四 信疑

 越前藩が守りを固めていた堺筋御門を長州兵が攻める。それを後ろから新選組が応戦し襲撃にかかった。命を懸けた勝負とは、時として思いの強さが勝敗を決める。捨て身の覚悟で大義をかざした長州は強かった。

 永倉が原田を連れ長州兵に襲い掛かる。すでに数ではこちらに軍配が上がっているものの、真木の心は折れることがなかった。越前、長州、新選組と乱戦に混戦が極まる中、永倉が御所の塀をよじ登ろうとせん数人に気が付いた。

「平助! 塀を跨ぎ御所内に長州が入った。ここは俺らに任せてお前はそっちを追え!」

「分かりました。永倉さん、原田さん、頼みます」

 「はいよお」と軽く返し手を振る原田の顔もいつになく引きつっている。どんなときにもふやけた笑顔の男も今ばかりは余裕がないようだった。藤堂にも心残りがないわけではない。しかし背は二人に預け、俊敏に藩士たちをすり抜け御所内へと向かった。

 堺筋御門を突破してすぐに位置していたのが鷹司たかつかさ邸だった。宮中において最大の権力を握るこの公家邸から聞こえて来たのは久坂玄瑞くさかげんすいの悲痛な叫び声だった。

「どうか! どうか帝に嘆願を! 我らが思いをどうか!」

 話せばわかるはず、誰が一番に帝を思い、守らんとせんのか。そんな大儀が久坂にはあった。奇襲をかけた今、その思いを伝えることが出来なければ逆賊となるしか道はない。何としてでも引くわけにはいかなかった。

「帝は其方らを京より追い出せと申した。今更なにを」

 困り果て逃げ出そうとする鷹司に久坂が縋りつく。

「今の荒れた京があるのは会津の、新選組のせいではございませんか! 正しき判断を今一度!」

「しらん! 私は知らん。そちらはすでに逆賊じゃ」

 逆上し襲い掛からんとする長州に怯え、鷹司が屋敷の奥へと逃げうせる。しばらくして裏門より人が立ち去る音がした。長州が放った大砲が御所内に撃ち込まれる。それは大火となりついに鷹司邸にも炎がうつった。これで終わりだと久坂が悟る。御所に火を放てば何をいっても言い逃れはできない。会津を討たんと、ただ思いを貫き通さんと放った戦火がついには身を亡ぼす焔となった。


 火の手が回り始めた鷹司邸に藤堂が駆け付ける。炎を背に立ちすくむ男と数名の長州藩士を見つけた。

「貴方は」

 男の後ろから声を掛ければ男がおもむろに振り向いた。

「長州藩、久坂玄瑞」

 名前を聞いた藤堂が驚く。

「貴方が……」

 藤堂が声を発するより先に久坂が刀を抜く。一気に藤堂に詰め寄るとその刃を藤堂に突き立てた。すんでのところで抜いた刀で藤堂が刃を防ぐ。

「久坂さん、まずは私の話を」

 藤堂には目もくれず久坂が長州藩士に呼びかける。

「退け! 思いを繋ぐものがなければ世は終わるぞ」

 その声に藩士たちが逃げ出す。藤堂が追おうとしたが久坂の刀がそれを許してはくれなかった。今まさに藤堂を捕えるその男に視線を向ける。久坂の鋭い目が藤堂を睨んでいる。

 藤堂はその目を知っていた。

「久坂さん、貴方は――」

 長州藩士たちが逃げ切ったのを知ると久坂が鷹司邸の中へと走り出す。

「ダメです! 久坂さん、それでは何も――」

 焼け落ちる屋敷の中、炎に包まれる久坂に怯えも迷いもなかった。それが藤堂には悔しく、悲しく、虚しかった。

「落ちるなら、この思いが残る場所で」

 斬られて終わることほど屈辱的な最期はない。そういう生き方しかできないのは知っていた。それでも藤堂は最後まで刀を仕舞うことができなかった。それが相手へのせめてもの敬意のような気がしてならなかった。久坂が自分の刀を自らの腹にあてがう。力を込めたその刀から血が飛び散る。血の赤はすぐに炎の朱にのまれて消えた。藤堂が刀の柄をぎゅっと握る。柄に撒かれた柄糸装飾の感触が手のひらに伝わる。なぜ皆刀でしか終わらせることが出来ない。刀とは何か。自分の今持っている、この刀とは何の意味があるのか。藤堂が悔しさで眉間に皺を寄せると目を瞑った。

 火の手が襲う前に屋敷をでる。燃え盛る鷹司邸を後に門へと歩き出した。堺筋御門のすぐそばで斬り捨てられた長州藩士が目に入る。先ほど鷹司邸で久坂が逃した藩士だった。同情するわけでも哀れむわけでもない。ただ解せなかった。


「平助、無事だったか」

 永倉の声が藤堂を呼ぶ。見るとかなり深手をおった永倉がこちらへ向かって来ていた。

「永倉さん! 大丈夫ですか!」

「あれの方がヤバイ」

 永倉が指さした方には原田が血にまみれ横たわる。声も出せないほど驚く藤堂に永倉が「大丈夫だ」と困ったように笑う。

「普段頑丈な奴がやられるとああなるらしい」

 命に別状はないと冗談のように話す永倉だったが、今回長州がいかに覚悟を決めて攻めてきたのか身に染みて感じた。

「永倉さん、私は以前貂に『刀でこの世を変えたい』と話しました」

 いつになく真剣な藤堂に永倉の表情が変わる。

「刀で変えられることなど、あるのでしょうか」

 荒れ果てた京の町を藤堂が見つめる。空には魂だろうか、兇魂だろうか、黒い靄がかかっている。藤堂の見つめる方へと永倉も視線を移した。

「さあな。でも平助の刀は貂を救っただろ。俺もサノの槍に救われた。変えることが出来るかは知らねえけど、救うことなら出来るだろ」

 「なるほど」と藤堂が目を伏せる。

「お前みたいな若い奴が深く考えんな。直感で行け直感で」

 藤堂の背中をばしばしと叩いた永倉がその場を離れる。振り向いた永倉がにかっと笑う。なんだかその笑顔に少し心が軽くなったような気がした。新選組の皆はいつだって藤堂に気を掛けてくれる。大事に、大切に、絆で結んでいてくれる。もう少しだけこの繋がりを信じて見ようと、そう藤堂は思った。

 原田を抱え上げる永倉に駆け寄り、ともにその大きな体を支え歩き出した。



 長州が御所へ攻め込み、その決死の覚悟が打ち砕かれると長い一日が終わった。しかし未だ京の町は大火に包まれ人々が行き場を失くし壊滅状態が続いていた。長州藩は自邸にも火を放ち行方をくらます。化け物たちは魂喰が祓ったものの、それらが町を破壊した跡は凄惨であり、兇魂が憑いた町人により治安が悪化していた。

 休む間もなく対処に追われていた近藤の元に島田が駆け付けた。

「近藤局長、六角の獄舎に閉じ込めていた古高が亡くなった」

 長州の後ろ盾をし呪詛使とも繋がっていたであろう古高俊太郎。事の後、事情を聞きだすための重要な手掛かりとして捕らえられていた。

「共に収容していた長州藩士たちも全滅だ」

 何事だと近藤も驚かずにはいられない。

「呪詛使が最後に口を封じよったか」

 またしてもいつからどこから聞いていたのか神出鬼没な声が聞こえてきた。

狐火こっこ殿、それは誠か」

 近藤は驚く様子もなく声の方に振り返る。

「さあ。今猫尾びょうびが向かっとる」

 それを聞いて慌ても動揺もしない。その姿を狐火が先日最後に会った近藤と照らし合わせる。柴司の葬儀の日、迷い苦悶し弱弱しくあったあの姿を思い出したが、その面影はもうなかった。

「呪詛使は人は殺めぬというのは偽りだったのか?」

 突き刺してくるようなものの言い方に「ふむ」と狐火が息をつく。

「なあ、近藤はん。ほんまに怖いんはばけもんか?」

 狐火に答える事はなく近藤が立ち去る。その背中が物語るものが何か、見極めんとする狐火の鋭い視線が刺していた。



 元治元年 七月二十一日


 京を去った逆賊の残党、真木和泉を追っていた山崎が戻る。真木が天王山へと逃げ込んだと情報を持って帰った。それは新選組、魂喰にも伝えられる。深手を負った永倉たちより先に藤堂が天王山へと向かう事となった。

「貂、お前も若虎を追って行け」

 藤堂が動き出したことを知った狐火が貂に命じる。

「真木和泉か。怨の魂が抜け出る可能性が高い。あるいは兇魂が憑いとるか」

「俺なら大丈夫です。狐火様は帝についていてあげてください」

 黙っていた心の内を当てられ狐火が目を丸くする。しかし頼れるほどにたくましくなった貂に顔がゆるんだ。

「おおきに」

 狐火の声を聞いた貂が屋敷を飛び出す。お互いの使命遂行を誓いあった友の元へと急いだ。

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