第17話 兎贄と予感

 ギルゼンに指を突きつけての糾弾。辺りは水を打ったような静けさになり、大通りのにぎわいが鮮明に聞こえるほどだ。



「お前が犯人だ」



 アクセルは繰り返した。すると、ようやく理解したギルゼンによって、冷たく睨まれてしまう。複雑な感情の入り交じる視線なのだが、好感を思わせる色は1つとして無い。



「お前さぁ。何を疑っているか知らないけど、今ので死んだぞ? メキキ家の人間に無礼を働くなんて、斬り殺されて当然の暴挙だぞ」


「家など関係ない。言い逃れにもなっていない。お前がグレイウルフを統率し、けしかけようとする黒幕だ」


「せめて順序立てて、分かるように言えって」



 アクセルは迷いを見せず、速やかに証拠を指さした。真新しい包帯の巻き付く、左手の方を。



「昨夜、魔獣の親玉に手傷を負わせた。投げナイフだ。手の甲に当たった事は間違いない」


「それだけか? ではせめて、左右どちらの手に当たったか、それくらいは覚えているよな?」


「サユウ……」



 状況を振り返ってみる。昨夜、暗い森の中。ナイフが刺さったことで、ほんの一瞬だけ露わになった敵の姿。性別や体格は分からない。視えたのは、木の幹を背にした人物の、手前側の手に刺さった事だけだ。


 つまりは左手となる。しかし、アクセルは致命的なことに、左右の概念が分からない。



「右か左のどちらかだ」


「フザけてるよな。馬鹿にしてるよな、我がメキキ家を」


「ではこちらから聞くが、なぜ包帯を?」


「朝のティータイムに茶を溢したからだ。それで火傷の手当を……」


「そんな都合よく火傷などするものか、素直に白状しろ!」


「うるさい! 理不尽に詰め寄るな、吠えるな、無礼討ちするぞ!」



 言い争いは加熱していく。アクセルとギルゼンは、互いの額をぶつけ合わん程に近づき、にらみ合った。両者ともに一歩も譲らない。


 付き添いのサーシャは慌てに慌てた。どうにか穏便にと思い、宥めようと試みた。



「あの、2人とも、1回落ち着きましょ? もうちょっと冷静になった方が良いから!」



 しかし2人に声は届かない。そもそも背丈が足りず、彼らの視界から外れている。不足を補う為に背伸びをし、続けて飛び跳ねてみるが、好転する気配すら無かった。


 まさに一触即発。危険な状況は続いた。だがそれも、不意に第三の男が登場した事で、事態は急変していく。現れたのは村長コエルである。



「おや、これはギルゼン様。このような所でどうされました?」


「うるさい。今はお前なんかに構っている場合では……」



 ギルゼン、そしてアクセルの視線がコエルの方を向いた。肥え太った顔に広めの額。額に浮かんだ汗を拭う手。その左手に巻かれた新しい包帯。


 それを目にした瞬間、ギルゼン達は高らかに叫んだ。



「お前が犯人だーーッ!」


「えっ、何がでしょうか!?」


「とぼけるな、魔獣騒動の首謀者だ。大人しくしろ、メキキの名において、この場で討ち取ってやる!」


「この怪我が? これは朝のティータイムで火傷したものでして……」


「そんな都合よく火傷する訳無いだろうが!」


「ええぇーー! 良くわかりませんが、どうかご勘弁を!」



 ギルゼンの全意識はコエルに向けられている。除け者となったアクセルは、眼前の光景を眺める内、疑問が生じてしまう。



「もしや、手傷だけでは証拠として弱いのか?」


「ようやく考え直してくれたの? 良かったぁ……」


「サーシャ。そんなに息を切らして、どうしたのだ?」


「えっと、少し多めに、ピョンピョン跳ねまくってたんで……」


「黒幕については、更に調べを進める必要があるだろう。では行くか」


「まだケンカしてるけど、放っておくの?」


「別に。止める理由もない」



 怒号と謝罪で騒がしくなるのを無視して、アクセルは背中を向けて立ち去った。サーシャも何度か振り返りはしたものの、結局はアクセルの後に続いていく。


 そうして2人は、村の大通りへと戻った。



「ふむ。引き続き調べたいのだが、別の手がかりが欲しい所だ……」


「アクセルさん。とりあえずは聞き込みズゴゴォン良いよ。どこにシュゲェェがあるか分からないし」


「サーシャ。もしかして腹が減っているか?」


「あっ、ごめんなさい。うるさいよね」


「謝ることではない。お前は食べ盛りなのだから。どれ、早速イノシシなり熊なり狩ってくるか」


「待って、お店で仕事を手伝ったらお金が貰えるの! 少しくらい稼がないと、色々不便だと思うの!」


「手伝い? そんな暇があるなら調査を進めたいのだが……いや待てよ」



 何かを思い出したアクセルが革袋を漁る。そうして取り出したのは七色に煌めく拳大の石だった。



「師匠より、これを頂戴した。金に換えろと言われたな」


「ふぇぇ、キレイ。それズゴゴゴ精霊石だよ! たぶん、ドュユバァァン高く売れる!」


「そうか。ならば早速買い取って貰おうか」


「お店ならこっちだよ、じゃあデュプププ」



 サーシャが案内したのは、村中央にほど近い商店だ。向かいの大きな宿屋によって、店全体が日陰に覆われており、少しだけ陰気な印象がある。


 入り口の木戸は開いていた。そこは老舗の雑貨屋だった。棚には食料や食器、調理器具などに加え、医薬品やマントという旅の必需品までも並ぶ。品数の豊富さから、店内は傍目より狭く思えた。


 アクセルにとって初めての売買だ。つい、入り口で立ち尽くしていると、カウンターの向こうから声をかけられた。



「アンタは客か? そこに突っ立ってると邪魔だ、退いてくれ」



 店主は物憂げに言った。総白髪で、細い目、顔の左側で片眼鏡(モノクル)のレンズが微かに光る。油断のならない目つきである。



「物を買い取ってくれる、と聞いたのだが」


「一応はな。だが、何でもとは言わん。価値があるものだけだ」


「この石なんだが、どうだ」


「ムムッ、それは……!」



 アクセルが差し出すと、店主は腰を浮かして前のめりになる。そして片眼鏡を忙しなく微調整して、美しく輝く石を眺めた。



「精霊石……それも凄まじい純度。こんな田舎村では目にかかれん、まさに一級品だと言えよう」


「買い取ってくれるのか?」


「言い値にて、と言いたいところだが、済まない。買うことは出来んのだよ」


「無理なのか。随分と気に入って貰えた様だが」


「精霊石は勝手な取り扱いが禁止されていてな。王国のお墨付きが必要だ。もし売りたいのなら、許認可店舗のある街まで行くか、専門業者の行商人を探すと良いだろう」


「なるほど。そういうものか。行商とやらは来ているか?」


「あいにく、どこかへ旅立ったばかりだ。この先半月は来ないだろうよ」


「そうか。サーシャ、残念だが金の工面は難しいようだ」



 ジュゴォォン、ジュゲゲゲェェ。



「店主。何か仕事はないか? 手間賃を稼ぎたい」


「そうか、有るには有るぞ。こっちだ」



 店主が手招きする。誘導先は裏手口で、路肩に大きな麻袋が積み上げられている。



「これは商品か?」


「そうだ。仕入れ業者の奴ら、裏口なんぞに置きやがった。倉庫まで運べと言ったら別料金だと吹っかけられた。安さだけで相手を選ぶとロクな事にならんな」


「全部で10袋か。二往復で十分だろう」


「待て待て。中身は染料やら、挽いた小麦だ。見た目よりも遥かに重たい。2人がかりでやっと、という所だ」


「分かった。手間賃は?」


「全部運んで300ディナだ。買い取り出来なかった詫びも含むから、これ以上は出せんよ」


「良いだろう。任せろ」


「腰をやらんように気をつけろ。反対側はワシが持つから、掛け声を出し合って……」



 店主は溜息を吐いては、麻袋に近寄った。そして大きく開いた手で、袋の両端を握りしめたのだが、その隣での出来事に驚愕させられた。


 アクセルが、1番下の袋を握ると、難なく立ち上がってみせたのだ。5袋まとめて担ぐ形だ。


 店主は思わず口を開け広げて驚いた。その拍子に片眼鏡が袋の上に落ち、慌てて拾い上げる。



「倉庫はどこだ。教えてくれ」


「あ、あぁ良いとも。それにしてもお前さん、とんでもない力持ちだのう」



 倉庫はそれほど遠くはない。数軒分だけ歩き、朱レンガの大きな家屋前で、ドアを開いた。中は漆喰壁のみで窓すら無い小部屋だ。その一部屋分のスペースに、数多の木箱や麻袋が積み上がっていた。指示に従い、所定の位置に置いた。


 その作業を二往復。公言した通りに、店主の依頼(ミッション)を完了(コンプリート)したのだ。



「いやはや驚いた。まさか1人でやってしまうとはな。しかし、申し訳ないが300以上は出してやれんのだ」


「そういう約束だった。別に欲張ろうとは思わん」


「ともかく助かった。手が空いたなら、また何かしら頼みたい。真面目な働き手は何人居ても足りんからな」



 アクセルの掌に銀貨が乗せられた。100が3つで300。それくらいなら彼も計算できる。



「サーシャ。待望の金だ。これで足りるか?」


「凄い凄い! アクセルさんだったら、日雇い労働者の伝説になれますよ!」


「いや、私は剣聖になるつもりだが」



 アクセルは、せっかくの銀貨を懐にしまわず、カウンターの上に置いた。



「店主よ。これで食料を買いたい。買えるだけ頼む」


「なるほど、そう来たか。では多少なりともサービスしなくては、無粋というものだな」



 店主は店の片隅、窓辺の棚を物色した。そして手際よく商品を手に取っていく。


 狐色の小麦パンが5点、ホールチーズ1点に干し肉が1束。更に葉野菜のオリーブ漬け2瓶と、ブドウ酒まで付けた。



「ホレ、これでどうだ。革袋や瓶の入れ物もくれてやろう」


「十分だと思う。世話になった」


「また来ておくれ。お前さんなら、いつでも大歓迎だとも」



 雑貨屋を後にすると、壁脇に積まれた木箱に腰掛けた。そして成果物を並べて、遅すぎる朝食を摂る。道行く村人が怪訝そうに見るが、アクセルは他人の動向を気にしない。そしてサーシャも、食事に夢中で視線など気にも留めなかった。


 サーシャは小麦パンを両手で持ち、一心不乱にかじる。味わいに満足がいったのか、咀嚼(そしゃく)する度に笑みを浮かべた。


 ガジガジ、ニコッ。ガジガジ、ニコォ。


 それを眺めるアクセルは、昨夜のコリスに似てると思った。思いはしたが口に出さず、細長のパンを1つ、かじり始めた。



「サーシャ。以前はどのような食事を?」



 その質問に、笑顔が少しだけ曇る。喜びに水を差す問いだったのだ。



「村長さんの残り物だったよ。食べかけのパンとか、パイとか、あとは具のないシチューとか。それを皆で分け合うから、あまり多くは食べられなかったな」


「皆? 他にも兎贄(とにえ)が居るのか?」


「うん。アタシ以外に4人。年齢も結構近いよ」


「少し多すぎるのでは? 兎贄とは、何人も必要なものなのか?」


「さぁ、それは分からないよ。でも家のお仕事は沢山あったから。5人がかりでやっと、だったかな」


「そういうものか」



 そのとき、アクセルの視界の端で誰かが倒れた。目を向けると、サーシャと同世代の少女が道に突っ伏していた。


 通りの人々は誰も手を貸そうとしない。少女を立ち上がらせる事も、運んでいた水桶を拾う事さえも。



「この村の連中は薄情だな。コウヤ村から学ぶべきだ」



 アクセルは木箱から降りて、そちらへ歩み寄ろうとした。しかし、その脇をサーシャが追い抜き、いち早く駆けつけた。



「シセル、大丈夫!?」



 サーシャは、ボロを着た少女を抱き起こした。


 シセルの顔は、伸び晒しの茶髪に隠れており、表情が見えない。身につけるローブも粗末で、赤に黒にと汚れが激しい。靴代わりに巻き付けた革紐も劣化のため、今にも千切れそうだ。極めつけに両手には無数のあかぎれ、スネも傷跡が多く、見るだけでも痛々しい。


 これが兎贄達の本来の姿である。生贄として、姿かたちを整えられたサーシャとは違うのだ。



「アナタは……サーシャ?」


「そうだよシセル。大丈夫? 疲れてるの?」


「離して。お屋敷に水を持っていかなきゃ。遅れてるから急がないと」


「だったらアタシがやるよ。仕事が増えちゃったんでしょ? それくらいは……」


「やめて。怠けるなってムチで打たれちゃう。良いから離してったら」


「そう、だよね。ごめんね……」


「アナタは良いわね。上手いこと抜け出せたんだから」



 ジゼルはよろめきながら立ち上がると、もと来た道を歩いていく。サーシャは後ろ姿が見えなくなるまで、その場から動けなかった。



「今のは知り合いか?」


「うん。同じ兎贄の子。1番仲が良かったんだ」


「もしかすると、調べるべきかもしれん」


「調べるって、シセルの事?」


「あの娘と、他の兎贄について。そうする事で、魔獣騒ぎが進展するかもしれない」


「そうかな。ちょっと分かんない」


「確証はない。根底の悪意というか、狙いが繋がっている気がしただけだ。それにな」


「それに?」


「他の子供たちも救ってやらねばなるまい。お前の気持ちを思えばな」


「えっ……。本当に、良いの? 皆の力になってくれるの?」


「そう告げたつもりだ」



 サーシャの胸に温かなものが灯る。アクセルが時おり見せる無骨な優しさが、たまらなく好きなのだ。何度でも何度でも惚れてしまう。彼の大きな背中に抱きつきたい気持ちは、自分の胸元で固く握りしめた拳に包み込んだ。


 

「ありがとう、本当に。アクセルさんには感謝してもしきれないよ……」


「礼など要らん。子供は大人に甘えるものだ。それはさておき、まずは腹ごなしだ。手早く食べ終えてしまおグォォォーー」


「アクセルさん?」



 サーシャは思わず耳を疑った。明らかに、聞き間違いようのない、完璧なイビキを聞いたからだ。今の今まで起きていたハズなのに。改めてアクセルを視てみる。地面に座ったまま、木箱を背もたれにして寝入る姿は衝撃的を通り越し、怪奇的の範疇だった。



「急に寝ちゃってどうしたの。もしかしてブドウ酒のせい……?」


「グゥグゥ、スヤァーー」


「お酒弱ッ! それなのに何で飲んじゃうの!?」


「スヤァーー。師匠、今夜はムニマシマシでお願いしますグゥグゥ」


「その妙な手付きは止めて! いや、そもそも起きてぇーー色々調べるんでしょーーッ!?」



 サーシャはあらん限りの手を使って起こそうとした。アクセルの肩を揺さぶる、頬を叩く、耳をかじる。寝顔の真ん前でスカートをはためかせ、チラチラさせても不発。彼が昼過ぎまで目覚める事はなかった。


 ちなみに眠りから覚めたアクセルは、直前までの記憶を当然のように失っていた。もちろん兎贄の調査も忘れていたのだが、助手(サーシャ)は優秀だった。彼女と会話を重ねる事で、辛(から)くも次なる目的を見失わずに済むのだった。



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