第8話 血の海に倒れても

 コウヤ村の郊外。茂みの中からは、不自然な金属の管がニュウウと伸びた。それは使い込まれた単眼鏡で、遠くを見る時に役立つものだ。実際、今も村の様子を盗み見る為に使用されている。



「どうだアイン。何か変わった所はあるか?」


「いや別に。気になるなら親分も見てくれよ」



 マジソンは、単眼鏡を半ば強引に引ったくると、村の方を注視した。確かに不審な点は見当たらない。人の出入りが激しい村長宅。1人2人と少人数での稲刈り。数日前と大差なく、同じ日を繰り返す錯覚を味わうほどだ。



「親分、もう良いだろ。砦に戻りましょうや」


「まだだ! アマンダの無事を確認してからだ」


「あぁそうですかい。じゃあ気の済むまでどうぞ」


「今朝、森の方で鳥が騒がしかった。鳥の群れがそれはもうバサバサ飛んでったんだ。何か良からぬ事の前触れだぞ」


「だから様子見に来たって? 心配性だなぁ……」



 アインは聞えよがしに溜息をついた。この流れ、アマンダの姿を見るまでは、本当に帰らないパターンだった。


 それでも普通の村であれば、大して待たされずに済むかもしれない。しかしこのコウヤ村はほぼ全員が、村長宅に籠もったような状態である。以前も「雲の形が気持ち悪いから」なんて理由で監視に付き合わされ、半日以上も耐え忍んだ経験がある。


 アインとしては、昼飯までには帰りたい。少なくとも日が暮れる前には。そう思いつつ、マジソンの丸い背中を見続けた。大柄な豪傑が、猫のように体を丸めている様は、愛嬌を通り越して滑稽である。



「あっ、来た来た来た! アマンダだ……!」


「マジですか、今日は運が良いな」



 想定よりも早い登場に、『出待ち』する2人は興奮が抑えられない。無事を確認できたマジソンは、特に大喜びだ。単眼鏡の向こう側、映される光景に魅了されていく。


 外ハネする茶髪、知性を感じさせる鋭い目つきに、意志の強さが現れた唇。それらの一つひとつが、マジソンの荒らくれ心に突き刺さるのだ。



「あぁ、今日もキレイだなアマンダは……。最高だぁ」


「あんな田舎娘のどこが気に入ったんだか。とりわけ美人って訳でもねぇし。そこらに居そうなモンだがねぇ」


「うるせぇぞキレイったらキレイなんだ! もっとも、あの子の良さが分かるのは、オレ1人だけで十分だがな!」


「はいはい。オレが悪かったですよ、すんません」



 単眼鏡が映し出すアマンダは、疲労を滲み出していた。黒く汚れた両手、やや削げたような頬。古びたローブにも見慣れないシミが増えている。その苦労を少しでも肩代わり出来たらと、マジソンは拳を固く握りしめた。


 そんな『監視』に勤しむ間、村は突如として騒がしくなる。よほどの大事なのか、離れた位置に潜むマジソン達の耳にまで届くほどだった。



「大変だ! マティスが居ないぞ!」



 村の中で誰かが叫ぶと、村長宅から何人もの大人たちが飛び出した。まさに蜂の巣を突付いたよう。村中を駆け回る者、勝手に村から飛び出す者と、まとまりなく駆けずり回っている。



「行方不明だそうだ、親分。オレ達も探しましょうや。日差しがあるから魔獣は出ないでしょうが、ちっさいガキを見つけ出すなんて骨だぜ」


「えっ、あぁそうだな。だがよう……」


「どうしたんです、親分?」



 日頃なら決断力を発揮するマジソンだが、今ばかりは鈍い。アインは単眼鏡をひったくり、村の方を覗いてみる。


 するとそこにはアマンダと、1人の青年が話し合う姿が見えた。



「あれはクライナー? なんだってアイツが。しかも鎧を脱いで、目立たねぇ格好してやがる」


「うぅっ……もしかしてアイツ。アマンダと良い仲なのか?」


「まさか。そんなの噂さえ聞いたことねぇや」


「道ですれ違えば『こんにちわ』って挨拶したり、『今日はいい天気ですね』って、仲睦まじい会話をしたり……」


「そりゃ顔見知りくらいの関係だな。それより親分、どうすんだ? ガキが居なくなったそうだが?」


「ええと、あれだ。オメェは砦に戻って、手下どもとマティスを探せ。何とかして昼間のうちにカタをつけろ」


「親分は?」


「オレは……その……なんだ」



 マジソンは村の方と、アインの顔を交互に見比べた。そして咳払いをすると、腹の底から声をあげた。



「オレは引き続き、アマンダ達の様子を監視する。そして潔く、現実を受け入れてみせる……! ムキュウ!」


「まぁ、ガキくらいオレ達だけで見つけられるさ。行ってくるよ。それよりも、クライナーの奴を殺さねぇでやってくれ。あれでもオレ達の仲間だからよ」


「分かってる。もしアイツを殴る事になっても、ちゃんと手加減してやらぁ」


「そんじゃ後は任せてくれ。ごゆっくり」



 マジソンはアインとの別れ際でも、村の方に目を向けたままだ。歯ぎしりが止まらない。僅か数歩の距離で会話を続けられる立場が、恨めしくて仕方ないのだ。


 そのうち、あちらの様子が変わる。クライナーはアマンダをどこかへ誘い、村の外へ連れ出した。


 そうして2人は、森の中へと消えていった。



「ンギギギ……あの野郎。アマンダと2人きりになれるとか……! 羨ましいぞクソッタレが!!」



 マジソンは巨体とは思えない速度で疾走し、追跡を続行。つかず離れずの距離を保ちつつ、潔くコッソリと覗く。そして潔く聞き耳を立て、潔く盗み聞いた。


 近すぎればバレる。遠すぎれば会話が聞こえない。マジソンは絶妙な距離を保ちつつ腹ばいになる。神経は耳に集中。それはもちろん、2人の『密談』を聞き逃さない為に、である。



「ちょっとアンタ。本当にマティスの行方を知ってるんだろうね?」



 アマンダの詰問、良い声だ。聞き耳を立てた分だけ、マジソンの心に響き渡った。鈴付きのオブジェでも愛でるような気分になる。いっそ、こんな響きを奏でる楽器でも有れば良いとか妄想を挟んだり。



「ヒッヒッヒ。そう焦るんじゃねぇよ。ちゃんと連れてってやるから」


「こんな森の中に連れてきて。変な事を考えたら承知しないよ!」



 マジソンは会話を耳にするうち、胸を撫で下ろした。漂う空気が剣呑(けんのん)としており、とてもじゃないが、愛を語らうような気配ではないからだ。


 しかし不可解な点は多くある。特に、クライナーがアマンダと接触した理由だ。少なくともマジソンは命じていない。



「ちょっと、どこまで行く気だい? そろそろ行く先くらい教えろっての!」

 

「ハァァうっせぇ女だなぁ。キィキィ耳障りに騒ぎやがって」



 クライナーが足を止めた。途端に、周囲の気配が張り詰めたものになる。


 アマンダが数歩だけ後ずさるも、クライナーは気にも留めない。口元に薄ら笑いを浮かべながら、開いた距離を詰めた。



「オメェはさ、あの村の中心人物だよな。一応、村長とかいうジジイは居ても、それとは別だ。要ってやつかな」


「いきなり何の話をしてんだよ」


「そんなオメェが死んだらどうなるかなぁ? 無惨にもバラッバラに殺されたら、どうなるかなぁ? マジソンは腑抜けになりそうだし、村の連中はマジソン団に復讐したりすんのかなぁ?」


「近寄るんじゃない! 大声出すよ!」


「叫びたけりゃ叫んでみろよ。村の奴らはガキを探すのに必死さ。今頃は遠くの方を探し回ってるだろうよ、バカみてぇにさ」


「近寄るなって言ったろ!」



 アマンダは逃げ去ろうとした。しかし張り出した木の根につまづき、その場に倒れてしまう。這いつくばって逃げつつも、手当たり次第に周囲の物を投げつけた。しかし枯葉に小砂利ばかりで、怯ませるだけの効果はない。


 やがてアマンダは大木に退路を塞がれた。すぐ傍には、愉悦の表情に染まるクライナー。その手には斧が握られている。隔てる距離は数歩。もはや、立ち上がって逃げるだけの猶予は、残されていない。



「クケケケ。あの世で存分に眺めてろ。バカどもが殺し合って、死にゆく様をな!」


「フザけんじゃないよ、この人でなしめ!」


「さぁ、いよいよ始まるぞ。殺戮カーニバルの開幕だぁぁ!」



 クライナーの斧が勢いよく振り下ろされる。躊躇のない一撃だ。間もなく、罪無き者の命を叩き割ってしまうだろう。


 しかし、そんな暴挙を見逃すマジソンではない。図体に似合わず素早く立ち上がり、全速力で駆け出した。茂みに阻まれて、体中に浅傷を刻んでも厭わない。ただ彼の目には、打ち返すべき刃だけが見えている。



「間に合え、間に合え! ウオオーーッ!!」



 クライナーの凶刃が額を割る寸前、別の刃が防いだ。紙一重のタイミング。剣を抜いたマジソンが辛うじて間に合ったのだ。ぶつかる刃、飛び散る火花。力での押し合いになる。


 クライナーは刃を収めこそしないが、目を見開いて驚いた。



「おやぁ? 誰かと思えばマジソン親分。どうしてこんな所に?」



 どこか作ったような声色に、マジソンの怒りは頂点に達する。



「クライナー! テメェは何を考えてやがる!」


「何って、面白ぇことさ。ガキから年寄りまで皆、みぃんな犬死にするような最高のパーティーをさぁ!」


「仲間のよしみだ、一度は忠告してやる。このまま消えろ、クライナー! そうしたら命だけは勘弁してやる!」


「勘弁だって? 冗談、いつまで親分ヅラする気だよクソデブ野郎!」



 クライナーは瞳を赤く光らせると、強く押し込んだ。すると、圧倒的な体格差など無いかのように、ジリジリと押し込んでいく。



「何だと!? このオレが力負けするとは……!」


「どうしたんだよ、オイ。馬鹿力は数少ない長所だろうが、アァ?」


「うるせぇぞオラァ!」



 マジソンが蹴りを放つ。しかし命中はしない。クライナーから飛び退きを誘い、多少の距離を稼いだだけだった。


 しかし好機でもある。マジソンはすかさず、背後に向かって叫んだ。



「アマンダ、早く逃げろ! このまま村まで……いやダメだ。向こうの森で手下どもがマティスを探してる。その部隊にかくまってもらえ!」


「えっ? 何を言ってんだ。つうかアンタらは仲間同士なんじゃ……?」


「良いから早く行け! 情けねぇ話だが、守り通せる自信がねぇんだよ!」


「アッハッハ、簡単に逃がすと思うか? ちょいと予定が狂っちまうが構わねぇ。2人ともここでブッコロだ!!」



 クライナーは天に向かって高らかに叫んだ。キョェェという、思わず耳を塞ぎたくなる響き。すると辺りに濃紫色の稲光が駆け巡り、草木を黒く焦がした。


 立ち昇る黒煙に紛れて、いくつもの人影が現れた。その禍々しいまでの奇跡は、マジソン達に凄まじい衝撃を与えた。



「こ、こいつらはリザードマン!? なぜだ、まだ昼間なのに!」


「驚いたか? オレの手にかかれば、こんな事ァ難しくねぇんだわ」


「クライナー……テメェは一体何者だ!?」


「これから死ぬ奴が気にする事じゃねぇ。さぁどうする? 愛用の大斧も無ぇのに、どこまで戦えるかな?」


「クソが……ナメやがって!」



 マジソンは駆け出した。相手は多勢、先手を打たねば勝機は無かった。剣を握り締めての突貫。1体目は腹を両断。2体目、袈裟斬りにして蹴り飛ばす。3体目の腕を切り落とした所で、剣が折れた。



「チィ。なまくらめ」


「おっと、記録は2体と半分か。情けない戦果してんなぁ?」


「まだだ。まだ終わっちゃいねぇぞ!」



 マジソンは果敢にも、素手のままで攻めかかった。リザードマンに取りつくなり、相手の首をへし折り、動かなくなった体を抱えて振り回す。あまりにも無骨な武器は、意外にも効果的だった。残されたリザードマンの全てを打ち倒す事に成功する。


 すると事切れたリザードマン達は、濃紫の煙に包まれては消えた。体も武器も消失し、始めから何も無かったかのように。それはマジソンが抱える魔獣も、同じ命運を辿った。



「ハァ、ハァ、どうだ。お仲間は全滅したぞ」


「マジでさぁ、馬鹿力だよなテメェは。こんな泥臭い勝ち方なんて聞いたこともねぇ」


「降参するなら、ハァ、今のうちだからな」


「何か勘違いしてねぇか? ちょっと善戦したくらいで勝った気になってやがる」



 キョェェーーッ!


 スフィン! ズシャズシャ、ドドォン! ジュワワワァ〜〜ン。



「悪いけどさ、魔獣はいくらでも補充できんだわ」


「チクショウ! だったら命尽きるまで闘うまでだ!」


「おいお前ら、全員で女を狙え。イノシシみてぇな大男は無視して良いぞ」


「な、なんだと!?」



 魔獣達は標的をアマンダに絞った。脇目も振らず一斉に襲いかかる。


 アマンダの華奢な体に、殺意の高い石斧が迫った。躊躇の無い振り下ろし。しかしその全てはマジソンが身代わりになって受けた。体に無数の刃が食い込み、筋を千切り、肉をえぐる。体内の何かを奪われた気になる。その隙間に入り込むように、おぞましい何かを受け入れてしまった。戦場では決して珍しくないもの。敵も味方も等しく奪い去っていくもの。それがとうとう、マジソンの中へやってきたのだ。


 マジソンは手足の感覚が消えゆくのを察した。膝を折り、手を地面につく。あらゆる生の実感と、熱い血が体を伝って流れ出て行く。左右に揺さぶられるようで、自分の頭がどこを向いているのかさえ、分からなくなった。



「ぶ……無事か、アマンダ……」


「何でだよ。どうしてアタシを助けるんだ! 村のことを散々虐めてきたのにさ!」


「無事かって、聞いてんだろ……カハッ!」


「アタシは、大丈夫だよ。でもアンタは、こんなにも、血が……!」



 抱きしめたアマンダは無事だった。それが分かるなり、膝から力が抜けそうになる。


 しかし、倒れてなどいられない。この瞬間にも周囲の魔獣たちは、斧を力任せに引き抜くと、再び高らかに振り上げた。


 もはや誤解を解く暇も、最期のひとときを愉しむ猶予もない。マジソンは残された力を振り絞り、アマンダの体を、遠くの地面めがけて投げ飛ばした。怪力で鳴らした彼にしては、悲しくなる程の飛距離だ。それでも精一杯、出来得る限りはしたつもりだった。



「そのまま逃げろ! 一歩でも遠くまで!」



 マジソンが動けたのはここまで。後は力なく崩れ落ち、その場に倒れ伏した。虚ろな瞳はアマンダの方へ向く。しかし彼女の姿は遠ざかるどころか、こちらへと駆け寄ってくるように見えた。



「何でだよ、早く、行っちまえ……」



 掠れた視界が映す最後の光景。外ハネの茶髪、鋭い瞳は涙で緩み、唇は何かを叫んで大きく開く。


 あぁ、やっぱりキレイだ。この世で1番、最高だ。マジソンは冥土の土産とばかりに、最愛の女性を眺めながら幕を引こうとした。


 しかし次の瞬間。大きな体が両者の間に割って入り、視界を塞いでしまう。これはリザードマンか、無粋だ。最後の最後に降りかかる、ささやかな不運を恨みつつ、瞳を閉じた。



「しっかりしろマジソン。すぐに治療を施してやる」



 誰かがそう言うのを、マジソンは聞いた気がした。だが今はとにかく眠い、このまま眠らせてくれ、体はもう限界だ。


 間もなく意識は闇に飲まれていった。

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