第2話 はじめての遠出

 アクセルは静かな街道を小走りで駆けた。手荷物なら革袋1つに収まっており、身軽だ。最終的に与えられた品は傷薬に精霊石、通魂球、ナイフ。そして一振りの剣と、実用的なものばかりである。



「まさか本当に貸していただけるとは。師匠のご期待に応えなくては」



 アクセルは愛おしそうに剣の柄を撫でた。すると無骨な金属音が鳴り響く。柄と鞘に太い鎖が巻き付いているためだ。簡単に抜くなという戒めで、封印も同然の処置だった。


 そんな所にも師匠の想いが感じられ、彼を高揚させる。気にかけてくれた事実が、胸を熱く熱く焦がすのだ。



「よし。急ぐなとは言われたが、手早く済ませてしまおう。そうすれば師匠も、きっとお喜びになるはず」



 もしかするとご褒美があるかもしれない。例えば組み手、手合わせ、真剣仕合い。プライドを賭けた全力での衝突。神技を目の当たりにするチャンスであり、それを身体に刻みつけられる愉悦。想像するだけで甘く、魂までトロけてしまいそうにヌフゥン。



「さてと、まずは人を見つけなくては始まらん」



 彼はソフィアに拾われて以来、一度も山から降りた経験がない。最低限の常識ならば、手厚い指導から学んでいる。しかし、あくまでも机上のレベルでしかなく、実地は初体験だ。


 果たして、この世間知らずの青年は、まともな対話が出来るのだろうか。



「向こうに集落がある。あれが村というものだろうか」



 アクセルは道の先に農村を見た。郊外は一面が金色に染まり、吹く風に揺れる。サァサァとした耳慣れぬ音に、思わず足を止めた。


 すると畑の中から老夫が姿を現し、声をかけてきた。



「お若いの。旅の人かえ?」


「それは私の事か?」


「他に誰が居るんだべ、変な兄さんだねぇ」



 老夫は笑いつつも、少し眉を潜めた。無意識的に、手にした鎌を強く握りしめてもいる。


 不審がられているなと、アクセルは喉を鳴らして咳払い。それからは静かに背筋を伸ばす。



「いくつか尋ねたい事がある。時間をもらえるだろうか?」


「すまんねぇ。あんまダベッてるとよ、バアさんに怒鳴られちまうんだわ。他所に行っておくれ」


「そうか、邪魔をした」



 別れを告げて街道を進むと、またもや村人と出会った。今度は老婆だ。彼女と視線が合うなり、会釈をされた。


 今度こそ話を聞いてもらえるかもしれない。アクセルは片手を挙げて呼び止めた。



「すまない。少し時間をもらいたい」


「はいよ剣士様。何か御用だっぺか」


「探したいものがあるのだが、知恵を拝借できないか?」


「ええ、アタシで良けりゃ。探してんのは食い物け? それとも馬だっぺか?」


「いや、嫁を探している」


「よ……嫁っ子ぉ?」


「そうだ。とある理由から、嫁を探さなくてはならん。何か知らないか?」


「こんな田舎村、年寄りばっかだんべ。若いもんは皆、一旗あげんだーーって、王都に行っちまうべよ」


「なるほど。そういうものか」



 若い者は王都に集まる、とアクセルは学んだ。



「話はお終いけ? もう行って良いけ?」


「すまない、あと1つ知りたい事がある」


「へぇ、なんだっぺか」


「愛について語り合いたい。相手を頼めるだろうか?」


「は? え? 嫌だよアンタ。こんな小汚ねぇババア捕まえといて、何言ってんだべ。そんなのは年の近ぇ娘っ子としたら良いべよ」


「なるほど、そういうものか。学ばせてもらった」


「まったくよぉ、変なお兄さんだぁ」



 そうして老婆と別れた後も、数人の村人と接触してみた。大して収穫は無い。おおむね不審がられ、あるいは呆れられるだけだった。まともな成果と言えば、王都への道を知ったくらいで、歩くには遠すぎる事も教えて貰えた。



「ふむ。失敗した感はあるものの、問題ではない。及第点といった所か」



 ちなみに、村人から『変なヤツ』と評される事5回、『そんな事も知らんのか』と驚かれる事7回。それなりに大惨事だが、アクセルは気にしていない。対話が出来ただけ十分とし、先を急ぐことにした。


 そうしてアクセルは村を離れた。今は鬱蒼と茂る森の中だ。王都へ向かうには、樹海を直線的に突っ切るのが最短ルートと言える。猛然と駆け進むものの、やがて速度は落ちて、止まる。先程から、同じ場所を繰り返し踏破している事に感づいた為だ。



「これはもしかすると、迷ったか?」



 ここは通称、帰らずの樹海。もちろん危険なエリアで、それは子供でも知る所だ。


 一応、村人からの忠告はあった。悪いことは言わないから大街道沿いに行け、街に着いたら馬車でも拾えと。間違っても樹海には行くな、死ぬぞ。


 そんな言葉を完全に無視した結果、ろくな準備もなく、単身で突入してしまった。その結果が迷子である。今となっては、元いた村にすら戻れない。



「おっと。そろそろ報告の時間か?」



 森の木々が朱に染まる。日暮れ時だ。ひとまず、張り出した木の根に座り、通魂球(つうこんきゅう)を握りしめた。そしてソフィアを思い浮かべて名を呟くと、辺りに眩いほどの光が溢れ出した。輝きが収まりきった頃には、水晶の上にソフィアの幻影が浮かび上がった。


 その神々しさを、アクセルは肌が震える想いで、かつ無表情のままで受け止めた。



「ご苦労。早速だが、今日は何があったか。語れ」



 アクセルは村での出来事を報告した。村人とは一応、無難に会話ができた事。嫁を探すには王都が都合良く、今も急行している事。ただし、うっかり迷子になった事実だけは伏せておいた。



「そうか。まずは見知らぬ人間と口がきけただけ、良しとするか」


「彼らとは少し言語が異なるようで、理解するのに苦労しました。特に抑揚や語尾」


「なまり、方言というものだ。いずれ慣れるだろう。それよりもだ、今は村に居るのではないか? まるで人の寄り付かん樹海のようだが……」


「はい。今は故あって森の中に居ります」


「この馬鹿者が! 外界は神精山(しんせいざん)とは別物だぞ、夜は危険だと教えてやったろうが!」



 あっ、今の良い。もう少し声が裏返ってたら最高。



「何をボサッとしておる! 急ぎ焚き火を用意しろ、本格的に陽が暮れると手遅れ……な……ぞ」


「師匠?」



 ソフィアの姿が消えた。声も途切れ途切れになり、やがて聞こえなくなる。


 そして静寂が訪れた。既に陽の光は無い。頭上の狭い空に、微かな星明りが見えるだけだ。



「焚き火か……。よく分からんが、まずは火起こしを」



 目が暗闇に慣れてからは、材料集めに支障はなかった。枯れた枝葉を手当たり次第に拾う。そうするうちに、不意に茂みが揺れた。


 間もなく人影が姿を現し、アクセルと正面から向き合った。



「お前も旅の者か。私の名は……」



 手早く自己紹介を済まそうとしたアクセルは、額に風を感じた。半歩引いて避ける。するとその場で地面が弾けてえぐれた。飛び散る小砂利を浴びるうち、自分の口元が緩やかに引き締まるのを感じた。



「いきなり襲いかかるとは。せめて名乗るくらいしたらどうだ」



 鋭く指差し、相手を糾弾した。しかしハ虫類じみた顔は怯みを見せず、むしろキュケケと嘲笑うように鳴いた。道理やマナーの通じる相手ではない。それは異形の外見から察するべきであった。


 全身が真っ青で二足歩行をするオオトカゲ。通称リザードマン。石斧を両手持ちにしており、今この瞬間も振りかぶっては、害意を剥き出しにしている。


 とてもじゃないが、話し合いなど不可能であった。



「そうか。これが話に聞く、魔獣という存在か」



 アクセルは理解するなり腰を落とし、攻撃に備えた。振り下ろされる石斧。今度は引かず、むしろ踏み込んだ。そして相手の体幹を速やかに看破、絶妙なタイミングで掌底打ち。腹の真ん中に的中だ。するとアクセルをも上回る巨体が吹っ飛び、木々をなぎ倒しながら転がっていく。


 そうして静止した頃には、指1つさえ動かず、地面に倒れ伏した。



「随分と脆い。強敵だと聞いていたが、大した事は無い……」



 言い終えた瞬間、辺りに奇声が轟く。すると茂みや木々の間から、無数の魔獣が現れ、攻め寄せてきた。見渡すだけで10体以上。更には前後左右を包囲されており、危険な状況だと言えた。



「なるほど。これは確かに厄介だな」



 アクセルは駆けた。横薙ぎの風。屈んで避け、敵の脇を通り過ぎる。その瞬間に肘を食らわせて、怯ませる事も忘れない。待ち受ける2体目の攻撃、振り下ろし。それを前転で回避して、駆け始める。


 包囲は抜けた。暗い森の中を疾走してゆく。幹をかわして茂みを飛び越え、尋常でない速度にまで達した。


 しかし追いすがるリザードマンにとって、ここは庭も同然だった。幹を蹴って飛ぶ事で、超高速で駆けるアクセルに肉薄してみせる。追撃は執拗。逃がす気は一切無いようだ。



「しつこい奴らめ、これならどうだ」



 アクセルは地面を強く蹴りつけ、高く真上に飛んだ。そして大木にしがみつき、ひたすら登り続けていった。


 標的が消えた事でリザードマン達は驚き、狼狽(うろた)えた。正面ばかりに気を取られた結果、縦の動きについていけなかったのだ。



「どうやら撒(ま)いたらしい。今夜はここで眠るか」



 大木の枝に腰掛け、横になる。そうして見える光景は一面が森、森、そして森。道標(みちしるべ)と成り得るものは無かった。



「明るくなれば、何か分かるだろう。それまで一休み……」



 アクセルはその場で瞳を閉じ、仮初めの眠りに落ちた。肉体よりも精神の方が疲弊している。目新しい事ばかりで、無自覚に神経を擦り減らしていたのだ。眠りは深いものになった。


 やがて月が角度を変えた事で、全身に青い光を浴びるようになる。すると、袋の中から悲痛な声が鳴り響いた。



「無事かアクセル! 随分と暗いが、焚き火は出来たのか!?」



 ソフィアの声だ。しかし身を案じる言葉は、彼の目を覚ます事無く、楽しい夢を見せるだけに留まる。



「聞こえているかアクセルよ。夜は精霊の加護が弱まる事で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)なる魔獣に襲われてしまう。精霊の力を補う為にも必ず火を起こせ、分かったか!」



 返事が無い。ソフィアの声は、次第に悲壮感を増していく。



「もしかして動けないのか? それとも怪我でもしたか? 何でも良い、空に向かって合図を出せ! ひとっ飛びで駆けつけて……ンン……?」



 ついには涙混じりになったが、安らかな寝息を聞いた事で一変。怒鳴り声になった。



「どれだけ心配したと思っている、この大馬鹿者が! もう貴様が泣きついて来るまでは心配してやらん、絶対にだ!」



 その言葉を最後に会話は途切れた。もちろん眠ったままのアクセルは気づく事もない。口元を緩ませては、心地よい夢を愉しむだけである。


 ちなみにソフィアは、しばらく機嫌が悪かった。食後のデザートを一品増やして、ささくれた心がほぐれるまでは。



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