第10話 別れは風のように

 晴れ渡る空を泳ぐ一筋の人影が、歓声を響かせた。木々を飛び越え、風を全身に浴びる空中遊泳だ。これはシナリマツとアクセルが贈る一大アトラクションである。子供2人を抱えたアクセルは、どこへ向かうべもなく、ひたすら大きく大きく飛び回った。



「すっごいすごい! メチャクチャ高ぁい!!」



 かなりスリリングであるものの、多感な子供たちには強く刺さる。村の傍で飛んで戻ると言うだけの事なのに、順番待ちが出来るほどの人気を誇った。



「ねぇアクセル兄ちゃん、もう1回お願い!」


「ずるいぞ、順番だぞ順番!」



 マティスの話を聞いた子供たちは、僕も私もとアクセルにせがんだ。そして列が何周したか分からないほど、繰り返しに飛ぶ事を強いられた。


 アクセルに疲労は見えない。ただ、ケンカまで起きるのは具合が悪かった。


 仲裁しよう。まずは間に割って入ろうとした。だがその時、ベルが鳴り響いた事で騒ぎが静まる。ガランガランという、少し重たさのある音だった。



「毎度おなじみ、行商ワタールでございまぁす。どうぞどうぞ寄ってらっしゃい好きなだけ! 見てみて触って買っていってチョウダイッッ!」



 すると子供たちは瞳を輝かせ、コウヤ村を目指して駆け出した。すでに『アトラクション』の事など眼中になく、アクセルを置き去りにしてしまう。



「やれやれ。子供とは凄いな、まるでエネルギーの塊ではないか」



 ようやく肩の荷が下りたぞと、1つ大きな伸びをした後、彼もそちらへと向かった。


 村の入口付近は大混雑だ。露店代わりに並ぶ荷台には近づくことも出来ず、遠巻きに眺めるのがせいぜいだ。



「凄い数だな。よっぽど待ち焦がれていたのか?」



 アクセルのつぶやきには、背後から返答があった。



「行商が来るだなんて、久々なもんでね。買い足したい物が多いんだ。仮に目当ての物が無くても、ああやって商品を見てるだけでも、楽しいもんさ」


「アマンダ。そう言うお前は行かないのか?」


「アタシかい? まぁね……」



 アマンダは遠くに目を向けた。そこに停車する荷台は3輌で、どこでも村人がひしめいている。品数も豊富。衣服に農具、小型家具や雑貨。他にも果物や保存食、子供向けの玩具まで揃っている。大人から子供まで夢中になるのも当然だった。



「今回は良いや。キショーダネ草が要るかなと思ったけど、マティスが持ち帰った分だけで足りそうだし」


「そうか。皆の様子は?」


「見てのとおりだよ。薬を何回か飲ませただけで、もうケロッとしてる。こうなると誰が病気なんだか、傍目からじゃ分からないね」


「笑っているな。みんな」


「アンタのおかげさ。感謝してる」



 アクセルはそれからも、歓喜に湧く村人を眺めていた。農具を片手に値切ろうとする男、2つの服に乙女心を揺さぶられる女、ガラス玉が木片の溝を走る仕掛けに大興奮する少年。


 それらは神精山では見かけなかった光景だ。眺めるだけで自然と胸の内が温まるのだが、その正体が何なのか、理解できずにいる。



(このムズ痒い感覚、不快ではない。むしろ心地良いか……)



 やがて、人だかりを掻き分ける男が現れた。抜きん出て高い背丈に長いヒゲ、熊ともイノシシとも見える風貌。彼は図体に似合わず慎重な足取りになって、コチラに向かって歩み寄ろうとした。

 


「おうゴメンよ。悪いなボウズ、ぶつかっちまった怪我はないか? オレはちょいとアッチ側に行きてえんだ」


「あっ。アイツは大怪我だから寝てろって言ったのに。しょうがない男だねぇ」



 マジソンは体を左右に揺さぶりながら、ゆっくりと歩み寄った。やがてアクセルと視線が重なるなり、破顔して笑った。黒々としたヒゲの中で白い歯が輝くのが、独特な愛嬌を感じさせた。



「ここに居たのか。お2人さん」


「マジソン。もう歩いて平気なのか?」


「もちろんだ。頑丈だけが取り柄みてぇなもんでな。せっかく天気も良いことだし、ちょっとくれぇ散歩をと思って」


「なぁにが『もちろん』だよ! あんだけヤバい怪我してたのに、ホイホイ出歩きやがって……。悪化したら承知しないよ!」


「ヒェッ、勘弁してくれよアマンダ。少ししたら帰るから、な? な?」


「まったく……本当に少しだけだよ。それ以上ワガママ言うようなら、引っ叩いてでも連れて帰るからね!」



 口を尖らせてそっぽを向くアマンダと、背中を丸めて頭を下げるマジソン。


 両者の姿を、アクセルは興味深く眺めていた。つい先日までは、会話すら無い間柄であったのに、今は自然なやり取りが出来ている。人の縁とは、実に不思議なものだと感じさせる光景だった。



「ところでアマンダ。せっかくの行商だけどよ、何か欲しいものは無ぇのか?」


「アタシはいいよ。要らない。村の皆が喜んでくれたら、それで十分だって」


「寂しいこと言うなよ。どれ、ここはオレが奢ってやる。だから好きなもんを……」


「えっ、本当かい? おっちゃん!!」



 不意に足元から声が響き渡る。子供たちを連れたマティスが、わらわらと集まりだしたのだ。



「みんな聞いたか、マジソンのおっちゃんが何でも買ってくれるってさ!」


「やったぁ! ありがとう!」


「お、おい待てマティス! オレはアマンダに言った訳で、ボウズどもに言ったわけじゃ……」


「そっかぁ、買ってくれないんだぁ。こんなケチんぼなんて、アマンダ姉ちゃんも嫌いになっちゃうよね?」



 この時、2人の視線が激しく衝突する。マティスは幼いながらも瞳を鋭くし、『姉ちゃんは渡さない』と言わんばかりに睨む。マジソンも素早く意図を察知。『ガキなんぞに負けねぇぞ』と、鼻息を撒き散らしつつ睨みつけた。


 火花が飛び散りそうなまでの衝突は、1つの高笑いで終りを迎える。



「アッハッハ! アタシからも頼むよマジソン。子供たちも辛かったんだ、何か良さげなもんを買ってやっておくれよ」


「ムキュゥ……。良いだろう、アマンダがそう言うなら特別に!」



 こうして退路を絶たれたマジソンは、子供たちに囲まれながら荷車の方へ。玩具も種類が豊富で、幼心はたちまち色めきだつ。陶器の剣や馬、ヌイグルミに絵本と、興味を引くものが目白押しなのだ。


 やがてマジソン『御一行』が、収穫物を手にして帰ってくる。どの子もニコニコのニッコリ顔。ただマジソンのみが、いくらか青い顔をしていた。



「見てよアクセル兄ちゃん。剣だよ剣。これがブワァってなったら悪いヤツをグシャァなんだよ!」


「そうか。マティスも研鑽を積めば、いつかは戦えるようになるだろう」


「アタシはこれなの。フワッフワのヌイグルミ! 羊さんの毛を使ってるんだって、ほらほら」


「うむ、確かにフワフワだ……ウップ。分かった、十二分に理解したから、フワフワはもう良いウップ」



 子供たちは、真新しい玩具を片手に駆け回った。その集団を統率するのはマティスだ。必ず先頭に立ち、あっちだ向こうだと率いている。未来の指導者。そんな言葉が脳裏によぎる。



「さてと、私はそろそろ行こうか」


「行くってどこにだい?」


「旅を続ける。最終試練はまだ半ばだ」


「そうかい、随分と急なんだね。せめて、お礼の宴でもと考えてたんだけどさ」


「私にとって学びが多かった。それだけで十分だ」



 その場で踵を返すアクセル。しかし、それをマジソンが呼び止めた。続けて縄が差し出された。そこには何枚もの肉がブラ下げられている。



「待ってくれよ剣聖さま。せめてコレを持って行ってくれ」


「それは干し肉?」


「おうよ。オレ達を救ってくれた英雄への礼としちゃ、スゲェ粗末だと思うがな。別に邪魔にはならんだろ」


「そうか。食料は助かる。貰っていくぞ」


「樹海を抜けるには、旧街道をひたすら道なりに行け。そして最初の分かれ道を右に曲がりゃ、後は一本道だ。迷うなよ」


「無論だ。これ以上の足止めは避けたい」


「じゃあな、また会おうぜ。オメェさんなら、いつでも歓迎するぜ」



 マジソンは拳を前に突き出した。それを見てもアクセルは理解できず、首を大きく傾げさせた。



「別れの挨拶だよ。ホラ、拳をこう、ぶつけ合ってさ」


「そういう作法か。分かった」


「待て待て待て、マジで殴ろうとするな! 軽く、軽ぅくぶつけんだよ」



 ゆっくりと重なる拳。友情の成立を思わせる仕草には、妙に重たい音と痛みを伴った。



「グッハァ……どんな体してんだよオメェ。鉄でもブッ叩いた気分だぜ」


「すまんな。治療するか?」


「いや要らねぇ……。つうか引き止めて悪かったよ、行って来い!」


「では、さらばだ」



 道なりに駆け去ろうとするアクセル。その背中には、いくつもの声援が投げかけられた。ありがとう、またね、元気でね。別れの言葉は、聞き分ける事が困難なほどに、幾重にも幾重にも重なっていた。


 そうして村から離れて森に入れば、今度はマジソン団が勢ぞろいだ。皆が手を振り、口々に感謝の言葉を叫びだす。言葉が多少荒い事を除けば、コウヤ村のものと遜色無かった。


 感謝されるとは心地よいものだと、アクセルは思う。樹海での出来事は必ずしも遠回りとは言えない。見るもの聞くものの全てが、良き教材なのであった。



「さてと。これが分かれ道か」



 街道はアクセルの眼前で、道が二手に分かれている。どちらも雑草混じりで、馬車の通った轍(わだち)も刻まれている。利用頻度は同程度のようだった。


 岐路に立ち尽くしたまま、右手と左手を交互に眺める。そして首も左に右に傾けた後、うなずいた。



「よし。どちらかが正しいのだな」



 アクセルは直感に任せて道を選び、猛進した。脇目も振らず、ためらいの無いフォーム。足元に散らばる落ち葉を跳ね上げつつ、未来に向かって突き進んでゆく。


 果たして、この選択は正しかったのか。答えは後日、身をもって知ることになる。

 

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