第三章

一 玉響

 蝉も泣き止まない京の町。山崎烝が四条通りをぷらぷらと歩く。一触即発の長州が京都付近に布陣を張っていても町中はいたって平和だった。四条の橋を渡り、店先のかどに差し掛かったところで山崎が歩を止めた。前を歩く男が山崎に振り返り詰め寄ってきたかと思うと、山崎の腹には刃物が突きつけられている。それでも涼しい顔をしたまま謎の男の顔を見つめた。

「おい、さっきから後付けてるようだが、お前何者だ?」

 刃を突きつけたまま男が顔を寄せ小さく吐いた。

「人に聞く前に自分から名乗るのが筋だろ」

 山崎もまた手元に短剣をちらつかせる。それに男が目を遣った。しばらく膠着状態が続くと男が脇道へと一目散へ走り出した。それを山崎が追いかける。山崎が追い付いてこないと男が油断したその時、いきなり目の前に影が現れ足を止めることを余儀なくされた。後ろから山崎の気配が近づいて来た。

「助かります、斎藤さん」

 山崎に声を掛けられた斎藤が刀に手をかける。それを見た男がへなへなと観念した。他に隠れ待機していた隊士たちが男を捕縛し連れていく。その様子を山崎が眺めていた。

「長州の密偵がうろうろとしているよう。何かを企んでいるのは間違いないですね」

「呪詛使の呪いとやらのおかげで長州側も京の中を動きやすくなっている。用心するに越したことはない」

「魂喰の言う事だと、呪詛使は人に対して手は出さぬと」

 斎藤が歩き出すと山崎がそれに続く。脇道から四条通りに出るとあいかわらず商店や露店、行きかう人々は賑わいをみせていた。

「どうやらそうでもないらしい」

 斎藤の言葉に山崎も「どういうことで」と首を傾げる。



 隊士達が交替で布陣を張っていた九条河原。近藤の元に島田が慌てた様子で走ってきた。未だ長州の動きが見られない中、焦る島田に近藤も何事かと立ち上がった。

「近藤局長! 耳に入れたいお話が」

 近藤と土方が奥へ引っ込むと島田が上がった息を整えながら報告する。

「今朝がた池田屋惣兵衛が投獄されていた獄中で亡くなった」

 「なんだと」と二人が目を丸くする。先の池田屋事件で捕縛した池田屋主人である入江惣兵衛にもやはり呪詛使の呪いが入り込んでいた。いつ操られてもおかしくないと、会津藩監視の元投獄されていたのだ。怪我を負うでもなく、病気にかかっているわけでもないその入江が獄中死を遂げていた。

「自害か?」

 近藤の問いに島田が首を振り否定する。

「呪いだそうだ」

 その返事に近藤も土方も再び驚いた。狐火の話では呪詛使は人へは手出しをしないはずではと、状況が呑み込めずにいる。

「会津の話では何か情報を吐きそうだったそうで。これは口封じなのではと話していたが、どういうわけだかは分からねえ」

「死因が呪いというのは、確かなのか?」

「魂喰の猫尾びょうび殿が確認されたと」

 近藤もいよいよどうしたものかと顎をさする。島田がその場を離れ戻っていくと、困ったように息をついた。

「呪詛使は人を殺めてでも会津を敵に回したいと、そういうことか」

「いや、狐火が呪詛使の狙いはあくまでも魂喰だと言っていた。その為には帝が呪詛使側につく必要がある。会津を落とすのはあくまでも長州に手を貸し京や帝を手の内にするため」

 むむっと近藤が唸った。

「そのためにはついに手段を択ばなくなったか」

 九条河原には未だ静かな時間が流れている。これが嵐の前の静けさなのかは分からない。しかし刻一刻と近づく戦火の臭いを感じずにはいられなかった。



 今回の出陣にも参加することはなく壬生村に残っていたのが山南だった。普段は京の状況を探り、その情報から情勢を見極め近藤たちに伝えていた。しかしこの日は非番の藤堂と島原の角屋に訪れていた。座敷に座る藤堂はどこかうきうきと機嫌がよさそうにしている。

「嬉しいなあ、山南さんとお出かけなんて」

 藤堂が声を弾ませると部屋の入口から一人の遊女が姿を現した。

「明里さん! お久しぶりです」

「あら藤堂はん。お久しぶりどす」

 派手さはないものの上品で可愛らしい明里が藤堂に微笑みかけた。

「山南さんはもう少しで戻られると思いますので」

 山南の名前を聞けば明里の白い顔が花のように綻んだ。その顔を見れば藤堂も嬉しくなってくる。早く戻ってこないかと藤堂と明里が山南を心待ちにする。お互いがそれを察してか目をあわせるとへらっと笑い合った。

「藤堂はんはほんま山南はんのことが好きなんやなあ」

 着物の袖に入れた手で口元を隠し笑う。その姿は変装した山崎の遊女姿の妖艶さとは違い可憐さが際立っていた。

「明里さんには負けますよ」

 そう言うとまた二人でふふっと笑う。柔らかい空気が部屋を充満させる。そこへやっとうわさの人物が姿を現した。

「おや明里、もう来てたのですか」

「もう、山南さん遅いですよ。待たせるなんて言語道断です」

「普通はうちを首長くして待ってくれはるもんやのになあ」

 藤堂と明里に責められれば山南も「こりゃまいった」と眉を下げる。その様子に二人は楽しそうにする。山南が腰を下ろすと明里が隣に寄り添った。

「今日は突然来てくれはったからびっくりしました」

「うん、今は長州との関係が緊迫状態でね。なかなか状況が読めないのだよ」

 「そうなんどすか」と明里が寂し気にする。

「次いつ顔を出せるか分からないから、平助も連れて来たくてね」

「私は山南さんと一緒にいれて、明里さんとお会い出来て嬉しいのですが……」

 藤堂が言わんとすることを明里がくみ取ると両手で口元を隠して目を細めた。

「うちも藤堂はんとお会いできてうれしい。藤堂はんと一緒にいる山南はんはほんまに穏やかで、まるで親子のように睦まやかやわ」

 そう言われると山南も藤堂も照れたように顔を赤らめ恥じらった。

「せやから次もちゃんと、来てくんなんし?」

 それは明里がこれから起こるであろう戦火の中で二人の無事を祈る言葉だった。山南が少し困ったように目を伏せたが、藤堂はいつもの明るい顔で返事を返した。

「もちろんです。でも次はぜひ山南さんお一人で」

 そう言うと山南の顔を見てにっこりと笑った。



 その頃御所近くの魂喰の屋敷では狐火こっこが難しそうに一通の手紙を眺める。まだ中身を確認していないそれを手遊びするように持て余していた。

 その手紙は幾分か前に帝臣が狐火の元に持ってきたもの。朝廷内に届けるより先に魂喰を通すように布石を打っていた。

 手紙の差出人は長州藩だった。

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