十四 蜘蛛手

 春も過ぎ、また蝉の声が煩くなってきた頃。長州討伐へ向けて大和への出張が命じられる。派遣される伊東に藤堂もついていくこととなった。今後どう出てくるか知れない呪詛使を懸念して狐火が貂を遣わせていた。

 伊東の手段は今までの新選組と違い、「御用改め」と潜伏先に踏み込むやり方とは違っていた。調べ、固め、役人と共に確実に浪士を捕縛する。その手腕に藤堂も感服していた。改めて伊東が話していた刀を抜かない方法を目の当たりにする。そんな伊東を見て、宿屋へ移動する途中思わず藤堂が胸の内を話した。

「伊東先生、最近の新選組では次々と隊士達の切腹が施行されています。まるで山南さんを皮切りに。近藤さんたちが目指すものは理解しているつもりです。しかし以前はこんなのじゃなかったのにと、思ってしまうのです」

 大和の夜は京に比べて大分静かだった。虫の声が聞こえてくる夜道には壬生村を思わせるような静穏を感じる。

「そうですね。思っていたよりも累卵の中にあるようです」

 山南が伝えたかったことがよく分かる。しかし口にはしなかった。まだ藤堂の中では新選組を、近藤を信じていると感じるが故だった。

 「そうですか」と肩を落とす藤堂の背中を貂が離れたところから見ていた。藤堂が戻って以来、それより前から貂にとって藤堂への心配が増していた。狐火も最近ではめっきり新選組に寄り付かず、一橋の元へばかり赴いている事も気にかかっていた。

 藤堂と伊東が分かれた隙に貂が伊東へと近づく。

「伊東さん。少しよろしいでしょうか」

 改まって貂が話しかけると伊東は物腰柔らかく貂に振り向いた。

「貂さん、この度はご同行有難うございます。お礼を伝えるのが遅くなってしまいました」

「いえ、こちらも呪詛使へ用心してのことですので。それよりも平助のことで」

 貂の口から藤堂の名前が出ると、伊東が目を細める。

「平助を心配してくれる方はずいぶんと多いようです。私も大変嬉しい。貂さんのお話も平助からよく聞きました。とても誇らしげに、喜色満面に話すものですから私もあなたの話を聞くのが楽しみになりましたよ」

 自分の事をそんなふうに話していたなど初めて聞く。貂が緩みかけた頬を引き締め直す。

「その平助の事なのですが、これから先新選組にいても大丈夫でしょうか。平助はずいぶんと悩んでいる。以前の新選組なら知れず、今の新選組に見る景色は平助の思いと反しているのではないでしょうか」

 貂の言葉に耳を傾け、しばらく考える。

「そうですね。これから時代がどう進んでいくのか。それにより、私の進むべき道は変わってきます。その時平助が何を選ぶのか。それは私にも分かりません。だからこそ平助がどこにいても、貴方には見守り続けてほしいと願っているのです」

 貂の顔を見るとにっこりと笑う。

「それは、もちろん」

 貂がしっかりと頷くと、伊東が安心したように頷き返した。

「ああ、それと。私も一度狐火殿にお会いしたいと考えておりまして」

「それならば俺が狐火様に申し伝えておきます」

「よろしくお願いしますよ」

 伊東が満足そうにその場を去っていく。これから藤堂の行く道が明るいものになってくれるよう、貂がその背中を眺め祈っていた。



 慶応二年 七月二十日


 新選組に思わぬ凶報が舞い込んできた。将軍徳川家茂の薨去こうきょ。それにより揺れ動くのは会津藩だった。新選組の立場をも揺るがす事態に隊内の空気は重苦しく淀んでいた。そして上からの達しを待つしかない新選組を余所に、時機を待っていたと魂喰の屋敷から飛び出す姿があった。狐火が御所の周辺をくまなく探す。その探し人はわざとらしく狐火の前へと姿を現した。

桜王ざくろ、来ると思うたわ」

「ああ、全くもって厄介」

 狐火と対峙した桜王がため息まじりに零す。

「厄介されど好機」

 桜王が楽しそうに天を仰ぐ。その姿に狐火が怪訝な視線を送る。

「何が好機や。長州はもう呪詛使と手を組むほどに力はない」

「なあ狐火。勘違いしてそうだから教えといてやろうと思って」

 「何を」と狐火の目が桜王を睨む。

「お前はこの機に呪詛使が動き出すと待ち構えていたかもしれんが、呪詛使は動かん」

 狐火の耳がぴくりと動いた。桜王がその様子に気付いたようだが構わず続ける。

「我はお前から帝を取り上げることが願いよ」

「取り上げてどないするん」

 呆れたような狐火に対し、桜王は得意満面に空を仰いでいる。そして毛嫌うような顔を狐火に向けた。

「嫌いなんだよ、お前の事が。呪詛使は態勢を立て直し次第動く。しかしな、我が動く理由はお前よ。化け物でありながら人間を見下すお前がどうしようもなく許せんのだ」

「なんや、個人的な恨みかいな」

「帝との関係さえ切れればお前は力を失くす」

 狐火の面の奥から殺気が漏れた。

「御所ちゃんは渡さんよ?」

 桜王が気にすることなくひょいひょいと立ち去る。

「そうか。ではまたいずれ」

 いつも狐火は桜王の背中を見送る。手を出そうと思えば出せるほどに力に差はある。しかし狐火が人間を襲うことは本望ではなかった。

「うちは会いとうないけどな」

 この日もまた桜王の行く先を見届ける事しかできなかった。



 西本願寺に移った屯所内、一部屋に幹部が集められる。

「将軍が亡くなったって、これから新選組はどうなるんだよ」

 永倉の嘆く声が部屋に響く。しかし近藤に動じる様子はない。

「じきに次期将軍が決まる。誰になろうと、新選組は幕府を守るのみ。松平様を支えるのみ」

「こんな時だからこそ、俺ら新選組の団結力も問われる。隊の秩序を乱す奴らは容赦なく処罰していく」

 土方の物騒な物言いにその場の空気がぴりっとこわばる。伊東だけが冷静に物事を見極めんと言葉を聞いていた。藤堂がちらりと伊東へ視線を向ける。それに気づいた伊東が薄く微笑んだ。

「隊士たちは浪士とは違います。もう少し慎重に事を判断するのも大事かと」

 伊東が言い放つと心なしかそれに同調する風が隊士達の間に吹き込む。面白くないと土方が伊東を睨んだ。

「今も昔も国の為にと思う気持ちは変わっちゃいねえ。しかし多摩から上洛した時、新選組と名前をもらったばかりの時とは状況が違う。局長が幕府の為に働くと決めたなら何を犠牲にしてでも成し遂げる。隊士が増えた今、新選組を盾に好き勝手する輩も増えた。かく乱する者は処して当然。腹の底が知れねえヤツもいるからなあ」

 そう言って伊東を見る土方の視線を飄々と受け流した。

「まあ、まずは新しい将軍の意向しだいですね」

 藤堂が二人の様子に気を揉み、永倉と原田は目を見合わせると肩をすくめた。



 将軍薨去の知らせが届いてからしばらくして、狐火が訪れたのは一橋の元だった。一橋は次期将軍の候補と期待をされつつ未だ返事を渋っていた。

「早よ心決めたらどおやの」

 狐火が一橋を前に世話がないと嘆く。狐火にそう言われれば一橋もふてくされた顔をした。

「そこまで言うなら狐火よ。私の考えを聞いてくれるか」

 狐火が扇をぱさりと開く。口元に当て、どうぞと促した。

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