第32話 笑って欲しいだけ

 今から遡ること10年以上前の事。まだ少年だったウセンは、陽の高いうちに出かけては、街中で遊ぶ毎日を過ごしていた。遊び場はもっぱら大広場である。当時は出入り自由だったので、それこそ毎日のように足繁く通ったものだ。


 もっとも、他の子供たちに混じる事はしない。棒切れを手にしての騎士団ごっこも、池や噴水での泥遊びも、砂山を城に見立ててのオママゴトも興味をそそられなかった。正確に言えば、誰かと歩調を合わせて遊ぶ事を苦手としていた。


 だからウセンは一人きりで、花壇の花を眺めては愛でる。あるいは虫を追い回して捕まえる。そんな子供だったのだ。


 しかしある日の事。大広場にて、普段なら見掛けない少女を見つけた。シルクのドレスと高価な装飾品から、貴族の御令嬢であると分かる。少なくとも、貧民街に住まう子でないと。



(何てキレイな女の子だろう。まるでお姫様みたいだなぁ)



 ウセンは思わず見惚れる。子供らしからぬ澄ました表情に、精練された所作。所詮は生きる世界の違う存在だ。声をかける事もなく、普段の遊びに没頭しようとした。少女からは、他者を受け容れるような気配も無いのだし。


 それでも、高潔な気配の持つ引力は凄まじい。視界の端で盗み見るように、顔の角度を保つ。直視は無礼に当たる。ウセン少年は囚われの姫を救い出す騎士ではなく、洒脱を解する貴族の子弟でもない。ただ平伏して畏れるだけの、貧民の子なのだ。


 やがて、その少女が此方に向かって歩き出した。足音は徐ろに、だが着実にウセンの方へと近づいている。カツリ、カツリ。一歩、また一歩と音が鳴るなり、少年心は弾んで高鳴る。


 それから音が止むと、今度は麗しい声に代わる。鈴が鳴るような、鳥が囁くような、耳に心地よい響きだった。



「そこのお前。何をしているのです」



 子供とは思えない、威厳に満ちた口調だ。ウセンは初めのうちは自分の事だと思わなかったが、やがて理解する。何の因果か、少女の方から声をかけられたという事実に。



「もしかして、僕に言ってるの?」


「当然。それより質問に答えなさい。何をしているのかを」


「これは、その、花を見てるんだよ。花びらに止まってるハチとか。揺れる草花とか」


「それが楽しいとでも?」


「一応、僕としては……」


「変な子供。他の子供は阿呆面で駆け回っているというのに」


「そう言う君だって。退屈そうな顔して、ジッとしてるだけじゃないか」


「私はお前たち庶民とは、格が違うので」



 少女は冷たく言い放つと、静かに顔を背けた。


 ウセンはその横顔を眺める内に、胸の苦しさを覚えた。何て哀しい顔なのだろうと。もしかするとこの少女には、遊び回るどころか、肩の荷を下ろす事さえ許されないのではないか。


 そう思うと、ウセンはいたたまれなくなる。何かしてやれる事は無いのか。この、名も知らぬ少女の為に、自分に出来る事はないのか。


 ウセンは咄嗟に、一輪の野花を差し出した。



「いったい何の真似かしら?」


「これはね、シロユメクサっていう花なんだよ。枕元に置くと、良い夢が見られるらしいんだ」


「それを信じろと? 愚にもつかない迷信を?」


「うぅ……そうだよね。どこにでも咲いてる花なんて、要らないよね」


「いや、その、コホン。庶民からの献上品を受け取ってやるのも、務めの内と言えなくもない」


「じゃあ貰ってくれるの!?」



 少女は無言で受け取ると、自らの耳元に花を差した。



「似合うかしら?」


「うんうん。凄く良いよ、カワイイと思う!」


「フン……。たまには庶民の真似事も、悪くはないものです」


「あのね、シロユメクサって、沢山ある方が良いらしいんだ。だから今度会うまでに、冠を作っておくよ。とびきりキレイなヤツをさ」


「そこまで言うのなら」



 少女はそう言い残すと、護衛らしき男たちの方へと歩き去った。そして、広場の脇に停まる馬車に乗り込み、いずこかへと去っていった。それが出会った日の全てである。


 ウセンは母と話す内に、少女の正体を知った。名をカザリナと言い、尊き存在であることを。なぜ貧民の自分と縁が出来たかは不明だが、約束は約束だ。純粋な覇気を漲らせては、心に違うのである。



「頑張るぞぉ! せっかくだから気に入って貰えるくらい、すっごく上手なヤツを作るんだ!」



 それからというもの、ウセンは冠作りの練習を重ねた。ぜひとも少女の笑顔を見たい。何もかも忘れて、ただ喜びに染まる顔を浮かべて欲しい。少女を想う一心で、来る日も来る日も作り続ける。


 初めのうちは不格好で、あるいは大きさが安定せず、中々に苦労させられた。しかし続けるだけで上達するものである。母に出来栄えを褒められてからは、更に進歩が加速した。



「出来た……これならきっと喜んでくれる! 花が枯れる前に会えると良いなぁ」



 渾身の作品を携えつつ、向かったのは大広場だ。霧雨の降る中だ。流石に今日は会えないだろうと思った。


 しかし予想に反して、奇跡的にも少女と再会した。奇しくも出会った場所と同じく、花壇の傍である。ウセンは、運命だと思った。最高品質の冠を、最高の状態で手渡せるのだから。


 しかし彼の真心と努力は、その冠とともに踏みにじられてしまう。それは他ならぬ、カザリナの仕打ちによるものだった。


 カザリナは少女に不釣り合いなヒールの裏で、何度も何度も踏みつけにした。ウセンが丹精込めて作った白い花飾りは、不様にも潰れ、雨混じりの柔らかな土に埋もれてゆく。



「私がこんなもので満足すると思うだなんて、この愚民め! そこまで貢ぎたいというのなら、純金の飾り物くらい用意してみせなさい!」



 そして少女は立ち去っていった。その場に膝を屈するウセンと、泥に塗れた冠を残して。





「何でしょう、ムカつく思い出ですね」



 サーシャの第一声はそれだった。ウセンも共感する所があり、苦笑とともに同意した。



「言葉で聞くとそうだろうけど、彼女の真意は別にあったかなと思うんだ」


「どういう事です?」


「冠を踏みつけられた時、たぶん僕は泣いていた。だけど、彼女の顔も泣きそうだったんだ。まるで、心から苦しんでいるように。少なくとも、いつもの澄まし顔じゃなかった」


「ハァ。それで、その昔話がどうかしました?」


「そのあと、純金の装飾品とやらを探してみたんだ。街中の店先を回って、たくさんの大人に尋ねた。冒険者とも話してみたりね。でも純金の品は、普通のお店じゃ扱わないそうだよ。どうやら一点物の特注品ばかりらしくってさ」


「そういうもんですか。まぁ仮に、店売りしてたとしても、庶民に買える金額じゃないですよね」


「僕も諦めかけたよ。でもね、何年か前にやっと見つけたんだ。どういう経緯か知らないけど、宝飾店に純金製のティアラが売りに出されてね」


「へぇぇ。でもお高いんでしょう?」


「もちろん。だから必死に貯めたよ。そして、いよいよあと少しという所で、つい魔が差して、君たちのお金に手をつけてしまったんだ」



 アクセル達は、事情を大まかに理解した。ウセンの気持ちも分からなくもない。だが、疑問はまだ残されている。



「どうして盗もうと思ったんです? あと少しだったら、真っ当に稼げば良いじゃないですか」


「それがそうも言ってられなくなって。噂によれば、近々カザリナ様がご結婚なさるらしい。だからそれまでに、何とかしてでもティアラを献上したいと思った。せっかく貯めた2万ディナを無駄にしない為にも」



 具体的な額面が知らされると、サーシャはむせて咳き込んだ。顔色すら変えないアクセルとは対象的に。



「2万ーーッッ!? そんな大金を貯めたんですか!?」


「そうだよ。色々やりくりして10とか20ディナ貯めて、どうにかね」


「凄い……。貧乏暮らししながら、そこまで頑張れるなんて……! それじゃあ、その飾り物を買って求愛しにいくんですね? 結婚されちゃう前に急いだんですよね!?」


「いやいや、僕は庶民の中でも貧乏な方だよ? おこがましいって! あくまでも『献上』するだけさ。ティアラはそうだな、もし結婚式のどこかで使って貰えたら、それで十分さ」


「えっ、そこでお終い? 愛の語らいも無し?」


「バカみたいだろ。自分でもそう思うよ。でもね、忘れて当然な子供時代の約束を、大人になって叶えたとしたらどうだろう。きっとカザリナ様も、おかしいねって笑ってくれるんじゃないかな」


「どうして、そこまで頑張れるんです……?」



 ウセンは視線を足元に落とした。自嘲気味に笑うものの、暗さは感じさせなかった。



「一目惚れだったんだろうね。あの日の泣き顔が頭から離れなくってさ。だから、あの人に笑ってもらえたら、ようやく自分の人生が始まる。そんな気がしたのさ」



 その純真な言葉は、乙女心を大いに揺さぶり、涙腺を強襲した。どこか不満顔だったサーシャが、目元を拭うようになる。



「すごいですね、アクセル様。これこそ愛ですよ。真実の愛が無かったら、ここまで出来ません」


「なるほど。真実の愛とは、金を貯めて装飾品を買う行為を指すのか。ひとつ学んだ」


「ウセンさん! ちょっと前までは疑ってましたけど、すんごく感動しました! ギルドのお金は差し上げますので、貴方の愛を遂行してください!」


「本当かい? だとしたら、今日の内に買うことが出来るんだ」


「良いですね、でもお店は?」


「日暮れだから、もうすぐ締まるかも」


「ッ!? 早く行きましょう!!」



 腰を浮かして慌てだすサーシャとウセン。その様を、ベッドに腰掛けたまま眺めるアクセル。辺りはにわかに騒がしくなった。


 すぐにウセンが鉄の箱に手をかざし、掌を煌めかせた。すると解錠したらしく、カチリとの音とともに蓋が開く。箱の中には大きな革袋だけがある。それをウセンが担ぎ上げるのだが、ジャラリと鳴るのが、いかにも重たそうだ。



「ウセンさん、お店はどこです?」


「冒険者ギルドの斜向い、噴水広場の近くだよ」


「割と遠い……今から走って間に合いますかね?」



 不安気な2人に対し、アクセルは解決策を提案した。ウセンは驚いて聞き返すものの、サーシャは即答で了承。こうして迅速移動の為のフォーメーションが組まれる事になる。


 具体的にはこうだ。アクセルが金の詰まった革袋を右手に持ち、背中にサーシャをおぶる。そして左手でウセンを担ぐ。何のことはない。アクセルの超人的な身体能力を頼るだけだった。ちなみにアクセル達の手荷物はここに置いておく。



「ねぇ、本当にコレで行くのかい!?」


「アクセル様、急ぎましょう。けなげな愛を貫くためにも!」


「いや、ちょっと待って。せめて心の準備をさせて! 行く前に10からカウントダウンを……うわぁーーッ!!」



 アクセルは予告なしに飛んだ。赤黒く染まる空を、大きな大きな孤を描きながら、天高く舞う。慣れきったサーシャとは異なり、ウセンは青色吐息である。



「ヒィーーッ! 死んじゃう! 落ちたら死ぬ高さ!!」


「大丈夫ですよウセンさん。ホクロの数を数えてるうちに終わりますから!」


「ほ、ホクロ!? 無理だよ、怖くって動けないから!!」



 ささやかな口論が終わりを迎えるよりも、到着の方が早かった。眼下に噴水広場。尋常ではない速度で地面が迫る。そこをアクセルは、石畳を滑る要領で衝撃を殺し、やがて静止した。



「着いたな。宝飾店の真ん前だ」


「さぁさぁウセンさん。お店に急いで!」



 今はまだ人が出歩く時間帯だ。付近に人は多く、皆が皆、驚愕の視線を送ってきた。


 しかし、奇異の目に構うゆとりは無い。宝飾店の店主は既に入り口の前に立ち、扉の鍵を手にしている状態だった。


 ウセンは腰が引けたまま、覚束ない足取りで店主の方へ歩み寄った。



「すいません! 金細工のティアラを売って貰えませんか!?」



 老紳士は驚いた顔で迎えた。深く刻まれたシワが大きく湾曲する。



「おやおや。お前さん、とうとう金を貯めたのかね?」


「はい、2万あります! 店締めしたみたいですけど、今すぐ売ってもらえますか!?」


「ふむ……。残念だがのう、一足遅かったよ」



 店主が寂しげな視線を通りの方へと逸した。そこには黒スーツ姿で恰幅の良い男が、馬車に乗り込もうとしていた。その手には例のティアラがある。


 僅かな差で先に買われてしまったのだ。最後の最後で運に見放された形だ。しかしウセンは簡単に諦めたりしない。幼少期からの夢が、想いが、彼に一握の勇気を授けてくれた。



「恐れ入ります閣下! 先程お買い求めになったティアラについて、何卒、お願い申し上げたく!」



 ウセンの声に気づいてか、貴族の男は足を止めた。そして柔和そうな笑みを返したのだが、放たれた言葉はおぞましいものだった。



「いやはや、この飾り物は安物の割に出来が良くて、中々気に入ったよ。今日は気分が良い。ここはついでに、ブッコロ出来そうな若者を連れて帰りたいな。22歳くらいの、華奢な魔術師か治療師が好ましい。断末魔の叫び声を聞きながら、熟ワインの1杯もやれたら最高だとも」



 ウセンは思わず口をつぐんで退いた。遠回しな『無礼討ち』を予告されたからだ。この持って回った言い方を洒脱とみるか、面倒と感じるかは人によるだろう。ただ、分かりきっているのは、ティアラが売れてしまった事。そして、入手不可能という事実である。


 やがて貴族の馬車が走り去っていく。ウセンは見送るでも、その場から動くでもなく、静かに膝を折って倒れた。


 アクセル達にかける言葉はない。ただ倒れ伏して涙するウセンの傷心に、そっと付き合うだけだ。



「チクショウ、ここまで来て! やっと買えると思ったのに!」


「ウセンさん……ヅライよね」


「なぁウセンよ。ここは一度考え直そう。物事には切り替えが重要だと聞く」


「切り替えだって? フヒヒ。そうだね。その方が良いと思うよぉウケケケケケケケケ!!」



 ウセンは立ち上がると、瞳孔の開いた瞳を見せつけた。すると、耳障りな声を撒き散らしては、右に左にとふらつく。かと思えば唐突に走り出し、路地裏へと消えた。


 向かう先は大衆酒場だった。ウセンは扉を開け放つと、外まで聞こえる声で叫んだ。



「この店で一番高い酒を! それと、この場に居る全員を僕が奢るぞ!」



 一瞬、店内が静まり返る。そして、怒号にも似た歓声が沸き上がり、感謝の声で満ちるようになる。


 アクセル達が到着したのは、丁度このタイミングだった。時すでに遅し。引き返しようの無い事態にまで陥っていた。



「ほらほら、皆もジャンジャン飲めーーい! 今日は僕の夢が破れた記念日だぞぉ!」


「おっ、兄ちゃん。辛くて堪んねぇだろ? そういう時は酒だ酒。浴びるように飲んで全部忘れちまえ!」



 広い店内に居合わせた客は多い。5人10人では済まず、数え上げるのに苦労する人数だった。その全てを支払うとなれば、相当の金額にまで至るだろう。


 しかしウセンは向こう見ず。上品なグラスを一気に飲み干すなどした。


 そこでサーシャは堪らず駆け寄り、ささやかな抗議を示した。



「あの、ウセンさん? ワタクシ達のお金は残しておいてくださいね? ティアラを買えなかったんだから、良いでしょ?」


「おやっさん! 全然酔えないぞ! いっそ樽で持って来いや!」


「ダメだこの人、全然聞いてくれないッ!?」



 結局は飲めや歌えやの大騒ぎ。宴は明け方まで続けられた。こうして、ウセンが必死に溜め込んだ大金は、ここで粗方を吐き出してしまう。


 革袋に残されたのは数枚の銅貨のみとなった。無事に宵を越した金は、実に微々たるものだった。




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