第9話 神剣一閃

 上空から超高速で落下。枯葉の地面を滑りつつ、しかし見事な着地を果たしたアクセルは、満足げである。



「よしよし。だいぶ村に近づいたのでは?」


「アクセル兄ちゃん、周り見てよ、周り!」


「どうした。そんなにも慌てて……」



 促されて周囲を見渡した。唖然と立ち尽くすアマンダにクライナー、取り囲むリザードマン達も同様だ。そして多量の流血。立ち話するには余りにも厳しく、付近は戦場の臭いに包まれていた。


 しかしアクセル、顔色をそのままに血の海の方へと歩み寄った。すみやかにマティスを背中から降ろし、横たわる体に手を添えた。



「大丈夫か、しっかりしろマジソン。すぐに治療を施してやる」



 血塗れのマジソンが微かな反応を示した。しかし、命の灯火が消えかけている事は、火を見るより明らかである。


 治療は手慣れたものだった。革袋を開き、傷薬を取り出しては薬剤を塗布。素早く、しかし丁寧に。周囲を魔獣に囲まれる状況でも、よどみは無い。


 やがて、いち早くクライナーが我に返った。すると荒々しく右手を突き出した。続けて号令を響かせる。



「どうやって嗅ぎつけたか知らねぇが、運の尽きだ。テメェら遠慮なんて要らねぇ。全員ブッコロだ!」



 リザードマンは瞳を赤く光らせると、我先にと攻めかかった。幾本もの石斧が、治療を続けるアクセルの体に振り下ろされていく。終わった。少なくともクライナーは確信し、ほくそ笑む。


 しかし次の瞬間、辺りに旋風が起きた。全ての魔獣達を吹き飛ばし、枯葉と砂埃も舞い上げる。やがて視界が晴れた頃には、アクセルが剣を振るった残身だけが残っていた。



「てんめぇ……何をしやがった。もしかして風魔法か!?」


「いや違う。剣を一振りしただけだ」



 アクセルの右手には、確かに剣がある。ただし、刃は見えず、いまだ鞘に収まったままだ。まだ抜き放ってはいない。



「鞘でぶっ叩いたのか。抜きもしねぇとは、その余裕がムカつくぜ……!」


「それよりもクライナー。早く逃げたほうが良い。ここは昼間だというのに魔獣が出るぞ」


「……ハァ?」


「お前は弱いからな。別に死なれても困りはしないが、命が惜しければ立ち去る事だ」


「おい待て、テメェは全てを見破ったから、ああまでして駆けつけたんじゃねぇのか?」


「何の事だ。私はただ、薬草を手早く届けるべく、飛んで来たに過ぎない。ここは、あくまでも通過点だ」



 アクセルは、隣のマティスに目配せを送った。遠慮気な頷きを見ては、再びクライナーの方を向いた。鼻息を放つ顔も、どこか誇らしげである。


 一方でクライナーは、頭を抱えそうな程に苦悶し、身悶えた。



「チクショウが……しまらねぇな。何でこうも、とっちらかってんだ!」


「それよりも早く逃げろ。魔獣に襲われてからでは遅いぞ」


「今まで何を見てやがった! ついさっき、オレが魔獣に命令しただろうが、そういう事だよ!」


「どういう事だ?」


「それからこの目を見ろ、赤く光ってんだろ! 分かりやすく人間を超越してやったろ!」


「それが何か関係するのか?」


「ほんっっとに察しが悪いよな、テメェはずっと! 良いから聞け、オレ様が黒幕だったんだよ!」



 それからは青空の下で座学。一体どんな経緯で、そしてどんな思惑があったのかを、怒鳴り声とともに説明された。その一方で、アクセルは仏頂面のまま耳を傾けるので、光景は異質そのものだ。


 異常者空間。傍らのマティスは気圧されたように数歩、後ずさる。そこで背後から抱きしめられた。温かな両手は見覚えがある。アマンダのものだった。



「良かった、無事だったんだね。心配させんじゃないよ」


「ごめんよアマンダ姉ちゃん。ところで、兄ちゃん達は何をしてんの?」


「何って……さぁ?」



 延々と奇声混じりの声で教えるクライナーと、ぼんやり顔のまま首を捻るアクセル。その非対称な2人は、やがて1つの着地点を迎える事になる。



「ハァ、ハァ、どうだ。オレが教えてやったこと、全部言ってみろ!」


「お前はマジソン団の下っ端として、虚しい日々を送っていた。ある日、村で病が流行り始めた頃、不思議な声を聞いた。それを機に魔獣の力にも目覚めた」


「そう、そうだよ。続けろ」


「魔獣を呼び出しては、近辺で暴れさせた。ついでに行商人も襲わせる。、すると村は孤立するしかない。そうして関係がこじれていく様を、ひっそり嘲笑いながら眺めていた」


「やっと覚えたかオイ。これで全部分かったな!」


「ウム……ウムム……」 


「まだ何かあんのかよ!」


「なぜ村人を虐げ、襲うのだ? 恨みでもあるのか?」


「恨みなんかねぇよ。オレとしちゃ、こんなチンケな村に興味なんかねぇ……だがよ」



 クライナーの瞳が赤黒く煌めく。射抜くような光が、途方もない恐怖を誘い、見る者の心を縛り付けた。マティスとアマンダは、全身が凍りついたかのように動けなくなる。



「雑魚どもをブッ殺すのは愉しい。嘆きながら力尽きる姿は何度見ても飽きねぇ。夢も、希望も、全てを踏みにじってから殺すのは最高だ! 分かるかこの快感が。オレが世界最強だから出来る事だ!」


「ほぉ……世界最強?」


「オレを縛るものは何もねぇ。自由! 自由ッ! 自由なんだよ! これが強者の特権だ! クソ雑魚どもはオレの気分1つで首が飛ぶ、腸(はらわた)が千切れる、血の海に沈む! さあ畏れ、崇めろ。クライナー様にひざまずけ!!」


「これが威張り散らす、というヤツか。そんなにも愉快か?」


「もちろん、愉しくて仕方ねぇよ。どうせテメェも同類だろうが。強ぇ奴がこの世を支配する、とか考えてるクチだろ?」


「そうだな。強者こそが法であり、力が全てだと思う」

 

「そうかそうか、だったら同類だ。オレの手下になりやがれ。パシリぐらいには使ってやるぞ」



 クライナーは、呼び寄せるかのように手を差し出した。


 しかしアクセルはそちらに背を向け、歩みだす。そして震えるマティスの頭を撫でつつ、囁いた。柔らかな口調からは、慈愛の情が滲んでいる。



「このマティスは、少年の身でありながらも、決死の覚悟で森を駆けた。魔獣に襲われる恐怖に堪えながら」



 アクセルは続けてアマンダの青白い顔を見た。



「アマンダも、終わりなき病の猛威に立ち向かった。身の危険も顧みず、単身で森に挑んだり、あるいは献身的な看病を続けるなどして」



 それから視線を落とし、うめき声をあげるマジソンに目を向けた。



「この男も、信念を貫いた。誤解から生じた罪を着せられても、村のために魔獣を打ち払った。ついには身を挺してまで、守るべきものを守ろうとした」



 最後にもう一度、クライナーの方を見た。視線の先には、野太い犬歯を見せつけるように、歪んだ顔が見える。



「さっきから何が言いてぇんだ、テメェはよぉ!」


「彼らが見せたもの、それも強さだ。腕力や武技によらない、魂の力だ。敬意を表するに値しよう」


「そんな下らねぇモンが強いだと? 綺麗事だ! どんだけ御託を並べようとな、力の強い方が勝つ。それがこの世界のルールだろうがよ!」



 闘気が辺りに満ちていく。頃合いか。アクセルは腰を落として臨戦態勢に入る。


 すると、それを諫めるような手が、アクセルの肩を叩いた。



「待てよ剣聖さま。手下の不始末は、親分がとるって相場が決まってんだ」


「マジソン。気がついたのか」


「ここはオレに任せてくれ。あの野郎の首を、性根と同じくヒン曲げてやる」


「あまり派手に動くな。さもないと傷口が開いて、肉が腐り落ちるぞ」


「どう言われようとオレはやる……って何それ怖ッ!!」


「しばらく休んでいろ。すぐに終わらせる」



 アクセルは前進し、1人でクライナーと相対する位置に立った。腰に手を伸ばす。そして縛めを解き放ち、鎖を地面に置いた。するとその重量だけで地面が悲鳴を上げ、大きな亀裂を作った。光が届かない程に深く、奥まで見通す事ができない。



「クライナーよ。私はな、これまで迷っていた。何を斬るべきかについて。だがやっと理解した。お前のような奴を斬り捨てるべきなのだと」



 アクセルは静かに柄を握りしめ、抜き放った。そうして掲げられた長剣は、刃が実に美しい。鏡も同然に曇りなき刀身には、光の粒子が煌く。自ずと発光しているとさえ思えた。


 さながら小さな太陽が、剣に宿ったかのようだ。



「師匠より預かりし神剣だ。これを見たからには、もはや命は無いぞ」


「珍しい『オモチャ』を振り回してご満悦かよ。良いだろう。力の差ってもんを教えてやるよ……!」



 クライナーは腰を落とし、力を溜めた。やがて大地が震え、嵐を思わせるほど木々が揺れだす。彼自身も要望が変質し始める。肌は赤黒く染まり、鱗が刻まれ、顔もリザードマンのものに成り代わる。更には体格だ。小男だった姿は大木と並ぶほどに巨大化し、アクセル達を見下ろすようになる。



「どうだ! これが選ばれた男の、真の姿だ! テメェらゴミクズどもが、どう足掻いても太刀打ちできねぇ圧倒的な力だ!!」



 単なる話し声ですら肌がひりつく。もはや強さとは何かと言える段階ではない。矮小な人間とは比較にもならない巨人を相手に、戦える術など残されていなきのだ。


 これには百戦錬磨のマジソンですら、たちまち腰が抜けそうになる。魔獣など比較にもならない異次元の恐怖。約束された死。小刻みに震える足で、立ち続けるのが精一杯という有様だ。



「アマンダ、マティスを連れて……」


 

 辛うじて飛び出た言葉も掠れる。2人に動きはない。視界の端で、アマンダが硬直しているのが見える。それはマティスも変わらず、どちらも両目を見開いて立ち尽くすばかりだ。恐怖に囚われた事で、体の自由を奪われてしまったのだ。


 マジソンでさえ、いっそ心を手放してしまえば、と思う。さっさと楽になりたいという衝動が熱い。しかし、しかしと、僅かに残された気概を燃やす。


 そうして、作戦とも呼べない策を閃いた。捨て身の特攻である。それにはアクセルの協力が必要不可欠だった。クライナーに決して気取られぬよう、声を過剰なまでに潜めた。



「どうにかしてオレが時間を稼ぐ。だからオメェは2人を連れて……」



 マジソンは言い終える前、風に打たれた。すると、それまでに佇んでいたハズのアクセルが見えなくなる。


 消えたとしか思えなかった。実際は、敵に向かって一直線に翔んだだけである。ただし速さが尋常ではない。影すら見せぬ程で、放たれた矢すら凌ぐ、まさに人知を超えたスピードである。


 そんな攻撃に晒されたクライナーも、気づけない。むしろ勝ち誇ったような口上を、高らかに宣(のたま)うばかりだ。



「どうしたよ大斧のマジソン。随分と情けねぇツラを……」



 クライナーは最後まで言い終える事が出来なかった。まばたきの瞬間、遠く離れたアクセルの姿が、眼前にまで迫っていたのだ。防御はおろか、視認する事すら困難な神速だった。


 無表情の顔に張り付く瞳孔の開いた眼、振り上げられた剣。クライナーが目にした最期の光景でかる。



「いざ、さらば」



 振り下ろしの一閃。凄まじい剣圧は衝撃波を生み、切り裂きながら疾走する。それはクライナーの体を肩口から脇腹までを両断した。


 2つの体は次第にずれ落ち、倒れた。ドス黒い血が吹き出しては噴水のように溢れだす。一方で傷口は七色に輝いており、止めどなく流れる黒い血と争うようにも見えた。


 それは「浄化」という言葉を彷彿(ほうふつ)とする光景だった。

 


「グァァァーー! オレの、オレの体がぁーーッ!」


「言ったろう。この剣を抜かせたからには、もはや死ぬしかない」


「熱い、痛い、熱い痛い熱い痛いィィーー!」



 血が溢れれば溢れるほど、クライナーの体は萎んでいく。やがて、先程見た巨体からは一変して、人間の姿を取り戻した。


 ただし2つに別れた体は、そのままである。



「何で、どうして、このオレがこんな目にィィーーッ!!」


「ところでクライナー、1つ質問だ。決め台詞を失念していたのだが、何にすべきだろうか。ぜひとも一太刀浴びた者の意見を聞きたい」


「オレは声を聞いたのに! 人間を滅ぼせと、最強の体をくれてやるってアァァァァ! 嘘つき嘘つき嘘つきウソツキーーッ!」


「それよりも私の話を聞け。どんな決め台詞が良いか。やはり『成敗!』だろうか。それとも『死して滅びよ』だろうか。あるいは思い切って、腸をブチまけやがれ……」


「フザけんなよ、マジで。オレが世界を、ブッ壊してやるハズだったのに……」



 それきりクライナーは痙攣を起こして、動かなくなった。残された死体は色を失い、まるで燃え尽きた灰のようである。変わり果てた彼の亡骸は、吹いた風に崩れて、いずこかへと流されていった。



「聞けずじまい。まぁ良いか」


「お、おい。剣聖さまよ。終わったのか……?」


「無論だ。クライナーはこの世から消えた。もしかすると、魔獣も大人しくなるのでは?」


「すげぇ……聞いたかアマンダ! 戦いは終わったんだよ! これでもう魔獣に怯えなくて済むぞ!」


「アハ、ハ……。何だか色々ありすぎて、ついていけないよ。まぁ、マティスも無事だったし、アンタも生き返ったし、一件落着?」



 アクセルは、戦闘終了を告げるかわりに、剣を鞘に戻した。そして再び鎖で封をする。


 それが合図になり、マジソン達は皆、腰砕けになった。立ち上がろうにも膝が笑ってしまい、しばらくは動けそうになかった。



「つうかよぅ。剣聖さまの剣はとんでもねぇな。あんな化物を一撃とは」


「そうだろう、そうだろう。これは偉大なる師匠より借り受けた剣でな。神剣と呼ぶに相応しい」


「そんだけ立派なんだ。やっぱり銘があるんだよな?」


「銘とは、剣に授けられた名の事か。それはだな……」



 アクセルは記憶の棚を手当たり次第に引っ張り出した。しかし出てくる言葉は剣、剣、剣。固有名詞は1つとして浮かんでこない。


 そんな記憶を周遊する最中、師匠ソフィアとの様々な日々が蘇る。たとえば師匠の頬にご飯粒とか、寝癖が『?』の形を描いていたとか、心温まるものばかりが。



「銘は無い、と思う」


「そいつは良くない。仮でも良いから名付けてやれよ」


「私が勝手に?」


「オメェのような遣い手だ。そんくれぇお師匠さんも許してくれるだろうよ」


「ふむ。そうだな……」



 カタカタカタッ。ピッポッパッ!



「ではこれより、グレートソフィアと呼ぶことにする」


「へぇ。良いんじゃねぇか、強そうで」


「そうだろう。師匠は最高なのだ。素晴らしい偉大で偉大で素晴らしいんだ」


「分かった、分かったから何遍も繰り返すな。ともかく落ち着けっての、なぁ?」



 ここで皆が笑いだす。その声はしばらくの間、途切れずに続いた。それが呼び水となったのか、付近の木々に鳥達が戻り、心地よい鳴き声を響かせる。


 平和の到来を宣言する、そう伝えたいかのように。

 

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