第3話 森を見張る者たち

 早朝。アクセルは暖かな日差しを浴びて、目を覚ました。体は枝からズリ落ちたものの、器用にも両足で枝に捕まることで落下を免れている。


 逆さまになって望む朝焼け。僅かに霧のかかる空は、それなりに格別な光景だった。



「良い朝だ。トカゲ連中も立ち去ったようだし、朝食でも探そうか」



 手元に食料は無い。現地調達を考えており、それは神精山に居た頃も変わりない。


 この周辺の地勢を何も知らない。それでもどうにかなると、不安とは無縁だった。生来から来る呑気さも、彼の武器なのだ。


 とりあえず地面に降りよう。そう思った時、下の方から話し声が聞こえた。野太い声質。男のもので、2人分だ。



「おい、村の奴らは見つかったか?」


「居ねぇっすね。見かけんのは鳥とか、野ウサギくらい」


「見逃すんじゃねぇぞ。アイツら、こっちが気を抜いた頃に村から逃げ出そうとしやがる。面倒になる前に捕まえねぇとな」


「へい、アイン兄貴。ガキ1匹だって逃さねぇっす」



 穏やかではなかった。どこか殺伐とした気配に、アクセルも眉を潜めるのだが、リザードマンでない事は確認できた。少なくとも顔は人間のものだ。手斧や革鎧で武装している事だけ、一応は注意しておく。


 それから2人組の男たちは、歩みを止めず近づいてきた。やがて小柄の方が叫び声をあげて、こちらに指先を鋭く突きつけた。



「あ、兄貴! あそこ、木の上!」


「どうしたクライナー」


「誰か居ますぜ、たぶん大人だ!」



 すると大柄の男、アインの厳(いかめ)しいツラが大木に向いた。緑葉で茂る広葉樹の枝葉といえど、人間1人を隠し通す事は難しい。



「おうコラ、こんな所で何やってんだ! 隠れてんじゃねぇぞ!」



 アインの大きな足が木を蹴った。幹が揺さぶられ、枝葉が悲鳴にも似た音を立てた。


 こうなると、ブラ下がっていただけのアクセルは落下を免れない。体勢はそのまま、地面に向かって真っ逆さま。そしてアクセルの頭はアインの額に激突。避ける暇すら与えない、一瞬の出来事だった。


 しかし痛いと騒ぐのはアインばかり。当事者のアクセルは無表情のまま、事もなげに立ち上がった。それからは場違いにも、抑揚の弱い口調で言い放った。



「急に木を蹴るな。痛い目を見るぞ、今のようにな」



 アインはひたすらに悶え苦しんだ。返事できない兄貴分に代わり、子分のクライナーが叫ぶ。



「だ、誰だテメェは! 村のモンか、この野郎!」


「私は剣聖(仮)のアクセルだ」


「か、かっこかり?」



 予期せぬ言葉にクライナーは目を白黒させた。しかしすぐに体勢を立て直しては、吠える。



「ナメた真似しやがってオウ、うちの兄貴がこんな目に遭ってんじゃねぇかコラ!」


「木を蹴り飛ばして何を得るつもりだった。殺人バチの巣が落ちてくる事もある。以後、何も無いか確かめてから蹴る事だな」


「説教たれてんじゃねぇぞオラァ! こいつが目に入らねえかゴラァ!」



 クライナーが斧を大上段に構えた。しかし、刃が小刻みに震えているのは、離れていても分かる。刃こぼれや錆も見て取れた。まともに斬れはしないな、とだけ思った。


 そこへアインが、痛みにフラつきながらも立ち上がった。まだ目眩が激しく、まともに直立できていない。



「よせクライナー、こんな奴は村に居なかった。余所モンだ」


「でも兄貴、こんなとこ行商人だって来ねぇぞ。怪しすぎるぜマジで」 


「おい剣聖様よ。オメェさんはどうして……」


「剣聖(仮)だ」


「そこは聞いてねぇ。どうしてこんな所に居るんだ?」


「王都に向かう途中だった。歩いている内に道を見失った」


「兄貴、やっぱコイツおかしいぜ! きっと日陰者に違いねぇ。どうせ犯罪者か逃亡兵のどっちかだろうよ!」



 大きな背中に隠れつつ吠えるクライナー。だが頼るべきアインは首を横に振った。



「落ち着け。オレ達を前にして、こんだけドッシリ構えてんだ。大物なんだろうよ」


「騙されんな兄貴。コイツはきっとタダの世間知らずで、躾がなってねぇ馬鹿野郎だよ。この呑気そうな仏頂面、全然強そうじゃねぇし」


「何にしても戦える奴は1人でも欲しい。親分もきっと、そう言うに違いねぇ」



 クライナーは尚も言い募ろうとするが、アインに睨まれた事で押し黙る。


 そして話題は勧誘へと移行した。



「どうだ、オレ達『マジソン団』に入らねぇか? 食う寝るくらいは保証してやるぜ」


「何者だ、その集まりは?」


「森の番人みてぇなもんだ。どうよ、樹海で野垂れ死ぬよか、ずっと幸せだぜ?」


「森の番人……か」



 アクセルは1つ唸り、黙った。人差し指を頬に当て、体を左右に揺さぶる。


 ポワンポワン。シャカシャカ、チーン! 人が集まる場に行くべき。


 検討した結果、弾き出した答えは色良いものだった。



「よっし決まりだ! 付いてきな、ネグラに案内してやるよ」


「ネグラとは?」


「寝泊まりする拠点だ」



 こうして2人組の男達は3人に増え、森の中を歩いていった。浮かべる顔色も様々。アインは上機嫌にも武勇伝を語り、クライナーは『新入り』を睨み続ける。そしてアクセルは眉の1つも動かさずに、相槌を打つばかりになる。


 やがて開けた場所に辿り着くと、巨大な建築物を目の当たりにした。



「ようこそ、ここがオレ達の砦だ! 立派なもんだろ?」



 アインが豪語するだけあり、建物としては立派である。丸太を突き刺して並べた防壁、それらの周囲を取り囲む空堀。溝には鋭利な枝が植えられており、罠の役目を果たしている。他にも出入り口に櫓(やぐら)が完備。壁の内側も広々としており、大きな家屋と蔵が、砦の外からでも見えた。



「開門! アインだ、今戻ったぞ!」



 砦の門が重い音と共に開かれた。通過。内部には何人もの団員が居り、堂々と歩く『新入り』を睨みつける。


 だが当のアクセルは歯牙にもかけない。獣の匂いがすると思っただけだ。



「親分はまだ戻ってねぇから、紹介は後だ。クライナー、部屋にでも案内してやれ」



 アインはそう言い残すと、後事を手下に任せた。


 引き継ぎのクライナーは、静かに唾を吐く仕草をした。



「まったくよぉ。テメェみてぇな無駄飯喰らいを仲間にするなんざ、兄貴もヤキが回ったもんだぜ」



 クライナーはアゴをしゃくって、前に歩き出した。


 しかしアクセルは理解できず、その場で立ち尽くす。しばらくして、怒り顔のクライナーが駆け戻り、ついて来いよと怒鳴った。



「良いか、よく聞け。テメェは下っ端も下っ端。剣聖だか剣神だか知らねぇが、特別扱いは無しだ。ドブさらいから始めろや」


「お前から敵意を感じる。なぜだ?」


「クライナー様と呼べウスノロ! あのな、オレは伊達に日陰者をやってねぇ。これまで沢山見てきたんだよ。剣の達人だとホザく奴らをな。普段は死ぬほど威張り倒すくせに、いざ戦うとなりゃ尻尾巻いてトンズラだ。どうせテメェも同じクチだろうがよ?」


「私は逃げた事は……」



 ふと昨晩の戦闘を思い出す。リザードマンに包囲された時、突破して木の上に登った。無駄な消耗を避けたつもりだったが、見ようによっては逃走とも言えるだろう。



「逃げた事は、あるか」


「ホラ見ろ。とにかくゴチャゴチャ抜かすな。つうか、テメェの部屋に着いたぞ」



 そこは奥行きのある建物だ。木の板で仕切りがあり、端にはワラが積み上がる。


 そして仕切りの内側からは、芦毛の馬が顔を覗かせた。



「テメェなんざ厩(うまや)がお似合いだコラ」


「ここで寝泊まりするのか?」


「おうよ、文句言うなよ。屋根があるだけでも、感謝しろや」



 せせら笑うクライナーを他所に、アクセルは瞳を細めて、厩の奥へと歩を進めた。そして途中で立ち止まる。視線の先には、美しい毛並みをした栗毛の馬が佇んでいた。



「良い馬だな。気配で分かるぞ」


「おい馬鹿、触んな! それは親分の馬……」



 アクセルが手を伸ばすと、栗毛馬は鼻を鳴らし、そちらに顔を寄せた。そして目を細めて小さくいななく。瞳もトロけているかのようで、心地よい様子だった。


 そこへ、ヌウッと隣から顔が伸びてくる。今度は芦毛で、撫でろと催促するかのように、前足で地面を掻いた。



「そうかそうか。お前も挨拶したいのか」



 アクセルが続けて芦毛も撫でようとした瞬間、栗毛の方が激しくいなないた。そして仕切り板を蹴破って、更に芦毛の馬を威嚇する。


 対する芦毛も前立ちになって挑発。やがて2頭の馬は取っ組み合いのケンカを始めてしまった。



「うわぁ! 早く止めろ馬鹿野郎が! 怪我でもさせたら首が飛ぶ……ゲフッ!?」



 闇雲に止めようとしたクライナーは、栗毛馬の痛烈な蹴りを食らってしまう。運良く革鎧に守られはしたが、あまりの痛みに膝を屈した。



「ぼ……ボヤボヤしねぇで。何とか止めやがれ……」


「止めないかお前たち! 他の馬が驚くだろう!」



 アクセルの一喝は衝撃波を伴うものだった。これには騒いだ2頭はもとより、他の馬達も萎縮、辺りは一変して静まり返った。


 特に叱責された2頭は、足を震えさせてまで怯えた。耳も忙しなく動き回り、とにかく落ち着かない様子である。


 アクセルはすぐに握りこぶしを緩ませた。眉尻も下げつつ、並んだ2つの顔に手を伸ばしては語りかける。



「よしよし、良い子だ。大人しくしてくれれば、怒る理由もない」



 出会って数秒、なのに仲良し。アクセルは求められるがままに顔を撫で続けた。


 思わず羨みそうになる、仲睦まじい光景。種族の壁を乗り越えて伝わる美しき情。しかしそれは、クライナーの捨て台詞によって幕引きを迎えてしまう。



「そこ直しとけ。今日中だかんな!」



 クライナーが脇腹を押さえながら立ち去るのを、アクセルは無言で見送った。


 直せと言われても、資材や工具の貸出は無い。どうしたものかと悩み、真っ二つに割れた仕切り板に添え木をして、ツルで結んで固定。一応は修繕できた。しかし手間取った事で時間は過ぎ去り、いつしか日暮れを迎えていた。


 間もなく、師匠に報告すべき頃合いであった。その場で通魂球を握りしめて、幻を呼び出した。



「ご苦労だアクセル。では今日1日、何があったか……」



 虚空に浮かんだソフィアは、前かがみになって注視した。



「昨日は森をさまよっていたかと思えば、今は馬に囲まれて居る。本当に何があった……?」


「諸々ありまして、厩に寝泊まりする事が決まりました」


「どんな諸々だ。事細かに説明しろ」



 アクセルはありのままに、今日1日の出来事を語った。すると、話が進むに従って、ソフィアの表情が曇りだす。



「アクセルよ。そいつらは悪党、賊徒の類ではないのか?」


「ここは悪人の巣窟という事でしょうか? 森の番人だと名乗りましたが」


「物は言いようだ。その村とやらを力づくで支配し、搾取している連中かもしれん。村人の逃走を防いでいるのなら、その可能性は高い」


「いかがすべきでしょうか、師匠?」


「考え、悩み、見極めよ。貴様が判断すべき事だ」



 ヌァンアァン。



「良いな、判断は委ねたぞ。この先、貴様がどうなろうと関与せん。仮に悪党の使い走りになろうとも、それまでの男だっただけの事」



 そこで会話は終わった。輝きの失せた水晶を、アクセルは苦い想いで握りしめた。失望の声は、寂しさが濃く、心に突き刺さるようである。


 怒鳴られるのは大して苦ではない。そこに師匠の愛が見え隠れするから。しかし失望は違う、見放すような温度が感じられる。



「何とか期待に応えねば。グアッ……!」



 アクセルは不意によろけ、壁に手をついた。息苦しい。呼吸が荒い。胸は引き裂かれたように痛み、かつてない目眩に苛まれた。


 こんな時は楽しい思い出だ。記憶の奥で燦然と輝く、在りし日の出来事に浸って心を慰めるのだ。思考を深く深く潜らせる。そこには必ず、師匠ソフィアの顔があった。



――まったく、貴様は体を洗うのが下手だな。どれ、私が流してやる。あっちを向け。いち、にい、はいザバァ〜〜。


――歯を磨いてほしいだと? しょうがない奴だ。横になって口を開けろ。やれやれ。師匠の膝枕で歯を磨いてもらうとは、甘え過ぎだと思わんのか?


――おい見ろ、コレを見ろアクセル! 大物だぞ大物!  今晩は刺身か煮付けか、塩焼きも良いな、ううん迷う。そんな顔をするな、骨ならちゃんと取ってやる。 



 これまでの日々を振り返るうち、魂の傷は癒えていく。自然と呼吸も落ち着きを取り戻した。



「ふぅ、ふぅ、フゥーー……ッ!」

 


 腹に気が満ちていく。心理ダメージなら完全に霧散した後だ。アクセルの全身は、溢れるほどの生気で満ちている。絶望の淵から独りで蘇ってみせたのだ。


 そんな矢先、厩に駆け込む男が現れた。クライナーである。



「おい新入り、ツラ貸せ。親分が戻ったぞ」



 アクセルは力強くうなずき、厩を後にした。


 師匠が期待する行動とは何か。求められる答えとは何か。頭の中で繰り返し問いかけ続ける。未だに答えを見いだせないまま、顔合わせの場へと向かった。


 道すがら、意図せず自分の腰に手を触れた。すると、帯びた剣に巻き付いた鎖が、重たい音を鳴らした。



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