狂いだした歯車

遂に作戦が始まった。いや、始まってしまった。俺が取り逃がしたオーガと、謎のゴブリンの存在。待ち受けていたのは魔法で作られた巨大な壁。ゴブリンと攻城戦など想定していなかった我々には、大砲など一門もない――冒険者時代の頃の自分であれば、この状況で戦う選択は絶対にしない。


それが腰抜けだと言われようともだ。俺が20年以上を冒険者として生きてこれたのは、俺が勇敢だからじゃない。どんな時でも、生き残るために最善の選択を選んできたからだ。


だが、今の我々には時間がなかった。選帝侯より与えられた依頼の遂行期間は二週間。あと五日しかない。スチューデンまでに二日、選帝侯のいる首都ベルンまで丸一日ほど。そうなると我々に与えられた時間は二日だけ。最悪、この里に令嬢が囚われていなかった場合も考えて、余裕を持っても、今日中にはこの里を落とさなくてはならない。


それにだ、この大規模な集団戦闘に慣れていない冒険者たちをまとめ上げなくてはならないのに、指揮官である私が怖気づいてしまっていれば、冒険者たちの士気が下がるだけだ。


「偵察部隊からの伝令です!!」


誰一人とて口を開けない重々しい天幕の中、一人の冒険者が中に入ってきた。


「どうした?」


ヨーゼフが短く問いかけると、男は肩で息を吸いながらヨーゼフに向かって口を開いた。


「例のゴブリンと思われる敵からの攻撃にあい、隊長のフランツが重症!またエルゼやほか数名の護衛隊員も、地面の雑草に同化していた無数の棘を踏み、負傷しました!!敵からの攻撃も激しく、作戦の続行の為に援軍を要請したい!!」


伝令から聞いた言葉に、天幕に居た全ての人間が動揺をしていた。フランツのレベルは13と、スチューデンの冒険者の中でもかなりの上位にあたる。波大抵の攻撃であれば簡単にさばける。だからこそ、この危険な任務の隊長に選んだのだ。それにフランツは反射神経を活性化させる指輪をつけていたはず。その彼がまだ作戦が始まってすぐに重傷で倒れるなど――。


「……フランツは…いまどうなってる…そのゴブリンからの攻撃は?」


声の力が抜けたようなヨーゼフの問いに、伝令の男は苦々しい表情を浮かべた。


「私がその場を離れる時には…すでに気を失っているようでした……脇腹の半分が失っており、そのゴブリンからの投石が当たったようです…」


「なんだ…それは……」


石を投げただけで人間の、それも13レベルの身体能力を持つ人間の脇腹をえぐれるなど、どう考えても普通のゴブリンではない。十中八九、オーガを取り囲んでいた冒険者たちを殺害し、オーガをこの里まで招き入れたゴブリンに違いない。


だが奴が前に出てくるなら好都合だ。


「今すぐに各部隊に伝令を!!全軍を森の境目まで前進させろ!木の陰に隠れながら、壁の上に居るあのゴブリンを倒す!!」


ヨーゼフが指示を飛ばしたことで、静寂と化していた陣幕の中は急にあわただしくなり始めた。それから数分後、270名の銃を持った冒険者たちが、壁中央付近の森の境目に集合した。


ヨーゼフは木々の木陰から、小さな望遠鏡を覗きながら壁の上を確認する。その時だった、壁中央の胸壁の間から、一匹のゴブリンが身を乗り出した。


手には拳サイズの石を握りしめている。


「今だ!!!壁中央のゴブリンに向かって撃てえぇええええ!!!」


その瞬間――270発の銃弾が壁の上に立つゴブリンめがけて放たれた。

耳を張り裂くような爆発音が連続で三回なった。

たった三回の爆発音で270発の全てが放たれた。


辺り一面があっという間に白い煙に覆われていく。その煙が晴れた時、壁の上で一匹のゴブリンが倒れていた。冒険者たちの間から歓声が上がる。ヨーゼフも思わず”ほっと”息が漏れた。


倒れたゴブリンの周りに、何匹ものゴブリンたちが集まって来ていた。まるで大切な人を失ったかのように、体を抱きかかえ、摩りながらなにかを叫んでいる。


やはり例のゴブリンで間違いなかったか。


「まだ敵は見えてる!!すぐにピストルに持ち替えて撃つんだ!!」


だがヨーゼフの指示は先程まで静かだった森の中とは違い、冒険者たちの歓声や話し声にかき消されてしまっていた。だがそれでも散発的に冒険者たちから銃声がなっていく。しかし弾幕の密度が足りず、ゴブリンたちはすぐに胸壁の後ろに隠れてしまった。


そして人間側の銃撃に呼応するように、ゴブリンたちからも矢や石などが飛んでくる。これを鼻で笑う奴から先に死んでいくのが戦場だ。銀等級以上で全身を鎧で守っていれば別だが、低レベル帯の冒険者には十分に脅威になる。


戦争は全てにおいて不確定要素に溢れている。

だがそれでも、あのゴブリンが倒れた今――。

見つけた勝利への鍵を捨てる訳にはいかない。


「中央のギュンター部隊とヘレナ部隊は!壁中央に向かって突撃を開始しろ!!他左右の部隊は中央部隊を守るために援護に回れ!!」


ヨーゼフの指示に従って、壁中央付近にいた二部隊が地下通路に向かって突撃を開始した。この反撃に出る前に、偵察部隊の伝令から、地下通路へと続く野路には棘が生えていない事は分かっている。


当然、その通路へと誘い込むための罠なのは分かってる。だがあのゴブリンが倒れ今こそがチャンスなのだ。生き残るためにはリスクを回避しなくてはならない。だが、勝つためにはリスクを取ってでも、チャンスを掴まなくてはならない時が来る。


今がそれだ!!


突撃を任せたギュンターとヘレナの部隊はそれぞれ60名ずつの冒険者がいる。合計で120人。現在いる戦力の半分近くだ。どんな罠、どんな敵が待ち受けていようと、必ず通路を突破しなくてはならない。


だが突撃を開始してから十分、依然として突撃部隊の半分ほどしか通路の中に侵入できていなかった。その隙を付いて、通路の外側にいる冒険者たちに向かって、上からゴブリンたちの攻撃も激化していく。


死者こそ少ないが、後方へと下がった負傷者はすでに20人を超えていた。


「伝令です!!」


ヨーゼフが眉間にシワを寄せながら壁の方を見つめていると、伝令係の男が走ってきた。


「どうした⁉前線の状況は⁉」


「地下通路に伏兵はなく、順調に侵入できたものの、途中で仕掛けられていた落とし穴によって4名の死者が出ました!また通路の入り口付近は広いものの、奥に行くほど狭い作りになっており、先頭は人一人がやっとの広さしかありません。そのため通路の入り口で待ち伏せている敵からの攻撃に対処できず、すでに10名近い死傷者がでています!」


「っ…クソったれが!ブルーノを――」


伝令の話を聞いたヨーゼフがブルーノを呼び出そうとした瞬間――彼の声を掻き消すほどの大歓声が壁の向こうから聞こえて来た。


ヨーゼフは咄嗟に木の陰から壁の方を望遠鏡で見つめる。すると壁の中央に集まっていたゴブリンたちが歓声を上げながら拳を上に掲げていた。


「まさか…もう復活したのか…?」


オーガは銃撃で膝をついても死にはしなかった。

あのゴブリンもそうだとしたら…。

もしこの状況で例のゴブリンが復活したらどうなる?

壁中央の地下通路に集まる部隊を、オーガとゴブリンで挟撃されて終わりだ。壁の上にいるならともかく、地面に降りて来たら……たった一匹のゴブリンを倒すために、地下通路に密集した仲間の元へ弾幕を撃ちこめるわけがない。


でもまだ例のゴブリンが復活したと言える、確実な証拠はない。敵の歓声がそれを誘うためのブラフの可能性だって捨てきれない。仮にこの状況で部隊を撤収させて何が残る?戦力の多くは生き残れるだろう。刻一刻と迫るタイムリミットの中、無駄に時間を浪費し、いたずらに負傷者を出して、最大のチャンスを無駄にした。


離反者は続出し、あとに残るのは私への失望だけだ。

そうなれば選帝侯による冒険者ギルドの解体は免れない。


でもこのまま突撃をさせていいのか?

あのゴブリンが復活した可能性があるなかで、負傷者も時間がたてばたつほど増えていくのに…。


……分からない…あぁクソっ…どうすれば…。

なにか策は……。


ヨーゼフは遂に頭を抱えながら地面に両膝をつけてしまった。いくつもの激戦も戦い抜いて来た歴将たちがいれば、この現状を打開できる秘策があったかもしれない。でもヨーゼフは一介の元冒険者にして、ここ数年はギルドの中で接待と事務仕事しかしていない。


この状況で歴戦の将が一言だけ助言できるのなら、そもそもゴブリンが壁を築いて籠城戦を選んだ時点で、そしてそれを予測できなかった時点で、”詰み”なんだ。君に与えられた猶予はあと二日しかないのだから。令嬢が生きていようと死んでいようと、この里に居るか、居ないか関係なくね、と。


だから冒険者全員を今すぐに撤退させて、夜逃げでもするしかない。


「ギルド長…なにか前線部隊への伝言は……」


「……もう……もうっ…だって…っ⁉⁉あれは⁉」


伝令の言葉に頭を抱えていたヨーゼフが顔を上に上げた時だった――通路付近に集まっていた部隊が見えなくなるほど、壁の中央付近から大量の白い煙が漂っていた。


地下通路にいる仲間が銃を撃ったのか?疑念を抱きながら壁の方を見つめるヨーゼフの鼻が、微かに煙の臭いを感じとった。これは?硝煙の臭いじゃない…嗅いだことがない臭いだ…なにか…ほのかに甘い……。


ヨーゼフが臭いを感じ取った瞬間、ヨーゼフが右手の小指にはめていた、指輪が光り出した。この指輪は周辺から毒物を感じとると光る魔道具だ。


「まさか⁉突撃部隊を森の中まで撤退させろ!!」


ヨーゼフが前線部隊から来た伝令に指示を飛ばす。だがその伝令係は口を手で覆いながら地面に膝をつけていた。


「おい!なにして…おい!大丈夫か⁉」


伝令係の肩を抱きかかえ、声をかけても青年は反応しなかった。眼半開きのまま動かず、完全に意識を失っていた。壁の方を見ると、東から吹く風に煽られて、積乱雲のように巨大となった煙の波が、どんどんとこちらの方まで流されてきていた。


ヨーゼフは後ろに居た各部隊と繋がる伝令たちに急いで指示を飛ばす。


「全部隊!!急いでサルサ川まで撤退しろ!!!」


ヨーゼフから指示が飛んだ瞬間、固まっていた伝令たちは飛び跳ねる様に、左右へと走っていった。ヨーゼフは前線部隊から来た伝令の青年を背負うと、近くにいた護衛の銀等級と共にサルサ川に向かって走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る