剣聖(仮)の嫁探し 〜世間知らずな剣士とほんのり過保護なお師匠さま〜

おもちさん

第1話 剣聖ミッション

 人里離れた山の奥、1人の青年が黙々と歩いていた。他に人の姿はない。あるとすれば、野放図に育った木々と、そこに住まう獣くらいのものだ。


 盛りのついた鳥が高らかに歌う。一応は、心地よい部類の声なのだが、青年の足は止まらない。



「少し急いだほうが良いか……」



 山道を半ば進んだところで足を早めた。風のように斜面を駆け上がる。巨岩を一息で飛び越え、切り立った崖も僅かな凹凸を頼りに登りきった。鍛錬に明け暮れて、齢も20歳を過ぎた青年にとって容易い事である。


 身なりは実に貧相だ。薄汚れたチュニックにズボン。擦り切れた裾の隙間から麗しき肉体美が見え隠れするが、サイズは合っておらず丈が足りていない。後ろに流した黒い短髪は、伸び晒しした頃に刃物で切り揃えただけ。何の手入れもない。好意的に言えば、清潔感のある髪型であった。彼は着飾る事に興味など無い。せいぜい、突風で乱れた髪を手ぐしで直すくらいである。



「呼び出しも久々か。特に叱られる事は起きていないが……」



 そうして超人的な登山を続けていると、やがてたどり着く。獣道すらない秘境の窪地。そこは「神のうたた寝」と呼ばれる。岩山を上から砕いたような立地で、時刻によっては陽が差し込まないので、昼間でも薄暗かった。



「師匠。ただいま参上しました」



 青年は窪地の中にひっそりと佇む、泉の前でひざまずき、来訪を告げた。すると眼前が眩く発光し、閃光を放った。その光が収まった頃に、1人の女性が水面の上に姿を現した。彼女こそ青年の師、ソフィアである。


 金色の髪に純白のローブという、神々しささえ感じられる容貌。髪だけでなく手足に指までも長い。全体的に細作りだが、あのお肉とそのお肉がはち切れん程に膨らんでいる。そして毛髪の先からは、七色に輝く粒がこぼれ落ち、地に落ちる前に消えてゆく。


 そんな美貌とは打って変わり、気配は強烈だ。眼光は異様に鋭く、向き合う相手に気の引き締めを強いた。華奢な体つきからは想像も出来ない、まるで岸壁のような圧迫感がある。


 彼女は人ならざる者、人を超越した存在であった。しかし青年は今さら驚いたりしない。その場で頭を垂れて、言葉を待つばかりだ。



「よくぞ参った、アクセルよ」



 凛とした、腹に響くような声だ。それを耳にするだけで、青年アクセルは歓びに震えた。口角が持ち上がり、指先に力が籠もる感覚がある。しかし堪えた。ここで無闇に闘気を宿せば「未熟者め」と叱られるからだ。


 まぁ叱られたって良い。師匠の脳裏に自分が浮かぶなら、どんな事だって構わない。もっと私を見てくれ思って感じて占有して夢中になってくれ。そして心を奪い去るほどの武技を神業をもってしてブチのめして欲しい。意識を体ごと空の彼方に吹き飛ばしてきゅれにゃいか。アンアァァァ師匠ヌァァン。


 アクセルが、そう考えたかは定かでないが、闘気を抑え込んだ事だけは事実である。



「師匠。本日はどのようなご要件で? 久しぶりに稽古をつけていただけるのでしょうか……!」



 昂ぶる。闘志が膨らんで仕方ない。今日はどれほどの技を見られるのか、そして自分の力はどの程度通じるのか。考えるだけで歓びの手汗が溢れ出す。



「今日は稽古ではない。話があるだけだ」


「はい。承知しました」


「それにしてもだ。時が過ぎ去るのは早いもの。あの行き倒れ小僧が、今や立派な男に成長しおって。少なくとも見た目に限っては」


「育ててくださった師匠には、感謝しきりです」



 最高ですとも師匠ヌァァン。



「最初から鬱陶しい程に懐きおったな。追い出すつもりで、血反吐を吐くほどの鍛錬を強いたが、ついには乗り越えてしまうとは。まことに恐ろしき才よ」


「私にとって学び多き時間でした」


「まぁ良い。その結果、貴様の剣はそこそこの物になった。世界広しと言えど、匹敵する者はなかなか居るまい」



 師匠ァン。



「全ては師匠のお導きです」


「よってその努力を称え、剣聖の称号をくれてやろう」


「ありがとうございます。以後、剣聖を名乗る事にします」


「だが待て。正式に名乗るのは最後の試練を乗り越えてからだ。それまでは仮のものとせよ」


「はい。では剣聖(仮)と名乗る事にします」


「うむ、まぁ、貴様が良いのならな」


「最後の試練とやらをお教えください」



 アクセルは、どんな難題でも乗り越えるつもりである。称号が欲しいのではない。ただひたすら、師匠に認められたい一心だ。



「それはだなアクセルよ。嫁を探し出して、ここへ連れてこい」



 ヌァン?



「驚くのも当然だが、聞け。貴様は確かに武技を極めた。しかし人の心、世情の理を知らん。心なき刃は災厄でしかない。ゆえに世の中というものを肌で感じ、学び、その成果を見せよという話だ」


「承知しました」


「言っておくが相思相愛、好き合っている者でなくてはダメだ。そこらの人間と口裏合わせて、取り繕う真似はしてくれるなよ」


「はい。好き合える者を探します」


「では行け。日暮れ前には出立せよ。外界の夜は危険が多すぎる」


「ところで師匠、質問を宜しいでしょうか」


「申せ。手短に」


「嫁とは何でしょうか?」


「ぬぅ……そこからだと言うのかっ……!」



 そこで臨時の座学が始まった。内容は純然たる性教育。師匠が説明する声は、時たま裏返る事があったものの、理解可能な範囲内だった。



「良いか。つまりは雄しべと雌しべによって、花は次代の果実を実らせるのだ。それは人も変わらん」


「師匠。人の雄しべとは何でしょうか?」


「き、き、貴様の股にブラ下がっているのがそれだ!」


「理解しました。では人の雌しべとは?」


「この痴れ者! ドスケベ! 途方もない変態! 無学を良いことに私の柔肌でも見ようという魂胆か、恥を知れ!」


「申し訳ありません」



 ヌァァン今の、今のやつをもう1回お願いします、若干強めに。



「……という訳だ。これで分かったか。嫁が何たるかを理解しただろうな?」


「ありがとうございます。では、気持ちの通じ合う女を連れて参れば良いのですね?」


「いや待て、いたいけな幼女やら腰の曲がった老婆を連れてくるなよ。貴様に見合った年頃の女にせよ。例えば、そうだな、18から22歳くらいの娘だ」


「はい。では急ぎ、その年齢の者を連れて参ります」


「いやいや待て、人生を共に歩むパートナーだ。急ぐあまり安易に選んではならん。まず善人であり、悪事とは無縁の者を探せ」


「承知しました」


「それから容姿に囚われるな。人を見た目だけで判断すれば、遠からず痛い目を見ることは必定」


「承知しました。気をつけます」


「あとはそうだな。他には……」



 そこからが長かった。アレはダメ、コレはいかんぞと、彼女なりの恋愛観が怒涛のように押し寄せてきたのだ。



「まったく最近の若い奴らときたら。やれデカパイだの尻がモッチモチだのと、上辺だけで判断しおって。性欲を否定する気は無いが、それだけに着目する事の愚かさを……」


「師匠、ひとつ宜しいでしょうか?」


「なんだ。まだ話の途中だぞ」


「間もなく日暮れになりますが、今からでも出立すべきでしょうか?」



 窪地には朱に染まった日差しが差し込んでいた。空を泳ぐカラスも、どこか嘲笑うようにカァと鳴く。



「まぁ、あれだ。今日は見送れ」


「では師匠。これから手合わせをお願いしたく」


「断る。それで怪我でもさせようものなら、出立がさらに遅れる事になる」



 敬愛する師匠ヌァァンと離れたくなぁぁい。傍でずっとずっとこの先もずっと切磋琢磨する姿を見てもらって叱られてたまに褒められながら添い遂げたぁぁい。


 アクセルがそう思ったかは不明だが、師匠の言いつけに従順である。その日は寝て過ごし、明朝に旅立つ事を決めた。


 迎えた明け方。アクセルは窪地の泉『神のうたた寝』まで足を運んだ。別れの挨拶を告げる為である。



「師匠。これより出立します」



 そう問いかけると泉は煌めき、ソフィアが姿を現した。



「良かろう。この先、数え切れぬほどの困難や障害に見舞われるはず。くれぐれも気をつけよ」


「お気遣いありがとうございます」


「これを選別代わりに。無くすなよ」



 手渡されたのは、掌に収まる水晶球だった。一点の曇もなく、ダイヤにすら引けを取らない美しさがある。



「これは何でしょうか?」


「通魂球(つうこんきゅう)という。手に握りしめて強く念じ、私の名を呼べ。それだけで会話する事が可能となる。魔術にうとい貴様でも扱えよう」



 アァァン師匠の声がいつでも聞けるよォオン、この水晶は命より大切にするんもォォオン。



「承知しました。では用が出来次第、使わせていただきます」


「いや待て、貴様は何かと私に依存する。それでは何の成長にもならん。1人でもがき苦しみ、考え抜く事も必要なのだ」



 ヌァン。



「では、進退窮まる事態になりましたら」


「いやいや待て、貴様はまだ世を知らぬ。いつの間にか脱出不能な袋小路に追いやられる可能性もある。手遅れになってからでは何もしてやれん」


「ならば、いかがしましょう」


「そうだな。日暮れを迎えたら、必ず連絡を寄越すように。毎日欠かさずにな」


「はい。ではそのように」


「では行け、グズグズするな……とその前にこれだ。丸腰では剣士の名がすたる。剣を一振り貸してやろう」


「ありがとうございます」


「それから多少の金も要るな、この精霊石を金に替えると良い。商人共に足元を見られんように気をつけろ。あとは塗り薬に飲み薬。腹が減った時の干し肉だろ。他には……」



 こんな所かと、ソフィアがひと心地ついた頃。アクセルの身体には革袋に木箱にと、膨大な荷物が乗せられていた。鍛え抜いた筋肉が無ければ、その重みで潰されている所だ。

 


「では師匠。行ってまいります」


「いやいや待て待て! これは、その、冗談だ! そんな大荷物で長旅に出向くヤツが居るか。行商人ですらもう少し身軽だぞ」


「理解が及ばず、申し訳ありません」


「ここから選別する。大人しく待て」



 与えられた荷物の9割が削られたことで、一般的な量に落ち着いた。


 これにてようやく、アクセルは旅に出る事が出来た。外の陽気は快晴で微風。旅立ちには最高の日和で、彼の行く末を占うかのようにも見える。


 ちなみにこの青年剣士アクセルによって、世界は大きな変革を迎える事になるのだが、まだ知る由もない。今はただ、ちっぽけな1人の人間が下山しただけなのだ。


 


 

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