二十一 景従

 最初に刀を抜いて飛び掛かってきたのは藤堂だった。

「永倉さん! あなたたちはあ‼」

 藤堂の刃を永倉の刀が受ける。ぎりぎりと迫る藤堂の顔は悔しさにまみれていた。

「私の……わたしの……!」

 悲しさも頂点を超えれば怒りのような感情に変わる。次々と攻め来る斬撃を永倉が躱し続ける。決して永倉から仕掛けようとはしなかった。

「平助、聞け! お前の気持ちは分かってる! だが俺たちはお前とやり合うつもりはない」

「こんなことをしておいて何を!」

 藤堂が横薙に斬り込んできた刀をすんでのところで躱した。

「生きてくれよ、平助!」

 振り上げた刀が永倉目掛けて振り下ろされる。頭の上で制すると刃の押し合いになった。目の前に迫る藤堂が永倉の瞳にうつると、永倉の目が丸く見開かれる。先ほど藤堂を包んでいた表情はもうない。怒りの矛先は永倉に向いているわけではなかった。むしろそれを自分の中に押し込めようする苦悶の表情がそこにあった。

「お前……」

「分かってます。分かってますから。だけど、一度くらい刃向かわねば伊東先生の弔いにもなりません」

 他の隊士たちにばれないように、永倉が藤堂に斬り込むをする。

「逃げる振りして行け。土方さんも見逃してくれる」

 それは藤堂が望む事だったかは分からない。しかし生きてほしかった。生かすと約束した。永倉が乱闘の渦中から藤堂を勢いよく押し出す。今になっても永倉の太刀には勝てなかった。一歩一歩と藤堂が後ろへ下がる。生かしてくれる気持ちを受け入れるように、自分の中で納得させるように一歩ずつ。それでいいと永倉がうなずくと、藤堂が背を向け走り出した。しかしその時だった。逃げ出す藤堂の背中を隊士の一人が斬りつけた。

「逃げてんじゃねえぞ、逆賊が!」

 藤堂がその斬撃につんのめる。致命傷ではなかった。なのに振り返ってしまったのは条件反射だったのかもしれない。浴びせられた言葉を、背後からの攻撃を受け流すことはできなかった。それは侍として生きたかったから。生きてきたから。しかし藤堂の刀が振り上げられる事はなかった。



 ――慕うほどの父もいた。導いてくれる恩師もいた。

 心配してくれる仲間。共に笑い、悩み、励ましてくれる同志もいた。


 そしてどんな時も、どんな瞬間も、向き合い、肩を並べ、見守ってくれる知己の友がいた。


 だから思ってしまったのかもしれない。『幸せだったな』なんて。

 そんな今際の際みたいなことを考えてしまったのかもしれない――



「平助!」

 声が聞こえたと同時に真っ赤な血しぶきが目の前に飛び散る。斬られたところがあたたかい。それしか感じなかった。藤堂を仕留め喜び勇む隊士たちを永倉があぜんと眺める。

「何を騒いでいる! 早く散れ!」

 土方が叫ぶと、その声に隊士たちが縮み上がり走り去っていく。他の隊士がいなくなったのを確認すると、すぐさま永倉が藤堂に駆け寄った。その後から原田も駆けつけてきた。

「土方さんってば、やっぱり優しいんだ」

 藤堂が力なく笑う。「土方さんは土方さんだ」と沖田が以前話した言葉を、今なら素直に受け止められた。

「死ぬなよ。死ぬなよ!」

 顔を赤らめ、まるで怒っているかのような表情の永倉の後ろでは、原田が泣きそうな顔になっていた。永倉も原田も相変わらずだな、などと悠長な考えが頭に浮かぶ。

 土方の方に目をやると、すでに土方は背を向けていた。大きくて大きくて、大きすぎるその背中。そのまま振り向くことはなく、立ち去っていく姿がかすんでいく。

「貂は。貂はいますか?」

 すぐ近くの屋根の上、貂の姿を確認した永倉が何度かうなずく。藤堂は息絶え絶えに意識を保っていた。

「なら、大丈夫です。あとは貂に任せて――行ってください」

 永倉が見上げると、貂がしかとうなずいた。藤堂へ向き直った永倉が叫ぶ。

「この、馬鹿野郎!」

 永倉の罵声に藤堂が嬉しそうに笑う。惜しく、思いを断ち切りきれないまま立ち上がると藤堂の元を離れる。気持ちをふり切るようにその場を立ち去る。その後ろをぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭いながら原田が追いかけて行った。

 浅くなる息を整える。最後に話したい人がいた。

「平助」

 その声が遠のく意識をギリギリのところで繋ぎとめる。頭を抱きかかえられると、白い水干に縋りついた。貂が力のなくなった体を抱きかかえる。持ち上げるとぼたぼたと血が垂れ落ちた。そのまま体を塀の上へとさらった。

「ありがとう……約束……」

「うん」

 塀にもたれかけられている伊東の元へ藤堂の体を下ろす。死してなお聡明な顔をした伊東は安らかに眠っているかのようだった。

「ここでいいか?」

 藤堂からの返事はない。地上に降りた貂に黒い手がまとわりつく。ずるずると引きずり込まれる地面に二本の短剣を突き刺した。黒い手がするすると貂から離れていく。数秒だけの時間稼ぎ。少ない時間でもいい。藤堂と同じ目線で向き合いたかった。

 ゆっくりと伸ばされた藤堂の手が貂の手を握る。その手をぎゅっと握り返した。行かないでくれと引き留めるように、強く強く握り返した。

「泣かないで?」

 ありったけの力を振り絞った藤堂の笑顔。泣きそうな顔をしていたのだろうか。しかし泣けるわけなどなかった。藤堂につられるように貂が笑う。その言霊はきっと、このさきずっと貂をしばる。それが藤堂が残した最後のいたずら。そのいたずらっ子な顔は出会った時と少しも変わっていなかった。目を閉じた藤堂が最後の息を吐く。そのまま息を吸うことはなかった。力を失くした腕が貂の手からするりと落ちた。

 ゆらゆらと白い気霜が藤堂の体から抜けていく。それは貂の手の中で丸まり、透明な玉へと姿を変えた。

「平助も、約束を守った」

 藤堂の髪と衣服を整えてやる。

「きっとすぐに土方さんが迎えに来てくれる」

 そう伝えると最後に藤堂の頬に触れる。安らかな顔にほっとする。そのまま姿を消すように夜の空へと飛び立った。



 魂喰の屋敷に帰ると、藤堂に続き狐火の長逝を知った。砕け散りそうな心で、それでも貂は前を向く。狐火の死の意味、生きた意味を背負おうと決めた。藤堂の墓は自分が守っていこうと決めていた。

 しかし世は非情であった。

 一日が経ち、二日が経ち、いつになっても新選組は藤堂を迎えに来ることはなかった。それどころか遺体はそのまま放置され、まるで見せしめの道具かのように扱われた。貂が油小路の道を屋根から見下ろす。ふつふつと怒りが湧く。新選組を信じ、袂を分かちながらも、最後に命を奪われながらも恨むことをしなかった藤堂に対しあまりにも酷い仕打ちだった。貂が屋根を蹴り上げ飛び出す。向かうところは一つだった。


 西本願寺の屯所に駆け付けると、丁度出先から戻ってきた永倉の前に降り立つ。驚く永倉をよそにいきなり胸ぐらに掴みかかった。

「どういうつもりですか!」

「お前、どうして……」

 永倉が貂の足元を見る。そしてすぐに目の前の顔に視線を移した。

「平助の体を放置するなんて、なんてことを!」

 詰め寄る貂に永倉が後ずさる。顔を伏せる永倉を前に貂が苦い顔になる。

「すまない。罰当たりなのは百も承知だ。分かってくれ」

「分かれって、何を……。平助はあなたたちを……」

 騒々しさに気付いたのか屋敷から土方が出て来る。何事かと沖田も顔をのぞかせていた。

「魂喰の方が何の用だ。もう新選組とは手を切ったんだろ?」

 藤堂が最後まで信じていたはずのその顔を貂が睨む。土方に凄む様子などみじんもなかった。

「平助は貴方がたが弔い葬ってくれると信じていたのに、なんて残忍な」

「弔ってやりたきゃ自分でやりゃあいいだろ。どうして俺たちが反逆者を埋葬せにゃならん」

 湧き上がる怒りに体が震える。少しでも冷静を保つために息をゆっくりと吸って吐いた。

「それでも、江戸よりずっと共にいた仲間でしょう!」

 土方のつまらなそうな顔にこれ以上我慢できなかった。永倉も悲痛な面持ちでその場を見守る。土方に掴みかかろうものなら止める備えだった。しかし、貂が出た行動にその場の皆が驚いた。貂は地面に膝をつき手と頭を地に着ける。これには土方も少しばかりぎょっとした。

「お願いです! 平助を、平助の遺体を埋葬してやってください!」

 最後の訴えだった。しかし無念にもその姿を見てなお、土方が態度を崩す事はなかった。

「聞けん願いだな」

 それだけ言い放つとその場を去ろうとする。貂がぎりぎりと地面に爪を立てる。真っ赤になった顔で土方を見上げた。

「貴方たちは鬼ですか! 化け物ですか! いえ、化け物よりも恐ろしい! この世に存在する何よりも恐ろしく悪だ!」

 そこまで叫ぶと、貂の首元に刃先が光った。沖田が刀を抜き貂に突き出す。その目は悲しく怒っていた。

「おい、それ以上土方さんを悪くいってみろ。首元斬り裂くぞ」

 それでも貂が何か言い返そうとしたとき、貂の傍に影が降り立つ。それはそのまま貂を抱え上げた。

「潮時だ」

 そう言うと鼬が新選組の面々に浅く頭を下げる。その目は怒りに満ち、土方たちを睨み上げていた。貂を担いだままの鼬が飛び去る。そして屯所の表から少し離れた木の上に着地した。

獅狼しろさん、ありがとうございます」

 手印を解いた獅狼が頷く。担がれたまま泣きじゃくる貂の重みを、鼬は何も言わずただ感じ抱えていた。



 その後、ようやく新選組の手により一度は光縁寺に埋葬された藤堂ら御陵衛士だったが、伊東の実弟により伊東らと共に泉涌寺塔頭戒光寺へと移された。泉涌寺のそこは孝明天皇も眠る御陵がある場所。伊東たちが掲げた御陵を守りたいという願いを果たし続けられるよう計らわれた。



 伊東暗殺の件からしばらく経ち年を越す。その日は前日より降りしきっていた雪が未だ降り続いていた。しんしんと降り積もる雪を踏み分け墓の前に姿を現したのは永倉だった。墓石に積もった雪をはらい、その前にしゃがみこむと手を合わせる。しばらく瞑っていたまぶたをゆっくりと開けた。

「そんなに睨むなよ」

 皮肉交じりに笑うと空を見上げる。墓の傍に立っている木の上にしゃがみこんでいる貂に声をかけた。

「謝って許してくれるなら、何度でも謝るけどさ」

 貂は何も返さず、咎めも悲しみの音も言わず、ただそこに座り見下ろしていた。そうやっていつまでも墓を守る気かと、永倉が心の中で嘆いた。

「なあ、俺もさ、これから来てやる事が出来なくなりそうでな。この先もずっと、平助の事を頼むよ。って、俺から言われるのも癪か」

 よっこらしょと立ち上がると貂の返事を期待する事なく墓を後にする。ゆっくりゆっくり、一歩ずつその場から遠ざかっていく。だんだんと小さくなっていくその背中に向けて貂が頭を下げた。そして木の枝に寝そべると藤堂を見つめる。ずっとずっと、傍に寄り添うように、静かにいつまでもそこにいた。

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