第15話 ダイシュキ

 そろそろ足が疲れてきた。サーシャが遠慮がちに言うので、アクセルも小休止せざるを得ない。松の枝が炎で弾ける音を聞きながら、路肩に積み上がる箱に腰掛けた。


 夕日は山の向こうに消えた。日課である報告の頃合いだった。アクセルはサーシャに何か断るでもなく、袋から通魂球(つうこんきゅう)を取り出した。やがて水晶は温かな光に包まれ、1人の女性を映す。



「お待たせしました、アクセルです」


「今日も妙に遅かったではないか。だがな、宣言通り全く心配してやらなかったぞ。どうだ辛いか、悔しいかベロベロバァ〜〜」



 幻のソフィアは姿こそ淑女だが、態度はハナタレ小僧という歪さを見せた。


 アクセルにとっては別段珍しくもないので、静かに謝意を示すのみ。しかし同席するサーシャは違う。箱から転げ落ちんばかりに驚き、上ずった声で叫んでしまう。



「ええっ! 石の上に人が……!?」


「んなぁ!? アクセル、この小娘は何者だ! なぜ始めからツレが居ると言わんのだ!」


「しかも良い大人なのに、子供みたいに舌出して騒ぐなんて……変な人だなぁ」


「うぅぅウルサイ! 忘れろ! 記憶から抹消するのだ!」


「落ち着いてください。師匠のベロベロバァは気品に満ち溢れており、上質で味わい深きもの。そこらの悪態とは訳が違います」


「ンミャアアーーッ! 良いから忘れろコノヤロッ!」


 

 仕切り直し。


 アクセルは今日、シボレッタでの出来事を語りだした。言葉の端々に、普段とは異なる熱が籠もる。その些細な変化を見逃す程、保護者(ソフィア)は迂闊ではなかった。



「珍しいものだ。貴様がそうも怒りを露わにするとは」


「自分でも理解しきれず、いささか困惑しております」


「そもそもだ。怒るという感情を持ち合わせていたのだな。山で暮らす間、貴様には相当な仕打ちをしたと思うが、一度さえも見ることはなかった」


「相当な仕打ち……ですか」



 アクセルは、辛い記憶を呼び覚まそうとして、心の奥深くを探った。


 脳裏に浮かぶのは少年時代で、真冬でのこと。神精山は標高の高さから強烈に冷え込み、様々なものが凍りつく。ソフィアたちが住まう泉の小屋は、様々な工夫から守られているものの、冷気は襲ってくる。半袖1枚で過ごしていると、ほんのりと人肌が恋しくなるのだ。


 そんな時は決まってソフィアの姿を探す。彼女はベッドで昼寝する事が多い。アクセルは無断で乙女の寝具に潜り込み、高イビキする体を抱きしめた。そして自分のアゴを、ムニッムニでムニョポヨンな塊に乗せて感触を楽しむ。そして鼻先は相手の脇に付けて、腹の底から深呼吸。それが定番フォームだった。


 スゥ、スゥ、ハァーー。スゥスゥハァーー。濃い体臭に脳を揺さぶられる。鼻孔が、華やかで生々しい甘みに染められていく。甘美なひとときによって魂は形を失い、溶け崩れて、どこまでも流されてしまいそうだ。


 しかし遂には叱られる。眠れんだろうがと叱責を受けた。そうして『楽園』から引き剥がされると、アクセルの心は壊れた。何を見ても、何を聞いても反応を示さなくなったのだ。


 この時に幼心は思う、世界は灰色なのだと。


 その哀しみは晩餐に用意された、子ヒュドラの頬肉ステーキや、たっぷり蜂蜜ベイクドケーキでも癒せはしない。結局はソフィアに強く抱きしめられたことで、心の傷は塞がったのである。



「懐かしい話ですな」


「何がだ、急に?」


「最終試練が終わりましたら、久々にお願いしたいものです。師匠のムニッムニで暖まりたい」


「こっ……この馬鹿! ドスケベ! 落日のヘンタイ! 臆面もなく言うことではないし、そもそも人前だぞ!」


「申し訳ありません」


「フゥ、フゥ……まったく。貴様というやつは!」



 いつものように、説教多めの展開で報告が終わる。アクセルは静かに水晶を袋にしまい、長い息を吐いた。いつぞやのムニムニ深呼吸にも似た、長い長いものが。



「なんだか嬉しそうだね、アクセルさん」


「そうだろうか。少なくとも、怒りは吹き飛んだ気がする」


「ところで、さっきの女性は誰? 凄くキレイな人だったけど……」


「おぉサーシャにも師匠の良さが分かるか、そうとも最高のお人だ。強く気高く暖かく、それでいて割と隙だらけ。本人はしっかり者のように考えてる節だが、たまにチラリと見せる失態があまりにも、あまりにも尊い。尊さが魂に突き刺さって小麦パン3斤は平らげてしまいそうだ。そもそも大量のパンを買った試しは無いのだが仮に手元にあったなら証明したい所だぞワッハッハ」


「えっと、その、恋人同士?」


「いや違う。師匠と弟子の間柄だ」


「そう、なんだね……?」



 サーシャには、単なる師弟だと思えなかった。お互いに向ける熱量が、感情が、明らかに常軌を逸していた。見た目の歳も近く、夫婦だったとしても不思議ではない。


 しかし師匠は嫁を探せと命じる。弟子も何ら疑問を持たずに遂行しようとする。これは一体何故なのか。この歪さは何なのか。サーシャは読み解く事が出来ずにいた。



「さてと、そろそろ動き出すか」



 アクセルは、長考中のサーシャを連れて、再び村の中を巡った。既に陽の落ちた宵の口だ。それでも村人たちは家路に着く事もなく、酒場に露店にと足を運び、晩餐を愉しもうとする。その賑わいぶりは、昼間よりも活気があるのではと思える程だ。



「人が多い。誰も寝ようとはしないのだな」


「娯楽がお酒くらいしかないから、遅くまで飲んでるみたい。村の中なら安全だし」

 

「ふむ。年頃の女達も多く居ることだし、そろそろ試練の方も進めよう。ようやく嫁探しを実行できるというものだ」


「えっと、それは今から?」


「そうだ。だいぶ滞っていたからな。そろそろ成果の1つも欲しい」



 アクセルは路地裏に足を向け、壁を背にして立つ女に話しかけた。妖艶な佇まいだ。かがり火が照らす薄着の装いは、日中ならば肌が透けて見えたろう。炎の陰影も艶やかさを高めるようで、煩悩をくすぐる手助けをした。



「突然失礼する。お前の年齢を聞きたい」


「アタシ? 21だけど」


「そうか。ならば私と愛について語り合わないか?」


「フフッ。変な言い回しだこと。一晩800ディナ、キスは無し。それで良けりゃお相手するよ」


「語り合うのにも金が要るのか」


「悪いけど趣味でやってんじゃないんだ、立派な飯の種だよ。値切りもお断りだから。そこは気前よく払っておくれ……」



 その時、女の値踏みする眼が大きく見開かれた。純白の裾を見咎めたからだ。



「えっ、どうして兎贄が! もしかしてアンタ、村長やメキキ家とモメた奴かい!?」


「確かに一悶着はあった」


「勘弁してよ。アタシまで睨まれちまうだろ。さっさと他所に行っておくれ」



 追い払われてしまえば、アクセルにも留まる理由がない。その場は離れて、しかし探索の手は緩めず、道行く女性に声をかけ続けた。



「すまない。嫁となる人物を探している」



 夜道で話しかけるのは、それ自体がリスクだ。いっそうの慎重さを求められるのだが、あいにく、アクセルには欠落する要素だった。



「私と『雄しべ雌しべ』の関係にならないか?」



 下手である。とてつもなく、絶望的に。


 女性と見るなり片っ端から声をかけるスタンスも、決して褒められたものではなかった。


 やがて彼の懸命さは『企み』として浸透してしまう。禁忌の少女を連れ歩くのも悪目立ちした。あちこちから、ヒソヒソとした敵意が聞こえだし、とうとう撤退を余儀なくされた。


 そうしてアクセルは、サーシャを連れたまま村の門へとやって来た。一応門番は居るのだが、酒瓶を抱えたままで夢見心地だ。門のかんぬきは外れており、1人がにじり出る隙間が開いている。



「ふむ、失敗したな。間が悪かったのだろうか」



 反省の弁はサーシャを驚愕させた。手法や言い回しではなく、まさか時の運が原因だと判断するだなんて、衝撃的である。



「いやいやいや、口説き文句! あんなんじゃ乙女心は揺れないってば!」


「乙女心? 何だそれは。知っているのなら教えて欲しい」



 アクセルの引き締まった顔が、サーシャの傍に寄る。呼吸が触れ合いそうな距離だ。純朴な『乙女』としては、反射的に顔を反らしてしまう。



「アタシも、実はそんなに詳しくないかな。ほら、まだ15歳だし、何も経験ないし。ごめんなさい」


「いや構わん。お陰で良い事を聞けた。そうか乙女心、乙女心、オトメゴコロ……」


「アハハぁ……お役に立てたなら嬉しい、かな」



 話に一段落がついた。すると、辺りにグゥと大きな音が鳴る。出処はサーシャで、何度も繰り返し音を響かせた。



「あ、いや、聞かないで! 今日はお昼から何も食べてなくって」



 そう語る間も鳴り止まない。ついにはズゴゴォンとか、ズゲェェといった、腹の音とは思えぬ響きに変質した。それは邪悪な亡者の悲鳴にも似ており、ともかく緊急的である事は明らかである。



「言われてみれば空腹だな。すぐに食事の用意をしよう」


「それなら、この辺に美味しズゲェェ店があるよ。凄く良い匂いがズゴゴォン、いつも気になってたんだぁ」 


「ふむ。そこで食事を摂るには、金が要るのでは?」


「そりゃもちろん。でも、ズゲッズゲェェ高くないかな? 露店の方は、ズゴゴゴォ串が1本で10ディナくらいだと思う」


「ムリだな。外で調達してくる」


「えっ。止めとこうよ、夜は危険だってば。もしかしてお金を使いづらいの? 節約とかしたいのかな?」


「そもそも金を持っていない。ディナとやらも馴染みが無いのだ」


「えぇーーッ! まさかのノーマネーーッ!?」



 サーシャは、この短い間に何度驚かされたのだろう。もはや指折り数える事すら煩わしい。


 旅人一家であった彼女からすると、蓄えが皆無という事実は、にわかに信じがたいものだった。不測の事態に備えるには、まとまった資金は必要不可欠である。そうでなくても宿賃にしろ、足代にしろ何かと金がかかるものだ。


 資金無しの旅とは、綱渡りどころか、綱の上でタップダンスを踊り狂う暴挙だと言えよう。



「嘘、そんな生き方って……今までどうやってきたの……」


「ともかく食事を用意しよう。サーシャはここで待つように」


「準備って、ねぇ! どうするつもり!?」



 アクセルは、サーシャの問いかけに答える代わりに、自身の行方を示した。屋根の無い門を一息で飛び越え、そして夜闇の向こうへと消えていく。



「行っちゃった。それにしてもアレだな、アクセルさんって……」



 何もかもが規格外の男だ。戦えば異様に強い。体つきは逞しく、そして不器用ながらも、優しさを持ち合わせている。清廉な所もあるように思えた。


 しかしその一方で、常識に疎く、マナーやデリカシーに欠ける。取り分け、貨幣を知らない事は目が飛び出る程に驚かされた。



「アクセルさんって、凄く変な人!?」



 大正解。的を精密に射た表現だ。


 あの人物を一言で言い表せば、変人としか評しようがない。悪人ではないのだが、とにかく変、という印象が強いのだ。


 そうと気づけば、接し方も変わるだろう。緩やかに距離を取るなどして、警戒心を抱くはずだ。


 しかしサーシャは違った。出会った初日とはいえど、既にアクセルに心酔しているのだ。言うなれば『シュキシュキ ダイシュキ』の状態である。



「アタシがしっかりしないと。アクセルさんを支えてあげないと……!」



 サーシャは門前で1人きり、気持ちを新たにする。胸元に握りこぶしを作って、『エイッ』と気合いを込めながら。


 ちなみにアクセルは間もなく、夜闇の中で血みどろの戦闘を繰り広げる事になる。そんな事は、村で待つサーシャが知るはずもなかった。


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