五 滂沱

 藤堂が天王山へと駆け付ける。天王山山上では真木和泉ら長州志士たちが立てこもっていた。藤堂の後からは近藤、土方の隊が会津兵と共に向かってきていた。長州藩の惨敗、久坂玄瑞を失った今、長州志士たちの敗北は決定的であった。だからこそ藤堂には遂げなければいけない事があった。

 ――生きて真木和泉を捕える。

 何を果たしたかったのか、どう世を変えたかったのか、語らねば後には残らない。しかし藤堂には分かっていたこともあった。大義ある者、敗れるなら自分の手で――。炎に包まれた久坂の顔が脳裏に過りぎゅっと拳を握った。

「平助!」

 どうしてかその声にほっとする。殺伐とした心を穏やかな有様へと引き戻してくれる。

「貂、来てくれたんだ」

 木々を渡りながら藤堂と合流した貂が頷く。

「真木和泉には負の感情が宿っているに違いない。きっと怨の魂が抜け出る」

 藤堂が山を登りながら山上を見つめた。

「ねえ、貂。できれば真木和泉と話がしたい。真木には世の行く末を見届ける義務がある」

 藤堂の思いに貂がはっとする。なぜか初めから真木は手にかけられるものだと決めつけていた。

「ごめん……」

 貂がつい謝ると、藤堂が「どうして?」とはにかんだ。

「私は甘いかな」

 困った顔の藤堂が目に入る。最近では明日の命を心配し、次に会えるのかを不安に思うことしか出来なくなっていた。たわいもない、ただ何も気にすることなく二人で過ごす時間が恋しかった。

「ねえ貂、この一件が終わったらゆっくり話そう?」

 貂がもちろんと頷く。これで終わらせたいと貂にも力が入る。


 しかし現実は悲痛な世界を見せつける。ようやく真木たちが立てこもっている陣小屋が間近に迫った時、一発の砲声が聞こえた。その乾いた音に藤堂と貂が走り出す。追い詰めて来た新選組の気配を感じての威嚇か。嫌な予感が藤堂の腹をえぐった。

 山上へ駆け付けるとそこには炎に包まれる小屋があった。数名の藩士たちがすでに腹を斬りそこここに打ち伏せる。その光景はとても悲惨であった。腹を斬ったとて易く死にきれはしない。痛み苦しみ悶絶する人間のうめき声が耳にまとわりつく。目と耳を塞ぎたくなるほどの惨状は藤堂でさえも嘔吐く程だった。

 腹をくくり打ち伏せる者たちが望むのは助けではない。苦痛から命を絶ち切る一太刀だった。

 貂が眉間に皺を寄せその様子を見ていると、目の前の藤堂が刀を抜いた。どうするのかと思えば、一人、一人とその首筋を搔き切っていく。その背中は無情に見えただろうか。いや、それはひたすらに悲しみを背負う背中だった。貂がそっと短剣に手をかける。しかしそこから腕が動かない。脳からの命令は心からの指令で遮られた。情けなさで目を閉じる。

「貂、真木がいない」

 藤堂が火の回り始めている陣小屋へと踏み込む。そこで貂が何かを感じ取った。

「こっちだ」

 先陣をきって中へと誘う貂に藤堂がついていく。庭へと続く部屋で充満した煙に影が映った。縁側に正座をして坐するのは真木だった。早く外へ出なければこの小屋も落ちるのは時間の問題だった。

「兇魂が憑いているのか」

 貂が真木の背後から声をかける。不敵な笑みを浮かべた真木が振り向いた。

「死してなお役目を果たせと。ほんに呪詛使とは恐ろしい」

 腰から抜き、脇に置いた刀を真木が取る。言わずとももう何をするのかは明白だった。

「待ってください! あなたが死んでは貴方がたが何を考え、何をしようとしたのか伝えるものがなくなります。私たちが捕えていた長州藩士たちも次々と亡くなっている」

「呪詛使だ」

 藤堂と貂がぴくりと反応する。

「呪詛使の仕業だ。使える者は魂を吸い取ってでも使う。使えなくなった者は枷になる前に処分する。ほんに、恐ろしいやつらだ」

「でもあなた方が自ら呪詛使と手を組んだのでしょう?」

 真木が鞘から刀を抜き取る。藤堂が焦りの色を見せた。説得するには腹が据わりすぎていた。


「最初は帝の為と同調してきた。人を守るためと。しかしあやつらが私らを利用したかっただけだとすぐに分かった。しかし手は退けなかった。多くの者は魂が人質に取られていた。呪詛使は本当に帝の為に動いているか? 魂喰が憎い、それだけではないか?」

 真木が貂を見遣った。そこには憎しみも同情も憂いもない。ただその問いを投げかけた。貂は顔をしかめただけで、答えを出す事ができなかった。真木が貂の様子を嘲るようにニヤつく。

「お前ら魂喰は化け物なんだろう? 化け物なら人を殺れ。なあ、私を殺せ。どうせ魂喰も呪詛使と同じ。人にあらず、人の心を持たず。ほれ、お前が斬らねば私が自刃する。化け物が出るぞ。どうする」

 貂が短剣に手を掛けると恐れるように取り出した。真木が貂の腕を掴むとぐいと自分に引き寄せる。貂の持つ短剣を自分の胸に突きたてた。

「何をためらう? 偽善者ぶるか。結局お前ら魂喰も呪詛使も同じ穴の狢。人に人を斬らせ、自らは高みの見物よ」

「違う。俺は……人と共にありたい。人でありたい。人として生きたい」

 藤堂も初めて聞く貂の本音だった。人を殺めたくないと思う貂は、人より人を愛していた。人の道を人一倍恋いていた。そんな貂の思いを真木が大口を開けて笑う。

「人になりたい化け物か! 傑作傑作! おとぎ話にしてわっぱにでも読み聞かせようぞ!」

 貂の瞳が悲しみにくすむ。一番に恋焦がれるに嘲られる。こんなに不幸なことはなかった。その様子を見ていた藤堂の目の色が変わる。


 真木が突き立てた短剣をぐいと胸に押し当てる。

「さあ斬れ。人に憧れたかわいそうな化け物」

 短剣を握る貂の手が震える。その顔には真木に否定された事への絶望が溢れだす。その顔を見た真木が苛ついた。

「いっちょ前に悲しんでんじゃねえ! この世の汚れが!」

 真木が叫び終わると同時に突きたてられた刃がずぶっと胸にうずまった。貂は人を裂くその感覚を初めて感じた。震える手を包み込んでいたのは藤堂の手だった。藤堂が貂の手を使い、真木の胸に短剣を差し込んでいた。悲しみを帯びる貂の瞳とは違い、藤堂のそれは怒りに包まれていた。貂が背中ごしに藤堂を感じる。

「貂は人の為に化け物を斬る。化け物を斬れるのは化け物だけ。貂にしか出来ない役目。でもその心は私と、人と共に在る。汚れているのはどちらか!」

 藤堂の怒り震える声に真木がふっと笑う。そしてずるずると身体が崩れるとその場に打ち伏せた。ゆるゆると抜け出る黒い魂を捕えられる者はいない。それは未練を連れて山の中へと潜り込んでいった。

「平助……」

 顔をくしゃくしゃにした貂が藤堂へと振り向く。その頬に藤堂が優しく手を当てる。

「こんなに優しい私の友を。嫌になっちゃうね」

「違う、違うんだ。俺は優しくなんてない。平助だって人を斬るのは辛いはずなのに、いつも当たり前のように平助に頼る。兄者の事も。俺が臆病なのを分かっていて、いつも憎まれ口をたたきながら俺の代わりに業を負ってくれている。分かってるのに、分かっているのに自分だけが汚れたくないと思う、手を汚したくないと思う。なんて卑怯な、卑怯なんだって――」

 顔を赤くし、感情が漏れださないように必死にこらえる。そんな貂の顔を藤堂がふわっと包みこむ。貂の頭を抱え込み、自分の腹へと押し当てる。そのままぎゅっと力を入れると、自ずと貂の顔が藤堂の腹へとうずめられた。

「泣きたいときは我慢しなくていい。ここには私しかいないから」

 藤堂の声に貂の感情が抑えることを忘れたかのように溢れだす。

「こうやってるとね、泣き声は外に聞こえないんだって。泣いていることを誰にも知られることはないんだって。前にね、土方さんが一度だけ教えてくれた」

 ぼろぼろと湧き出る涙は藤堂の服に染みていく。

「私は今のままの貂がいいなあ」

 ふふっと笑うといよいよ貂が声を上げて泣きだした。わんわんと泣く声は確かに山に響いていた。それでも木々のざわめきに、葉擦れの音にかき消されるようだった。

 陣小屋が燃え盛る。早く助けなければいけないのに、すぐそこまで来ていた永倉たちが少しだけ足をとめ、聞こえないふりをしていた。



 離れた木の上に影が一つしゃがみ込む。一部始終を見ていた桜王ざくろがつまらなさそうに頬杖を突く。

「長州もここまでか。まあ今はいい。いずれ見ておれ」

 表情を変えないまま体を翻すと山の奥へと消えていった。

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