二十 屋梁落月

 自分に向かい攻め立てる嘴をかわしながら狐火が屋根を伝う。御所や二条城から離れ、東へ向かう。民家が少なくなった辺り、鴨川を超えたところまで化け物を誘った。貂の剣でさえ太刀打ちできなかった化け物に狐火が対峙する。持つ武具はない。ついに襲い掛かってきた嘴を体で受け止めた。狐火を啄んだ化け物が空へとのぼる。そのまま上昇する化け物と共に高く高くへと押し上げられる。化け物の口がしっかりと狐火の体を咥え込んでいた。それでも冷静に狐火が右手で手印を組み祝詞を唱える。一瞬、狐火の周りを破邪の気が包み込み化け物に衝撃が走る。雄たけびを上げ甲高く哭くと咥えていた狐火をぽろりと落とした。しかし狐火の祝詞もただ化け物に小さな打撃を与えただけ。それで祓えるほど弱くはない。地上へ落ちていく狐火が朱色と金色の化け物を夜空の中に見つめる。

 屋根に体を打ち付けた狐火がゴロゴロと転がり止まる。不自由そうにのそりと上半身を起こした。受け身を取らなかったのではない、。頭上を旋回する化け物を見上げると、その口には片腕が咥えられている。ふと左肩に目を遣ると肩の付け根からすっかり左腕がなくなっていた。バランスの取れなくなった体であぐらをかく。化け物が嬉しそうにひょいと狐火の腕を飲み込んだ。

 化け物を睨みつける顔から嫌な汗が流れる。息が上がる。左肩からじわじわと熱く熱が広がる。ぼたぼたと血を滴らせながら再び右手で手印を組む。最後の力を振り絞るように祝詞を唱える。心なしか狐火の口角はニヤリと上がっているように見えた。

「ほな逝こか、桜王ざくろ

 ふっと祝詞を手印に吹き込むと、そのまま気を手放したように倒れ込んだ。どうにか化け物の様子を伺おうと薄目を開ける。

「狐火!」

 遠のく意識の中、狐火を呼ぶ声が聞こえた。

「なんや、狸吉。遅かったな」

 狐火の頭を持ち上げると上半身を抱きかかえる。狐火が目配せする方へ狸吉が視線をやると、さきほどまで猛々しく空を飛んでいた化け物の様子がおかしい。悶えだし、身を捩ると羽根の間からチリチリと光りが漏れだした。その様子に狸吉が目を見張り、狐火はほくそ笑む。

 瞬く間に羽根の間の光が表に姿を現すと、それは化け物を包み込む炎と化した。


「ちょっと仕込んどいたった」

 狸吉が失くなった腕を見る。狐火がどや顔を見せつけた。

「自分の腕を燃やしたのか」

「外から破壊することが不可能な事は分かっとった。自ら中に入れば食われるまで。策は前から練ってあった」

「すぐに手当てしに帰る」

 狸吉が抱き上げようとするのを狐火が制する。みるみると燃え盛り奇声を上げる化け物を愛しそうに見上げていた。その焦がれるような狐火の目に狸吉が息を呑む。次第に灰になり朽ちていく化け物を見届けると狐火の目に映っていた炎もおさまった。最後に黒い煙になった化け物を狐火が吸い込んでいく。普段なら腹で玉にし吐き出すはずが、狐火は戻すようすがない。

「吐け、狐火。化け物を取り込む気か」

 まるで眠そうにゆっくりと瞬きをする狐火に薄くなっていく命を感じ取る。

「ええんよ、これで。化け物を殺せるのは化け物だけ。またとない機会やろ」

 狸吉の膝を枕にすると狐火が漆黒の夜空を見上げた。丁度月が真上に見えた。

「これからお前が守らねばならないものはどうする」

「うちが守るものは帝だけよ」

 狐火の指す帝とはたった一人の存在。

「うちが他の誰かを守ってやるほどお人よしやと思うてた?」

 いたずらっぽく笑う狐火に狸吉がため息をつく。

「せやけど狸吉。頼みがあってな」

 狸吉が静かに狐火の声に耳を傾ける。

「貂のこと、よろしゅうたのむわ。ああ、あと鼬もな」

 「言われなくとも」と狸吉が答えると狐火に薄らと笑顔が現れた。

「御所ちゃんはええなあ。うちの顔見ながら逝ったんやもん。うちかて御所ちゃんの顔見ながら逝きたかったわ」

 そう零すとゆっくりと瞳が閉じられる。そのには最後まで黄色い半月が映っていた。



 貂が高台寺へ駆け付けると、表には志士たちが血相を変え集まり出していた。間に合ったのか遅かったのか、分からないまま貂が藤堂の姿を探す。

「新選組めが! 伊東先生を……なんてこと」

「ご遺体を放置するなど愚行もいいところ! 先生を迎えに行き、新選組を粛清する!」

 志士たちが闘志をあらわにする中、門をくぐって表に出てくる藤堂を見つける。その表情は暗闇にまぎれよく分からなかった。

「平助!」

 貂の声に藤堂が顔を上げる。その顔は怒りでも失望でも無情でもなく、どうしてかいつもの藤堂と変わらないように見えた。貂が塀の下、地面に付かないよう足場に降り立つ。藤堂と出来る限り目線を合わせて話がしたかった。

「貂、伊東先生がね」

 言いかけたところで貂が数回頷く。

「だから、私は行かなくては」

「平助、ダメだ。行ってはダメだ!」

 貂の訴えに藤堂が悲しく笑う。

「貂は何度も私のいるべき場所について考えてくれた。心配してくれた。導いてくれた。それを裏切る事になるのは分かってる」

「じゃあ! じゃあ行かないでくれ」

 志士たちが藤堂の名前を呼ぶ。「すぐに行くから先に」と藤堂が答えると、みなが背を向け出発した。

「でもね、貂。誰が望もうと望まざろうと、私は行かないと」

 藤堂の目からはすでに定まっている心が伝わってくる。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ行くな! そう思ったところで言葉には出てこない。今まで思いを飲み込んで来た人たちの顔が脳裏をよぎっていく。そんな世で生きて来た藤堂に、伝える事が出来ない。伝えればいいと何度も思ったはずなのに、今になって伝えてはいけないと思ってしまう。しかし貂の思いとは反対に、藤堂にはその気持ちが突抜けたように伝わっていた。

「貂……」

 泣きそうになっている顔に藤堂の手のひらが添えられる。その手を取り貂が握る。

「平助、一つだけ。一つだけ約束してほしい」

「貂からのお願いなら、断れないね」

 。そうは言わなかった。

「じゃあ私からもお願い」

 いつもと変わらずにこやかに言葉を交わす。伝え終わると藤堂が踵を返し歩き始める。暗闇に消えるまで、その背中を見送った。



 伊東が暗殺された油小路七条。その周辺には新選組隊士が身を潜めていた。役人に伊東の遺体を引き取るようにと高台寺に走らせていた。これが罠だとわかっていても御陵衛士たちはやってくる。土方はそうふんでいた。


 土方が永倉らを連れて屯所を出る前、引き留める声があった。

「俺も行きます」

 前より少しばかり痩せた沖田が表に走ってくる。永倉がそれを止めた。

「アホか。体調悪いやつは寝とけ」

「でも永倉さん、平助が。平助も来ますよね!?」

「近藤さんも土方さんも平助の命は見逃したいと思ってる。俺が上手い事やるから、心配すんな」

 「でも」と食い下がる沖田の肩を叩いた。

「あいつが俺の刀に敵うわけはないだろ? あいつもそんな馬鹿じゃない」

「そうかな……」

 小さく零した沖田の言葉は永倉に聞こえていないようだった。意気揚々と永倉たちも出発する。沖田の表情は晴れず、悔しさと杞憂が滲み出ていた。


 そんな沖田の気持ちを知ってか知らずか永倉も道のわきに身を潜める。すると遠くから数名の足音が近づいて来た。隊士一同が刀に手を掛ける。伊東の遺体を引き取りに来た志士たちが到着すると、担いできた駕籠に伊東の体を移動させはじめた。伊東の周りにみなが集まった瞬間、一斉に新選組がその周りを取り囲んだ。たった七人の御陵衛士に対し、新選組の数十七名。志士たちも瞬時に刀を抜き対峙する。御陵衛士の前には土方を始め、強豪の面々が立ちはだかる。覚悟はしていたが、その圧巻たるや。雄たけびを上げ斬りかかってきた隊士達の間をぬい、四人の志士が逃げ出した。新選組隊士がその後を追いかけ走る。

 そんな中、逃げる事をせず刀を構えたままその場にとどまっていたのが藤堂だった。その姿に永倉が悲痛な思いで目を細めた。

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