十三 凄凄切切

 京に戻っても藤堂はうつろなまま時間を過ごした。山南の墓に手を合わせたが実感がわかない。山南の意図を近藤や土方に聞いても、うやむやな答えしか返ってこなかった。永倉たちが山南の最期の様子を教えてくれた。介錯は沖田がつとめたらしい。山南は一つの迷いもなく、その表情はとても誇らしげであったと話してくれた。

 藤堂が新しい屯所内を歩く。西本願寺に移った屯所は広くなり、隊士も増えたはずなのにどこか静かだった。

「そうか、沖田さんが寝込んでいるんだっけ」

 いつもなら元気に藤堂に絡んでくる姿が見えなかった。大切な人がいなくなった新選組。見慣れた光景のなくなった屯所。藤堂は居場所を見つけられず心にあるのは空虚だった。屯所はただ、だだっ広くなっただけ、そんな感覚を覚えた。案内された隊士部屋は大部屋を区切り小部屋が作られ割り振られていた。稽古に出ている者が多いのか誰も残っていない。部屋に藤堂が腰を下ろす。ちょうど窓に面した小部屋であったため、外を眺めていた。すると屋根からとととっと音がした。藤堂が何の音か気付いたときには、彼が姿を現していた。

「帰ったのか」

「貂、久しぶりだね。元気そう」

「平助は、あまり休めていないのか」

 疲れの見える藤堂の目元が痛々しく貂に刺さる。

「山南さんのところへは行ってきたのか? 近藤さんやみんなから話は聞けたか? 最後にちゃんと話せたのか?」

 気遣ってくれていることは百も承知だった。貂が山南よりも誰よりも藤堂の事を心配したに違いないと分かっている。帰ってきたらすぐに藤堂の元へ行こう、傍にいてやろう。そんなことを考えて待っていたに違いないと知っている。貂ならなんでも受け止めてくれる。それが甘えとなって出てしまった。やり場のない悲しみ、怒り、絶望、すべてをぶつけても許されると思ってしまった。

「そんなにいろいろ聞かないでよ。私だってこの状況を受け止められてないし、心の整理もついてないんだから」

 つい棘のある言い方をしてしまう。

「うん、ごめん。でも平助。山南さんはきっと平助の事を思って江戸に」

「知ってるよ! 山南さんとはずっと一緒にいたんだから! 貂よりもずっと長い間」

 貂の優しさに煩わしさを感じる。すまなそうに貂が縮こまったのを藤堂が感じ取る。しかしそれさえも藤堂の苛立つ心を刺激した。

「うん……でも平助が聞きたい事があれば。話してやれることがあるかもしれないし。平助の気持ちも分かってあげられるかも」

「分からないよ、貂には! 親だって家族だっていないんだもん!」

 大きな声を張り上げる。自分が発した言葉にはっとした。なぜか視界がブレて貂の顔が見えなかった。瞬きをしたと同時に目からぽとっろ何かがこぼれ落ちる。とっさに立ち上がると友に背を向け逃げ出していた。後ろにいる貂がその後どうしたのか、どんな表情をしていたのか、振り返り見る事ができなかった。


 ずんずんと屋敷の外へ向かって歩く。途中の廊下で部屋から上半身をはみ出すようにして寝そべっている沖田と出会った。そういえば沖田が寝込んでいたことを思い出し足を止める。

「うっせーなあ。痴話喧嘩か?」

 面倒くさそうに寝転がったままの沖田が声を上げる。

「寝ていなくていいのですか?」

 気まずそうに返す藤堂は沖田の目を見ることが出来なかった。

「寝てるだろ」

「そういう事じゃないと思いますけど」

 静かに沖田の元に近づくと、すとんと傍に座った。

「言ってはいけないことを、言ってしまいました」

 うつむく藤堂を、沖田が横目にちらりと見遣る。

「聞こえてた」

 ただのわがままで貂にあたってしまったことを恥じ、後悔していた。しかし今の藤堂の心には余裕などない。そんなことは沖田でも十分に理解できた。

「俺はさ、今まで何人も人を斬ってきた。だけどこんなに感触が残ってるのは初めてだ」

 沖田が自身の手のひらを見つめる。

「本当、嫌なもん残していってくれたよな、あの人は」

 目を伏せたまま、沖田の声を聞いていた。沖田も慕っていたであろう山南。その人の介錯を務めるとは、一体どんな気持ちだったのだろうと想像した。

「沖田さんは、迷うことはありますか?」

 沖田がごろんと寝返りを打つと仰向けになる。新しい屯所の天井を見つめた。

「俺はさ、ちっせえ頃から試衛館に入り浸ってた。叱られた事は親よりも近藤先生や土方さんからの方が多い。先生や土方さんが変わったっていう人もいるけど、分かんねえ」

 沖田が自虐的な笑顔を作った。

「俺には先生は先生、土方さんは土方さんだ」

 何も伝えなくとも、沖田は藤堂が何に迷っているのか大方予想がついた。それは同じ屋根の下で同じ釜の飯を食って来たから。ともに誰かの背中を見て育ってきたから。

「でも平助は違う。慕う人も叱ってくれた人も他にいる。どっちが正しい、何が正しいって、答えがあるなら人生楽勝だろ。ないからみんな悩んで、間違って、ぶつかって。それでも最後に信じるのは自分だろ」

 膝の上で握っていた藤堂の拳に力が入る。

「平助が信じた道を行けばいい。誰にも止める権利はねえからな。だけどさ、お前と刀を交える未来ってのは、嫌だって思ってるよ」

 沖田がにかっと笑う。いつの間にか藤堂の目元を濡らしていたものも乾いていた。

「謝ってきます」

 藤堂の言葉に沖田が頷く。

「それより、体調が悪いならちゃんと寝てください。布団の上で」

 沖田の体を起こすと肩をかす。ごほごほっと咳をする沖田がいつもより弱弱しく見えて心配になる。

「はいはい。寝ますよ。寝てりゃあいいんだろ」

 悪態をつく沖田が手を挙げ藤堂を追い払う。心配を残しながらも藤堂が部屋を後にした。


 隊士部屋に戻ったが貂の姿はすでになかった。屯所のまわりをぐるりと周ってみる。屋根や木の上を中心に探し、呼んでみたが見当たらない。西本願寺に屯所が移り、貂たち魂喰の住む屋敷が近くなったことを思い出した。考える間もなく屋敷の方へと駆け出していた。

 人を探すのに上ばかりを見上げる。おかしいようだが、そう思わないほどに身に馴染んでしまっていた。陽もだんだん傾いてくると、町は青から赤に変わっていく。宿屋が並ぶ辺り、屋根の上からひらひらっと白い布がはためくのが見えた。その布に見覚えがあった。

「貂! いるの?」

 声を掛けると親しい顔が屋根からひょこっとのぞいた。そこに藤堂がいることに驚いたようだったが、すぐに屋根から手を差しだす。藤堂がその手を掴むと屋根の上に引き上げた。

「あの……その」

「どうした? 聞きたいことあったか? それとも、何かあったか?」

 どうせなら強く責めてほしかった。自分の過ちを叱ってほしかった。なのに貂は優しい言葉しかかけてくれない。

「謝らないとと思って。ひどい事を言ってしまったから。ごめんなさい」

 どの言葉の事か、貂には分かっているようだった。

「平助はとても大切な人を失くした。その事に比べれば」

「ダメ。貂にはお兄様もいる。家族のように大事に育ててくれた人もいる。本当の家族がいないのは、私の方なのに」

 赤い陽が貂の右頬を、藤堂の左頬を染めていく。貂が太陽の方に向き直った。

「綺麗な夕日が見れそうだから、見て帰ろうと思って」

 貂が見つめる方へ、藤堂も視線を移す。大きな赤い陽が家々の真上に落ちてきていた。太陽を見つめる貂の横顔が優しくうつる。しかしその瞳にきゅるっと渦巻くものを確かに見た。

「貂、目が……」

「ああ、夜になってきたから出て来たかな。怖いか?」

 藤堂がふるふると首を振る。

「神秘的だなって」

 ふはっと貂が吹きだす。

「そんな事言われるのは初めてだ」

 化け物と同じ目を持つ魂喰。人にあらず、完全なる化け物にもあらず。しかし誰が怖いと思うだろうか。こんなにも人を愛し、優しい心を持つ青年を。

「綺麗だなあ」

 太陽が沈みきるまで、貂と藤堂の隣り合った背中が空を見つめていた。

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