いたくないのがお前だけだと思うなよ!!!」
「もし世界が滅んだら…誰もいない所でひっそりと暮らそう…いいでしょ?ヨーゼフ…こんなに綺麗な女の種馬になれるんだから…」
彼女のその言葉を最後に、ヨーゼフは意識を手放した。
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