二十二 余談

 大正元年


 文机の前に座り、紙に筆を走らせる。一つ一つ書くたびに筆をとめ思いを馳せる。外の世界はずいぶんと明るくにぎやかになった。血生臭さなどなくなり、あの頃が遠い遠い昔のようにさえ感じれた。

「おお? 新八っつぁん、何書いてんの」

 永倉がうっとおしそうに筆を止める。すると永倉の知人であろう男がその紙をのぞきこむ。

「人の名前? 近藤勇、土方歳三……ってことは新選組の仲間かい?」

「おい邪魔するなら帰れよ」

 永倉が追い払おうとするが、男は興味深々に名前の羅列をたどっていく。

「原田左之助。こいつぁ新八っつぁんがよく話してるヤツだろ?」

 その馬鹿な笑顔を思い出すと、懐かしい色に焦がれ永倉が目を細めた。

「ほんと、しょうがねえヤツだったよ。どこまでもついて行くだの何だの言ってたくせに、若くして逝きやがって」

 憎まれ口をたたきながら愛おしそうにする永倉。何度も聞いたと男は呆れるように漏らした。


「それで、これこれ。伊東甲子太郎って言ったらよほどの剣豪だったんだろ? それから藤堂平助に……貂……。なんだい、飼ってた動物の名前まで書き綴るのか?」

 男が大笑いすると、永倉が「貂」の文字を墨で塗りつぶした。

「お前な、茶々入れにきただけならマジで帰れ!」

 すまんすまんと目じりに涙を溜めながら男が謝る。

 永倉が京を離れてから、魂喰は次第に表舞台から姿を消した。代わりに呪詛使が表立って朝廷を守るようになったと聞いている。それも誰かさんの計り残した事かと、あの嫌味な狐を思い出した。

 そうしていると家の玄関がひらく音がした。扉が開くと外の賑やかな音が一気に流れ込んでくる。

「おじいちゃーん! 早く行こうよー!」

 元気な子供の声が家の中に響く。永倉と男が目を見合わせた。

「おお、ほれ新八っつぁん。可愛い孫が呼んどるよ」

 はいはいと永倉が立ち上がる。小銭入れを袖に入れると玄関へと向かう。ちらりと綴っていた紙に視線を落とした。塗りつぶされた貂の文字が目に入る。

「あいつらのことは、残さねえ方がいいか」

 独り言のようにつぶやくと、男と子供が早くと永倉を急かす。

「お前にせいで書き直しになったんだからな。反省しろ!」

「ええ、自分で墨落としたんだろ!?」

 永倉たちが騒がしく家を後にする。残された部屋に吹き込んできた風に紙が舞った。


 その後、完成された永倉新八の『名前覚』には魂喰たちの名が残されることはなかった。



 ―完―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虎と貂 明日乱 @asurun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画