第31話 逃げの一手

 夕闇に落ちたマズシーナの街。方々は街灯に照らされており、道の端々まで見通せた。火霊石式と呼ばれる照明で、術式を施した精霊石を活用している。火属性の光は暖色に輝き、どこか柔和さを感じさせた。


 そんな街中を1人の青年が駆け続けた。茶褐色のローブ姿で杖を担ぐ、術師風の男。ウセンである。



「ハァ、ハァ。ここまで来れば、大丈夫かな」



 彼の手元には銀貨袋がある。ギルドの報酬で、2人分の賃金だった。それを無断で持ち出したのだ。当然、盗みが成立する。彼も一切合切を承知の上であり、懸命に逃げ回っている。


 盗んだ相手はFランクの剣士。ただし、ギルドマスターを打ち倒してしまう程の豪傑である。ウセンはDランクなので、実績こそ上回っているものの、歯が立たない事は理解している。


 それでも盗まない訳にはいかなかった。



「このお金さえあれば、やっと悲願が叶うんだ……!」



 明るい大通りから脇道に逸れて、薄暗い路地へと入り込む。そして積み上がった木箱の裏に隠れては、その場に座り込む。かりそめの休息だ。延々と走り続けたが為に、足は限界寸前であった。


 自らの足に手を当てて「ビット・ヒール」の魔法を唱えた。微かな発光があるとともに、太ももから心地よさが広がっていく。大呪文はビジュアルが派手だ。人目を忍ぶには、下級魔法で我慢するしかなかった。



「こんなにコソコソして。まるで犯罪者みたいだ。いや、犯罪者そのものか……」



 今さら後には引けない。前進あるのみだと奮起する。



「よし。まずは家に帰って、お金を全部持って店に行く。あとは潜伏してチャンスを窺おう……」



 ウセンは自身に言い聞かせるように、これからのプロセスを呟いた。今や追われる身だ。ささいなミスが命取りになりかねない。だから、先を急ぎたい気持ちが強くとも、計画性を損なう訳にはいかなかった。


 もはや迷いはない、とにかく実行する。たとえ、この先に破滅が待ち構えていようとも。



「よし、誰も居ないな。早く家に帰ろう……」



 木箱に身を隠しながら辺りに眼を向ける。前後左右のどこにも追跡者の姿は見えない。疲れもそれなりに回復していた。動き出すには絶好のチャンスだと言えた。


 走ろう。そう思った瞬間だ。夜空に響き渡る声に驚き、再び木箱の陰に隠れた。



「どこに逃げやがりましたか! この排泄物男子めーーッ!」



 少女の怒声。そちらに眼を向ければ、屋根の上にサーシャを見つけた。傍らにはやはり、アクセルの姿もある。



「金を返しやがりませ! さもなくば、アレですよ! すんごく酷い事しちゃいますからね!!」



 脅しは拙い。しかし、彼女の相棒は天下無双だ。まともに戦えば勝てる見込みなど皆無。命が無い事は明白だった。


 恐怖のあまり膝が震えて止まらない。落ち着かせようと伸ばした腕すらも、強張って使い物にならなかった。



「アクセル様。この辺には居ないかもですよ。よそを探しません?」



 そうだ、ここに僕はいない。頼むから見逃してくれ。ウセンは胸の内で必死に祈る。しかしアクセルの否定が、その希望を踏み潰した。



「いや、この辺りに居るハズだ。微かに気配が感じられる」


「ほぉぉ。さすがは剣士様ですね。ちなみに、もっと詳しく分かったりします?」


「そうだな、これは……。路地裏の木箱脇で息を殺して潜みつつ、私達がどこかへ立ち去るのを待ち望んでいる、という気配だ」



 どうしてそこまで具体的に!? ウセンは叫びかけた所で、慌てて口を噤(つぐ)んだ。


 その間にアクセルは、サーシャを抱えたままで屋根から飛び降りた。そして手当たり次第に、そこかしこに積み上がる木箱を探り出した。


 不幸中の幸いか、ウセンとは離れている。しかし進行方向を塞がれたばかりか、下手に動けば気取られる距離だった。かと言って留まれば、やがて見つかる事は確実である。



「どうしよう。このままじゃ……おや?」



 薄暗さの為に気づいて居なかったが、背後の壁に勝手口が見えた。そして僅かばかり扉が開いている。ウセンは物音を立てぬよう、慎重に押し開けて、壁の向こう側へと移動。辛くも逃げ延びる事に成功した。


 出た先は他人の敷地である。酒場なので、一般人の出入りは不自然でないものの、高級官僚が足繁く通う店である。彼はこの場において、異物である自覚を抱いていた。


 よって長居は無用。建物と外壁の隙間を足早に抜けて、反対側の勝手口から裏路地に出る。アクセル達の気配が遠い事に安堵して、再び家路を急いだ。



「よし、ここまで来たら人混みだ。きっと簡単には見つからないさ」



 ウセンが辿り着いたのは、マズシーナ東部の第三居住区だ。王宮や貴族の住まう第一居住区とは反対に位置する、いわゆる貧民街(ひんみんがい)である。


 こちらは大店の並び立つ中央通りとは、全くの別世界だ。傾いた木造の家々がひしめき合う様は、互いに支え合うかのようだ。そこら中で生活ゴミや、洗濯紐から落下したボロ服が散乱。水はけは悪く、地面が剥き出しの道は水たまりだらけ。そして、所々で無許可の露店が好き勝手に商売をするので、やたらと狭い。


 そこを周辺住民がうろつくのだ。往来はいつも混雑しがちである。



「相変わらず狭っ苦しいな。でも今ばかりは好都合だよ」



 行き交う人々の隙間を縫うように歩いてゆく。服が擦れあうような距離だ。走りたくても堪えるしかない。この場で駆けようとすれば、間違いなく悪目立ちしてしまう。



「焦るな、焦るな。あと少しなんだぞ……」



 逸る気持ちを抑えつつ、周囲と歩調を合わせて進む。やがて視界の遠くに、路地裏へ繋がる道を見た。そこを曲がりさえすれば家も目前。


 微かに安堵しかけた、その時だ。真正面から行く手を遮られた。


 ウセンは思わず身構えてしまうが、すぐに緩む。相手は恰幅の良いエプロン姿の男で、客引きだと気付いたからだ。



「よぉ兄ちゃん。肉串はどうだい? 出来立て1本5ディナだよ!」


「あぁ、うん。とても良い匂いだね。香ばしい。近い内に寄らせてもらうよ」



 客引きの脇を通り抜けて、帰りを急ぐ。だがその矢先、また別の人物が立ちふさがった。裾に長い切り込みの入ったワンピース姿の女性だった。



「あらお兄さん。今晩ヒマじゃない? 私で良ければ760ディナでお相手するけど?」


「アハハ……素敵な提案だと思うよ。でも予定が詰まってるんだ、申し訳ないんだけど」



 再び脇を抜けて行こうとするが、またまた行く手を阻まれた。今度は集団だ。ハナタレ小僧にボロ服の幼女達が、期待の眼差しを並べていた。



「なぁアンちゃん。恵んでくれよ、1ディナで良いからさ」


「アタシね、飴ちゃん欲しいんだ。ハチミツのやつ。3ディナあったら買えちゃうのよ」


「ええとね、君たち。僕も貧乏人なんだ、そういう話は噴水広場あたりに行って、お金持ちの人にお願いしなよ」


「嘘だぁ! たくさん持ってそうだぞ! ちょっとくらい恵んでったら!」


「ごめんよ、今ばっかりは本当に無理なんだ!」



 ウセンは、人垣の境目を見つけるなり、全力で駆け始めた。自分は今、金の臭いを撒き散らしているらしい。そう思えば、ノンビリと歩いていられない。少なくとも先程の子供たちは、追跡する構えを取っている。


 

「もう目立っても構わない、一気に駆け抜けるぞ!」



 我が家まであと少し。あの曲がり角の先。曲がった。もう目前、あと数棟だ。


 しかし迂闊にも、足をぬかるみに捕らわれてしまう。それは意外と深く、容易には抜け出せなかった。



「クソッ、まさかここまで来て……!」


「困っているようだな。手を貸そう」


「ありがとう。助かるよ……ッ!?」



 差し伸べられた手を取った瞬間、ウセンの全身が凍りついた。



「ようやく見つけましたよ。気の良さそうな顔をして、盗みを働くたぁ、悪党ってヤツは油断ならねぇですね」



 そこには平然とした面持ちのアクセル。隣にはやたら笑顔を眩しくするサーシャが居り、絶妙な迫力を醸し出す。


 ウセンは観念せざるを得ない。逃げようにも、全身が恐怖で凍りつき、走る事さえ不可能であった。そして彼は、悲願を成し遂げる寸前で、罪を裁かれる事となった。



「オゥオゥオゥ。この落とし前、どうつけてもらいましょうか。めちゃもこ探し回ったんですよ。こちとら疲れまくってるというのに、アァン?」


「待てサーシャ。いきなり喧嘩腰では話し合いになるまい。少し落ち着いたらどうだ」


「そりゃ怒りたくもなりますよ。だって酷いじゃないですか、アクセル様のお賃金をかっさらったんですよ。万死に値しますとも。首をドゥルンって飛ばしてやるんです」



 首がドゥルンとは、どんな状態かは分からないものの、無事では済まない事は理解できた。


 ウセンはその場で地面に這いつくばった。そして心から謝罪の言葉を叫ぶ。必死である。膝が泥水に浸かるのを気づかない程に。



「ごめんなさい! 僕の事は煮るなり焼くなり、好きにしてくれて良い! でもどうか、あと3日、いや2日だけでも待ってくれないか!」


「それはもちろん、お金を返した上での話ですよね?」


「ええと、この報酬はすべて……貸して欲しいんだ!」


「ハァァァ!? いくら何でも都合良すぎじゃないですぅ? そんな事したら、ワタクシ達は大損するだけですよねぇ?」


「そこをどうにか! この通り!」


「ダメでっすギルティ。少なくとも半分はいただきまっす。大事な大事な宿賃になりますんで」



 サーシャがこうも頑迷になるのは、宿泊が理由である。普段の厩(うまや)と異なるシチュエーションは、アクセルとの距離を詰めるのに好都合なのだ。


 例えば湯浴み。アクセルが届かないであろう背中を、甲斐甲斐しく洗い流す。例えば夕飯。熱々のスープをサーシャの吐息で冷まし、アクセルに食べさせてやる。汚れた口元はナプキンでそっと拭う。そして夜更けを迎えたなら、2人分のベッドをくっつけて就寝。隙あらば膝枕までお見舞いするつもりである。


 言うなれば年下の母であり、献身的な幼妻。そんな奉仕(プレイ)の機会を失う事は、猛々しく燃える乙女心が許さない。


 だがその企みは、アクセルの一言であえなく霧散してしまう。



「ウセンよ。お前からは邪(よこしま)な気配が感じられない。何か事情があるのだな?」


「アクセル様? そっから先は待って欲しくって……」


「理由を聞かせてくれるか。どこか落ち着ける場所で」


「アアァやっぱりぃ! こんな展開になっちゃったぁ! でも優しいアクセル様もステキなのぉぉおおッ!」



 サーシャは乙女心を、萎ませたり昂(たかぶ)らせたりと大忙しだ。だが、ひとまず方針は固まった。


 結局、話し合いの場が持たれる事になった。行き先はウセンの家と決まる。そうして案内されたのは、付近でも取り分け小さな木造家屋だった。



「どうぞ入って。狭くて申し訳ないけど」



 それは家というより小屋である。ウセンが油灯に火を灯すと、厳しい暮らしぶりが浮き彫りになる。


 畳換算で4畳半程度の部屋に、ひしゃげたベッドと書き物机がある。壁の食器棚には、使い古された木椀などが積み上がっていた。


 そんな中で、金属製の頑丈な箱が部屋の片隅にあるのは、酷く不釣り合いだった。



「ここがお前の住処か。1人で生きるには十分だろう」


「昔は母さんと2人暮らしだったけどね。今は僕1人だけさ」



 ウセンは客人2名に、ベッドに腰掛けるよう促した。するとサーシャは頬を真っ赤にして、隣に座るアクセルの顔を盗み見た。こんな形であっても、想い人と1つのベッドを共にした事実は、乙女心に刺さるものがある。


 もちろん家主に他意は無い。椅子代わりに座らせただけだった。そして、横道に逸れたがる流れは無視して、いきなり本題を切り出した。



「僕にはお金を貯める事情があって、こんな事を仕出かしてしまった。まずはそれについて謝りたい」


「謝罪なら済んでいる。なぜ貯める必要があるのかを話してくれ」


「それじゃあ聞いて貰おうかな。昔話なんだけども」



 ウセンの口から語られるのは、幼少期のホロ苦い思い出であった。彼が心苦しくも犯罪に手を染めた理由が、間もなく明かされる事になる。


 油灯の光が揺らめきながら、ウセンの横顔を照らす。虚空を見つめる彼の瞳は、微かな優しさを帯びていた。


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