8話 チャンネル登録お願いします。
最近ではテレワークなどの働き方改革が進み自宅で仕事を行う企業も増えている。
時代の流れかこのホテルでもテレワーク用のワーキングルームという部屋が一部の客室に用意されていたりする。
鍵付き、完全防音でネット環境があり、広くて機材も整っているの四拍子。ここなら動画配信環境も十分ある。
――まあ、つまり何を言いたいかというと黒瀬さんのいう動画配信はこの部屋で行われる……それだけならまあ良かったのだが……
『おつ!』
『待ってた』
――どうしてこうなった……
パソコンの画面に流れるコメント欄。そこには大量の文字が書き込まれており、大半がこの俺に対するものだと思うとなんだかゾワゾワしてくる。
吐きそう、泣きそう……なんで俺はマイクの前で座っているんだろうか……?
「朝陽さん、気を確かに……」
隣りに座っていた七葉さんが声を拾わない程度の大きさで話しかけてくる。
「こ、これが……落ち着いていられると思うんですか……?」
「気持ちは分かりますけど表に出てしまった以上は仕方ないです。今は配信に集中しましょう」
優しく諭すように話す七葉さん。その言葉にしぶしぶ頷く。全ては後ろでニタニタしている悪女のせいだ。見学とか宣っておきながら……くっそ、完全にはめられた……
本当は今すぐ暴れてここから逃げてしまいたいのだが、なんの罪もない七葉さんの生放送を台無しにするわけにはいかない……後ろでムカつくほどニタニタしてる黒瀬さんだけの生放送なら躊躇なくぶち壊せたのに。
「はい、それでは今回は新メンバーの朝陽葵さんに来てもらってます。朝陽さん、自己紹介をお願いします」
「ええ、えっと、みみ皆さんこんにちは。あ、あ……あさひ……あ、葵……と申します……」
取ってつけたような名前だけど他に何か無かったのだろうか? 男らしさの破片もない弱々しい声に恥ずかしさがこみ上げてくる。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
もういっそ殺して欲しい……
「ぶ……くくく……」
後ろで必死に笑いをこらえてる女がいるのが腹立つ。もういっそのこと殴ってやりたいぐらいだが、今はこの放送を成功させることに集中だ。
『声可愛い』
『緊張してる?』
『かわいい……』
流れる文字を見てさらに体が強張る。うぐぅ、Vとかああいう系の配信のノリってあんまり好きじゃないのに……
「突然だったのでアバターは用意できませんでした。ご了承ください」
緊張しまくりな俺とは裏腹に落ち着いている七葉さんが視聴者に対して補足説明をしてくれる。
『なる』
『把握』
『ななちゃん今日も可愛いよ』
コメントの反応は上々だ。中には七葉さんに対するメッセージがあるあたりやっぱり人気があるんだなって思う。
流石は三万の数字を抱えるナナイロ夜空だ。彼女がゲームやら何かしてるとは予想はついていたが、七葉さんのもう一つの姿が配信者だったなんて……
「今日はあさ……葵さんに対する雑談枠になります。リスナーさんから質問があれば答えていきたいと思います。何かあればどうぞ」
『絵見せて?』
『何歳ですか?』
『色違い魔獣図鑑どうなったの?』
『彼氏いますか?』
・
・
・
怒涛のように流れていくコメントたち。正直全部見切れない……どれから答えればいいのか分からない。
「七葉さん……」
すがるように助け声を漏らすと察したのか、すぐにフォローを入れてくれる。耳打ちで「全部答えようとしなくてもいいです。朝陽さんが答えやすそうなやつ、目に入った質問に答えればそれでいいです」と教えてくれる。流石、慣れているだけあって頼りになるな。
え、えっと……目、目に入ったやつでいいのか……じゃ、じゃあまずはコレからかな?
「え、ええ……絵は昔から3歳ぐらいの時から描いていました……昔は暇さえあれば描いていた気がします。流石に今は1日数時間くらいでしょうか……?」
『そうなんだ』
『本当に声可愛い』
俺が答えるたびに増えていく反応の数。こんな大勢の前で話すことなんてないからすごく緊張する……心臓がバクバクいって今にも口から飛び出しそうだ。早く終わってくれぇ……そんな俺の願いとは裏腹にコメントはさらに加速していく。まるでマシンガンみたいだ。
『最近ハマってるアニメはありますか?』
「あ、ああ、え……えっとですねっ! こ、今期だと“魔鳳少女ホウカ”見てましゅ……す」
……あ、噛んだ……死にたい……恥ずかしい、恥ずかしすぎる……思わず顔を伏せてしまう。きっと今の俺の顔は茹で蛸みたいに真っ赤だろう。
『可愛い』
『可愛い』
『噛んでるw』
『かわいいいい』
コメントを見ると案の定というかなんというか……思わずパソコンから目を背けて手で顔を覆ってしまう。なんでこうも俺の発言には可愛いがついて回るんだよ……普通に考えておかしいだろ? 男が情けなくも噛んだだけだなのに……
「朝陽さん、気を確かに……」
励ますように声を掛けてくる七葉さん。情けない姿を晒してしまって申し訳ないな……優しさが心に沁みて少し泣いてしまいそうになるがなんとか堪える。
こんなグタってたら不快っていうか、呆れてる視聴者もいるだろうな。ちらりとパソコンのコメント欄に目を通すと……
『初々しい感じ好き』
『今の可愛かったよ』
『ファンになりました』
予想とは裏腹にドジっぷりを蔑むようなものはなかった。むしろ好評っぽい……? なんでだよ? みんなどうかしてるぞ? それともあれか? 最近の流行りはこういうドジっ娘属性なのか? いや、そんなの聞いたことないぞ? 流行とかじゃなくてこれはただ単にこの人たちの感性が特殊なだけだと思う……たぶん。
とにかく、これ以上は恥は晒すことはできない。気を引き締めていかないと……そう思っていた時だった。
ピロン♪ そんな音が鳴り響くと共にパソコンのチャット欄に『5000』という数字が表示される。
なんだこれ? 何かのカウントか? いきなり現れた謎の数値に首を傾げる。
「あ、投げ銭きましたね。これは優先的に読んでください」
そんな俺に気づいた七葉さんが声をかけてくる。スパチャというやつか……こんな噛み噛みな奴に金を使うとか物好きな人だな……
「えっと……な、天海さんありがとうございます……」
指示通り送られてきたコメントにあった名前を言ったあとに感謝の言葉を述べる。
「コメント汲んであげてください」
カチカチとマウスを操作してコメントを見やすく表示してくれる。
「え、えぇ……えっと――いつも見てます。新メンの葵さん凄く可愛くて好きです。良ければ絵を描いて――……」
そこまで言ったところで言葉が詰まってしまう。あのときのトラウマがが脳裏にフラッシュバックする。
『トレパクしたくせによく言うわwww』『あんなん誰が見てもアウトでしょww』
「――――」
ダメだ……手が震える……またあの時のことを思い出す。嫌な記憶が蘇ってくる。せっかく忘れかけていたのに……どうしてこんな時に……
「朝陽さん……?」
「……ん?」
七葉さんと黒瀬さんの声が重なる。その声で我に帰る。
「あ、い、いや……なんでも……」
「顔色悪いですよ?」
「そ、そんなことないです! あ、あはは……」
心配かけないように無理やり笑顔を作る。今はそんな過去のことよりもこの人たちの期待に応えないといけないんだ。生配信を失敗するわけにはいかない。
「え、絵……ですか? 描くのはいいですが……そ、その、機材が――」
「安心しろ、こんなことがあろうかと液タブを用意しておいた」
いつの間にか後ろにいた黒瀬さんがタブレット型の液タブを俺に渡してくる。用意周到というか絶対に狙ってたよなこのタイミング……ほんと性格が悪い。
手渡されたタブレットを受け取るも画面を見るだけで手が止まる。
『トレパク乙ww』
『さっさと消せよクソガキ』
あの時の言葉が……書き込まれた悪意のある文字が頭の中で再生される。呼吸が荒くなる。怖い……もし、この人たちにまで否定されたら俺はもう立ち直れないかもしれない……
「朝陽さん……? 朝陽さん!」
「――ッ、は、はい!」
突然声をかけられ意識が戻る。顔を上げると二人が心配そうにこちらを見ていた。
「さっきから大丈夫ですか? 具合が悪いなら無理しないでください」
「大丈夫です……! もう治りましたから……!」
「それならいいですが」
「…………」
心配そうな顔をする七葉さんと沈んだ表情をしている黒瀬さんを安心させるため必死に笑顔を作りながら答える。正直まだ手は震えているし大丈夫ではないんだけど、なんとかこの放送は乗り越えな――
「あ……」
タブレットをパソコンに繋いだところで思い出す。基本、デジタルイラストを書くにはそれなりの時間を掛けてソフトの設定やインストールなどをしなければならない。久しぶりにデジ絵やったからその辺忘れてた。
そのことをすっかり忘れていた俺の顔を見て察したのか、七葉さんが声をかけてくる。
「もしかしてですけど、今すぐは無理な感じですか?」
「……うん」
「それは仕方ありませんね――皆さんすいません、現在環境設備がまだ整っていないようなので、今日のところはイラストは無理そうです。あくまで今回は雑談メインでお送りしたいと思います」
マイクに向かってそう呼びかける七葉さん。するとコメントが『残念……』という声と共に『待ってる』という文字が流れる。思ったよりも心待ちにされていることに驚きつつ申し訳なさを覚える。
その後は視聴者と一時間程度の雑談を行い、イラストは次の配信――つまり、明日のお昼から行うということで話をまとめて放送を終えた。
『葵ちゃん可愛かった!』
『次楽しみにしてます!』
『チャンネル登録しました』
流れるメッセージを見つつ配信を切る。とりあえず何とかなったのかな……? 配信終了ボタンを押したあとに椅子にもたれかかる。どっと疲れた気分だ……でも不思議な充足感があった。
「お疲れ様です、急なアドリブに対応してくれてありがとうございました」
後ろから飲み物を渡してくれる七葉さん。缶ジュースを受け取り喉を潤すとさっきまであった恐怖心が和らいでいくのが分かる。どうやら相当緊張していたようだ。
しかし、どうしたものか……不本意ながら生放送で本格的にイラストを描くことが決まってしまった。
「はぁ……」
白い天井を見ながら大きなため息を吐く。一度は人前で書くことをやめたはずの俺がこんなことに……サークルの問題、自分自身の問題、イラストの問題……色んなことが濁流のように流れて頭の中で渦を巻いている。
――どうしよっかなぁ……と、明日のことを憂いながら液タブを見つめるのだった……
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