十八 繭

 桜が流れ、蝉吟せんぎんが収まると心地よい秋風が吹きだした。伊東ら御陵衛士も屯所を高台寺にうつし、その生活にも慣れたころだった。伊東は魂喰とも密に会い意見を求めることも多く、魂喰の屋敷に出入りする機会も増えていた。

「すみませんね、狐火さん」

 今日は立ち寄るだけのつもりだったのだが――藤堂が屋敷に上がり込むと貂と茶会を始め出していた。

「別にええよ。昼間は魂喰が動くことはめったにない。ええ暇つぶしやろ」

 トストスと裸足で走ってくる音が聞こえてこれば、藤堂が伊東と狐火の間にまんじゅうを差し出す。

「狐火さんもぜひ。ここのまんじゅうは人気で早くに売り切れます。貂も大好物でよく買ってくるようにせがまれるのです」

 いつの間にか藤堂も狐火に慣れてしまったのか、前ほどに距離を置くこともなくなっていた。

「平助! 余計な事は言わなくていい」

 貂が慌てたようすで藤堂の後を付いて走ってくる。

「狐火様、お茶の用意を……」

 すると狐火が手を挙げ遠慮する。

「ええ、ええ。誰かに持ってこさせる」

 貂が狐火に頭を下げる。藤堂は二人ににこりと笑うと立ち上がり、貂の手をとり走って行く。「転ぶと危ない」と貂に制されつつ二人が屋敷の奥に消えて行ってしまった。

「なんや、幼子おさなごが増えたみたいやわ」

 「すみません」と伊東が謝るも、その顔は嬉々としている。狐火も本気で迷惑などとは思っていないようだった。

「貂の喜怒哀楽がよお見られるようなったんは若虎にうてからやな」

「そうなのですか?」

「あれにとって今見えている世界は彩りも豊かなんやろ」

 狐火の表情は面に覆われ分からない。しかし伊東にはその声が弾んでいるように聞こえていた。

「平助が京に来て以来、ずっと貂さんが傍にいたと聞きます。楽しい事だけではなく、悲しみ、辛さ、虚しさ、不甲斐なさ、すべてを貂さんと分かち合い歩んできた。どんな状況であってもこんなにも心強い事はありません」

 黙って聞いている狐火の頭には一人の顔が浮かぶ。

「せやから伊東はん、うちらのせいで二人が裂かれることは、避けたいとうちは思うんよ」

 狐火が手に持った扇を持て余すようにくるくると回す。本当は悟られたくない本心を思い切ってもらす、そんな心理を表す行動。照れ隠しだった。

「はい、私も思っています。彼らの未来を切り開くため、私は行動しているのですから」

 伊東の言葉に反応は示さないものの、狐火は心の中で頷いたような、そんな気がした。

「ところで狐火殿。公方様、そして魂喰は今後どう動くおつもりですか?」

 これが本題かと狐火が姿勢を正す。

「徳川慶喜はんは考えを変えず。このまま帝を中心とした大政をなしたいと考えとる。その策はもうじき施行されるやろ。魂喰はあくまで朝廷、いや帝に付く。せやから伊東はんらにも懸け橋となるべく動いてもらいたい」

 伊東がしかと頷いた。

「同じく思いを連ねる方々にはこちらから働きかけましょう。ですが一つ確認しておきたいことが」

 何かと狐火がうながす。

「呪詛使は。あなたがと呪詛使の確執はこの運動に面倒を起こしませんか?」

 狐火が扇でトントンと畳を叩くとばさりと開けた。

「伊東はんの手を煩わす事はさせんよ」

 今はその言葉を信じると伊東が深く首を縦にふった。


 そろそろお暇しようと伊東が藤堂を呼ぶ。惜しそうに、しかし満足そうに藤堂が狐火と貂に頭を下げ門を出た。屯所への帰り道、空は秋に似つかわしい朱色へと色を変えていた。秋の空気は寂しさを含みながら、澄んでいて気持ちいい。日の暮れが早くなると子供たちも急いで家に帰っていく。鳥たちもまた巣へと戻っていくようだった。みながそれぞれの家で過ごす時間が多くなる中、これから魂喰たちは務めに出るのかと思うと日の沈む空に思いを馳せずにはいられなかった。

「伊東先生、これからも魂喰の方とは共同していくのですか?」

「帝をお守りするには、それが良いと考えていますよ」

 しずしずと歩きながら二人が会話する。

「一つお聞きしたいのですが」

 なにやら言いづらそうな藤堂の思いを伊東が悟る。きっと前より胸につかえていたことなのだろう。

「何でしょう?」

 出来る限り重くならないよう、伊東が軽く促した。

「伊東先生にとって、新選組は敵ですか?」

 新選組を離れると話した時、新選組の屯所を後にした時、藤堂はそれを伊東にはたずねなかった。しかし訊ねなかったからこそ、藤堂の中では触れられないほどに大きな事柄なのだと知っていた。

「なぜですか?」

「新選組は今や幕府を守るため会津藩についています。片や伊東先生が為したいことは朝廷を守り国の柱とする行為。まるで反対側にいるようです」

 藤堂が寂しそうに下を向く。きっとその答えを聞きたくはなかったのだろう。しかし伊東の答えは藤堂の想像していたものとは違っていた。

「その通りです。今の私たちの立場は新選組とは真逆のもの。しかしそれを敵と定めるのはどうしてでしょう? 相容れぬ考えでは分かり合えませんか? 相手の本心を理解できませんか? そうではないはずです。たとえ思いが違っていても話せば通じ合う糸を見つけることが出来るはずです。だから私は話したいのです。新選組とも」

 伊東の言葉に藤堂の目に光が満ちてくる。やはりこの人に付いて来て正解だったと、そう思えた。藤堂が嬉しそうにふふっと笑う。

「やっぱり伊東先生は伊東先生です。刀で争ったりは出来ません。だって伊東先生、んですから」

 調子づく藤堂に伊東が口を尖らせる。

「師を馬鹿にしてはいけませんよ。人に刀を向けたことがないのは、本当ですが」

「バカになんてしてません。安心したのです。伊東先生がそのような人で、本当によかった」

 心底安心したような横顔に伊東も眉を垂らし頬をゆるめる。晴れた心とともに空を見あげ、今度は魂喰、そして新選組の面々を思い出し思いを馳せた。



 慶応三年 十月十四日


 徳川慶喜が大政奉還を奏上する。拠り所であった幕府は新選組の思うものとは違う動きを見せた。幕府から帝中心へと大政が変わる。加えてこの機を見計らったように伊東が長州藩への寛大処分を朝廷へ求めた。新選組から見ればまるで狼煙を上げたようにうつる伊東の行動。近藤、土方もこれには黙っていなかった。

「ついに伊東さんはこちらを敵と認識したんじゃねえか?」

 いよいよ肩身の狭くなった立場に土方が苛ついていた。

「伊東先生がそこまでの考えなのかは分からん。しかしあちらがその気なら、新選組も動かねばならん」

 この窮地は近藤と土方の思いを固めるのに十分だった。人は追い込まれると時に余裕がなくなり周りに牙を向ける。その悪しき例が二人に覆いかぶさろうとしていた。そんな二人の元へ斎藤が姿を見せた。

「それで斎藤、あちらさんの状況はどうだ」

「御陵衛士は今後魂喰と手を組み朝廷を味方に大政をなすと。今や長州や薩摩藩士とも話し合いを進めている様子。なお、事始めに新選組を潰さんとしていると話す志士もあったが、依然真意は分からず」

 ただ一つの報告にすぎなくとも、今の土方には事実が歪んで見える。敵を排除せんとの思いがはばかることはなかった。

「近藤さん、やはり御陵衛士とは名ばかり。討幕への足固めだったんじゃないのか」

 しぶる近藤を土方が後押しする。

「今、方をつけておかにゃ今後こっちが潰されるぞ」

 心を決めたのか近藤が静かに口を開いた。

「犠牲は最小限に」

 その決断に斎藤が目を細め、土方の目には挑みかからんばかりの炎が見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る