桜の木の意味は

 ダイニングに移動した私たちの前にネモさんが手際よく料理を並べていく。用意してくれたのは、豆のトマト煮と白パン、それにきのこのクリームスープにサラダ。


「さぁ、どうぞ。気になる話もあるんだろうけれど、まずは腹ごしらえ。おなかが空いていると碌なことにはならないからね」


 ネモさんの言葉に、ありがとうございます、と頭を下げて、クリームスープを一口。

 豆乳で作られているのだろうか。ミルクよりも少し軽くて、優しい暖かさが空っぽだったおなかに広がる。知らぬ間に入っていた肩の力が抜けて、ほぅ、と吐息がもれる。と、それはスイとリシア君も同じだったようで。

 

「はぁ、沁みるっす。なぁ、スイ」

「……うん。美味しい」


 リシア君の言葉にうなずくスイの口元も僅かにほころんでいる。その姿に満足そうにうなずくネモさん。

 

「持ってきた木片は桜の木のものなんだ」


 スープの入ったお椀を見つめたままスイがぽつりと話し始める。

 

「俺の家の庭の桜の木。この前の雷に打たれて丸焦げになっちゃってさ」


 その言葉にネモさんの眉間に皺がより、哀しそうな顔になる。


「せめて残された木片で何か作ろうと思ってさ。ノームの爺ちゃんに相談したの」


 ぽつりぽつりと語られるスイの言葉。私たちは口を挟むことはせずにただその言葉を静かに聞いていた。


「そしたら、思い出をアクセサリーにしてくれるっていう宝飾師を紹介してもらってさ。でも出来なかった。木片の生命力が足りないんだって」

 

 俯いたままスイの言葉は続く。


「それで、ここまで来たんだけどさ」


 スイが一旦言葉をきって、またスープをひと掬い口に運ぶ。うん、美味しいな、そう呟いたあと。


「その桜の木ってさ。父ちゃんが植えたんだって。今の家で暮らすって決めたときに」

「えっ」


 ずっと黙って話を聞いていたネモさんの口から驚きの声がこぼれる。淡い青紫の目が大きく見開かれた。


「サクラ様がご自身で家の庭に桜の木を?」


 その言葉にスイが無言でうなずく。


「じゃあ、サクラ様はヨシノ様たちのことを」


 そこまで言って言葉を失うネモさん。私も今ならその意味がわかる。ジアさんは言っていた。春の里のエルフは春の花を通して遠くを見聞きすることができるって。そのことはもちろんサクラさんだって知っていたはずだ。その上で自分の家の庭に桜の木を植えた。きっとカイトさんも知っていたのだろう。そのことが示す答えはただ一つだ。


「許していたのね。でも、ジアさん達はその気持ちに気が付けなった」


 サクラさんとカイトさんは精一杯歩み寄っていた。ジアさん達に手を差し出していたのだ。私の言葉にネモさんの表情がますます曇る。

 

「ホタルさん、それだけじゃないっす。彼らはスイの気持ちも見なかったことにした。そうだろ?」

「「えっ?」」


 リシア君の言葉にスイがサッと目を逸らす。驚きの声を上げたネモさんと私を見て、リシア君がスイに断りをいれる。


「スイ、話すぞ」


 その言葉にスイの肩が跳ねる。でも、嫌だ、とは言わなかった。その姿を見てリシア君が話を続ける。


「スイは村にたった一人のハーフエルフだったんす。辛いこともたくさんあったはずっす。でも相談したい父親はすでに亡くなっていて、一人で必死に自分を育ててくれている母親には相談しずらい。となるとスイはどうしたかって話っす」

「「あっ」」


 ネモさんと私が思いついたのは多分同じこと。私たちの顔を見てリシア君がうなずく。


「父親の残した桜の木は愚痴を聞いてもらうのにもってこいだったんじゃないんすかね」

「なんてことを」


 リシア君の言葉にネモさんが頭を抱える。


「悩んでいたスイを見ていたのに、知っていたのに、ジアさん達は何もしなかったのね。ただ自分たちがしたことでサクラさんに嫌われていると思い込むだけで」

「ホタルの言うとおりだよ」


 いつの間にかスイがこちらを向いていた。しっかりと顔を上げてネモさんを睨みつけている。深緑の前髪の隙間からピンクの目が煌めく。


「父ちゃんの気持ちも、母ちゃんの気持ちも、俺の辛さも悩みも、あいつらは全部無視してたんだ。自分たちを可哀想がるだけでな。何が、会いたかった、だ! 今更そんなこと言われて信じられるはずがないだろ! 第一、あのジアってばばあは俺たちにしたことを一言だって謝りもしねぇじゃねぇか! 勝手なことばっか言ってんじゃねぇよ!」


 スイの言葉でハッとした。言われてみればジアさんは後悔を口にはしていたけれど、謝罪の言葉は一度もなかった。謝りもせずに再会を喜ぶだけなんて、それは随分と虫のいい話だ。

 スイの言葉にネモさんは言葉を失い、私もなんて言っていいのかわからなかった。その場を沈黙が支配する。


「別にどうだっていいんだ。今までだってあんた達のことなんて知らずにいた。俺は明日の朝、木片を持って帰る。それでおしまい。ここには二度と来ないし、あんた達にも二度と会わない。お得意ののぞき見がしたいならしてればいいさ。今度は俺にも嫌われたって、可哀想がってりゃいいんだよ」


 そう言うとスイがダイニングを出て行こうとする。と、ドアの前で一度立ち止まる。


「料理残してごめん。美味しかったよ。母ちゃんの味に似てた。ネモさん、あんたは何も悪くないのに巻き込んでごめんな」


 スイはそのままこちらを振り返らずに今度こそ部屋を出て行こうとする。


「待つんだ」


 出て行こうとしたスイを止めたのはリシア君だった。いつの間にかスイの腕をしっかりと握っている。


「おい、離せ」

「スイ、ヨシノとやらに会おう」

「はぁ?」


 リシア君の言葉にスイがあからさまに嫌がる様子をみせる。

 ちょっとリシア君、何を言っているの? 確かにこのまま喧嘩別れは残念だけれど、これは時間をかけて徐々に解決していく問題だよ。今すぐに打ち解けろなんてスイには酷過ぎる。そう思ったのだけれど。


「折角ここまで来たんだ。文句は全部ぶちまけていこう。今までの恨み、全部晴らしていこう」

「はぁ?」「そっち?」


 予想外の言葉にスイと私の声が重なる。


「いやいや、リシア君、そこは相手の気持ちを思って仲直りしようよ、って諭すところでしょ」

「えっ! そんなの無理っすよ。ホタルさんがスイの立場だったらできるんすか?」

「いや、それは無理!」


 黄緑の目を大きく見開いてこっちを見るリシア君に思わず即答してしまう。

 ごめん。ジアさんは悪い人ではないのだろうなぁ、とは思うけれど、さすがにそれは無理だわ。


「でしょ。俺もそんな無茶言わないっすよ」

「でも文句をぶちまけるのはちょっと」

「俺も別にそんなことしたいわけじゃねぇし」


 ためらう私にスイもうなずく。スイとしては結局のところ木片の問題が解決すればそれでいいのだろう。


「甘いっす! 駄目っす! 言いたいことは言いたいときに言う! 相手がずっといるなんて保証はどこにもないんすよ」

「あっ」


 その言葉で思い出す。そうだ、リシア君はご両親を亡くしているんだった。道具屋はおじいさんと二人でやっていたそうだけれど、そのおじいさんも私がリシア君と出会ったときにはすでに亡くなっていた。リシア君の身内って聞いたことがない。

 

「スイ、後で悔やむより、今だぞ! 墓場に向かって文句言ったって空しいぞ!」

「リシア」


 スイも事情を知らないなりに何か感じるものがあったみたいで、リシア君の言葉に黙り込む。

 その沈黙を破ったのはまさかのネモさんだった。


「いいでしょう! 俺がヨシノ様のところに連れて行きましょう! スイ、文句ぶちまけちゃいなよ」

「えっ?」


 予想外のところから上がった声にスイが驚きの声を上げる。


「スイが怒るのはもっともだし、ヨシノ様たちには文句を言われる筋合いがきっちりある」

「いやいや、あんたは向こう側の人間だろ。あいつらを裏切っていいのかよ」


 スイの言葉に私とリシア君もうなずく。さすがにそれはまずいでしょ。


「う~ん。でも理屈は通っているしね。それに」


 そこで言葉を区切るとネモさんがスイの目の前にたつ。そして、ぐっとスイの顔をのぞきこむ。


「スイは文句言いたくないの? ここまで来てお行儀よく帰るより、一発ガツンと言いたくない? サクラ様たちの思いを晴らしたくない?」

「それは」

「それは?」

「それは……したい。なんならきっちり謝らせたい。許さねぇけど」


 スイの言葉にネモさんが満足そうにうなずく。


「でしょ。じゃあ、連れていくよ。といっても今日は遅いから明日ね。睡眠時間が減ると肌が荒れるし」


 えっ? 嘘でしょ? どこがどうなって、こうなった? 話の展開が急すぎてついていけない。それはリシア君も同じようで私の隣で口をパクパクさせている。


「さて、話は済んだし、ごはんを再開しよう。すっかり冷めてしまったね。それじゃ、ほいっと」


 ネモさんが軽く手を振ると冷めきっていたはずの料理から湯気があがる。


「さぁさぁ、今度こそ温かいうちに食べてね。そう言えば、空腹だと戦はできないんだってさ。東のエルフから聞いたことがあるよ」


 唖然とする私たちを他所にさっさと食事を始めたネモさん。私たちは目を見合わせたものの言い返す言葉も、否という理由も見つからず。結局は温め直された食事を再開することにした。

 ちなみにどれもとても美味しかったです。

 

 

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