第35話 千金を一攫せよ

 公女とのお茶会を終えた翌日、アクセル達はギルドで待ちぼうけをくらっていた。相棒が一向に姿を見せないのだ。



「何してんでしょうね、あの人?」



 サーシャは自身の青い頭髪をとかしながら言った。寝泊まりした結果、細かいワラが髪に絡まっているのだ。やっぱりまともな宿で眠りたいと、内心で呟く。



「昨日の今日だ。まだ体調が芳しくないのでは?」


「いやいや、さすがに『三日酔い』とか有り得ないです。引きずってでも連れてきましょうよ」



 アクセルはサーシャを伴い、早朝の貧民街へ向かった。先日の夕暮れ時とは打って変わり、人の往来はまばら。道の至る所に、木串やら布の切れ端やらのゴミが散らばる事を除けば、快適な大通りである。道に迷うこともなく、スムーズに目的地へと辿り着いた。



「ウセンさん! 何してんですか、仕事の時間……酒臭ァ!?」



 ウセン宅のドアを開けば、確かに強烈な臭いが溢れ出た。家主は安酒の瓶を片手に、ベッドで微睡んでいる。


 ウセンは確かに無一文も同然だ。それでも質にこだわらなければ、銅貨数枚で買える酒もある。それは度数も高いので経済的なのだが、腐敗臭にも似た臭いは、鼻がひん曲がりそうになる。


 もっとも、酔っぱらいにすれば些細な問題だ。今も上機嫌な赤ら顔である。



「んん? なんだいサーシャちゃん。もしかして僕にお酌でもしてくれんのかい? ウィッ」


「また飲んでるし! もう朝だし働けし!!」


「そんなん嫌だよ。僕は金が続くまで飲むって決めたんだ、半日だって働いてやるもんか! たとえ明日世界が滅びるって分かっても、その瞬間が来るまで飲み続けるんだもんねぇぇ」


「うわぁ……。最初は真面目な好青年かと思ったけど……」


「うへへぇお酒最高、これさえあれば何も怖くは……」



 ウセンは、ラベルのない瓶を傾けては、木椀に酒を注ごうとする。しかし、雫の一滴が垂れるだけだ。空瓶を振っても底を叩いても、出ないものは出ない。



「あわばばば。もうお酒がないのじぇ……。サーシャちゃんお金貸して?」


「嫌ですぅ。明日世界が滅びても嫌ですぅ」


「冷たい。夢やぶれて全財産を失った男に対して、この仕打ちかぁ。優しさが足りてないよ」


「だって大体は自業自得ですもん。ちゃんと大人らしく、ケジメをつけましょうよ。仕事に行って、自分で稼いだお金で、楽しく飲めば良いじゃないですか」


「子供には分からないもぉん! 働く大人の苦労なんて知らないだろもぉぉおん!」


「アクセル様、コレはもう手遅れです。相棒を変えた方が良いですよ?」



 サーシャが呆れ顔で振り返ると、アクセルは首を左右に揺さぶっていた。それが考える仕草であるのは、彼女も理解している。



「ウセンよ。カザリナと会ってみるか? あの公女が諸々の根幹なのだろう?」



 ウセンの鈍りきった瞳に、一筋の覇気が差し込む。



「会ってみるかだって? 気軽に言うけどさ、僕らみたいな貧民に許される訳ないだろ」


「昨日は茶を伴にした。既に顔見知りなので、城へ行けば会えると思う」


「何だよそれ、僕も呼んでくれよぉ! なんで除け者にした!? ちょっと考えたら連れて行こうって思うじゃんよぉ!!」


「全て成り行きだった。それにお前は言っていただろう、放っておけと」


「そりゃ言ったけど、言ったけども……! そういう意味じゃないんだよぉ! 察してくれても良いじゃんかよチクショウゥォオオ!!」



 ウセンは空の空き瓶に何度も頭突きを繰り返し、遂には瓶を割ってしまう。ガラスは粉々に粉砕され、自身の額にも傷が刻まれた。実に痛々しいが、彼は治療師だ。簡単な魔法を唱えるだけで済んだ。



「そんなにもか。自傷する程か。ならば会いに行こう」


「えっ、今から!?」


「無論だ。カザリナに面会を拒否される可能性はあるが、ここで喚いていても始まらん。試してみよう」


「い、いや! 止めとく! やっぱり会わないほうが良い!」


「嘘はよせ。瓶を額で叩き割ったくせに」


「だって、何の手土産もないし。2万ディナはいつの間にか無くなってるから、代替品も買えないし。そもそも婚姻の話が持ち上がる大事な時期だよ。僕みたいな、汚らしい男がウロつく訳にはいかないんだ」


「問題は資産や立場ではなく、その卑屈さだと思う」


「だってさ、小市民が手ぶらでノコノコ現れて、何をしろってんだ。せめて献上品の1つもあればなぁ……」



 ウセンはベッドに横たわりつつ、天井を眺めた。カザリナ様と呟く。声が湿る。そして周りの眼も憚らずに、声をあげて泣き始めてしまった。


 アクセルは、ただジッと成り行きを見守る。その隣でサーシャは、無言のままで首を横に振った。お手上げだと言わんばかりだ。



「仕方ない、仕事のパートナーを変更させてもらう。悪く思うな」



 アクセルが踵を返そうとしたところ、不意に外が騒がしくなった。誰かが往来を駆け回りながら、声高になって触れ回っているのだ。



――朗報、朗報! 純真石の鉱脈が見つかったぞ! 手の空いてるヤツは鉱山へ急げ!!



 その声を聞きつけて、1人2人と外に飛び出しては駆け去っていった。



「純真石? どこかで聞き覚えがあるような……」


「ほら、アクセル様が前に持ってたでしょう? 透明な精霊石ですよ」


「あれか。確か、かなり高価だと聞いた」


「けっこう珍しい物だそうですよ。大抵の精霊石は掘った側から、炎とか水なんかの性質に染まってるらしくて。空っぽの純真石はなかなか無いんだとか」


「そうなのか。詳しいな」


「えへへ。こう見えて勉強してますから。偉いです?」


「うむ。頼もしいと思う」


「あら? 褒められただけでなく、頭まで撫でて貰えるだなんて、アフン。これからもエヘヘ、アナタのサーシャはたっくさん頑張りましゅよウヘヘェ」



 突如として繰り広げられる温かな光景、言い換えればイチャつき。そんなものを、傷心から酒に溺れる青年の前で披露するのだから、酷である。ある種の処刑とも言えた。


 しかしウセン、2人の睦まじい触れ合いなど気にも留めない。それどころか、ベッドから起き上がっては全身を感銘で震わせてしまう。



「純真石が、出ただって……!?」


「どうした世捨て人。気配が別人だぞ」


「純真石ってのはとてもキレイで、贈り物に最適なんだ! 例えばこう、細工屋に依頼してアクセサリーにするとか。指輪なんかが一般的だって聞いたことがあるよ」


「それが何だ。お前には関係あるまい」


「大有りだよ! 鉱山で純真石さえ見つけたら、カザリナ様へのプレゼントを用意できるだろ!」



 ウセンはベッドから飛び降りると、両手に皮手袋を嵌め、愛用の杖を強く握りしめた。身のこなしは超高速。さっきまでの酔態など嘘であったかのようだ。



「さぁ仕事だ、行こうよアクセルさん! たっぷり働いて、ついでに石も貰っちゃおう!」



 ウセンはまくしたてると、家から飛び出した。唖然とするアクセル達を残して。


 そしてすかさず「何してんの置いていくよ!」と叫び、移動を促した。アクセルは苦笑、サーシャは溜め息を溢すという、反応はそれぞれだった。



「見てご覧よ。街全体がザワついてるよ。誰もが一攫千金を狙ってるんだね」


「まるで蜂の巣を突付いたようだ。生業はどうしたのだ」


「そりゃ皆ね、せこせこ働いて100や200貰うより、ガツンと100万欲しいじゃない。それが人情ってもんさ」


「そういうものか。それはさておき、仕事へ向かうならサーシャを預けねばならん。行きがかりに寄らせてもらうぞ」



 そうしてアクセル達はギルドへと立ち寄ったのだが、受付のニーデルはどこにも居なかった。カウンターには不在を記す書き置きがある。



「ええと、なになに? 山一面を染め上げる紅葉を唐突にも眺めたくなったので、本日はお休みします……そう書いてあるな」


「アハハ。ニーデルさんったら、嘘が下手すぎぃ……」


「サーシャよ、どうする? ここで待つか?」


「うーーん、そうですねぇ……」



 ギルド内部を一望すると、何人かの冒険者がウロついていた。彼らはしきりに鋭い視線を飛ばし、何か探り合うようであった。やたら殺伐としている。この環境、ノンビリと日暮れを待つには重たすぎる。



「こっ……鉱山に行きます! ギルドより安全な気がするんで」


「分かった。まぁ鉱山内部に入らなくとも、休憩所を借りる事も出来るだろう。まずは行ってみるか」



 3人でギルドを出た。それから城門へと向かったのだが、すでに雲行きは怪しい。門へ近づくほどに混雑は増していき、遂には立ち往生する。更に、列の先からは怒声までが聞こえる始末だった。



「あぁもう、焦れったいなぁ! 僕は一刻も早く働きたいと言うのに、邪魔しないで欲しいよ!」


「先程まで悪い酒を飲んでいた男が言うセリフか?」


「何を言うんだい。僕は愛の為に生き、そして死にゆく者。そう決めたんだ。酒に溺れるとか有り得ないね!」


「うわぁ……なんてお調子者。アクセル様、これは悪い手本ですから。真似しちゃダメですよ」


「ウセンは真実の愛を知る者なのでは? 大金を溜め込んで贈り物を買う、という」


「それはレアケースですよ、王道とは違いますって。ちなみに、そういうの一切なしでも、真心だけで買えちゃう愛がね……。ここにあるんですけども」



 サーシャが耳まで真っ赤にしてまで告げた言葉は、唐突な絶叫で遮られる。そして人の流れが急変する。瞬く間に、辺りは逆走して逃げ惑う人々で埋め尽くされた。


 何事かと思ってみれば、城門付近には騎兵の一隊が整然と集結していた。掲げる槍は鞘を払っており、穂先で冷たい光が煌めく。



「さっさと仕事に戻れ、バカどもが! 歯向かうようなら一刺しにしてやるぞ!」


「横暴だ! どうせオレ達を街に閉じ込めて、アンタらだけで純真石を独り占めする気だろ!」


「何とでも言え! ともかくだ。手形を持たぬ者は、いかなる理由があっても通さんからな、分かったか!」



 あまりの剣幕に、人々は遠巻きになる。そこへ馬車が1台、または団体が1組と、手形を携えながら門へと向かった。


 そしてアクセル達も、正当な理由を持つ側だった。



「よし、次の者! お前たちは冒険者だな?」


「そうだ。鉱山の警備を任されている」


「登録者証を見せろ……確かに。間違いない。通ってよし!」



 アクセル達は無事に突破。ここからは遮る物もなく、スンナリと鉱山へ辿り着ける――――はずだった。


 門を通り抜ける最中の事だ。背後から声が聞こえた。それは怨嗟、あるいは呪怨のような、おぞましさを孕んでいる。



「手形だ。あいつら、持ってやがる」


「あれさえあれば、純真石が手に入るんだ。アレさえあれば……」


「寄越せ、それを、寄越せ。寄越せェェエエ!!」



 無数の住民たちが門に殺到し、アクセル達の背後を脅かした。騎士団も懸命に阻もうとするが、多勢に無勢だ。1人、2人と通過を許し、やがて濁流のように人々が門を突破してしまう。


 追跡者達は正気を失っている。何か悪いものに取り憑かれたようにも見えた。



「ウセンよ、お前は先に行け」


「何だって!? 君1人でなんて無茶だ。何百人と来てるんだよ?」


「私の事は気にするな。後から追いかけるさ。お前はこのまま走れ、自分の夢のために」


「クッ……、すまない。必ず鉱山で落ち合おう!!」



 後ろ髪を引かれる想いで駆け出すウセン。溢れる涙が街道を濡らしてゆく。



「アクセルさん、道だよ。涙の後を辿っておいで。そうすれば、僕たちはまた会えるんだ!」



 湿った声で呟く間も、足を休めたりはしない。やがて別れ道、登り坂。休み無しに駆け続ける。アクセルの犠牲を無駄にしないためにも、鉱山へ急がねばならない。



「着いた……野次馬とかは、居ないな!」



 鉱山は意外にも平穏である。鉱夫たちは、先日と変わらない様子で働いている。


 そして監督とも会う。こちらも特別触れるべきものの無い、普段通りだった。



「おう、ギルドの兄ちゃん。来てくれたんだな。早速だが、魔獣退治を頼みてぇんだわ」


「あの、それなんですが、お願いがあります。僕に純真石を探す時間を貰えませんか!?」


「アン? お前さん、何を言ってんだ」


「こんな事を頼む権利は無いとは思います。でもどうしても必要なんです、お願いします!」



 ウセンは懸命に頭を下げた。アクセルを犠牲にしてまで掴んだチャンスだ。必ず物にしなくてはならない。


 しかし無情に、監督は首を横に降った。



「いやさ、今日は何なんだよ。知らねぇ奴がやって来ては、純真石がどうのと抜かしやがる」


「えっ? だって見つかったんでしょ? 鉱脈が」


「違ぇよ。オレは『鉱脈が見つかったら良いな』と言っただけだ。それがどう伝わったのか、探り当てた事になってやがる。まったく、どこの慌てん坊が聞き間違えたんだか」


「じゃあ、純真石は、出ない……?」


「さすがに出ないとは言わねぇよ。だが、見つかってないのは確かだぞ」



 ウセンはその場で膝を屈し、流れるように倒れ伏した。望みが絶たれた絶望と、仲間を置き去りにしてしまった罪悪感が、彼の背中に伸し掛かるのだ。



「うぅっ。じゃあ、アクセルさんは何のために、命を散らしたというのか……。儚くも、浮世の罪を背負うかのように……」


「剣聖の兄ちゃんか? こっちに向かって歩いてくっけど?」


「えっ、嘘だろ!?」



 弾かれたように坂道の方を見た。アクセルはこちらへと歩み寄る最中で、まもなく健在な姿が晒された。隣のサーシャも同様だ。


 ウセンと別れた後のアクセルだが、漂う悲壮感とは異なり、淡々と対応した。


 押し寄せる街の人を止める為、地面に大きな穴を空けた。渾身の力を込めた拳打は、城1つ飲み込めそうな大穴を生み出してしまう。それは、噂話に踊らされた人々を落ち着けるのに、十分な迫力があった。後は語るまでもない。悠々とやって来たのである。



「アハハ……さすがだよアクセルさん。無事だったなんて。僕の方は、散々だけどもね……」



 結局、ウセンの目論見は頓挫した。何はともあれ、地道に働くべきである。そう、運命が囁くかのようだった。


 実際、隣の親方はウセンの肩を強く掴み「期待してるぜ」と言い出した。その期待を無下にはできない。少なくとも、ひと働きするまでは帰れそうになかった。



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