十二 玲瓏

 木屋町の一角。旅籠屋に身を寄せていた明里が気力なく壁にもたれ掛かる。最後に会った日に山南から身請けの話を伝えられた。晴れて自由の身――などと明るい気持ちにはひと時たりともなれなかった。

 考え事をしているのか、ただ部屋の中をぼうっと眺める。すると窓がカタカタと音を立てた。何事かと窓に近づくと外から声が聞こえた。その声に窓を開ける。

「山南さんからこちらにいると聞いていました」

 部屋の中には入ることなく、下屋から声を掛ける。明里の暗い目元を見た貂が心配気に眉をひそめる。

「わざわざ済んだ事を伝えにきはったん?」

 いつものはつらつとした声はなかった。それでも貂がひるまずに手を差しだす。

「これを」

 明里の手のひらに落とされたのは綺麗な玉。

「山南さんの魂です。そのうち消えてしまうものですが、貴方が持っているのがいい。きっと、平助もそう言うと思ったので」

「届けに来てくれはったんやね」

 愛おしそうに玉を撫でる。その表情が少しばかり明るくなると、貂も安どの息を吐いた。

「あの人の最期は、どやったん?」

「すみません、俺は屋根の上にいただけなので、中の様子は」

 そうやねと、諦めたように口元が笑ったが眉は下がったままだった。部屋のろうそくがぽわぽわと壁を照らす。そのうち、どこから迷い込んだのか小さな虫が蝋燭の炎に吸い寄せられ、ジリっと音を立てると灰と化しヒラヒラと舞い落ちた。そんな虫の音さえも聞こえるほどに静かな夜だった。

「以前に平助も言っていました。変える為に刀を用いるのは正しいのか疑問だと。山南さんは答えました、平助に刀を抜かない世界で生きてほしいと。なのになぜ、山南さんは……」

 山南の事を真剣に惜しむ貂に、明里の頬が優しく弛んだ。

「あの人にとって、新選組は居場所やったんよ」

「明里さんがいるのに」

 思わず明里がふっと笑いを漏らす。

「ほんま、男はんの生きる道は難しいね。あの人は新選組として死にたかったんよ。きっと伝えたいことがあったんよ。それでも新選組として死ぬなんかより、なんでもない人としてうちと一緒に生きてほしかった」

 消え入りそうな声でぽつりぽつりと零すと夜空を見上げる。月の見えないその空は、ただ虚しく暗がりが広がるだけだった。

「山南さんには、伝えなかったのですか?」

「うちはそんな野暮な女やない」

 ぷいっとそっぽを向く明里。その振るえる声に聞いた一筋通った芯。そこに明里の強さがあった。貂はただ目を伏せ、山南の思い、明里の思いを惜しく思った。伝える事がそんなにも罪深いことなのかと。

「それでは、俺はこれで」

「おおきに」

 貂の方を見ることもない明里の態度は冷たく見えるかもしれない。しかし底知れぬ感謝の気持ちを貂は感じていた。ひらりと貂が闇の中に消え去る。辺りからは何の気配すら感じられなくなる。また静かな空気が漂い始めた。明里が手のひらの玉を見つめる。ぎゅっと握り胸に押し付けると、打ちひしがれるように顔を伏せる。窓にはしばらく動く事のない姿が、ろうそくにより影となって写されていた。



 山南の葬儀が済むと、早々に屯所の西本願寺移転の話が動き出した。ついに西本願寺側も新選組の受け入れを許諾し、屯所移転が開始された。西本願寺の広い敷地内には馬や大砲も運び込まれ、一変して物々しい雰囲気が漂い始める。山南の一件もあり、この移転話をよく思わないものもいたが、それを上回る活気が屯所内に充満していた。これから新選組が幕府直下で指揮をとる。そんな組織になっていくことに胸を膨らませる者も少なくなかった。この熱に付勢いしたいと、再び江戸への隊士募集の話が上がる。江戸行きを志願したのが伊東だった。

 「私の門下がまだ江戸にはおりますので」と説得の旨を話せば、近藤たちも快く送り出すことに同意した。もちろん伊東にとって同士を一人でも多く引き込むことを望んでいたが、それよりも大事な使命を負っていた。



 伊東たち遠征組が江戸に到着すれば、見慣れた顔が一目散に駆けて来た。伊東の乗った馬に駆け寄れば荷物を手際よく下ろす。久しぶりに見る藤堂の顔は以前と何一つ変わってはいなかった。

「やっと来てくれましたね、伊東先生。私はもう暇で暇で。まさかこちらで年を跨ぐとは思ってもみなかったです」

 よほど一人で暇を持て余していたのか、藤堂の饒舌に伊東も笑顔になる。二人で伊東道場へと向かう道すがら、藤堂のお喋りは止まらなかった。

「そういえば、山南さんなんてしょっちゅう手紙を寄こしてくれていたのに、最近ぱったりと止んでしまったのですよ。もう手紙は飽きてしまったのでしょうか」

 藤堂が口を尖らせてその事を話すと、伊東の表情がすっと曇った。

「もしかして先生が直接持ってきていただいているのですか?」

 目を輝かせ見上げる藤堂から思わず目を逸らしてしまった。伊東の行動に藤堂には疑問の表情が浮かび上がる。ここが一番いい機会だろうと伊東が藤堂に向かい合った。

「平助、話があります」

 伊東の真剣な顔に対し、藤堂は不可解な面持ちのままだった。



 伊東道場には、床に背を丸め伏せる藤堂の姿があった。伊東が藤堂を見守るように対面し坐している。

「嘘です! 山南さんが隊を脱するなど、嘘です!」

 藤堂の声が道場に虚しく響く。

「平助の気持ちは分かりますが、山南さんはきっと――」

「私には生きろと言ったのに、自分は世を去るなど! 山南さんはそんな人ではありません」

 まさに藤堂の言葉はその通りだった。だから皆が困惑し、戸惑い、悔しみ、惜しみ、せめて彼を理解しようとした。しかし誰一人それさえも叶わなかった。藤堂がどうしてと思うように、未だ数多の人がなぜかと問う。ただ伊東には山南の気持ちが分かっていた。それは藤堂を託すような言葉を吐いた時から。伊東が新選組に入り、近藤や土方の考えを知った時から。山南にはこれ以上今の新選組として生きることは出来ない。しかし、新選組としてしか生きることもできない。導き出した答えが――そう考えても、それを藤堂に話して伝わるとも思えなかった。今の時点では。

「平助、京に戻りましょう。山南さんに、手を合わせてあげないと」

 鼻をすする音がしたが、顔を上げた藤堂は背を伸ばし凛々しかった。山南が伊東を新選組に引き入れたのは正解だった。師に背く事はしない。師の背中を見れば地に足もつく。藤堂にとっては現実に心をつなぎとめてくれる大きな綱となっていた。

「あなたの友人も心配しているようですよ」

「ああ、貂。貂は元気ですか?」

「はい、変わりなく」

 貂の名前を口にし、生気の戻った瞳に安心する。藤堂を残し伊東が先に外へ出た。春には少し早い。暖かさがすぐそこまで来ているのに、今はそれを感じることが出来なかった。


「春風に吹きさそはれて山桜 散りとて人におしまるヽかな」

 寒樹の枝先が風に揺れている。

「貴方は思いに従って去っていったのでしょう。しかし、惜しむ人があまりに多すぎる」

 今は伊東でさえ、枝についた固いつぼみも見逃してしまう。これからどう身を振っていくか、そればかりが頭をぐるぐるとめぐっていた。

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