第7話 真理の風

 魔獣を撃退した翌日。アクセルは擦り切れた服を靡かせつつ、樹海を駆け抜けていた。既に陽は高く昇っており、そろそろ昼食を気にかける頃合いである。



「キショーダネ草を採ってこい、か。マジソン達は村を救うつもりがあるらしい」



 この近辺では古くから親しまれる薬草だ。コウヤ村を蝕む『腐臭病』の治療薬にも成り得るので、その価値はかつて無いほどに高まっている。マジソンが親切心から集めるのか、それとも足元を見てふっかけるのかは定かでない。


 しかしそれよりも気がかりなのは、クライナーの態度だった。耳にした悪態や不平不満は、いつも通りとも言えるが、気配が少しばかり過剰に思えた。おぞましい憎悪を孕んでいた気がしないでもない。



「まぁ、個人の見解にまで口を出すつもりはないが……。うむむ」



 考えさせられる事があまりに多い。今の環境は彼にとって複雑過ぎた。無心に剣を振るい、向き合う者をひたすら薙ぎ倒す方が性に合っている。その方がよほどシンプルだと力説したい程だった。



「強き者が全てを支配する。それだけで話が済むなら、実に簡単なのだが」



 薬草の群生地は遠い。大人の足でも往復2日はかかると聞いた。それでもアクセルは神速である。影すら見えぬスピードで、地面を覆う枯葉を吹き飛ばしながら、ひたむきに駆け続けた。


 既に目的地の近くまで来ている。アクセルはたった半日で踏破してみせたのだ。しかも夜中にはたっぷり睡眠を取った上でだ。彼に決死の悲壮感はない。いつも通りの駆け足を、何ら気負わずに実行しただけだ。



「おっと。鳥たちが……」



 ここは滅多に人が訪れない奥地だ。羽根を休めていた小鳥が驚いて空を飛び、周りの仲間達もそれに合わせる。やがて森を騒がせるまでの大群が、一斉に空の彼方へと逃げ去っていった。


 そんな光景を3度、立て続けに起こしてしまった。さすがのアクセルと言えど、気まずい想いに苛まれる。



「すまんな。驚かせる意図は無かった」



 その謝罪に大きな意味はない。アクセルが抱いた罪悪感を、いくらか軽くするのみだ。


 しかしそうまで急いだだけの事はあった。脅威的な早さで目的地に到着。そこは樹海の奥深くで、自ずと輝く美しい泉がある。俗称『精霊の宴』と呼ばれる秘境であった。



「さて、キショーダネ草を探すか。どんな見た目だったか……」



 アクセルは事前に手渡された羊皮紙を手に取った。薬草のスケッチを描いた、と聞いている。早速開いてみる。凝視しては、にらめっこ。果ては上下左右を逆にしてみたり、顔を引いて眺めてみたりと、要領を得ない。



「分からん。どう読み解けば良いのだ……」



 あまりにも『画伯』過ぎるイラストに、アクセルは眉を潜めた。芸術点の高さから、薬草の見た目どころか、そもそも草を描いたものかすらも分からなくなる。


 ならば当てずっぽうで探すか。視線を辺りに戻せば、見慣れない草花は何種類もある。どれが正解なのか、前情報なしには探り当てる事は不可能だった。



「いっそ、片っ端から摘んでいくか。その内のどれかはキショーダネだろう」



 アクセルはその場で膝を折り、採取を始めた。平たい草、細身で茎の長い花、小さな葉茎に対して異様に根が深い草。それらを摘んだ傍から、革袋の中へと詰め込んでいく。 


 単純作業に明け暮れる間、無心になって臨んだ。余計な物事は考えない。ただひたすら目の前の作業に没頭するスタンスは、師匠から推奨されたものだった。よって彼の骨身に染み付いた、思想とも呼ぶべき手法だと言える。


 だからこれは決して、現実逃避ではない。仕事熱心なだけである。



「さてと。これだけ手に入れれば、目当ての物もあるはず……おや?」



 アクセルはふと、人影に気づいた。大木の幹に隠れたチュニックの袖。小さい。子供用かと思う。



「そこに誰か居るのか。コウヤ村の者か?」



 返事はない。そして、反応もない。どれだけ待っても、身動ぎする気配すら見せなかった。


 怯えているのか、あるいは既に。最悪の結果も想定しつつ、静かに歩み寄った。



「どうした。別に襲ったりはしない。安心して出てくるんだ」



 アクセルはことさら、柔らかな口調で語りかけた。それと同時に距離を詰めていく。そうして人影の傍まで行くと、まだ幼い少年が倒れているのに気づいた。大木に背中を預けており、両手足を力なく投げ出した格好だった。



「おい、しっかりしろ。大丈夫か?」



 声掛けに対する反応は弱い。顔を覗き込めば、こちらを見返す気力はある。しかし憔悴した表情が痛々しい。


 少年は、震える手を差し出した。何かをねだるように、すがるように、アクセルの方へと伸びていく。



「どうして欲しい。怪我はしていないようだな。では水か、食料か?」 


「腹が減った。食い物を分けて、お願い……」


「よし待っていろ。何か探してくる」



 速やかに駆け始めたアクセルは、間もなく地面に這いつくばった。注視するのは地面。刻まれた足跡から、獲物の行方を探ろうとした。臭いも嗅いでみる。古くはない足跡だと分かる。


 追跡、疾駆。やがて丸々太った鉄イノシシを発見。狩る。懐のナイフで解体し、火起こして焼く。数本の枝に差した生肉は背中の部位を切り分けた物。丁寧かつ迅速に焼き上げていく。すると香ばしい臭いに釣られてか、狼が1匹2匹と集まりだした。余り肉を放り投げると、全てがそちらへ駆けていった。


 こうしてアクセルは、十分な量の調理肉を持ち帰る事に成功する。迎えた少年は、憔悴した顔を喜びに変えて、差し出された肉にかぶりついた。

 


「ありがとう……兄ちゃんマジソン団なのに、助けてくれたんだね」


「それを知っているということは、コウヤ村の者だな?」


「うん。兄ちゃんとは1回会ってるよ。村長さんの家で」



 言われてみれば、見覚えがないでもない。村長宅の庭で遊んでいた子供の1人だ。


 10歳前後のその少年は、名をマティスと言った。



「マティスよ。こんな所で何をしていた。子供1人で来る場所じゃない」



 問いかけると、マティスは汚れた指先を擦り合わせた。その仕草から、アクセルの脳裏に何かがよぎり、微かな痛みも走った。



「僕は、その……」


「叱るつもりはない。理由を知りたいだけだ」


「姉ちゃんの、アマンダ姉ちゃんの役に立ちたくて……」



 痛みが更に強くなる。ジリジリと、焼きゴテでも押し付けられるかのような。しかし何故か不快ではない。むしろ胸に温かな物が感じられる。



「役に立つとは? お前も薬草を目当てに?」


「そうだよ。姉ちゃんは、あれからも村を抜け出そうとしてる。誰が止めたってダメだ。皆を助けたいって言って聞かねぇんだ。このままじゃ、いつか大変な事になりそうだから……」


「それでお前が探しに来たと。無謀だな。魔獣に襲われても不思議ではなかった」


「でもオイラ、力になりたいんだ! 1人で隠れて泣いてる姉ちゃんを、助けてやりたかった!」



 ズキリ。アクセルの頭に、胸に、鋭くも重たい痛みが走る。マティスの小さな体から発せられる真心、真っ直ぐな想い。それはアクセルを怯ませる程に強烈だった。


 この光景は、かつて見たことがある。いや、この少年が自分なのでは。不意に襲われた混乱から倒錯していると、追撃の言葉を浴びせられた。


 それが決定打となった。



「姉ちゃんを助けられるなら、何だってする! 死んだって構わねぇ!!」



 幻の突風を感じるほどの衝撃。それはアクセルの心に深く突き刺さり、そして古びた記憶を鮮明に呼び覚ました。


 脳裏に浮かぶのは神精山での一件。まだ幼かった頃の自分が、転機を迎えた日の出来事だった。



◆ ◆ ◆



 向かい合うのは、今と変わらぬ姿の師匠ソフィア。違うのは目線の高さくらいだ。見下ろす格好だが瞳は柔和で、鋭さなど感じられない。



「アクセル、なぜ剣を習いたい? 強くなってどうするつもりだ」



 アクセル少年は答えようとしない。ただ、両手の指先をこすり合わせるだけだ。



「貴様を捨てた親に、復讐でもするか?」



 首を横に振る。



「ならば、誰彼構わず粗暴に振る舞い、威張り散らしたいからか?」



 激しく首を横に振る。



「良いか、聞け。剣の道は血みどろの道。いかに強くなり、他を圧倒しようとも、上には上が居るものだ。より強い者に討ち倒されるという宿命が待っている。心が休まる事の無い日々だ。そんな人生でも構わないと?」



 アクセルはゆっくりと、だが確かに頷いた。



「せめて理由を言え。黙っていては分からん」



 そう問われて、アクセルはようやく言葉を発した。今ならハッキリと思い出せる。かつての自分が真っ直ぐな気持ちで、どのような想いで、溢れる気持ちを伝えたのかを。



「ボクは強くなりたい! そしたら、ソフィア姉ちゃんの事を好き放題にしたい! 姉ちゃんの心も体も全部ボクのものにしたい! だって、強い奴には従わなきゃいけないって言ってたろ? だったら誰よりも強くなってやるんだ!」


「この馬鹿者め……。こっ恥ずかしい事を、よくもまぁ堂々と」


「どうなの、教えてくれるの!?」



 ソフィアは即答しない。横を向き、少し大げさな咳払いを2つ。そうしてから答えたのだが、声はいくらか上ずっていた。



「ま、まぁあれだ。剣の稽古は鍛錬になるし、それは健康にも繋がるからな。たしなみとして学ぶには、悪くない」


「やったぁ、ありがとうソフィア姉ちゃん!」


「待て。私から剣を教わるなら、今後は師匠と呼べ」


「ソフィア姉ちゃん」


「ちゃんと聞け、師匠だ。し・しょ・う」


「美人で優しいソフィア姉ちゃん」


「ンミャァァ……! き、今日のうちは許すがな、明日以降はちゃんと改めろ!」



 それからは昼飯だと言われ、ソフィアと肩を並べて歩いていく。山頂へ続く坂をゆっくりと。


 不意に、アクセルの頭に乗せられた掌。それは大きく、柔らかく、そして温かなものだった。



◆ ◆ ◆



 心地よい。アクセルはそんな想いに染められた。細々とした些事に侵された心も、胸の内も、脳裏の全てが風を浴びたかのようだ。



(この少年の想い、かつて私が抱いたものと全く同じだ……!)



 本当に完全一致したか。マティスのものに比べて、不純すぎやしないか、疑問は残る。しかしアクセルは微塵も疑わない。眼前のか弱き少年に、在りし日の自分を重ねて、心の底から共感したのである。もはや考えるまでもない。心にはただ1つの、強い情念だけがある。


 そうして、胸を焦がすほどの猛りに任せて、マティスの肩を強く掴んだ。



「そうだ、そうだったのか! ようやく理解したぞマティスとやら!」


「えっ何? 急にどうしたの?」


「私はお前だったのだ、つまりお前は私ということだ!」


「えっ? はぁ? 何の話!?」


「さぁさぁ遠慮するな、どうしたいか自由気ままに願え。私が力を貸してやろう。我らは同じ夢を描く同胞なのだから!」


「本当に!? じゃあ村まで送ってくれよ。薬草ならもう見つけたんだ!」



 マティスはズボンのポケットを漁ると、草の束を取り出した。泥塗れの赤茶けたものだ。これだけあれば足りるハズと、鼻息とともに成果を見せつけた。



「よし上々だ。では村に戻るぞ」


「でも凄く遠いよね。僕は昨日から、ここまで来るのにずっと走ってたから、もう足が限界だよ」


「健脚だな。子供の身では、なかなか出来る事ではない」


「駆け足なら大人にだって負けないよ。でも、痛くて走れそうにないや」


「ふむ……。薬で治せん事もないが、完治までは時間がかかる。こうするのはどうだ?」



 アクセルはその場で膝を折り、マティスを促すと、幼い体を背負って歩きだす。しかしそのまま駆け抜ける、とはならなかった。


 アクセルはしきりに左右を見渡し、何かを探す素振りを見せた。



「おう、これだ。この森では珍しいシナリマツの木」


「こんなもの、どうするの?」


「しっかり捕まっていろ。こうするんだ!」



 太く育った幹を力任せに曲げた。しなやかな木はへし折れずに、元の姿へ戻ろうとする。その力をバネのように利用した。幹を踏みつけて、強烈な押し返しを受けての大跳躍。そのまま2人は天高くを舞った。

 


「うわぁ! 何だこれ、すっっげぇ!!」


「アーーっハッハッハ! どうだ、高いだろう?」


「見てよ兄ちゃん、空がこんなにも広いよ!」


「そうだなぁ、今にも手が届きそうだな!」


「あれ、待って! 村を飛び越してる!?」


「そうかぁ。ちょっと張り切りすぎたかなぁ!」



 高笑いとともに落下するアクセル、その背中で絶叫を放つマティス。超高速で迫る地面。そうして降り立った時の衝撃は、鍛え抜かれた足によって吸収された。


 もちろん2人とも無事だ。しかし村との距離は、大して詰められていない。



「兄ちゃん、村はあっちだよ」


「うむうむ。ではもう一度だ。おあつらえ向きに、マツもある」



 飛ぶ。高笑い。絶叫に着地。今度は距離が甘い。大して近づくことは出来なかった。



「加減が難しいな。木の個体差で、跳躍距離も変わるし。ふむ……」


「ねぇ兄ちゃん。普通に走ったほうが速いんじゃない?」


「おっ、あそこに大きなマツがある。このサイズなら相当高く飛べるぞ」


「いや聞いてる? 走ろうよ。オイラも頑張るから……うわぁぁ!!」



 やはり飛ぶ。また高笑い。樹海の上空で、ひっきりなしにノンキな声を響かせた。


 その間にコウヤ村の郊外で、激戦が繰り広げられている事を、罪無き命が消えゆこうとするのを、何ら知らないままに。



 

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