十九 星離雨散

 慶応三年 十一月十八日


「それでは平助、頼みましたよ」

 伊東が御陵衛士屯所の門に立つ。見送りに出て来た藤堂は終始不安げな顔だった。

「本当に伊東先生一人で大丈夫ですか? 私や、何人か一緒にお供させてください」

 心配そうな顔に伊東がにっこりと笑いかける。大政奉還が勅許され、いよいよ朝廷を中心とした大政に移さんとした折、近藤からの誘いを受けた。一度ゆっくり今後の国政について話がしたいと言う。これには伊東も心から賛同し、承諾した。近藤たちを疑いたくはない。しかし藤堂は心につかえるものを感じていたのも事実だった。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。やっと話す機会がおとずれたのです。私は為すべきことをしにいくだけです」

 わざわざ酒の席に呼び出したことも腑に落ちない。それでも藤堂は信じたかった。伊東の行く道に曇りないと信じていた。だからこそ伊東が信じる新選組を疑う事はやめようと、そう気持ちを切り替えた。

「分かりました。みのりあるお話が出来たらいいですね、先生」

 やっと晴れやかになった藤堂の顔を見て伊東の胸もすく。いつもの朗らかな笑顔を残し、伊東が背を向ける。一人で歩いていく背中を藤堂が見送っていた。もちろんそれは普段伊東を送り出す日常となんら変わらない光景だった。


 伊東が近藤の妾宅へ着くと和気あいあいと近藤が出迎える。用意された膳の前に二人が座る。向かい合うとお互いに酌をし、酒をかわした。

「伊東先生は、これからの国はどうなるとお考えですかな?」

「大政奉還された今、帝を中心に国がまわりはじめようとしています」

 その言葉に近藤がぴくりと反応するが、伊東に気付かれぬように冷静を装った。伊東はそんな異変には気づく様子もなく話を続ける。

「正直なところ、今のままではこの国が良い方向に進むのか不安があります」

「と言いますと?」

「帝を中心に我々が強く手を取り合って国を守っていかねばならないのです。それには新選組や諸藩、すべての民が一致団結せねばと考えます」

「朝敵となった長州藩ともですか?」

 頷いた伊東は朗らかな顔をしていた。

「そうです。みなが、です」

 どうやら長州と掛け合っていたことも、はやり帝に取り入り諸藩をまとめ上げようとしている事も本当だった。それが近藤の解釈だった。会津藩が他と並ぼうなどと、幕府が何かの下につくなどと、今の近藤には考えられない。故に伊東の言葉も素直に受け取れるはずはなかった。

「やはり伊東先生は幕府を潰すおつもりですか」

「徳川慶喜公もその覚悟でおられる。近藤さんたち新選組が手を取り合わぬというなら、私たちもそのつもりです」

 最後に交わした会話は言葉足らずだったか、言葉の綾だったか。近藤にはひずみを残し、伊東は調和を得たと諒解した。



 満足そうに、足取り軽く伊東が妾宅を出る。酒に酔っているのかふらつく足も機嫌よく見えた。その後ろ姿を近藤が鋭く睨む。頭が切れる事、刀の腕が立つこと、それは近藤がよく知っている。だからこそ多少下衆なやり方だろうと引くわけにはいかなかった。

 近藤の家を後にし、静かな京の夜を歩く。その日は月が綺麗だった。少しかかる雲も情緒があってよいなどと考える。伊東はあまりにも気を許し油断しすぎていた。

 突然、暗がりの中いくつかの影が伊東を囲んだ。刀を携えるその影は四つ。その佇まい、構え、殺気、その影が新選組だと気付くのに時間はかからなかった。そして何の目的で、誰の差し金かということにもすぐに察しがついた。一気に酔いの冷めた伊東が刀に手を掛ける。

「私を殺しに来ましたか?」

 伊東の問いに答える者はない。みなが伊東の太刀筋を知っている。まともにやり合って勝てる相手ではない。緊張の糸が張りつめる。卑怯であれど伊東を仕留める方法は一つしかなかった。

「やあああああああああああ!」

 一人が刀を振り上げ斬りかかると、残りの三人も一斉に斬りかかった。伊東が一人目の刃を弾き身を翻す。しかし二人の目の刃がすぐさまに襲い掛かった。それを止めると他二人を止める術はない。二つの刀が伊東を突き刺す。人を斬ったことがあるか、ないか。それは経験値だけの問題ではなく、箍の問題である。躊躇なく人を斬り捨てるには伊東は優しすぎた。それが仇になる状況では敵うはずはなかった。

 正面で伊東の刀を受けていた隊士が伊東の前面を斬り捨てる。その場に倒れ込む伊東を確認すると、隊士たちは立ち去るかと思いきや近くに身を潜めた。そこから出て来たのは土方歳三。隊士の一人に役場へ向かうよう指示をだした。土方が道に転がる伊東を見遣る。その瞳に色はなかった。



 「はあ」と小さなため息が空に放たれる。一部始終を見ていたのは狐火だった。離れた屋根の上にしゃがみこみ、表情を変えず現実を見つめる。その心に憎悪も嫌忌もない。人とはどういう生き物か、狐火は十分に知っていた。新選組と引き合わされた時から、こうなることなど分かっていた。一縷の希望を持っていたわけではない。しかし少しは考えてみてもいいかと、そう思えた矢先だった。

 狐火が伊東に弔いの念を向けるその時だった。遠くから耳障りな甲高い鳴き声が聞こえてきた。空の向こうを見ると赤い大きな鳥が一羽、月に照らされ飛んでいる。その傍にまとわりつかんとする影が見えた。貂が一人で化け物に食らいついている影だった。

「こんな時に出てくるか」

 狐火がゆっくり立ち上がるとその方を見遣る。心を決めたように屋根を蹴り飛ぶ。化け物に向かい駆け出した。

 貂が化け物に向かい剣を突き立てる。しかし硬い羽根の間にやいばを突き刺すことができない。

「外側からじゃ歯が立たないのか」

 一度化け物に振り切られようとも再び飛びつき食らいつく。そんな貂の事など目に入っていないのか、化け物が空を旋回する。何かを見彷徨っているようだった。

「中から壊そうにもこの嘴と凶猛さでは食われるのがオチか」

 化け物の背中に飛び移ると振りかざした短剣を突き刺す。しかし覆われた朱色の羽根から先に食い込ませることもままならない。化け物が大きく身を振るいはばたくと貂がふるい落とされる。間一髪化け物の羽根を掴みしがみついた。するととつぜん化け物がけたたましく奇声を上げる。驚いた貂が前方を見ると、狐火がこちらに飛び向かって来ていた。それを視界にとらえた化け物が一気に速度を上げ猛進する。鋭く大きな嘴を開くと狐火に食いかかった。

「狐火様!」

 ひょいと躱した狐火が化け物の首根っこに飛び移る。

「貂でも太刀打ちできんか」

「先ほど人一人を食いちぎったほどに凶悪。今祓わなければ甚大になると思い手を打とうとしましたが。猫尾様は今大阪に、狸吉さんが駆け付けてくれるまでもたせられるか」

 貂の焦りを余所に、狐火はどこか余裕の表情を見せる。

「貂、今しがた伊東はんが新選組に斬られた」

 この状況下で思いもよらぬ言葉に貂が言葉を詰まらせる。化け物は自分に乗っかった忌々しきものを振り払おうと体を震わせ続けている。

「御陵衛士を始末する気よ。お前は行け」

「しかし……!」

 狐火から溢れだすものは殺気でも敵意でもない。なぜか穏やかな空気が狐火を纏っていた。

「若虎もじきに出るやろ。分かるな?」

 貂がごくりと生唾を飲み込んだ。未だに躊躇う貂に暖かく慈しむ視線を送る。

「これは桜王ざくろから出た化け物よ」

 狐火が何を言わんとするか、何を望んでいるか、貂が理解する。狐火の気持ちを推し量れば、貂が選択する道は一つだった。

「狐火様、必ずご無事で!」

 狐火の口角が上がる。満足げに貂に背を向けた。貂が羽根を手放すと町へと降下する。屋根に飛び乗ると高台寺目掛けて走り出した。

 いよいよ怒り狂った化け物が身を捩り狐火を振り落とす。

「さて、最後のケリを付けるか。桜王」

 狐火が着地すると屋根を蹴り上げ再び化け物に向かい飛び掛かった。

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