第44話 指輪が見せた光景
カザリナが落下の末に着地したのは、地下の空洞である。小部屋程度の広さがある、不自然な空間だった。自然の産物と言うよりは、何者かが掘り広げたような印象を受けた。
そんな中で再会を果たした2人だが、お互い向き合ったまま動けない。カザリナも、ウセンも、時が止まったかのようだ。
やがて片割れが問いかける事で、事態が進み始める。しかしぎこちない。落ち着き払った仕草のカザリナはともかく、身振り手振りの激しいウセンは、混乱ぶりを隠そうともしなかった。
「カザリナ様……どうしてこんな所へ。しかも、たった1人だなんて」
「それは、ええ。マズシーナを救うためです」
「マズシーナ? 一体何の話をしてんですか?」
ウセンは知らない。魔獣の襲撃は鉱山から始まり、街までも危機的状況に追い込んだ事を。
カザリナは理路整然と説明した。そうして事態を認識したウセンは、頭を抱えて震えた。
「なんてこった……それじゃあ助けなんて期待できない! どうやって抜け出したら良いんだ!」
「泣き言など後になさい。この近くに、魔獣のボスが居るはずです。それを倒しに行かねば」
「えっ、倒すだって!? そんなん無茶ですよ!」
「いえ、無茶ではありません。父が私に、進むべき道を示してくださったのですから」
カザリナは、今も輝き続ける指輪に手を添えた。これまでの出来事は全て、脳裏を過ぎった光景と一致している。幻の『紙芝居』を順当に追いかける事が出来ているのだ。
問題はここからだ。眼も眩む光が煌めく中、火焔女王を滅ぼすシーンを見たのだが、どうすればそこに至るのかが分からない。プロセスが完全に不明だった。奥へ進むか、或いはここに留まるべきか。それすらも分からないのだ。
そもそも、どのようにして敵を打ち破るかも、定かでなかった。地中深い闇の中で、溢れんばかりの光を放つとは。状況再現は困難を極めた。
「カザリナ様、ともかく隠れましょうよ。あんなヤバい敵は、アクセルさんに任せりゃ良いんです」
「アクセル……あの天下無双の剣士様ですね?」
「そうですそうです。どうにか彼と連絡がつけば、あんな魔獣なんて一撃なんです! 僕が保証しましょう!」
ウセンが手前勝手にも、景気良く言う。カザリナも、彼に縋れるのならと思い、通魂球を取り出した。それはアクセサリーのように、金の鎖を通して首から下げていたのだ。
「聞こえますか、カザリナです。ニルハム、聞こえたなら応答を」
彼女が呼び出そうとしたのは、鉱山の現場監督だ。これまでに幾度となく連絡を取り合った経緯がある。なので、不審がらずに答えてくれると信じていたが。
「カザリ……様……? いかが……ましたか。マズシーナ……なのでは?」
「ニルハム。よく聞こえません。声が途切れ途切れです」
「……リナ様。聞こえ……おりませ……。われわ……そ……」
カザリナはかぶりを振ると、通魂球を胸元に戻した。
「これでは会話など出来ません。落下した時に壊れたのでしょうか?」
「たぶん、違うかも。この辺は精霊石ばかりなんで、魔法の発動が不安定になりがちです。火霊石ばっかりだから、炎属性は扱いやすいけど」
「魔法については、よく分かりません。ともかく、連絡を取る手段が無い事。それは間違いありませんね」
「ええ、仰るとおりで。何というか、絶望的すぎて笑えるっつうか」
「やはり、このまま討伐に向かうべきでしょう。今この瞬間も、マズシーナは決死の防衛を続けているのですから」
1人歩みだすカザリナ。その背後を、ウセンは引き止めつつも、並んで歩いた。
「あのね、カザリナ様。どっかに隠れるべきですよ。火焔女王はメチャクチャでかくて、まともに戦える相手じゃないですってば」
「強制はしません。私は行きます」
「そっ、そこまで言うなら! 僕だってやりますとも! カザリナ様を危険に晒すなんて、殺されたってゴメンだ!」
「ウセン。アナタは……」
私を恨んでいないのですか。過去の事だと水に流したのですか。それとも覚えてすらいないのですか。あの霧雨の日の出来事を。
いくつもの言葉が、脳裏を駆け抜けてゆく。しかし、口からついたセリフは、全くの別物であった。
「敬語はおやめなさい。いえ、やめて欲しいの」
「ええと……それはまた、どうして?」
「これが最期かもしれないから。だったら、カブルソンの名なんて忘れたい。1人の人間として、ただのカザリナとして、生きてみたい」
「でも、僕みたいな貧民相手に。色々と大丈夫なんですか?」
「アナタは嫌? 私と対等に接するのは」
「とんでもない! 僕はカザリナ様がやりたい事を、最優先したいなぁ! うんうん」
「それから『様』も禁止ね」
「ええーーッ!?」
ウセンは驚きのあまり立ち竦(すく)んでいると、カザリナに先を進ませてしまった。小走りで追いかけた所、追い抜きざまに彼は見た。
カザリナの頬が、心なしか緩んでいる。鉄面姫と呼ばれた、喜怒哀楽の消え失せた公女が、明確な感情を露わにしたのだ。
「み、見間違いじゃないよな……?」
ウセンは思わず眼を擦ってしまう。するとやはり置いてきぼりをくらい、再度、慌てて追い越す。
ここは敵中で無かったか。まるでピクニックにも似た浮かれようだった。今ひとつ緊張感に欠けている。
そうして空洞を進み、横穴にまで移動。その穴は大きく、鉱山の坑道であるかのようだ。身をかがめる必要もなく、易々と入り込むことが出来た。
「ところでカザリナさま……」
「ウセン。約束したわよね?」
「か、か、カザリナ! 先に行くのはやめてくださ……なよ。ここは危険なんだ。僕の後ろについておいで」
「まぁ頼もしい。冒険者として活躍しているという噂は、真だったのね」
「だって、とにかく頑張ったもの。夢というか、願いの為にさ。それはさておき、いつ敵が出てくるか分からないから……」
その言葉は呼び水となった。行く手から火焔アリが2匹ほど現れ、突進してきた。
「ウセン、あそこに魔獣が!」
「任せて! ファイヤーランス!」
ウセンは杖を煌めかせては、魔法を発動させた。鋭利な炎が火焔アリ目掛けて投げつけられる。それは見事に命中、爆発、誘爆。戦闘は危なげなく終わった。
「すごい……すごいわウセン! こんなにも強いだなんて思いもしなかった!」
「アハハ、そう褒められると言いにくいんだけど。実はもう、魔力がほとんどなくて。夜中からずっと戦い通しだったから」
「でも今さっき、魔法を唱えたけれど?」
「これのお陰さ」
ウセンは腰の革袋をまさぐると、掌をカザリナの前に差し出した。その上には、小砂利にも似た石が多く煌めいている。
「火霊石の欠片だよ。そこらに落ちてたのを、手当たり次第に拾ったんだ」
「それで魔法が使えるようになると?」
「あくまでも魔力の補填だね。魔法が使えない人にとっては、キレイな小石でしかないよ」
「なるほど。状況はやはり厳しいのね。気を引き締めていかなくては」
「だからコッソリと隠れてね、静かに助けを待ちたかったんだけど……」
「それは却下で」
「だよねぇ〜〜」
ウセンは気の抜けた返答をしつつも、警戒心を緩めなかった。暗がりからは足音が消えず、間断なく聞こえたからだ。
「見つけたぞ魔獣め、ファイヤーランス!」
猛々しく燃え盛る炎の槍。敵を貫き、何匹も連鎖させて葬っていく。順調に勝ちを収めてはいる。しかし、限界は間近であった。
「さすがに、しんどいな……。昨晩から一睡もしてないから」
「ウセン、上!」
「えっ……!?」
カザリナが指差す方、天井には一匹のアリが張り付いていた。そして急襲。ウセンの頭を目掛けて一直線だ。
この攻撃、燃えるでは済まない。急所の首を切り裂く角度だ。かわせなければ命は無かった。肉弾戦を苦手とするウセンは、やはり反応が鈍い。
「ダメ! やめてーーッ!」
カザリナは叫ぶとともに、ウセンに向かって駆けた。差し出す右手。眩しく光る指輪。
すると次の瞬間、指輪から凄まじい閃光が煌めいた。漫然と周囲を照らす灯りとは異なり、指向性のある、まるで意志を宿したかのような光だった。その光線は火焔アリの腹に当たると、いとも容易く貫いた。
それで火焔アリは黒煙を吐いて、消滅する。ウセンの頭上には、前足の先端などの残骸が降り注ぐだけであった。
「うわ汚いッ。そして臭いぞコレッ!」
「ウセン、大丈夫!? 怪我はない?」
「うん、お陰様で。それよりも何だい今のは。まるで攻撃魔法のようだったけど」
「分からないわ。これは父の遺品で、困ったときに縋れと言われただけで……」
そこまで言うと、カザリナの脳裏に閃く。陽の差さぬ地下空間で、眩さに包まれながら火焔女王を倒すとは、この指輪を使うのではないか。
「そうよね。他に方法なんて、ある訳がないもの」
「カザリナ……?」
「さぁ行くわよ。一刻も早く倒さないと」
2人はそれからも坑道を進んでゆく。魔獣の抵抗はまばらだった。坑道、空洞、坑道空洞と繰り返し踏破してゆく。
やがて、一際広い空洞へと辿り着いた。動くものは無いのに、どこか不穏な気配の漂う、不気味な空間だった。
「なんだ……誰も居ないはずなのに。冷や汗が止まんないよ」
「ウセン。壁の方」
「壁……。って、何だこれ!?」
灯りに照らされた先、壁際にはベージュの塊が見える。尋常な数ではない。人間大の物が密集する様は、何だと分からなくとも、本能的に恐ろしく思う。
「卵だ。コレ全部、魔獣の卵だよ!」
「それじゃあ、ここが本拠地という事ね?」
「多分そうなのかな」
天井は高く、左右も端まで照らせない。ここまで暗くなければ、地上の巨大建築物に迷い込んだと錯覚しているところだ。
そこに数え切れぬほどの卵が、やたらと産み付けられている。まさに無数と言うしかない程に。
「かゆい! 見てるだけでもう……かゆかゆッ!」
「これだけの数、処理なんて不可能ね。やはりボスを倒すしか……」
その時だ。辺りに濃紫の稲光が駆け抜けた。砂煙の隙間に、多数の火焔アリが現れるのを見た。
「クソッ! 待ち伏せか!?」
「油断しないで。敵も本気みたいよ」
暗闇から、地鳴りにも似た足音が響く。人を超える程に巨大なアリ。火焔女王が現れたのだ。
「アハハ……。敵さんも容赦ないなぁ。大軍にボスまで出てくるとか」
「とにかく闘うわよ、ここで勝てば終わるんだから!」
「分かってるよ。炎よ敵を貫け、ファイヤーバレット!」
火球は細かな炎に分裂しては、アリ達の頭上から攻撃した。
まるで降りしきる雨のようだ。そして多くのアリを爆発させ、ほとんどを葬り去った。しかし、最大の脅威だけは無傷であった。
「ダメだ、女王を倒すには火力が足りない。もっと強い炎じゃないと!」
ウセンは袋をまさぐるが、火霊石の残りは僅かだった。もはや継戦能力など無きに等しい。
「当たってくれ、ファイヤーランス!」
猛々しく燃え盛る炎が、火焔女王に向かって飛んだ。頭を貫く。はずが、僅かに逸れてしまう。背後の壁を燃やしただけに終わる。
もはやウセンに戦う力は残されていない。絶望から膝を屈し、その場に打ちひしがれた。
「そんな……最悪だ! もうお終いだ!!」
「いえ、まだ終わってないわ!」
カザリナには確信があった。暗い地中、相対する火焔女王、打ちひしがれる男と側に立つ自分。
まさに、指輪から伝わった光景の、最後のシーンと符合する。
「悪しき者よ、消え去りなさい!」
カザリナの意志を受けて、指輪が神々しく輝いた。光は集約され、閃光となって火焔女王に襲った。
文字通りの光速だ。回避など不可能で、確実に直撃する。そう思われたが、またもや光線は逸れてしまい、壁だけを焼いた。
「そんな、どうして!?」
「わかったぞ。アイツ、とんでもなく素早いんだ! 巨大な足を曲げ伸ばしして避けてる!」
「なるほど。だったら、避けられないようにしてあげるわ」
「カザリナ! 何をする気だ!」
ウセンが引き止めるのを聞かず、カザリナは真正面から突貫した。対する火焔女王は、大牙を広げて迎え撃つ。
「これでも喰らいなさい!」
カザリナは間合いの外で、何かを投げつけた。暗闇で金色に煌めくそれは、通魂球の首飾りだ。当然だが武器ではない。敵の頭に当たっては地面に転がるばかりだ。
しかし隙は出来た。火焔女王がよそ見をする間、カザリナは地面を滑りながら一気に間合いを詰めた。
「至近距離で避けられるかしら? お父様、力を貸して!」
カザリナは立膝になって体勢を整えると、指輪を構えた。光線の出力はこれまでで最大。彼女の意図を反映したかのようで、空洞が光で埋まるほどに眩しくなる。
破壊力も凄まじい。閃光は天井に当たるなり、硬い岩盤をも貫き、大穴を作ってしまう。そして光が止んだ時、巨大なる敵も姿を消していた。
「やった、遂に倒したのね。私達は恐るべき魔獣を……」
「危ない、カザリナ!」
突如ウセンが覆いかぶさったかと思うと、続けて衝撃が走った。2人まとめて吹き飛ばされ、地面に転がされてしまう。
火焔女王の反撃だった。無傷同然の魔獣は、大きな前足で横薙ぎに払ったのである。
「そんな……倒したはずなのに!」
「う、後ろから見えていた。アイツ、普段はノッソリ動くくせに、ここぞと言う時はすんごく速い……。横飛で光線をかわしていた……ゲホッゲホ!」
「血……? ウセン、あなたは怪我を!?」
カザリナは身を起こすと、ウセンの身体が力なく転がった。その背中からは、大量の血が流れ出していた。
「私をかばって……! 死なないでウセン!」
「逃げて、カザリナ。僕はもうダメだ……。せめて君だけでも、無事で……」
「嫌よ、もう一度あなたを裏切るだなんて。そんな事をするくらいなら、戦って死んだ方がマシよ!」
カザリナは指輪を構え、狙いを定めた。何度でも攻撃する。一撃でも当たれば倒せると信じて、果敢に挑む。そして2人揃って生還するのだと、勇ましく誓うのだ。
「絶対に、ウセンと地上へ戻ってみせる!」
叫び、指輪から光を放とうとする。
しかし、指輪の純真石は、硬い音と共に崩れ去っていった。遂に限界を迎えてしまったのである。
「そんな!? まさか、こんな所で……」
もはや戦う術は皆無だ。床には気絶したウセンが倒れ、彼が遺した照明魔法が明滅するばかり。その僅かな灯りが、ノソリノソリと歩み寄る火焔女王を照らした。
遅い足取り、いたぶるかのような振る舞いだ。しかし、最期の言葉を告げるだけの猶予を与えられてもいた。
「ごめんなさい、ウセン。私にもう少し勇気があったら、母に逆らうことが出来たら、あの日の結果も違ったと思うの」
ウセンをそっと抱き寄せる。まだ温かい。意識まで残っているかは、よく分からなかった。
「生まれ変わったら、また会いましょう。次の人生こそ、2人で一緒に……」
火焔女王が迫る。眼前だ。後は噛み殺されるか、なぶり殺されるか。カザリナは力強くウセンを抱きしめ、最期の瞬間を待った。
だがその時、視界の端に新たな光を見た。それは先程カザリナが開けた穴だ。見間違いだろうと思うものの、光はみるみる内に強くなる。
そして遂には、目がくらむ程の眩しさになった。カザリナの指輪とは比較にならない、まるで太陽が舞い降りたかのような圧倒的光量だった。空洞は瞬く間に光で満ちてゆく。
「そこに居たか魔獣よ!」
どこか聞き慣れた声だが、それを火焔女王の絶叫が打ち消した。敵もあまりの眩しさに、酷く戸惑っているようである。
そして穴から人影が飛び出した。姿かたちまでは分からない。
「我が刃を食らえ!」
スフィン、スシャア!
カザリナは攻撃動作が見えなかった。ただ眩さの中、人影が一撃のもとに切り捨てた残身だけが、瞳に映る。
そして火焔女王も、耳障りな奇声を発しながら身悶えする。その巨体が、七色の光に包まれて消えるのに、大して時はかからなかった。
「うむ弱い。奇策を弄さねば、この程度か」
突如として現れたのはアクセルである。脈絡なしに登場したかと思えば、アッサリ苦もなく倒してしまい、戦闘に終止符を打った。
この急展開。カザリナはその場で呆けては、ひとときだけ我を忘れるのだった。
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