第16話 親玉はどこだ

 青い月が森の木々を照らす中、一匹のコリスが幹伝いに地面へと降りた。真ん丸な瞳を忙しなく左右に向け、鼻を利かせてはエサを求めだす。やがてドングリを抱えると、物陰に隠れては、前歯でかじった。収穫は上々か。満足のいく味わいのようで、中の実を噛み締めてはニッコリ微笑んだ。


 ガジガジ、ニコッ。ガジガジ、ニコォ。


 そうして忙しくも美味しい食事にありついていると、不意に大きな影に包まれた。気配を完璧に消し去った男が、風下から現れたのである。数十倍の体格差だ。コリスは手元のドングリを落とし、全身を恐怖で震わせた。



「ふむ。お前を食っても、腹の足しにはならないな」



 月明かりが、アクセルの顔を青く照らす。そしてコリスをつまみ上げると、木の枝に乗せてやった。


 脱兎の勢いで逃げていく小さな獣。その背中をアクセルは黙って見送った。ふと、脳裏に閃きが生じたのは、そのタイミングだった。



「あやつらは木の実を食べる。そしてより大きな獣に食われる。大きな獣は、更に大きな獣の糧となる」



 この世のあまねく命は輪のように繋がり、切り離せない因縁がある事を知っている。その中で、人間は上位に属しており、狩る側の立場であるという事も。


 行商にしろシボレッタの露店にしろ、扱う肉の種類は豊富で、量も山を為すほどだ。屠殺した家畜だけでなく、野生の獣も珍しくない。



「命は、別の命を喰らうことで生きながらえる。では、魔獣達はどうだ?」



 明らかに異質な存在だった。稲光から現れ、倒せば煙となって消えてしまう。狼やイノシシの死体を見かける事はあっても、一度だって魔獣リザードマンのそれは目にした事がない。何を食べ、どのようにして命を繋ぎ、繁栄してゆくのか。それらの全てが謎で、不可解な生態だと言えた。



「魔獣どもの生きる目的か……。そういえばクライナーが何かヒントを言っていたような?」



 アクセルは、まだ記憶に新しい出来事を脳裏に浮かべた。眉をしかめるあたり、彼としても心地よい過去ではないらしい。



――テメェに食わせるパンなんかねぇ! 樫の木の皮でも食ってろや。


――そんくれぇ察しろよ。頭が悪けりゃ勘も悪いゴミカス野郎め。


――何編言わせんだ、クライナー様と呼べよ殺すぞ! オウ?



 ろくな情報が出てこない。単純に苛立ちが募るだけだった。



「殺すとは何度も言われたが、結局は私が殺したのだった。これを世に言う、意趣返しというもの……」



 アクセルはその時、不意に気配を感じた。肌に貼り付くような、不快な視線まで向けられる。今は真夜中で、用も無く山道を歩くものなど居やしない。街道側ならまだしも、草木の生い茂る獣道である。


 更には、尋常でない闘気まで伝わってきた。



「魔獣どもは鼻が利くらしい。ならば気配を殺す意味も無いな」



 前方に2体、後方に1体。付かず離れずを保ちながら、歩き回るアクセルを追跡していた。食料を求めにやって来たのだが、計画変更。ここで魔獣を殲滅出来たなら、手間が省けるというものだ。



「襲ってくる気が無いのか。何かを見計らっている?」



 遠くで怪しく煌めく赤い光。魔獣グレイウルフの、狂気に染まる瞳である。それらは小刻みに位置を変えながら、付近を駆け回った。どこか、アクセルを誘導するような動きである。



「きっと罠だろう。だが、乗ってしまった方が手っ取り早い」



 アクセルは、前方の光を頼りに山道を駆け回った。雑草を掻き分け、茂みを乗り越えて、大木の脇を通り過ぎようとした。その時だ。


 頭上から微かな音、重たい風も降り注ぐ。剣で受けるか、いや間に合わない。その場で前転して転がり、猛烈な攻撃を避けた。


 すると元いた場所は地面が砕け、大きなクレーターが刻みつけられた。



「お前は、ギルゼンの取り巻き……」



 男は大剣を持ち直しては振り向いた。真っ赤な短髪に鋭い眼。全身に残る傷跡も手伝い、威圧感が凄まじい。



「今のを避けたか。まぁ、これぐらい出来なくてはな、魔獣にむざむざ殺されるだけだろう」



 翻る黒色のマントも、戦略的価値が高そうだ。実際アクセルは近寄るまで、相手の存在に気づけなかった。



「私に何の用だ。魔獣を見失ったら困る。後にしろ」


「ほぉ。では闇雲に駆け回っていたのではなく、追い駆けていたと言うのだな?」


「近くに3体居る。誘うような動きを繰り返した」


「そうか。お前が逃げ出すようなら斬れ、と命じられていた。今の一撃を避けた事からも、中々の遣い手だと分かった。大口を叩くだけの事はあるらしい」


「それよりも退け。魔獣を見失いかねない」


「良いだろう。だが念のため監視は続けさせてもらう」


「好きにしろ」



 アクセルはそれからも駆け続けた。追走するように、先程の男が枝伝いに飛び回っている。鬱陶しいと思いつつも、遂には何も言わなかった。



「アクセルよ。止まれ。周りに気づかないか?」


「殺気がより濃くなった。敵の数も増えているようだ」


「どうやら、魔獣にとって快適な地勢らしい。このまま行くのか? 相手の庭で闘うようなものだぞ」


「お前には関係ない」


「その通りだ。オレはあくまでも監視者だからな」



 そんな言い合いも、目の前の景色が変わった事で止まる。そこは斜面が削られており、長方形の穴が空いていた。人間が掘ったとしか思えない精密さも感じられる。



「これは、何の為のものだろうか」


「採石場かもしれん。それにしても脈絡がない。付近に整備された様子も無し。ギルゼン様から事前に聞かされていたなら、オレも驚きはしなかったのだが」


「本当に採掘場か? これを見ろ」



 アクセルは穴に降り立った。それほど深くはなく、せいぜい大人1人分だ。そして月明かりが照らす人影の方へと歩み寄った。相手は微塵も動かない。それは等身大の石像であったからだ。



「この辺りの風習では、採掘場で彫刻をするのか?」


「まさか。聞いたこともないし、意味があるとも思えん。観光地として芸術作品を展示する事はあるが、なぜこんな所に?」


「分からん事ばかりだ。それにしても、この石像の表情よ。芸術と呼ぶにしても悪趣味だと思う」



 老若男女、モチーフの幅は広いのに、表情はおおよそ一貫している。全てが苦悶の表情ばかり。まるでこの世の全てを恨むかのような、あるいは運命を呪うかのような顔だった。



「そうか、分かったぞアクセル。これらは魔獣の被害者たち。言うなれば遺体なのだ」


「遺体? この石像が?」


「説明しても良いんだが、時間切れらしい。オレはここで高みの見物をさせて貰おう」



 男は大木の枝に乗り、嘲るように言った。


 すると間もなく、辺りに遠吠えが鳴り響く。魔獣の気配は数を増やし、アクセルを取り囲む態勢になった。



「何のことが分からんが、ともかく討伐するのが先か」



 四足が枯葉を踏む。前後左右の全てから。アクセルは今、穴の中だ。攻撃の全ては上から来ると分かり切っていた。


 さほど脅威は感じない。素手で構えて迎え撃つ。牙を剥き出しにして落下する魔獣。身を屈めて避けて、腹を殴りつけた。振り向きざま、もう1体の首を蹴飛ばした。


 残すは、離れた位置に降りた2体。今度は先手を取る。潜りこむように駆け出す。それは誘いで、相手とぶつかる寸前に翔んだ。宙空で旋回して、かかとを背中に叩きつける。後は1体のみ。しかし、着地を狙われた。アクセルは足下を噛みつきによって襲われ、ついにはかすり傷を負わされてしまう。



「おのれ。素早い連中だ」


「残念ながら、お前はお終いだアクセル。間もなく死に至るだろう」


「何だと……!?」



 アクセルはすかさず異変を察知した。先程受けた傷口が灰色に染まり、周囲の肌からも色を奪っていく。まるで石化しているかのようだった。



「これは、どうした事だ……!」


「グレイウルフには石化の能力がある。そのため、討伐には細心の注意が求められる。お前は自身の強さを過信しすぎたな」


「クッ……足が、重い……!」


「もっと健闘するかと思ったが、期待外れだ。まぁ、冥土の土産だと思え。世界は危険で満ち溢れていると知れただろう」



 石化の進行は速い。既に左足全体が侵されており、腹を回って胸と右足にも侵食し始める。完全な石像になるまで秒読みという状況だ。



「ならば、師匠より譲り受けし、この秘薬を……!」



 アクセルは不自由な体で薬を取り出し、傷口に塗りつけた。しかし、すぐに石化の効果が押し寄せ、ついには全身にまで及んだ。アクセルの彫刻。それは足元から物を拾い上げる姿勢のままで、硬直していた。



「死んだな。まだ手合わせをしていないのに、少しもったいなかったか。いや、向こう見ずな男だ。大した者でもあるまい」



 監視の男は眼下の光景を見て、そう言い放った。抑揚の弱い、体温を感じさせない響きだ。


 しかし次の瞬間、アクセルの足首が七色に煌めきだす。それは足を伝って腹に胸、最後は頭までを輝かせた。そして何事もなかったように、その場で立ち上がった。



「ふぅ、さすがに肝が冷えた。賭けに近いものだったが、上手くいった」


「なぜ無事なんだアクセル!? お前は本当に人間か?」


「一応は人間、だと思う。血の色もお前たちと同じだ」



 アクセルはノンキな口ぶりとは違い、猛然と駆け出した。最後の一体、及び腰になる魔獣を蹴散らし、構えを解いた。


 しかし次の瞬間。辺りに稲光が走り、黒煙が巻き上がる。そしてグレイウルフが1体、また1体と姿を現した。



「これは、キリがないな」


「知らんのか、ならば聞けアクセルよ。手下を何体滅ぼしても無駄だ。親玉を討つまでは終わらんぞ」


「そうか。ならばソイツを倒すのみだ」



 アクセルは魔獣の猛攻をかわしながらも、その親玉について見当をつけていた。第二陣の登場からして、こちらの様子を窺える位置にいる。つまりは、戦場の窪地を見通せる場所となり、それは限られていた。


 しかし、辺りは深い闇夜。木の陰に隠れる程度でも、見つけ出すことは困難だ。相手の気配を探ろうにも、数多の殺気で溢れる状況では難しい。



「一瞬だ。蠢く殺気の途切れる瞬間に、気配を察知できれば……」



 依然として続く猛攻をさばきながら、意識は穴の外へ向けていた。相手の気配が零れ落ちるその瞬間を、虎視眈々と待ち続ける。


 一瞬のチャンスを待つ状況は、あの時に似ているなと思った。


 あれはいつの頃か。師匠ソフィアがローブを新調した時のこと。サイズ選びを失敗した為に、胸元が酷く緩んでいた。



「良いかアクセルよ。横薙ぎとはこうやるのだ」



 眼前で、ソフィアによって実演される技の型。前かがみの姿勢で大きく動くので、双房が大きく揺れる様が胸元から見えた。あと少し。ほんの僅かなズレで、魅惑の先端が零れ落ちそうである。



「重心は中心を意識。左右にブレない。丸太が背中に通った気になりながら、腰の回転を伝えるようにしてだな」



 大きな動き。ブルンブルンのポヨン。アクセルは冷静に観察し、その瞬間を待ちわびた。縦に横に揺れる柔らかで温かい塊。いつか自分だけのものになる大双丘。視る。ただじっと、凝視する。その時が来るまで、まばたきも忘れて。


 そして今、大ぶりの一撃が走り、ローブの形が儚くも崩れてゆき……。



「見えた!」



 アクセルは暗闇に向けてナイフを投げつけた。すると、小さな悲鳴の後、何者かがその場から遠ざかった。


 その動きに合わせて、周囲を取り囲む魔獣も撤退した。全ては一瞬の出来事で、追撃など不可能であった。



「どうやら親分とやらに当たったらしいな」


「中々の腕だなアクセルよ。しかし、いくらか危うかった」


「確かに無謀だったかもしれん。だが、収穫は十分だ」



 アクセルは地面に転がるナイフを回収した。その刃は、真っ赤な血に染まっていた。



「手の甲に当たった。良い目印になるだろう」


「なるほど、確かに傷は目立つだろう。しかし、自らを命の危険に晒してまで仕事に励むとは。一体何を考えているのやら」


「そういった強さはコウヤ村で教わった」


「コウヤ村? 知らんな」


「それよりもだ。監視はもう良いだろう。私は逃げも隠れもしない。いい加減つきまとうのは止めろ」


「そう言われても仕事なんでな。村から離れる時は、誰かしらが監視する事を覚えておけ」


「もうシボレッタに帰るだけだ。手傷を負った者を探したい」



 アクセルは、男を撒くつもりで駆け出した。しかし、追跡は厳しく、一向に突き放すことが出来なかった。


 やがて街道に戻り、間もなくシボレッタ村という坂道で、彼らは見た。闇の中、燃えさし一本という頼りない灯りを手にする少女を。



「アクセルさぁん。無事なの? 大変な目に遭ってない……?」



 戻るのが遅れたために、サーシャが探しにやって来たのだ。アクセルはすぐさま、彼女の前に舞い降りた。



「すまない、だいぶ待たせたようだな」


「アクセルさん! 良かったぁ、あんまりにも遅いから心配で心配で……。怪我はない?」


「そうだったのか。怪我は、無いと言ってしまって過言ではない感があると思う」


「何その言い回し……。もしかして危ない事してたの?」


「それよりもだ。魔獣の親玉が分かるかもしれない。まずはシボレッタに戻ろう」


「えっとね、それも大事だけど、ホラ。ご飯にしようって話してたよね?」


「あっ……」



 この時になってアクセルは思いだした。そして徐ろに付近に目を向け、闇へ小石を投げつけた。確かな手応え。そこには力なく倒れる蛇の姿があった。



「晩飯はこれだ。皮をひん剥いて焼こう」


「アハ、ハ。わいるどぉ……」



 それから門の外で火を起こし、調理を始めた。蛇の頭を落とし、毒嚢(どくのう)を取り去り、水でよく洗う。ギュギュッと身を絞って適度に血抜きして、皮をはいだら串刺し。後は火に当てて、表面が狐色になるまで焼き上げる。フツフツと弾ける脂が香ばしく、空きっ腹を刺激するようだ。


 最初は難色を示したサーシャだが、脂の匂いには勝てなかった。そして齧りつくなり美味い、脂が甘いと大喜びになる。アクセルにとっては慣れた料理で、特に感銘はない。いつの間にか、監視の目が消えたと思うだけだった。


 それからはシボレッタ村に戻り、仮眠をとる。宿屋に泊まれない身分なので、こっそり厩(うまや)に侵入した。敷き詰めたワラを寝床にするつもりだった。



「すまんな。一晩厄介になる。悪さをするつもりは無いから安心してくれ」



 最初は驚いた馬だが、アクセルの臭いで腰砕けになり、すぐに惚れ込むようになる。長い顔を延々擦り付けるという、熱烈な歓迎だ。



「サーシャ。泊まって良いらしい」


「あの、アクセルさん。先客が居ますけど、タヌキが……」


「ふむ。近寄らなければ平気だろう。同じ下宿人として、仲良くしたいものだ」



 2人に2匹という大混雑。しかし寝心地は悪くない。身を寄せ合った事で、温かな眠りを堪能できた。晩秋の冷えなど無かったかのように。


 あくる朝。アクセルは住民が起きだすのを待つと、村中を駆け回った。手傷を負った者が居れば、その人間が魔獣の親玉である。どこに居るか、隠れているのか、足の向くままに探し続けた。


 店先を掃除中の酒場、窓拭きをする宿屋、荷の受け渡しをする雑貨屋。それらに携わる全ての人を見たのだが、怪我人は全く見掛けなかった。


 それから大通りから路地へ曲がった所、知った顔に会った。ただし、喜ばしくない相手。虫唾が走る想いになる。



「おっと、誰かと思えば貧民剣士か。血眼になって駆けずり回るとか、貧乏暇なしとは言ったものだね」



 眼前に立ちふさがるのはギルゼンだ。艷やかな茶髪を指先で弄んでは撫でる。装いも銀鎧ではなく、緑の生えるレザージャケットを着ていた。襟元を見せびらかすように、指先で払い、付いてもいない埃の事を気にかけた。


 そうして見える手の甲。そこには真新しい包帯。手当して日が浅いと直感する。



「お前が犯人だーーッ!」


「えっ、何が!?」



 アクセルは指先を突きつけて、激しく糾弾した。その瞳に迷いや逡巡はなく、ただ純粋な達成感だけがあった。


 少し短絡的過ぎではないか。常人なら抱くだろう疑問など、過ぎりもしない。彼が突きつけた人差し指は、美しく真っ直ぐ、ただ正面に向けられるのだった。


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