十一 士魂
江戸へ向かう道中。まだ人通りも多い田舎道。ふと道の脇に季節に似合わない小さな花が咲いているのを見つける。思わず足を止めしゃがみ込んだ。山南が花を優しくなでる。
「まだ寒いでしょうに。こんなに綺麗に咲いて、立派なものです」
「何、花に喋りかけてるんですか」
ぶっきらぼうでぶすっとした声が後ろから聞こえた。振り返ると山南が予想していた通りの人がそこに立っていた。
「やあ、沖田くん。思ったより早かった」
そのいつもと変わらない朗らかな笑顔に沖田が苛つく。
「話してくれますよね」
沖田の問いに返事はしない。その代わり近くにあった茶店へと誘った。乗って駆けて来たのであろう、沖田が手綱を引いていた馬を脇に寄せる。まだ明るい昼間、沖田と山南が肩を並べて店先に座った。
「早朝、山南さんの置手紙を見つけてみなが驚きました」
茶をすすりながら顔色一つ変えず山南が沖田の声に耳を傾ける。
「前から決めてたんですね。だから平助を江戸に置いて来た。あいつなら腹を斬ってでもあんたを止める」
少しくらい反応が欲しかった。しかしそう問いただされることさえも予測していたように、山南が答えることはない。
「俺なら山南さんを引っ張って帰ると思いましたか」
「違いますか?」
突然かぶせるように山南が声を発した。それに沖田が少し驚く。
「沖田くんは近藤さんや土方さんの命なら絶対に応えます」
「半分当たりです。でも半分は違いますよ」
分かってないと拗ねるように、怒るように沖田が言い放つ。
「なんで新選組を出るなんてわざわざ書き残したんですか。なんで行先まで本当のことを書いてるんですか。あなたが嘘の事を書いても俺は従った。騙された振りして悔しがるふりをした。ねえ、山南さん。みんな俺が手ぶらで帰るのを期待してるんですよ。俺が振りをするのを待ってるんですよ」
なんでと無念の感情で眉間に皺を寄せる。沖田の背中を山南が優しくなでた。
「遠くまですまないね。それじゃあ帰ろうか」
立ち上がり歩き出す山南の背中を見ながら一歩が踏み出せなかった。踏み出してしまえば、運命は止まることなく迫ってくる。沖田にとってこんなにも重くしんどい一歩はなかった。
屯所に帰れば土方が苦い顔をして山南を迎えた。そのまま前川邸の一室に監禁されると、あとはその時を待つのみだった。新選組の中には強く反対するものもいた。しかし近藤や土方がそれに応えることはなかった。
新選組禁令を犯したことへの処罰。山南の切腹。それは明日遂行と決められた。
山南がその時を待つ部屋に訪れたのは永倉だった。その後ろから原田も顔を出す。
「山南さん、あんたが近藤さんたちと少しもめてるのは知ってたけどさ、ここまですることなのか? なあ、遂げたい思いがあるなら生きろよ。こんどこそ黙ってここを出て行け。俺たちはもう追わねえから」
うんうんと原田も心配そうに横で首を縦に振る。その様子に苦笑した山南が発した言葉は永倉が期待するものではなかった。
「いえ、これでいいのです。これは私が望んだことなのですから」
引くに引けなくなっているのではないか、頑なになっているのではないか、それならそれでいい。山南が本当は生きたいと思ってくれている事が永倉には重要だった。しかし、山南の心はそうではなかった。
「平助は。平助はどうすんだよ。俺らはどう言ったらいいんだよ」
「そうだよ。平ちゃんなら止めるって分かってるから遠ざけたくせに」
その名前を聞くと、さすがに山南の瞳にも迷いの色がうつる。しかし自らその思いを振り払う。
「平助は弱くありません。私がいなくなろうとも、自ら考え、どうしたいのか、自分で導き出せる子です」
まだ親心が残ってるくせにと永倉がため息を吐く。「頼みましたよ」と笑顔で託されるとそれ以上は何も言えなかった。静かに部屋を出た永倉が八木邸へと歩く。その後ろを原田がついて歩いた。
「くそが‼」
突然放った永倉の罵声に驚くこともなく、原田がきゅっと唇を噛みしめる。まだ寒さの残る季節。澄んだ空は悔しささえも吸い込みかき消していった。
その後も次から次へと隊士達が別れを惜しみ部屋を訪れた。伊東が訪れると、ようやく今まで山南が示していた意図が分かったと告げる。伊東の背中から虚しさが滲み出る。あとは山南との約束を果たすと再度契り、部屋を後にした。
最後に山南の元へ訪れたのは土方だった。
二人が交わす最後の対話。まず口を開いたのは土方だった。
「なんで隊から脱走した」
端的な質問は冷酷にも聞こえたが、そこに込められた数知れぬ思いを山南が感じ取る。だからこそ、山南とて態度を崩すわけにはいかなかった。
「理由は必要ですか?」
乞う姿勢を微塵も見せない山南に土方の眉がぴくりと動く。
「別に。察しはつく」
「ならば」
「だから、理由次第では考えようがあるっていって――」
「貫きなさい」
山南の強い言葉が土方の思いを遮る。思わずしかめていた顔を上げた。
「貫きなさい、土方歳三」
「何を……」
「鬼の局長として面を被るなら、貫き通しなさい」
土方が悟る。山南は全てを知り、分かり、承知したうえで切腹を望んでいる。土方の奥深くに居座る想いを決意という蓋で封じ込めたことも。山南には計り知れない別れを、断腸の思いで自ら決してきたことも。その上で新選組を近藤を支えていくと決めたことも。
土方がそれを察するとははっと笑い声を漏らした。
「どいつもこいつも。狐火は俺に鬼になれと言った。あんたは鬼を貫き通せと言う。なのにそうなったらなったでらしくないと言う。勝手だよ。あんたらは」
少しだけ、山南が頭を垂れる。今更謝るんじゃねえと土方がそれを鼻で笑った。
「二度目だよ。直接切腹を言い渡すのは」
土方の虚ろな瞳が障子を映す。決して山南を見ようとはしなかった。
立ち上がった土方が背を向ける。そのまま立ち去ろうとする背中に声を掛けた。
「土方さん」
少しだけ土方の顔が山南へと振り返る。
「介錯は、沖田くんで」
見開かれた土方の目にはいつも通り、穏やかに聡明に朗らかに笑う山南がうつっていた。再び前に向き直った土方が部屋を出ると、後ろ手に襖を閉めた。
二月二十三日 夜。 山南敬助の切腹施行。
前川邸の屋根の上。貂の吐く息だけが空気を白く変える。他には何もないほどに寒く、静かだった。まるで貂が吐いた息のように白い気霜がゆらゆらと屋根へと上って来た。
「こっちだ」
貂が誘うと気霜はするすると貂の手の中に納まった。ぎゅっと握った手を開くと、まあるい透明な玉が納まっていた。それを再び握ると貂が夜空を駆け出す。向かう場所は決まっていた。
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